山靴通信 2007年2月1日号(毎月1日発行)






年が改まったら怒涛の忙しさ。たまにはのんびりしたいね。そんな時間もあるけれど、頭の中には忙しさの片鱗が残っていて、心からの開放感はないのです。


このようなときは山歩きが特効薬のように効いて、すっきりとした気分になる、とばかりに山に向かうのだが、今はその山が逃げていってしまう。




#230 『大自然を讃う』



人工物に囲まれていると、それは便利で楽しいこともあるけれど、どうしても充足感がなく、何かに追われるような感情になることがある。これとは反対に、どのような形であれ、自然の中に身を置くと、それは不便な世界ではあるのに、充足感があり安心することができる。これはどのような理由によるのであろうか。さまざまな答えが見出せるであろうが、少し長いが次に引用する文章はその答えの一つである。


「大自然に接すると、吾々は自己の微小を感ずる。人生に於て吾々の眼を強く惹きつけていたあらゆるものの価値が一時に払拭され、凡てのものの中心であった自分自身が微々たるものになって、ただ悠久永劫な大自然のみが、何物にも無関心な大きさで君臨する。その時吾々自身は、もはや、地上の虫けらにも等しく浜の真砂の一粒にも等しくなる。さまざまの雑念に脹れ上っていた吾々の心は、それらの雑念を払い落して、赤裸々な清さに澄み返り、さまざまな雑事をまとっていた吾々の生は、それらの雑事を払い落して、ただ在るべきままの姿で横たわる。其処にはもはや生も死もなく、生死を超えた悠久な落付きのみがある。そしてこの偉大な静平の中に於ては、ぽつりと冴えた心の眼が、自分の露わな生の上にじかに据えられる。それは輝かしい直接内観の瞬間である。生きてることが如何に有難く貴いかを、しみじみと感じさせられる。そして自分の生を愛し慈むの念が、胸の底から湧き上ってくる。」

豊島与志雄の『大自然を讃う』より一部引用

雪の山

雪の山



#231 『日本ロードバイク』



「病硬膏に入る」とはこのようなことを言うのか自信がないが、このところの自転車遊びもエスカレートして、スピードの出るロードバイクに乗り出した。このような自転車はイタリアなどの外国製が主流だが、私のは日本製。そこで日本ロードバイクとした。


その雄姿を紹介しようとしたら、しまった!まだ写真を撮っていないことに気付いた。そのうち写真を載せます。日本ロードバイクで100kmの長距離を走ったが、こいつは自転車ではない。自分のことを自転車と思っていない自転車だ。


また2007年3月1日にお会いしましょう。Have a nice day

暮篤(ぼとく)



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