山靴通信

2005年9月1日号(毎月1日発行)

電子ブロックというものを買って、
懐かしい電気実験をしています。
トランジスタやコンデンサなどが詰まったブロックを並べかえるだけで、
ラジオになったり、
無線電信機になったり、
嘘発見器になったりします。
放送局から届いた電波の力だけを使うので、
電池の要らない簡単なダイオード検波ラジオを作ってみました。
NHKの第1放送が聴こえたときには、
鉱石ラジオで遊んだ小学生の頃を思い出しました。

#195
『湯沢源流から篭岩山』


 シモンさんの「いばらきの山日記」にでていた奥久慈の篭岩山の話に触発されて、久しぶりの山歩きにでかけることにしました。真夏の低山は暑さとの戦いでもあります。少しでも涼しくと、水のある湯沢源流を遡ることにしました。つつじヶ丘に駐車して、自動車道路を下ると見覚えのある一軒家に出ますが、ここが不動の滝への入口です。沢沿いに上っていくとすぐに不動の滝に出会います。ここで若い僧侶が滝に打たれて修行していたのを思い出しましたが、つつじヶ丘のそばにできた立派な寺院も今では廃れています。滝の近くにあるお堂に通じる斜面の道も崩れていました。

湯沢源流

湯沢源流

 不動の滝の上部に出て、谷底を張られた鎖を手がかりに進むと、いよいよ湯沢源流の入口です。大岩が崩れ落ちたような沢コースですが、水量は少ないのでいわゆる沢登りとは違います。それでも部屋の片隅で埃をかぶっていた渓流シューズを履いています。地下足袋のようなこの靴は、岩を登ったり、膝くらいの水量の沢をジャブジャブ進んだりするのは快適なのですが、靴底が薄いので石ころだらけの道を歩くと足が痛くなります。あらためて厚い靴底の登山靴の効用を認識しました。前回も暑い夏に湯沢源流を歩いたのですが、それは遠い昔のように記憶も薄れています。あっけなく抱き返りの滝に到着しました。あのときはずいぶんと苦労して登ったものですか、今回は物足りないくらいでした。その分、感動も少ないのかもしれません。

 落下する水は少ないものの、抱き返りの滝のそばに近付くと涼しいものです。休憩して滝横のはしごを登ると滝上部に出ます。ここからは大岩も少なくなり、のんびりと沢歩きが楽しめます。心配していた虻や蚊も寄ってこないようです。沢歩きとはいえ、さすがに夏の低山は暑い。途中に涼しげな淵があったのでパンツ一枚になって入りました。最初は冷たくて恐る恐る身体を水に沈めましたが、一旦入ってしまえば慣れてしまって冷たさを感じません。水風呂のようです。開放感に浸っていたら、足のあたりに何かが当たるのです。そっと水中をのぞいてみると、小さな魚たちが寄ってきて、私のくるぶしあたりにキッスをしているのです。どうも、虫などの餌を探しての行動のようです。ほとんど人も来ないので人を恐れないのか、あるいはこんなところで裸になって水に入るようなものを人と認めていないのか、そんな魚たちの行動は暑さを忘れさせてくれました。

篭岩山

左のピークが篭岩山

 湯沢源流をさらに遡ると、釜沢越えへの分岐にでます。この分岐を左に見て、右手に小屋を見る小沢を登る。この沢をつめて尾根上に出て、この尾根伝いに行くと篭岩山です。シモンさんの山日記にあるとおり、三角点の山頂を過ぎた展望岩棚には新しい山名標識がありました。少しでも風のある、日陰を探して休憩しましたが、いさぎよいほど暑いですね。眼下には湯沢源流から派生した支沢の岩壁が見えます。この沢をつめて、ここの篭岩山に登ってみたいものだと思いましたが、夏場は遠慮しときましょう。秋になったら来てみよう。

湯沢源流から篭岩山へのルート図(カシミール3Dによる)

湯沢源流から篭岩山へのルート図(カシミール3Dによる)

 その後は尾根を辿って篭岩展望台に行きました。途中で3人の登山者に出会いましたが、暑くても低山好きの人はいるのですね。展望台でたっぷり休憩して、上山を通ってつつじヶ丘に戻りました。車の中に残しておいたペットボトルの水はお湯になっていました。
 今回のルート図を上に示します。岡野重一さんの茨城の山ガイド本『茨城と近県の山』(2000年版、茨城新聞社)は参考にさせてもらっていますが、湯沢源流コースマップは間違えているようです。上図はGPSを使って描いたものですから参考にしてください。どういうわけか岡野さんのガイド本は1983年版と1988年版(この2冊は『茨城の山と渓谷』)も持っています。

