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『海外ミステリを読む』(17)

  <ロサンゼルスの探偵達>(その2)

 ロス・マクドナルド編(9)

   「ウィチャリー家の女」1961年(日本語版初版1962年)
                             (小笠原豊樹訳。ハヤカワ・ミステリ文庫)

   [概略]

     女の名前はフィービ・ウィチャリー、年齢は21才。彼女は霧深い11月
      の早朝、サンフランシスコの波止場から姿を消した。それから三ヶ月 、
      フィービの行方はようとして知れなかった。そして今、私立探偵リュウ・
      アーチャーは父親のホーマー・ウィチャリーから娘の調査を依頼された
      のだ。フィービの失踪は彼女の家庭の事情を考えれば、当然のことか
      もしれないのだ。だがどうしたわけか、アーチャーの心にはフィービの
      美しく暗い影が重くのしかかっていた・・・・・。
     アメリカの家庭の悲劇を描く、ハードボイルド派の巨匠の最高傑作!
           (同書・裏表紙より)

   [ストーリー]

      サンフランシスコに近い、メドウ・ファームズの町はホーマー・ウィチャリ
      ーの祖父の地所に作られた町で、祖父が砂漠同様の土地を農場に変
      え、 父親が油田を発見し、会社を設立して発展させたのでした。 だが、
      町を見下ろす邸宅には今では当主が一人で暮しているようです。妻の
      キャサリンは離婚して家を出たし、大学生の、一人娘フィービはどこに
      行ったのか分らなくなっています。ウィチャリー家は4代目で早くも滅び
      かけています。

      リュウ・アーチャーは知合いの保安官の紹介で、その一人娘を探す為
      にはるばるロサンゼルスから駆けつけてきます。この小説はそこから
      始ります。

   『峠まで来ると、眼下に谷間の全景がひろがって見える。よく晴れた朝な
    ど青空の下、かなり幅ひろく両側の山に仕切られ、色彩ゆたかに横た
    わるその谷間は、約束の地カナーンのように見えないこともない。だぶん
    少数の人間にとってはまさしく約束の地なのだろう。だが、プールや自
    家用飛行場をそなえた冷暖房完備の別荘一軒にたいして、故郷を失っ
    た移民労働者たちの住むトタン板の小屋や、おんぼろトレーラーは何ダ
    ースあることだろうか。しかも、灌漑地帯を出ると、その先は人っ子一人
    住まわぬ砂漠である。』

    町の中に入り、ガソリンスタンドで道を聞きますが、そのスタンドはウィチ
     ャリー・ガソリンの販売所でした。

    『曲りくねった私有道路のてっぺんに、邸宅は聳え立っていた。いかめし
     い石づくりの前面が、封建時代のお城を連想させる。古風なベランダか
     らは町と谷間全体を見渡すことができた。』

      しかし、出迎えたのは使用人ではなく、当主その人でした。海外旅行か
     ら帰ったばかりなので、使用人がまだ来ていないようです。

     『「ロサンゼルスから、ずいぶん早く来ましたね。こんなに早く見えられる
      とは思わなかった」
     「夜明け前に出発しました。お電話では、緊急の用事だとおっしゃいませ
     んでしたか」』

      ロサンゼルスからサンフランシスコまでは車で8時間程かかりますので、
      まだ暗い内に出発したに違いありません。サンフランシスコにも私立探
      偵はた くさんいるはずなのに、わざわざロサンゼルスから呼寄せたの
      は地元の人間には知られたくないということなのでしょう。この作品もサ
      ンフランシスコとその周辺が舞台になっています。初期の作品ではロサ
      ンゼルスを舞台にしていたロス・マクドナルドですが、彼は実際にはロサ
      ンゼルスで暮したことはないのです。サンタ・バーバラが彼の南限なの
      です。ですから彼にとっては生まれたロスガトスがサンフランシスコの近
      くだったこともあり、ロサンゼルスよりはサンフランシスコの方が親しめた
      のでしょう。特にこの時期には彼の個人的なことをミステリの形に封じ込
      めた作品を書いていたので、よく知っているサンフランシスコを舞台にし
      たのではないでしょうか。

      アーチャーは早速事情を聞きますが、依頼人は何故か別れた妻のキャ
      サリンには接触するなとしつこく言張るのでした。 アーチャーはまず、フ
      ィービの下宿先を訪れます。そこで早速、その下宿が彼女の男友達、ボ
      ビー・ドンカスターの母親が経営していることを見つけます。
     
