吾輩はポロである
                    

 吾輩は犬である。名前はまだ無い。おっと違った、ポロという。どこで生れたかなんてとんと見当がつかないし、生まれたときの光景を記憶しているなんて三島由紀夫ばりの大ボラを吹く気もない。ただ、前の飼い主のマサコさんの話だと、ペットショップで他の4匹の柴犬の子どもたちとキャンキュンじゃれあっていたそうで、そのなかで一番腕白坊主ぶりを発揮していたのが吾輩だったとのことである。

 
マサコさんは吾輩を我が子のように可愛がってくれたが、吾輩が8歳のときに突然あの世に旅立ってしまった。享年77だった。そのことが影響したのか、吾輩も心臓、肝臓を悪くしてしまった。マサコさんの連れ合いだって高齢だから、病気の吾輩の面倒を充分に見られなくなり、それで吾輩は息子のやまももさんの家に預けられることになった。2003年1月のことである。と言うわけで、吾輩はいまやまももさんの家にやっかいになっている。

 やまももさんの家で暮らすようになってから病気もすっかり治った。これには感謝する。ただ、前の主人のマサコさんとは家の中で冷暖房付きの暮らしを送っていたのだが、やまももさんにやっかいになってからは待遇が悪くなり、屋外の犬小屋で暮らすことになった。
1993年夏のちびポロ 1994年3月15日撮影のやんぐポロ

2003年1月18日撮影のじじポロ
 吾輩は狭い犬小屋で寝ながら、こう考えたものだ。文句を言えば角が立つが、兎角にこの犬小屋は住みにくい。住みにくさが高じると、家の中に入れてくれよと言いたくもなる。しかし、居候だから文句も言えない。だが、夏の暑さ対策だけはなんとかしてもらう必要がある。特にやまももさんの家は南向きに建てられており、家の前の濡れ縁に犬小屋を置いているので、南国の強烈な太陽をまともに浴びることになり、夏でも毛皮を着ている吾輩としてはこれはキツイ。

 やまももさんは、余り気の回らない人のようだが、吾輩のために暑さ対策をする必要があることには気がついたようで、家の周囲に木の柵を作って吾輩を放し飼いにしてくれた。そのお陰で、日中の熱い時間には木陰や北側の気に入った場所に穴を掘って、「避暑暮らし」ができるようになり、これでなんとか夏の暑い時期を無事に過ごすこともできるようになった。また活動領域が増えたためか、前よりかなりスマートになった様な気がする。

 なお、年のせいか大半の時間は寝てばかりいるので、やまももさんの次男坊から「ポロはいいなー」って羨ましがられている。なぜかというと、受験勉強をしなくていいからだそうである。やまももさんの出勤、帰宅のときも、吾輩は犬小屋に入り込んで寝たままなので、「態度がワルイなー」なんて言われているが、体が大儀なんだから仕方がないよ、ホントに。




左は2003年11月1日、右は同年11月30日撮影

 
 吾輩がマサコさんの家で暮らしていたときは、ドッグフードなどあまり食べなかったものである。マサコさん夫婦が食べ残したものをいつももらっていたからである。トンカツ、ステーキ、テンプラ、カキフライ、唐揚、お好み焼き、刺身、焼き魚……、うーん、あのころは本当に良かった。

 ところが、やまももさんの家で暮らすようになってからは、吾輩が食べるものは朝と夕方に出されるドッグフードだけになってしまった。それは、吾輩が心臓や肝臓を悪くしたときに、獣医さんからドッグフード以外の食物は絶対に与えないようにと厳しく言われたからだそうである。しかし、ドッグフードだけの食生活はなんともツライものがある。
2005年2月2日撮影


 .ジョークにつぎのような話があるという。1匹のワンちゃんがガレージ内に5日間も閉じ込められてしまった。しかし、幸いガレージに食料が置いてあったので、それで食いつなぎ、6日目にやっと飼い主によって無事に助け出された。しかし、そんなワンちゃんでも、閉じ込められたガレージ内で唯一食べなかったものがあったという。その唯一のもの、それがドッグフードでありました、というのだが、吾輩にはあながちジョークとは思えないような気がする。

 吾輩だって他に食べ物があれば、まずそれで飢えをしのぎ、ドックフードは最後の最後に食べることになるであろう。嗚呼、トンカツ、ステーキ、テンプラ、カキフライ、唐揚、お好み焼き、刺身、焼き魚……、あの頃の食事を遠い日の花火のように懐かしく思い出す今日この頃である。


2006年9月18日撮影
2007年9月23日撮影
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                                       ポロのお散歩