映像化された宮部みゆき作品


TV「茂七の事件簿 新ふしぎ草紙」


 2001年6月29日から9月21日にかけてNHK総合テレビで『NHK金曜時代劇『茂七の事件簿 ふしぎ草紙』が放送されましたが、嬉しいことにまた同じNHK総合テレビで2002年6月28日(金)から9月20日にかけて茂七親分とそのファミリーの姿を観ることができるようになりました。「茂七の事件簿 ふしぎ草紙」の第2シリーズとして『茂七の事件簿 新ふしぎ草紙』が放送されました。原作は宮部みゆきの時代小説『かまいたち』『本所深川ふしぎ草紙』『幻色江戸ごよみ』『堪忍箱』とさらに『オール讀物』2002年2月号に載った「寿の毒」です。放送時間は、毎週金曜日21:15〜21:58で、全10話でした。

 脚本は金子成人、演出は加藤拓、音楽は坂田晃一、語り手は春風亭小朝で、主なレギュラー出演者はつぎの通りです。

高橋英樹(岡っ引きの回向院の茂七)、淡路恵子(おかつ 茂七の亡妻の母親)、星野真里(お絹 茂七の一人娘)、あめくみちこ(お京 茂七の亡き妻の妹で旅籠屋の女将)、本田博太郎梶屋の勝蔵 地回りやくざ連中を束ねている)従来のレギュラー陣に新たに秋吉久美子(おさだ 茂七の行きつけの居酒屋「ひさご」を父親の幸助とともに営んでいる)、渡辺いっけい(粂次郎 茂七の手下)、伊崎充則(糸吉 茂七の手下)、大柴邦彦(浜松屋の若旦那・清太郎)が新レギュラーとして加わります。

 第一話「かまいたち」のドラマのなかで、権三(茂七の中年の手下)は「米問屋に請われて大坂に行った」ことになっていますが、実際には権三役を演じた河西健司はNHKの朝の連続TV小説「さくら」の沼田健一役(主人公のさくらの下宿先である沼田家の長男)を演じていたため、ろうそく作りに忙しくて茂七を手伝うことができなかったようです。それから、同じ茂七の手下の糸吉役が仁科貴から伊崎充則に交代していますが、これは仁科貴が大麻や覚醒剤で不祥事を起こしたからですね。捕まえる役が捕まってしまうようでは、交代も仕方がないですね。そう言えば、同じNHKのTVドラマ「蒲生邸事件」に孝史役で主演したいしだ壱成も全く同じ内容の不祥事を起こしていますね。宮部作品を原作とするTVドラマに出る人は気をつけてくださいね。

 それから、前回のシリーズでは、茂七は若い同心の加納新之助(安村和之)から手札をもらって岡っ引きをしている設定になっており、また新之助と茂七の娘のお絹はほのかな想いを寄せ合っている関係として描かれていました。ところが、今回のシリーズでは、茂七に手札を渡している同心は山村新五郎(桐山浩一)になっており、加納新之助は全く姿を見せません。これはどうした事情からでしょうか、ちょっと気になります。そのため、お絹には心に想う相手がいなくなり、浜松屋の若旦那に一方的に追いかけられて困ったようです。

 前回のシリーズで茂七に事件解決のヒントをいろいろ与えてくれたのが、原田芳雄が演じていた稲荷寿司屋の伊左次でしたが、最終回に屋台を出していた富岡橋から姿を消してしまいました。今回の新シリーズでは、秋吉久美子演じるおさだが同じ富岡橋に居酒屋を出して、やはり茂七にいろいろ事件解決のヒントを与えてくれます。このおさだと茂七、梶屋の勝蔵の三人の掛け合いがなかなか楽しかったのですが、最終回におさだもまた姿を消してしまいました。

第一話「かまいたち」(『かまいたち』)
第二話「落ち葉なしの椎」(『本所深川ふしぎ草紙』)
第三「鬼子母火」(『幻色江戸ごよみ』)
第四話「消えずの行灯」(『本所深川ふしぎ草紙』)

第五話「師走の客」(『かまいたち』)
第六話「紙吹雪」(『幻色江戸ごよみ』)
第七話「寿の毒」(『オール讀物』2002年2月号)
第八話「かどわかし」(『堪忍箱』
第九話「紅の玉」(『幻色江戸ごよみ』)

第十話「堪忍箱」(『堪忍箱』)
              

第一話「かまいたち」(『かまいたち』の第一話「かまいたち」が原作)
 やまもものコメント yamamomo01@nifty.com


 およう(水川あさみ)は医者の新野玄庵(木場勝已)の娘ですが、急病人の家に往診に行った父の帰りが遅いので、不安になって迎えに出かけますが、夜道で血糊の付いた刀を持った男と遭遇してしまいます。側には人が倒れていました。その頃、江戸の市中に「かまいたち」と呼ばれる辻斬りが出没し、世間を騒がせていました。おようはその男を「かまいたち」に違いないと思いましたが、相手は彼女に危害を加えずに立ち去りました。おようはすぐに手近の番屋に駆けつけ、同心の井手官兵衛(藤堂新二)たちと一緒に現場に戻りますが、どうしたことか現場には辻斬りがあった形跡が全くありません。そのため、彼女の証言は井手官兵衛たちに無視されてしまいます。

 しかし、おようは自分が見たことが真実であることを信じてもらいたいと思い、目明かしの茂七(高橋英樹)の家を訪れ、そのときの様子を詳しく話します。おようは、さらに辻斬りの証(あかし)を探しに事件のあった場所に行きますが、そのとき鋭く細い錐の様な刃物が飛んで来ます。その現場を目撃した茂七は、おようの言葉を信じるようになります……。