      次にアーチャーは彼女が最後に目撃された船を訪れます。その船に乗
      ってホーマー・ウィチャリーは旅行に行ったからです。フィービはその船
      に父親を見送りに行ったあとから行方が分らなくなっています。その船
      には彼女の母親つまり依頼人の別れた妻もやって来ていて、母と娘は
      一緒に船から立去ったことが分ると、アーチャーは依頼人から禁止され
      たにも関らず、フィービの母親のキャサリン・ウィチャリーの住いを訪れ
      ます。だが、門には鎖がかかり、「売家、連絡先ベン・メリマン不動産」と
      いう金属版がくくりつけられていました。

      次にはホーマーの妹夫妻の家を訪ねます。会社の実務は妹の夫のトレ
      ヴァが切盛りしているのです。まだ夫が帰っていなかったので、夫人に
      話を聞いている途中に主人が帰ってきます。子供のいないトレヴァはフ
      ィービをわが子 のように可愛がっていて、アーチャーの調査にも協力を
      約束します。トレヴ ァからフィービの写真を借受けて立去ります。

      そのあとはベン・メリマン不動産を訪れます。ですが、奥さんしかいなく
      て、屋敷の鍵もなかったので、アーチャーは屋敷に戻ります。すると、さ
      っきはかかっていた鍵が開いています。中に入って見ると、男が死んで
      いて、ポケ ットの中の免許証からベン・メリマンだと分ります。アーチャ
      ーがトレヴァ夫妻とメリマン夫人に会っている間に、何者かが殺したこと
      になります。警察に電話で死体の発見と場所を通報してから再び、ベ
      ン・メリマン不動産に行きます。

    夫が殺されたことを警察から知らされたメリマン夫人は犯人はあの家の
      元の持主のマンデヴィル中将かも知れないと伝えます。アーチャーは早
      速、彼に会いに行きます。そして、中将からキャサリンが今どこにいるか
      を聞出すことに成功します。

    そのあと、アーチャーは何度も同じ場所を訪れ、同じ人間に話しを聞き、
      次第に事件の真相に迫って行くわけですが、この作品はこれ以上の説
      明は出来ません。というのはこのシリーズは犯人の指摘は(この作品の
      場合は犯人というより事件の真相ですが)しないという前提をたてて始
      めたからです。これ以上筋書を書けばすべてが分ってしまうのです しか
      し、それでは作品解説にはなりませんので、少しだけ種明しをすることを
      許して頂きます。

    このあと、作者は古典的なあるトリックを使います。登場人物の一人を
      別な人間に変装させて、騙そうとします。それも相手はリュウ・アーチャ
      ーです。しかし、いくら似せているとは言え、20才もの年齢差があるの
      にアーチャーが見抜けないという設定はお粗末だという気がします。
      道路の反対側を歩いていたとか、車ですれ違った程度ならともかく、バ
      ーで一緒に酒を飲み、さらにホテルの部屋まで行って長い時間話した
      相手を見抜けないようでは探偵失格だと思います。これがプロットの中
      で重要な意味を持つだけに惜しまれます。

    作者はこの場面を作品の真中あたりに配置しておいて、あとは一気に
      クライマックスに持ち込みます。この作品、一言でいえばある愛の結末
   と言えるでしょうか。愛にとって最大の敵は歳月です。純粋な愛は歳月
      に蝕まれて朽果てるのです。歳月は愛を憎しみに変え、結局はお金の
      為に組敷かれてしまいます。

   ラストで自殺させて欲しいと頼む犯人にアーチャーは口述書を書かせま
     す。いつもは警察に任せるアーチャーですが、今回は違うのです。犯人
     が自殺するのを止めないアーチャーです。そのシーンはこうなっていま
     す。

   『痛痛しいほどゆっくりと、顔をしかめて、****は書いた。その爪の
       蒼白い手から、私は便箋をとりあげた。署名のあとに、****は付
       足してあった。
    「私の魂に神のお慈悲がありますように」
    私の魂にも、と私は思った。それから、便箋のその一ページを裂き取り、
     ****の手の届かない棚の上にのせた。洋服箪笥の扉のむこうに
      は、さまざまな影が眠りこけた犬のように横たわっていた。くらやみとし
      ずけさ。私達はもう喋らなかった。』
        (****が犯人の名前です)

  [深読みコーナー]

      この作品は1961年に書かれています。前作は1959年でした。年譜
      を見ると、1960年には「ファーガスン事件」と言う作品が出版されてい
     ます。この作品を何故、取上げなかったかというと、主人公が私立探偵
     ではなかったからです。

