山靴通信

2002年9月1日号(毎月1日発行)

皆様の御愛顧のおかげをもちまして、
今月で100通目の山靴通信をお送りすることができました。
心より感謝申し上げます。
正直申しまして、
この山靴通信がこれほど続くとは思っておりませんでした。
時には通信ネタがなかったり、
あるいは毎月1日という締め切りに慌てたりしました。
まあ、気楽にもう少し続けてみようかと考えておりますので、
今後もお暇な折には『山靴通信』をご高覧願います。

主人敬白

Summer


#98 『真夏の奥竜神峡』

 本当の登山家なら、真冬のアルプスに登るように真夏の道なき低山に挑むべきであるという川崎精雄の言葉を山靴通信#94では引用した。これを信奉して実践したわけではないのだが、真夏の猛暑の中、低山の薮と格闘することになってしまった。山靴通信#73で奥竜神峡を報告したが、今回はこの後半の部分を歩いた。

 地下足袋風の新品の渓流シューズと、すべて速乾性の衣服を身に付けた。両側が急崖となっている所で右岸を高巻いたのだが、取り付いた小尾根の向こう側も切り立った岩場で河原に下りられず、さらに尾根を登ることにした。これが大笹薮であった。笹をかき分けながら進むのだが、右足をとられたり、倒木が立ちふさがり、汗が止まらず身体は水をかぶったようになる。岩場で休憩をとると、気力が無くなってくるのがわかる。気分も良くないので熱中症気味なのかと考えてしまう。どうにか人の歩いたことのある尾根に出て一安心したら、腕時計が無いことに気付いた。きっと薮と格闘したときにベルトが切れて落としたのだろう。戻る気力はなかった。あの時計は電池が尽きるまで、山中で時を刻んでいることだろう。

 水筒の水も残り少なくなったので、鞍部から谷を下ることにした。予想通り岩をつたって流れ落ちる水場に出会ったので水筒を満たした。さらに下ると竜神川に再会できた。そこは川水が様々な小さな波形を作り、ここちよい水音が聴こえる、川床が一部凹んでいる所。それは露天風呂のよう。服を着たまま飛び込んだ。水の中で身体を横たえて、太陽の光を浴びた崖の上の木々の美しい葉たちを見上げる。薮と戦った疲れも癒えてくる。

 この奥竜神峡は両側に山が迫り、エスケープルートはない。しかし薮と格闘する覚悟があればエスケープすることは不可能ではない。林道のために作られた橋にエスケープできる箇所があり、ここがこのコースの終点になるのだが、そこまでが長く感じられる。それでも思いがけない場所で小滝が数々出現してくれる。今回は前半は苦しんだが、後半は楽しませてくれた。ただ虻が多いのには閉口であった。何箇所も刺されてしまい、今でも身体中が痒い。

天然水風呂
奥竜神峡の天然水風呂は愉快なり


#99 『竹貫鎌倉岳』

 竹貫の鎌倉岳(669m)に登った。2リットルの水を担いで登り、下山したときに丁度飲み干すことになった。真夏の低山に登るのは、汗と格闘することだ。しかし鎌倉岳の登山コースはよく整備されているので、夏の低山薮山のような醍醐味はない。

 山頂からの展望はすこぶる良いが、遠方は霞んでしまっている。四方の阿武隈の山々だけが暑さにうだっているような表情を見せていた。下山後、古殿の町で自動車にガソリンを入れたのだが、ここから御斉場街道を隔てた向かい側に造り酒屋を見つけて、地元の酒を買った。この純米酒一升瓶の封は切っていない。どのような味わいなのか、まだわからないでいる。

鎌倉岳を望む
下山後に古殿町から鎌倉岳を望む


#100 『山行生中継』


 TVでは生放送というのがありますが、"生"山行報告というのがあれば臨場感あふれたものになるのではないか、と考えたことがありました。通常の山行報告では後日その山行を思い返して記述するので、その山行をいたずらに美化したりしてしまう恐れがある、と考えたわけです。山登りの途中で休憩したり立ち止まったときに手帳を取り出して、そのときの状況(感動)を書いてみるというものです。あとで文章を修正しない。文字の間違いもそのままにして、生の報告感を残さなければいけない。

 うぐいす、つぐみの鳴き声、里で犬が吠える。飛行機が飛ぶ音、風はさやかに流れ、空は薄曇り。テレビにライブ放送というものがあるが、これはライブ通信。今、ビール(正確には発泡酒)を飲みながらこの文章を書いている。気分は最高!なので、そんな気分でライブ通信。フランス赤ワインもある。ほろよい気分で山靴通信、Shall we dance with birds' songs ? [2002年4月14日10時35分]

山行手帳
山行手帳

 この文章がその生報告です。山靴通信#87で報告した山行の時のものです。臨場感があるでしょうか。どうもうまくいっていない。酔っ払いのたわごとのようで恥ずかしい。現場で感じたことをそのまま書いても、すべてTVの生放送のようになるとはかぎらないようです。書くという行為自体が思考回路を通ったあとの結果であるので、現場で書いたとしてもそこには少なからず美化する(あるいは上手に書きたい)という書いた人のフィルターが影響してしまうのです。今では小さな録音装置が市販されていますので、これを使って現場で思い付いたことを深く考えずに喋り、録音する。後日録音を聴いて文章にする、というのはどうでしょう。機会がありましたら試みて、この山靴通信で報告しましょうか。


時計はもう五時に近い。
山のなかばは只さえ暗くなる時分だ。
ひゅうひゅうと絶間なく吹き卸ろす風は、
吹く度に黒い夜を遠い国から持ってくる、
刻々と逼る暮色のなかに、
嵐は卍に吹きすさむ。

夏目漱石『二百十日』より

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また10月1日にお会いしましょう。Have a nice day

暮篤(ぼとく)

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