 今回のドラマの一番の見どころは、おようの住む長屋に引っ越してきた職人の新吉(池内万作)がなんとあの夜におようが遭遇した血糊の刀を持った男と同一人物であり、そんな男におようが身の危険を感じて恐怖を募らせながらも、彼女の身辺につきまとう彼に次第に心を惹かれていくそんな複雑な心の動きにあるのでしょう。しかし、水川あさみの演技の硬さもあって、おようのそんな心の葛藤がドラマのなかで充分に描き出されていたとは思えません。また、「かまいたち」騒動の裏に隠された真実とその解明過程もありきたりの時代劇ドラマを観ている様な感じがしました。

 はっきり言いまして、宮部みゆきの初期の作品(1988発表)である原作の「かまいたち」そのものに作為が目立ち、読者の胸を打つところがあまりなく、それがそのまま今回のドラマに反映されているように思われました。
また、茂七ファミリーが繰り広げる賑やかで楽しいホームドラマを楽しみにしていたのですが、1年ぶりのからみあいのためか、もう一つぱっとせず、エンジンのかかる次回以降を期待したいと思います。

 と、随分辛めの評価を書きましたが、「週刊 大極宮」第65号(2002.7.5)に宮部みゆきのつぎのようなコメントが載っていました。
『茂七の事件簿』よかったっス!
高橋さんの茂七親分はシブいし、娘役の星野真里ちゃんもいいです。
しっかり作ってあって、大変嬉しゅうございました。
第二シリーズは全10話なので、皆さん楽しみにしてくださいね。
 このコメントは第二シリーズの第一話(6月28日放送)を観てのものだと思いますが、原作者として内容にとても満足しているようですね。確かに、しっかりと丁寧に作ってあり、TVドラマとしては水準以上の出来でしょうね。私の場合、期待が大きいものですから、つい辛口コメントになってしまいました、ゴメンナサイ。でも、次回のドラマは高く評価していますので、どうかお許し下さい。


第二話「落ち葉なしの椎」(『本所深川ふしぎ草紙』の第四話「落ち葉なしの椎」が原作)
 やまもものコメント yamamomo01@nifty.com


 罪を犯して島流しの刑を受けていた粂次郎(渡辺いっけい)、勢吉(塩野谷正幸)、おしげ(筒井真理子)らが罪を赦され、御赦免船で島から江戸に戻ってきました。その半月後に、雑穀問屋の小原屋の裏で一人の男がぼんのくぼを千枚通しのようなもので一刺しされて死んでいました。「落ち葉で下手人の足跡も残ってねえ」という茂七のつぶやきを聞いた小原屋の奉公人・おしの(吉野紗香)は、それからいつも真夜中に落ち葉の掃き掃除をするようになります。彼女は人からその理由を訊ねられると、「実の父が夜道で殺されたが、そのときも落ち葉が散っていて下手人の足跡が残っていなかった。掃き掃除を続ければ早く下手人が捕まるような気がする」と答えるのでした。

 そんなおしののことを心配して、小原屋の跡取り息子の千太郎(加藤大治郎)が茂七の家にやって来ました。茂七の落ち葉についてのつぶやきがおしのに真夜中の落ち葉掃除を決意させたのだから、茂七からおしのに落ち葉掃除を止めるように言ってもらいたいと頼みに来たのです。この千太郎は、おしのと近く祝言を挙げることになっていました。

 おしのは、実の父親は殺されたと言っていましたが、しかし本当は生きていたのです。島から許されて帰ってきた勢吉こそがおしのの実の父親だったのです。彼は、家族をほったらかして飲む、打つ、買うの荒んだ生活を送ったあげく、賭場で人を殺めて島送りになったのでした。勢吉は、許されて江戸に帰ってきたとき、まず娘のおしのに会って謝りたいと思っていました。しかし、おしのが夜中に落ち葉掃除を始めたことを耳にし、その行為に自分には近づいてほしくないという強い拒絶の意志が示されていることを感じ取ります。彼と一緒に島から帰って来た粂次郎は、勢吉の娘への思いを知っておしのに勢吉の心情を伝えようしたが、茂七の手下の糸吉に見つかって逃げ出してしまいます。茂七は、下手人がおしのの落ち葉掃除の噂を耳にして彼女に危害を加えるのではないかと考え、糸吉に命じておしのの身辺を警戒させていたのです……。

 今回のドラマでは、前科者の烙印を押された人間達の悲哀がしみじみと描かれています。流人たちは、たとえ罪を許されて島から帰っても、腕には前科者であることを示す入れ墨が黒々と彫られており、人々は彼らをやさしく迎え入れてはくれません。世間の風は冷たく、彼らの前途は多難です。勢吉は、おしのが夜中に枯れ葉を懸命に掃除する姿を見たとき、自分が落ち葉のように掃いて捨てられる存在だと言われたような気がしました。粂次郎、勢吉と一緒に島から帰ってきたおしげも、まともに生きようと働き口を探して歩きますが、どこでも拒絶され、再び悪事を働くようになります。そんな彼女は、茂七に捕まったとき、自分が「枯れた葉っぱみたいなもの」にすぎないと言い、また「島に残った方がよかった」とも言っています。

 だからこそ、このドラマのラストの方でおしのが落ち葉で書いた「おとさん」が画面に映し出されたとき、観ている私自身も救われたような気持ちになりました。このラストの落ち葉の場面は原作にはありませんが、独自的に工夫が施された効果的な映像によって原作のスピリットが見事に表現されていたと思います。私と一緒に観ていた妻も、勢吉が「おとさん」と書かれた落ち葉をふところ懸命に掻き込む場面で鼻をグシュグシュさせながら涙を流しておりました。茂七シリーズはやっぱり人情ものが一番いいですね。