      この作品がどういう作品かを「ハヤカワ・ミステリ総解説目録」で見てみ
      るとこう書いてあります。

     『カリフォルニアの弁護士ビル・ガナースンは、盗品を売った容疑で逮捕
     された若い看護婦エラ・パーカーの弁護をすることになった。エラの売っ
      た指輪は最近、頻発する強盗事件の盗品の一つだった。警察は彼女を
     強盗事件の一味と見なし、重視していた。ビルは郡刑務所の留置場に
      依頼人を訪ねた。彼は依頼人の無実を信じたが、恐怖におびえた女は
      弁護士の質問に答えなかった。が、指輪の一件を警察に知らせた古物
      商が何物かに殺されたと知った途端、女の態度は一変した。』

     この文庫版の末尾に「アーチャーの休暇」と題した解説が付されていま
    すが、その中にこんな文章があります。

     『この作品はロス・マクドナルドの試行錯誤の一つと解釈出来る。前作(
    「ギャルトン事件」)の成功を思えば、ここまで多様なテーマを投げ込む必
      要はないし、手堅いアーチャー物語に仕立てあげれば済むはずである。
      しかし、マクドナルドは、あえてアーチャーを配役からはずした。アーチャ
      ーからはみだしてしまう何かを、ビル・ガナースンに托したかったのだ。』

     この解説者(S・Sのサインがあるだけなので誰なのかは分りません)は
      さらに「物語の劇的な展開を保持するためにその存在をより透明にして
      ゆくアーチャーの視線はあくまで冷たい」と評したあとに、こう結んでいま
      す。

      『「ファーガスン事件」は、作者の試行錯誤の負の部分にあたるかも知れ
      ない。が、ロス・マクドナルドはあえて失敗の可能性の高い道を選び、ア
       ーチャーに休暇を与えたことで、逆にアーチャーの行くべき姿を明確に
       自分のものとしたのだろう。』

     これに私自身の考えを加えるとするならば、ロス・マクドナルドの中に自
   ら選んだ方法に疑問が生じて、一度チャンドラー流の書き方に戻って見
      たのではないかということです。一人称で物語を進めるということは実は
      非常に窮屈でもあるのです。サルトルが「神の目」と称した三人称で書く
      方法ですと、例えば登場人物が10人いたとすれば、10人の立場でそ
      れぞれの行動と心理を描くことが出来るわけですが、一人称で描くとす
      れば他の9人の行動と心理は手紙や手記、あるいは会話を使ってでな
      ければ知ることが出来なくなります。ですから、必然的に主人公「私」の
      ことを細かく書かざるをえないのです。我々はフィリップ・マーロウが好き
      な酒の種類と飲み方を知っています。それはチャンドラーが教えてくれた
      からです。しかし、我々はリュウ・アーチャーのそれは知りません。マクド
      ナルドが教えてくれないからです。ほかのことでもそうです。フィリップ・
      マーロウのことはたくさん知っていますが、リュウ・アーチャーのことはあ
      まり知りません。ですから、人間としてはリュウ・アーチャーよりフィリップ
      ・マーロウに親しみを感じるのも当然なのです。それはチャンドラーが事
     件を描くことよりもフィリップ・マーロウを描く方に重点をおいているから
      なのです。  

      それに対してロス・マクドナルドはリュウ・アーチャーを黒子にして、事件
      そのものを描くことに重点をおいています。ですが、その方法をこのまま
      押進めていいものかと疑問が生じたのではないでしょうか。このやり方
   ではいつか行き詰り、内容がマンネリ化すると気が付いたに違いありま
   せん。だから、「ファーガスン事件」ではリュウ・アーチャー以外の主人公
      を設定して試してみたのだと思います。その答がこの作品です。もう一
      度、冒頭の文章を見て下さい。アーチャーは最初からすでに峠に達して
      いるではありませんか。どういう経緯で、この仕事が持ち込まれ、何故
      引受けたのか。今、ほかに仕事はないのか。経済状態はどうなっている
      のか。健康状態はいいのか、交際している女性は誰なのか。そういう個
      人的なことには一切触れずに事件の中に入って行くのです。読者もそれ
      についていくしかないのです。

     この作品でのリュウ・アーチャーはいつもより尚一層影の薄い存在にな
     っています。完全に黒子に徹しているといっていいでしょう。勿論、作者
      の計算です。リュウ・アーチャーの影が薄いからこそ、暗闇と静けさの中
      での「私の魂に神のお慈悲がありますように」という無言の叫びが事件
      の観察者リュウ・アーチャーのものではなく、作者ロス・マクドナルドの言
      葉として浮び上がってくるのです。この作品の中にフィクションとして覆い
      隠した彼の実人生の苦しみや悩みを神に投げかける姿が見えてくると
      いう仕掛けだと思います。

      ロス・マクドナルドはこの言葉の為にこの作品を書いたと言えるのではな
      いでしょうか。

         『May God have mercy on my soul.』

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