
登山に地図は付き物。登山家には地図好きが多いとにらんでいます。かく言う小生も地図を眺めるのは大好きで、格好の暇つぶしです。地図を見てあれこれと想像するのは楽しいものです。
ところで日本で最初に地図が作られたのはいつ頃か、御存じですか。有名なのは幕末の伊能忠敬による実測図ですが、日本最初の地図ではありません。答は「大化の改新」の頃です。「大化の改新」、なつかしいでしょう。昔、学校で習いましたよね。その『大化の改新の詔』(646年)に次のようなことが記述されています。
「よろしき国々の橿堺(さかい)を観て、或いは書きし或いは図し、持ち来たって示したてまつれ」
これが文献のうえで地図作成が明記された最初です。土地所有の禁止と税金の徴集のために作られたのです。この地図は散逸してありません。鎌倉時代や室町時代には幕府が地図を備えたようですが、これも残っていません。現存する最古の地図は、正倉院にある『墾田図』です。荘園の図です。これも学校の教科書で見たような気がしますが、小生には遥か彼方の記憶です。
近世になると、マルコポーロの伝えた世界地図の極東にジパング島が現われます。この頃には印刷術が進歩して、日本でも最初に印刷された地図ができました。18世紀後半になると浮世絵の技法を使った多色刷り地図が出現します。また、西洋の銅版画の技術が日本に伝えられ、幕末には銅版による地図作成が盛んになりました。伊能忠敬はこの頃活躍して、明治以降の近代的な地図作りの先駆となりました。
明治4年には工部省に測量司がおかれ、これはすぐに内務省地理局に移され、科学的な三角測量を日本全国に拡大する計画がたてられました。明治11年には全国にわたって「輯製20万分の1の地図」が作られました。明治21年には陸地測量部が発足し、5万分の1地図作りが精力的に実施されました。これが登山にも利用できる地形図の始まりと言えるようです。全国の5万分の1地図は35年後の大正13年に完成しました。
昭和20年になると陸地測量部は解体され、替わって内務省に地理調査所が設置されました。これが国土地理院となったのは昭和35年のことです。これ以後は皆さんご存じの通り、各種の地形図が正確な地図として確立して現在に至っています。
こうして日本地図の歴史を振り返ると先人の苦労がわかり、地図の有り難さを感じてしまいます。最近では、GPSという技術によって地図利用の精度も向上していますが、話が長くなりましたのでGPSの話は次の機会にしましょう。
八溝山から筑波山まで歩くという「筑波への道」の9回目も倒木と薮に難儀したものの、標高300mほどの山は春の淡い緑につつまれていた。
天気:曇りのち晴れ
メンバー: シモンさん、ぼとく
コース: 御前山青少年旅行村 [8:30] - 富士山(183.0 m) - 三角点(238.0m) - 井殿山(315m) [10:29-10:54] - 津室山(320.9m) [11:30-12:05]- こまねぎ峠 [12:34] - 高取山北東方面の300mピーク [14:34] - 林道 -高取山 (355.9m) [15:31-15:58] - 送電線鉄塔 - 車道 [17:19] - 佛国寺 [17:31]
1/25,000地形図: 野口
今回はシモンさんと二人で御前山の青少年旅行村から出発した。早朝に降っていた雨もすっかりあがり、富士山(183m)にはすぐに着いた。展望台から見ると、那珂川の上に雲海が広がっていた。
御前山ハイキングコースを行き、途中からコースを外れて三角点(238m)の方角に入るとすぐに林道に出た。この林道を下り、三つ目の分岐点を右に折れて尾根に取り付いた。すぐに明瞭な登山道に出会う。歩く人少ないからだろう、倒木が道を塞いでいる。谷をへだてて格好のよい山が見えてきたので、あれが井殿山であろうとシモンさんと話していたのだが、あとでそれは井殿山の北に位置する300mピークであることがわかった。そうこうするうちに荒廃した見張り小屋を過ぎて、井殿山(315m)に着いた。ここで小休憩をとる。