 ところで、粂次郎はこの事件が縁で茂七の手下として働くことになりました。また、居酒屋「ひさご」を父親と一緒に営んでいるおさだ(秋吉久美子)には、島流しの刑を受けている辰五郎という知り合いがいるようです。おそらく、彼女と辰五郎の話もこれからサイドストーリーとして展開されていくことと思われます。


第三話「鬼子母火」(『幻色江戸ごよみ』の第一話「鬼子母火」が原作)
 やまもものコメント yamamomo01@nifty.com

 茂七(高橋英樹)のもとに浜松屋の若旦那の清太郎(大柴邦彦)が訪ねて来ます。清太郎は、取引先の伊丹屋で起きた原因不明のぼや騒ぎについて調べてほしいというのです。娘のお絹(星野真里)が浜松屋の裁縫仕事を手伝っていることもあり、茂七は仕方なく伊丹屋に調べに赴きます。だが、伊丹屋の女中頭おとよ(木の実ナナ)は内々で始末をつけると言います。ところが、火元である神棚の注連縄(しめなわ)の中から女性のものと思われる髪の毛が発見され、茂七はそのことに不審を抱きます。伊丹屋の奉公人たちもその注連縄の髪の毛のことをいろいろ噂するようになりますが、それを耳にした奉公人のおうめ(楯真由子)が姿をくらまそうとします。おうめは奉公に来たばかりの少女でした。

 見つけ出された彼女は、自分が注連縄に彼女の母の髪の毛を隠し入れたことを告白します。お梅の話によると、彼女の母は流行病(はやりやまい)で亡くなり、土葬されずに荼毘にふされてしまったそうです。それは病を広げないための措置でした。しかし、「おっかさんが焼かれたら土の下に眠ることができず、その土の上に花を咲かせることもできない」と悲んだおうめは、母の髪の毛をこっそりと切り、伊丹屋に奉公するようになってから、その髪の毛を神棚の注連縄に隠したのでした。そうすれば、みんなに拝んでもらったりお灯明をあげてもらえると思ったからでした。

 注連縄の髪の毛の謎は解明されましたが、ではぼや騒ぎはどうして起こったのでしょうか。茂七がその真相を解明するヒントとなったのが、居酒屋「ひさご」のおさだ(秋吉久美子)の「火付けは女だね。恨みの炎、妬みの炎、恋の炎、悋気の炎」という言葉でした。

 伊丹屋の若旦那の喜一郎(松田賢二)にはおつる(三輪ひとみ)というお内儀(かみ)さんがいますが、喜一郎は結婚前から関係を持っていた女中のおたつ(上野なつひ)との仲も切れないままでいました。茂七はそんな三人の目の前で、ぼや騒ぎの真相はおうめが注連縄に隠した彼女の母の髪の毛が原因だったのだと意外なことを言い出します。すなわち、流行病で死んだおうめの母親は、自分の髪の毛がまた病の原因になることを心配し、早く燃えてしまいたいと思ったからぼや騒ぎを起こしてしまったのだと言うのです。そして、茂七はおうめに、「自分の思いを切るのは辛いが、自分の思いを切ればみんな助かるのだよ」と言い聞かせます。勿論、茂七のこの言葉はおうめにのみ言ったものではなく、喜一郎、おつる、おたつの三人に対して暗に諭す意味を込めたものだったのです。

  今回のドラマは、人間の心の執着とそれを断ち切るお話でしたが、ほろりほろほろほろりとなんと4回も心を打たれる場面がありました。

 まず、おうめが神棚の注連縄に彼女の母の髪の毛を入れた理由を茂七たちに語る場面でまずほろりときました。さらに女中頭(木の実ナナ)のおとよがおうめに彼女の母の髪の毛を庭で焼いて供養することを勧め、それを埋めた場所に一緒に花の種を蒔く場面でまたほろりときました。それから、茂七がおうめに母の遺髪への思いを「切る」ことを諭すことによって、伊丹屋の若旦那の喜一郎、お内儀のおつる、女中のおたつの三人に彼らの歪んだ思いをも「切る」ように諭す場面もなかなか味わいがあり、またまたほろりとさせられました。そして、ラストでおとよがおうめの亡き母の霊魂であろう鬼子母火に語りかけ、娘のことは私が面倒見るから心配ないよと言う場面でまたまたまたほろりとさせられました。


 ところで、この伊丹屋の三人の三角関係の話は原作にはありません。しかし、この三人の話が付け加えられることにより、今回のドラマにとてもいい陰影を与えたように思います。 そう言えば、原作では、おうめの亡き母の魂が自分の髪の毛を燃やしたことからぼや騒ぎが起こったらしいと解釈されていますが、今回のドラマでは三角関係のもつれから起こったぼや騒ぎとして合理的に説明されています。原作に対するこの2つの改変、とても納得のいく効果的な手直しだったと思います。


第四話「消えずの行灯」(『本所深川ふしぎ草紙』の第七話「消えずの行灯」が原作)
 やまもものコメント yamamomo01@nifty.com


 今回のドラマの題名の「消えずの行灯」は、雨の日も風の日もいつも同じように燃えているという不思議な行灯から由来しています。この行灯は、ある二八蕎麦屋の店の前に灯っているのですが、誰も油を足さないのに燃え続けているそうです。そんな消えずの行灯のように、足袋屋の市毛屋の内儀のお松(烏丸せつこ)が事故で亡くなった娘のお鈴をいまも生きていると思い続けていることは、「生きていくための足もとを照らす行灯」であり、心の支えなのだろうと茂七たちには思われましたが、しかし実は……、というお話です。