 
#196
『白黒写真』


 今月号の『山靴通信』は気分を変えてモノクロ(白黒)写真にしてみました。下の写真もカラーで見るとなんていうこともない風景ですが、こうして白黒写真にしてみると、どことなく哀愁が生まれてきます。落ち着いた、レトロな雰囲気が生まれます。
 春夏秋冬、どの季節もあっという間に通り過ぎていくようになりました。なんだか、悲しいですね。あの時の夏は永遠に続くように思えたものですが、それは錯覚だったのでしょうか。いや、そうではないかもしれません。あの時も、もう夏休みが終わってしまったと嘆いていたのです。過ぎ去るものに哀愁を感じるのは、日本人特有の美意識ではないかと思いましたが、そんなことはないですね。英国でも、中国でも、そのような情感を謳った詩歌はたくさんあるようです。

空山不見人
但聞人語響
返景入深林
復照青苔上

空山(くうざん)人を見ず
但(た)だ人語(じんご)の響(ひび)くを聞くのみ
返景(へんけい)深林(しんりん)に入り
復(ま)た照らす青苔(せいたい)の上

静かな山に人の姿は見えず、
ただ、どこからか話し声が聞こえてくる。
すると、夕陽が深い森の中にさしこんできて、
そして木々の下にある青い苔を照らし出した。
(まもなく森は真の闇に包まれてしまうが、
それは陽が沈む直前の一瞬の美なのであった。)

           王維『鹿柴』より

ある山里の景色

ある山里の景色
 
#197
『常陸の海岸を歩く(その8)』


 送り盆の日に鹿島の海岸を歩きました。この日は荒野台(こうやだい)駅から出発して、鹿島の海岸を歩いたのですが、後半は工場地帯になっていて海辺を歩くことはできませんでしたが。
 駅前で準備をしていたら、電車を待つ高校生が不思議そうな顔をしてこちらを見ています。麦藁帽子に白い長袖シャツ、半ズボンの格好、これにザックを背負い、上腕にはGPSをつけたこの人(私)は、はたしてどこに行くのだろう。山登りのようだが、近くに山はないのに・・・と、その高校生思ったかどうかわかりませんが、怪しいおじさんは海に向かって歩き出したのでした。

荒野(こうや)の海岸

荒野(こうや)の海岸

 夏も終わりに近付いて、海水浴の人は少なくなりました。この日は曇り空で、波が高い。いわゆる土用波というもの。相変わらずサーファーは元気だ。そんなサーファーが遊ぶ砂浜には盆の花と線香が供えられ、ここの名産品であるメロンや西瓜が供花のそばに転がっています。カラスがねらっているようです。地元の人たちの海への供養なのだろう。このような光景を初めて見たこともあり奇妙な思いがありましたが、歩いていく先々でこのような供養が行われていることがわかり、海辺に住む人々の生活として理解しました。

送り盆の日の海岸供花

送り盆の日の海岸供花

 平井海水浴場で砂浜は終わりました。海水浴客も少なく、夏の終わりを感じさせます。ここからは住友金属工業などの工場地帯になります。それでもできるだけ海岸線を歩くことにこだわってみましたが、工場の敷地が海岸にある防波堤への立ち入りを禁じています。迂回して歩く工場地帯の道路は交通量もすくなく、舗装された道路わきには雑草が生い茂り、寂しい景色です。

鹿島の工場地帯

鹿島の工場地帯

 鹿島共同火力発電所を過ぎて、鹿島港に出ました。しかしここで行き止まりです。港の縁をめぐる道はありません。同じ道を戻らなければならないことがわかるど、どっと疲れが出てきました。この日は歩きすぎたようで、9時から歩き始めて、最終地点の鹿島神宮駅に着いたのが午後4時だから7時間歩いたことになります。GPSによると歩いた距離は29.5キロメートル。だからでしょう、同じ道を戻る足取りは重くなりました。

鹿島港

鹿島港

 サッカーJリーグの鹿島アントラーズのクラブハウスと練習場のわきを通りましたが、だれも練習していませんでした。あとは鹿島神宮に向かって歩くだけですが、鹿島臨海鉄道の貨物列車を見送り、実り始めた稲穂をながめ、広い道路ができた繁華街を抜ける、その道程の長いこと。うんざりした頃、やっと鹿島神宮駅に着きました。これまでの海岸歩きを比較すると、今回のコースは工場地帯を通るのでランク2というところ。次回は、また同じ道を歩いて工場地帯に戻ることになるのですが、これが少しばかり気が重いのです。

 

また2005年10月1日にお会いしましょう。Have a nice day

暮篤(ぼとく)

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