 おゆう(市川実日子)は、貧しい家の生まれで、飲んだくれで甲斐性のない父親のためにさんざん苦労を味わってきました。彼女は、文字も読めないがらっぱちな女として育ち、世間をかなり屈折した目で眺めるようになっていました。そんな彼女が、市毛屋に奉公に入り、内儀のお松の身のまわりの世話をすることになります。それは、彼女が亡くなった市毛屋の娘のお鈴に姿かたちが似ていたからであり、娘を事故で亡くしてから正気を失った内儀のお松の心を慰める役目をするためでした。しかし、市毛屋の旦那(山崎一)の浮気が発覚したとき、おゆうはお松が嫉妬の炎を燃やしていることを知り、彼女が本当は正気だということに気づきます。お松の消えずの行灯は、憎しみの炎だったのです……。

 今回のドラマでは、おゆう役の市川実日子が重要な役割を担わされています。おゆうは、ひねくれて屈折した性格の娘なんですが、そんな彼女がお松に同情し、問わず語りに自分の過去を語り、その心情を吐露する場面があります。そして、彼女が唯一知っている文字「求不得苦」(ぐふとくく。仏教の八苦の一つで、求めても求めても得られない苦しみ)の4文字を紙に書き、お松にその意味を語った後、「お鈴さんは、いないと思った方が楽だよ」と言うんですね。この場面、今回のドラマで一番大切なところだったと思いますが、おゆう役の市川実日子の演技がいまいちなため、がらっぱちな女性の心の奥に隠された優しさや真っ当さが充分に表現されていなかったように思います。

 市川実日子は、モスクワ映画祭で主演女優賞を受賞しているそうですね。現代劇なら、「いま」の時代の空気を自然と感じさせるいい個性を持っていると思うんですが、時代劇で娘役を演じるのを視聴者として観るのはかなりツライものがありました。彼女に江戸時代のそれも下積みの貧しく辛い経験をさんざん味わってきた娘を演じさせるのはちょっと無理があったのではないでしょうか。


第五話「師走の客」(『かまいたち』の第二話「師走の客」が原作)
 
やまもものコメント yamamomo01@nifty.com

 梅屋という旅籠を営んでいる竹蔵(勝野洋)、お里(大谷直子)の夫婦は、師走になるといつも泊まりに来る商人の常二郎(六平直政)を心待ちにしていました。常二郎が宿賃代わりに、翌年の干支(えと)となる金製の置物を必ず置いていくからでした。もし、この干支の置物が12個全て揃えば百両にはなるだろうというので、梅屋の夫婦はそれを楽しみにしていたのです。

 しかし、今回やって来た常二郎が持参した金製の蛇の置物は、これまでよりずっと大きいものでした。常二郎の話では、職人がこだわって3倍の金を使ってしまったそうです。常二郎は、そのために「金がかかりすぎた。十両払って欲しい」と言い出します。この蛇の置物を骨董屋の卯之助(梅津栄)に見てもらったところ、非常に価値のあるものだと鑑定したので、すっかり信用した梅屋の夫婦は骨董屋の卯之助から十両を借りて蛇の置物を常二郎から譲ってもらうことにしました。そして、蛇の置物は借金のかたとして骨董屋の卯之助の蔵に置かれることになりました。ところが、なんとその蛇の置物が翌朝には忽然と消えてしまっていたのです……。

 今回のドラマでは、まずは常二郎の6年もかけての手の込んだ騙しのテクニックが視聴者の興味を惹いたでしょうね。いかにも怪しげな六平直政が演じる常二郎の話によると、小間物商人の彼は、仙台の伊達の殿様から依頼を受けて、毎年一つずつ干支の置物を江戸の腕のいい職人に作ってもらっているだけでなく、依頼主の伊達様に黙ってもう一個同じものを職人に作らせているとのことです。好き者には垂涎の的であり、12個全て揃えば百両は間違いないそんな干支の置物を、心から親切にもてなしてくれた梅屋夫婦に宿賃代わりに毎年一個ずつ置いていきましょうと言うのです。そんなうまい話があるわけないですね。視聴者の多くが、もし梅屋に電話が通じるなら、すぐにでも竹蔵夫婦に電話をして「騙されちゃ駄目ですよ」と忠告したいような思いに駆られるに違いありません。しかし、江戸時代のそれもTVドラマの世界ですから、残念ながらそんなことはできませんね。梅屋の夫婦は常二郎にまんまと騙されてしまいます。

 常二郎に騙されたと判ったとき、お里が竹蔵に「欲得じゃなく、松吉(竹蔵とお里の一人息子)のためだったんですよね」と言っています。こつこつと真面目に働いてきた夫婦が常二郎の巧みな口車に乗せられて十両を騙り取られてしまったのは、百両という大金を手に入れて旅籠を大きく建て直し、それを子どもの松吉に引き継がせたかったからなんですね。子どもへの愛情がこの真面目な夫婦の真っ当な感覚を麻痺させてしまったようですね。裏口入学のための口利き料を騙し取られたり、入学前に多額の寄付金を支払っている親たちと同じ心理ですね。

 今回のドラマは、浅ましい考えを持っては駄目ですよ、額に汗して真面目にやっていきましょう、という教訓噺でしたね。しかし、話の内容からいって、なにかもう一工夫欲しかったですね。例えば、欲に目が眩んだ人間の弱さと愚かさをさらにもっと際立たせるために、梅屋の夫婦に醜い責任のなすり合いを大いにさせてもよかったかもしれません。夫婦を演じた勝野洋、大谷直子のご両人、少しご立派すぎたような気がします。


 なお、今回の物語は幸いにしてハッピーエンドとなりますが、この結末はいかにもご都合主義的なところがありましたね。因みに、原作では鉄という犬が登場しており、結末のどんでん返しに重要な役割を演じます。この鉄は、松吉が飼っているんですが、「夜中でも旅籠中をこそこそ歩き回ってお客を驚かす」そうですから、ちゃんとしつけがされていないお行儀の悪いワンちゃんです。また、ごはんをたくさん食べるだけでなく、ねずみも食べますし、小鳥の卵を盗りに来る蛇だって捕まえる犬だとも紹介されています。このような腕白な鉄の紹介文のなかに物語の後半でのどんでん返しへの伏線がちゃんと張られているんですね。 こんなお行儀が悪くってあまりお利口さんとは言えない食いしん坊の鉄が逆転劇の担い手となるところに、この物語の結末になんとも言えぬ可笑しさを醸し出しているんですね。ところが、こんな駄目ワンちゃんの超天然ぼけ的キャラクターを残念ながらTVドラマでは観ることができませんでした。なお、TVドラマではその代わりに、お京(あめくみちこ)が欲の皮を突っ張らせて危うく常二郎に騙されそうになっていたというエビソードを入れており、視聴者の笑いを誘っていました。


第六話「紙吹雪」(『幻色江戸ごよみ』の第十二話「紙吹雪」が原作)
 やまもものコメント yamamomo01@nifty.com

 原作の短編「紙吹雪」には、おぎんの父親の病死、高利貸しの井筒屋による過酷な取り立てによる雪の日の一家心中、そして一人生き残ったおぎんが13才になったときに身を偽って井筒屋に女中奉公に入り、3年後に井筒屋夫婦を殺害する話が書かれています。なんとも陰鬱な内容ですね。また、おぎんが井筒屋夫婦を殺害する凄惨な場面も具体的に描かれています。物語のラストで、屋根の上からおぎんによってまかれる借金の証文の紙吹雪がなんとかそんな陰鬱で凄惨な雰囲気を緩和し浄化してくれますが、不況、リストラ、貸し渋り、倒産、そして借金苦等々が常態化している今日この頃、一般家庭に放映されるTVドラマとして作る場合、かなりの手直しがあるのではないかと予想していました。しかし、今回のTVドラマは実際には想像以上に原作を忠実に再現していました。

 茂七は、どうしたことか同じ日に金貸しの井筒屋関連の3つの出来事に遭遇します。最初の出来事は、おさき親子が井筒屋(益富信孝)の厳しい取り立てのために身投げをした事件です。つぎに、茂七の娘のお絹(星野真里)から、彼女が浜松屋で縫った着物に針が入っていたと井筒屋のお内儀(三谷悦代)に文句をつけられ、それを半値で買い取られてしまったと聞かされます。さらに、大工の亀三(真島秀和)から行方捜しを頼まれていた彼のいとこのおぎん(邑野未亜)がなんとその井筒屋で女中奉公をしていることが判明します。

 茂七から亀三がおぎんのことを捜していると聞かされたおぎんは、「後2,3日は自分が井筒屋で働いていることを黙っていてほしい」と茂七に頼みます。そして茂七が彼女に会った二日後、おぎんは井筒屋夫婦を殺害してしまいました。茂七は、事件を知って駆けつけたおぎんの伯母のおしま(左時枝)からおぎんの過去を知り、今回の井筒屋殺しがおぎんの母親と兄のために行った仇討ちであることが判明します。

 茂七は、おぎんが井筒屋の隠れ部屋に潜んでいると知って、彼女を説得しょうとします。しかし、茂七は逆に彼女から、日が沈んでから屋根に上がって亡き母と兄のために雪を降らせたいので、それまで待って欲しいと頼まれます。茂七はおぎんの頼みを承諾し、彼女は井筒屋の全ての借金の証文を紙吹雪にして夕焼けの空にまき散らしました……。

 ドラマのラストで、おさだ(秋吉久美子)の居酒屋から帰る茂七の姿に春風亭小朝「茂七にはにがくて酔えない酒だったようだ」とのナレーションが入りますが、視聴者にはこのドラマが相当ににがくて酔えない内容だったのではないでしょうか。ただ、おぎんに対する茂七の人情味溢れる優しい対応と、それからお絹が因業な井筒屋が殺されたことを周りの野次馬たちと一緒に喜ぶ様を見た茂七が諭す挿話は視聴者の心を救ってくれたと思います。特に、お絹が井筒屋夫婦に対して「ばちが当たった」と言ったことに対し、茂七が「いくらワルだからって、嫌われていたって、喜んでいいのか」と厳しく諭し、ラストの小雪の降る夜道では、お絹が「昼間のことは堪忍してね」と茂七に素直に謝る話が挿入されていましたが、原作にはないこのような話を挿入したことは家庭向きTVドラマとしてとてもよかったと思います(原作の終わり方も、小説として独自にとてもよかったですよ)。

 なお、出演者はみんなとても好演していたと思います。おぎん役の邑野未亜は、悲しい過去を背負った江戸時代の娘の感じがよく出ていましたし、井筒屋の夫婦を演じた益富信孝、三谷悦代の二人はいかにも強欲で狡がしそうでしたね。おぎんの伯母のおしまを演じた左時枝が、おぎんの母と兄の死について、それが「井筒屋のせいだ」と幼いおぎんに繰り返し言ったことが今回の事件を生んでしまったのだろうと言い、泣きながら悔やむ場面も印象的でした。



第七話「寿の毒」(『オール讀物』2002年2月号の「寿の毒」が原作)
 やまもものコメント yamamomo01@nifty.com

 茂七の新シリーズ第七話は「寿の毒」で、原作は『オール讀物』2002年2月号から連載が始まった茂七の事件簿シリーズの第一話「寿の毒」です。

 今回のドラマでは、おきち(土屋久美子)という女性が毒殺された事件に岡っ引きの茂七がかかわり、誰がなんのためにいつどのようにして彼女を殺害したのか、その謎を解こうと奔走しますね。典型的な捕物帖のスタイルをとった今回のドラマを観て、この茂七の事件簿のシリーズが時代ミステリーのジャンルに属しているたことをあらためて認識させられました。と言うことは、これまでの話では、私個人は事件の謎よりもその事件にかかわった人々やその背景の方により強い関心を寄せていたということです。しかし、今回のドラマでは、登場する人物のだれに対してもほとんど感情移入することがなく、その分だけ捕物帖としての謎解きを純粋に楽しみました。

 さて今回のお話は、辻屋という蝋問屋の隠居・仁助(黒部進)の還暦祝いが料理屋の堀仙で開かれたとき、その宴席に出ていたおきち(土屋久美子)が宴の途中で気分が悪くなり、家に帰ってから急死してしまったという事件から始まります。おきちの夫で小間物屋の勘兵衛(左とん平)の話によると、彼女は帰宅後すぐに掛かりつけの医師・安川(大沢樹生)を呼び、薬をもらってから寝入ったそうですが、翌朝には死んでいたとのことです。検視の役人が調べた結果、福寿草の毒を盛られた疑いが強まります。

 死んだおきちは、仁助の息子・彦助(緒形幹太)の先妻とのことで、仁助の妻との折り合いが悪かったため無理矢理に離縁させられ、彼女よりずっと年上の勘兵衛の後添いに入ったそうです。なお、勘兵衛は辻屋の隠居に大変世話になっており、おきちとを後添いにする話も辻屋の隠居がまとめたそうです。しかし、年の離れたこの夫婦の間に愛情は生まれず、彼女は彦助に未練を持ち続けていたとのことです。しかし、彦助はすでにお久という女性と再婚していました。

 辻屋にとっておきちはやっかいものですね。辻屋の人間の誰かが彼女に毒を盛ったかもしれません。また彼女から冷淡な態度を取られ続けてきた夫の勘兵衛にだって動機はありそうです。医者の安川もなんとなく怪しい感じがします。しかし、誰がいつどのようにしておきちに毒を盛ったのでしようか。そのことを解明するため、茂七はお京(あめくみちこ)に頼んで辻屋の還暦祝いのときの料理を再現することにします……。

 今回のドラマでは、おきちが毒殺された事件の謎が解明されていく過程に大いに興味が持てました。しかし、辻屋の隠居の仁助がドラマのラスト近くで「あれ(おきち)を毒にしてしまった」と言う科白がありますが、いまいち胸に響きませんでした。辻屋の隠居が言いたかったことは、辻屋側の勝手な都合により離縁や再婚をさせられたことがおきちの心を歪めてしまったということなんでしょう。なお、『オール讀物』の原作では、辻屋の隠居が茂七におきちについてつぎのように述懐して自分の見込み違いを悔やんでいます。

 「いろは屋の勘兵衛さんは、おきちよりもうんと年上ですが、私はおきちには、ああいう父親のような年頃の、おきちを甘えさせてくれる懐の深い男がいいだろうと思ったのです。ですから、今度こそおきちも幸せになれるだろうと期待しておりましたが、とんだ見当違いだったようでございました。」

 なお、私はTVドラマのおきちにほとんど同情を感じませんでした。女として不幸な境遇だとは思うんですが、それにしても彼女はあまりにも手前勝手で押しの強い女性です。相手の事情や意志などほとんど無視して、自分の感情や願望だけを優先させて行動しています。そんな彼女を見ていると、還暦祝いの宴席料理のように思われました。その心は、胸にもたれる、です。彼女に対してこのように感じるのは、私が男性だからですかね。


第八話「かどわかし」(『堪忍箱』の第二話「かどわかし」が原作)
 やまもものコメント yamamomo01@nifty.com


  第八話「かどわかし」の原作は『堪忍箱』第二話の「かどわかし」です。この短編は、畳屋の箕吉が長屋でうちわを使いながら七輪で目刺しを焼いていたときに見知らぬ子どもからいきなり「おじさん、おいらをかどわかしちゃくれないかい?」と声を掛けられるところから始まります。このなんとも唐突な出だしから物語は始まり、さらに箕吉と子どものつぎのような全く噛み合わない、だからまたなんとも滑稽な会話が交わされます。

「あん?」と、箕吉は声をあげた。「なんだって?」
「だからさ、おいらをかどわかしておくれって言ってるんだよ」
 思わず、箕吉のうちわをあおぐ手が止まった。煙が濃くなって咳き込んだ。急いでまた手を動かしながら、ごほんごほんと笑って、子供を追い払うように顎をしゃくった。
「おじさんには、なぞなぞなんかをしてる暇はねえんだ」
「なぞなぞじゃないよ」
「うちへ帰りな。そら、もう烏もないてる」
「どこで?」と、子供は膝に手をあてたまま横着そうに空を仰いだ。「どこにも烏なんかいないよ」
 面倒な子供である。

 原作の「かどわかし」には、このように落語の世界でお馴染みのこまっちゃくれた子どもが登場し、畳屋の箕吉との間にまさに落語的なユーモア感に溢れた傑作な会話が交わされるため、読者を大いに笑わせますが、そんなこまっちゃくれた坊やの胸の裡にも淋しく哀しい想いが秘められていることも次第に判明し、読者をちょっとしんみりとさせます。

 さて、TVドラマの茂七の新シリーズ第八話では、子どもがかどわかしを持ち掛ける相手は畳屋の箕吉ではなく唐辛子売りの東三(不破万作)でした。小一郎がかどわかしを東三に頼んだのは、郷里に帰った乳母のお品(相田翔子)の所へ行って一緒に暮らしたいからで、そのために狂言誘拐を行って自分の家から身代金を取ろうとしたのです。困惑した東三は、茂七と相談して一計を案じます。茂七が「かどわかしの名人」になって、小一郎を脅かすことにしました。その結果、計画を諦めた小一郎は東三に連れられて辰美屋に戻りますが、そのとき東三は小一郎の母親である辰美屋のおかみのおすえ(久世星佳)から、彼女が忙しすぎて、乳母のお品に小一郎の面倒を任せっきりにしたため、「子どもは育ったが、余所の子になってしまった」との嘆きを聞かされます。それから数日後、なんと小一郎が本当に誘拐され、東三は疑われて捕らえられてしまいます……。

 自分をかどわかしてくれと頼む小一郎と、そんなとんでもない話に当惑する東三のコミカルな会話を楽しみにしていましたが、実際にはもう一つ可笑し味が出ていませんでした。小一郎を演じた塩野魁土クンにはこまっちゃくれた言動にそれとは裏腹な年相応のあどけなさをもっとミックスして欲しかったですし、東三役の不破万作には真面目さのなかにももう少し剽軽さがあればよかったんですけどね。

 しかし、茂七が見るからに怖い悪党という感じで小一郎の前に表れて、「坊ちゃん、どこに売られたいんだい」と脅かす場面は傑作でした。あの場面で、もしかしたら塩野魁土クンは本当に怖がっていたかもしれませんね。怖い顔をして凄みを利かせながら視聴者の笑いをとるには、やはり相当な演技力が必要だと思うんですが、茂七役の高橋英樹はさすがに上手いですね。

 それから、淡路恵子演じるおかつが、「子どもの母親への情はおまんまを作ってもらうなかで生まれるもんだ」と言い、その言葉をラストで受けて、小一郎と二人だけで貧しい長屋暮らしをするようになったおすえが、お品に「こうなったことがよかった。毎日、小一郎にご飯を食べさせ、情が湧く、情が濃くなる」と語る場面がほんわか温かいご飯の味がしてよかったですね。


第九話「紅の玉」(『幻色江戸ごよみ』の第二話「紅の玉」が原作)
 やまもものコメント yamamomo01@nifty.com


 第九話は「紅の玉」で、原作は『幻色江戸ごよみ』第二話の「紅の玉」です。原作では、市井に生きる真面目で誠実な職人夫婦が幕府の不条理な禁令で困窮に陥り、さらに侍世界の仇討ちに巻き込まれ翻弄されていく過程が描かれています。この原作は悲劇的な結末を予感させて終了しますので、それだけ弱い立場に置かれた庶民の悲哀が読者の心に痛切に伝わって来たと思います。では、今回のドラマでは原作の悲劇的な結末をどのようにアレンジしたのでしょうか。

 左吉(小市慢太郎)は、茂七の手下の粂次郎(渡辺いっけい)と同じ長屋に住んでいる腕のいい飾り職人ですが、幕府の奢侈禁止令のため仕事が減り、病身の妻・お美代(坂井真紀)を医者にも見せることが出来ないでいました。そんな左吉の家に初老の武士(山本學)が訪れます。この武士は、妻の形見の紅珊瑚の玉を使って娘の嫁入りのための銀のかんざしを内密に作ってくれと左吉に頼みます。左吉は、御上の禁止令に反すると知りながらもその仕事を引き受けます。ところが、左吉が紅の玉のかんざしを仕上げて「左」と銘を打って依頼人の武士に渡した数日後、なんとそのかんざしをした武家の娘がその武士を介添人にして江戸市中で派手に仇討ちを行ったのです。左吉はその話を聞いて凍り付きました。禁制品の奢侈なかんざしを作ったことが表沙汰になってしまえば、彼自身は江戸所払いか手鎖りの処罰を受け、病身の妻は路頭に迷うことになるでしょうね……。

 今回のドラマの前半では、御上の禁令に苦しむ左吉(小市慢太郎)と病身の妻のお美代(坂井真紀)の夫婦としての二人の情愛が胸を打ちました。小市慢太郎、坂井真紀の演技もとてもよかったです。ドラマの後半では、茂七が悪法を掻い潜って左吉夫婦を救う手だてを講じる姿に声援を送っていました。

 茂七が左吉夫婦を助けたのは、彼らへの同情とともに、悪法が法としてまかり通ることに対する言いようもない憤りがあったからでしょうね。左吉夫婦から事情を最初に聞かされたとき、「おれは何も聞かなかったことにするよ」と言い、同心の山村新五郎(桐山浩一)から「左」という銘の入ったかんざしを作った職人の探索を命じられたときには、「職人を困らせ、また技を伝えることが出来なくなるような法は悪法だ」と言い切る茂七の姿がとても印象的でした。

 今回の第九話「紅の玉」は、原作とは結末を大きく変更し、茂七の尽力で左吉夫婦は危機から脱することができました。家庭で多くの人が楽しむTVドラマとして、このような手直しがあってもいいのではないでしょうか。

 ところで、原作の「紅の玉」には、「天保十二年、左吉とお美代が所帯を持った。その年のことだ。老中の水野さまのご改革が始まった」として、「奢侈取り締まり」がなされるようになったことを紹介していますね。「天保十二年」は1841年で、この年から天保の改革が開始されました。

 ところが、今回の第九話「紅の玉」には1817年の翌年2月の節分の行事などが描かれていますから、1818年のお話ということになります。原作とはなんと23年もの隔たりがあります。しかし、年代を原作通りにしたら、あの可愛いお絹ちゃんも40過ぎということになってしまい、浜松屋の若旦那との縁談話などは起こりそうもありませんね。茂七も80に手が届く老人となっていますから、とっくに隠居していなければなりません。ですから、今回のドラマでは意識的に時代設定をぼかしていましたね。

 しかし、シリーズの流れから整合的に考えるとやはり今回の第九話は1818年の出来事となりますね。そうしますと、この頃は11代将軍の家斉が統治していた文化・文政期(1804‐1830)に属し、江戸城大奥は華美驕奢を極めた時代ということになります。そんな時代に、贅沢好きの家斉の許可を得て幕府が奢侈禁止令を出すことが出来たのかいささか疑問ですね。

第十話「堪忍箱」(『堪忍箱』の第一話「堪忍箱」が原作)
 やまもものコメント yamamomo01@nifty.com

 第十話「堪忍箱」でこの新シリーズもついに終了しましたね。なお、最終回の原作は『堪忍箱』所収の同名の短編です。

 原作では、お店の火事で焼け出された近江屋の一人娘のお駒が、祖父と母親とが醜悪で罪深い行為をしていたのではないかという疑惑を持つようになり、その忌まわしい行為の証拠が店に代々伝わる堪忍箱の中に隠されているのかもしれないと思うようになります。ところで、この堪忍箱は絶対に開けてはならず、蓋を開けたら近江屋に災いが降りかかるとお駒は女中頭のお島から聞かされていました。しかし、まだ14歳のお駒にとって、祖父と母親に対する疑惑を心に隠し持ったまま生きて行くことは耐え難いことでした。この短篇のラストにおいて、お駒は行灯をゆっくりと倒し、燃え広がる火の中で「堪忍、堪忍してね」と言って堪忍箱を膝の上にのせることになります。

 このように原作は悲劇的な結末を予想させる終わり方をしていますが、では、新シリーズの最終回となる第十話では、ドラマをどのように展開させたのでしょうか。

 菓子問屋の近江屋で火事があり、お駒(前田亜季)たちは焼け出されて仮住まいで暮らすことになります。近江屋の火事の火元はどうも台所らしく、また付け火の疑いがは出てきました。それで茂七たちがこの仮住まいを張っていると、近江屋の女中のおしゅう(豊川栄順)が包丁を持って大暴れする事件が起こります。そして、そのときにおしゅうはお駒に向かって「人殺しの娘のくせに」と叫び、さらに衝撃的なことを口走ります。お駒の母親のおつた(蓬莱照子)が祖父と不倫の関係にあり、二人がお駒の父親を殺したと言うのです。茂七たちが暴れるおしゅうを取り押さえ、彼女が付け火の下手人だったことが判明します。しかし、お駒はおしゅうの言葉に大いに動揺し、胸を痛めます。お駒の幼なじみのお絹(星野真里)はお駒からその話を聞かされ、夫婦の関係や結婚というものに非常な嫌悪感を覚えることになります……。

 今回のTVドラマはシリーズの最終回です。悲劇で終わらせるわけにはいかないですね。そのため、お駒には、先祖代々の思いが込められている堪忍箱をお寺に預け、疑惑にめげずに前向きに生きるようにさせています。お駒を演じた前田亜季は17歳(1985年7月生まれ)ですから、お駒(満で14歳ですから、数えではまだ13歳)より年上ですね。また、今回のドラマの設定では20歳のお絹と幼なじみとということになっています。テレビの画面上からもしっかりした感じの娘に見えますから、前向きに生きていこうと決意しても不自然な感じはしませんでした。また、夫婦関係というものに疑問を持ったお絹のために、茂七が「夫婦っていいもんだなあと思うことが多かった」と語り出し、いろいろ喧嘩もしたが、でも「おおかたは楽しかった。安らいだ」と彼と亡妻との間に育まれた夫婦の情愛をしみじみと語ります。

 それから、シリーズのサイドストーリーとして展開されたおさだ(秋吉久美子)、梶屋の勝蔵(本田博太郎)そして島抜けをした辰五郎(上杉祥三)の話も決着がつけられました。辰五郎と弥太郎(高杉亘)の醜い争いや、おさだの父親による辰五郎殺しなど、いささか陰惨で暗い場面もありましたが、それもおさだと勝蔵とが居酒屋「ひさご」で酒を酌み交わしながら掛け合う可笑しくも哀しい場面によって随分と緩和されたと思います。

 結局、おさだは黙って「ひさご」から消えてしまい、勝蔵はなんとも気の毒でした。でも、彼女は勝蔵をからかったのではなく、きっと彼のために身を引いたのだと思います。しかし、「ひさご」を子分達と一緒に営みながら彼女が帰ってくるのを待っているなんて、勝蔵はなんて純情な男でしょう。うーん、泣かせますねー。



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