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『海外ミステリを読む』(13)

  <ロサンゼルスの探偵達>(その2)

 ロス・マクドナルド編(5)

   「犠牲者は誰だ」1954年(中田耕治訳。ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

  [概略]

 深夜の路上で私立探偵リュー・アーチャーの車を呼びとめた男は瀕死の
  傷を負っていた。救助を求めてかけ込んだモーテルでアーチャーを迎えた
  ものは、意外に冷淡な空気!かくして、メキシコ人運転手殺しを発端とす
  る奇怪な事件の渦中にアーチャーは巻き込まれたのだった。尖鋭な描写、
  スピーデイで力強いアクション、緊迫した構成をもって比類をみない作家
  といわれるロス・マクドナルドの力作である。批評家バウチャーは、この作
  品を従来のハードボイルドと全く異なる創造的作品として絶賛している。
             (ハヤカワ・ミステリ総解説目録より)

  [ストーリー]

 『これまでもよく道路の途中で親指をあげて自動車をとめるヒッチハイカー
  に呼びとめられたものだが、その男は見たこともないほど凄惨な姿だった。
  溝のなかに両膝をついて体をおこしていたのだ。眼は黄色い顔にあいた黒
  い穴だったし、口ときたら、サーカスの道化役が口紅を塗って笑顔を作る
  ように、赤い色が明るくべっとりとついていた。腕を上げたので身体の平衡
  を失ったのだった。もとのままに顔ごと前にのめってしまった。』

  これがこの作品の冒頭です。これまでの4作とは全く異なる入り方です。ア
  ーチャーはサクラメントの法律委員会に雇われて、麻薬の配給ルートの調査
  をしていて、その報告にサクラメントに行く途中だったという設定のようです
  が、何故、そんな仕事を受けたのかという説明は一切ありません。また、こ
  の出来事に遭遇したのはベイカーズフィールドを過ぎたあたりですがロサン
  ゼルスからサクラメントに行くのに何故、5号線から離れて99号線を走って
  いたのかー主要幹線ではなく、裏街道を行かなければならない理由があっ
  たと思うのですが、そのことについても全く説明されていません。

  突然、幕が開いたと思ったら、もう事件が起っていたのです。アーチャーは死
  にかけている、その男を自分の車に乗せて、先へ進みます。そして最初に
  目についたのがラス・クルーシスという街のモーテル「ケリガ ン館」のネオン
  でした。アーチャーはそこに車を乗り入れます。そこで持主のケリガン夫妻と
  会い、 負傷した男がトニイ・アクイスタという、その街にあるメイヤー運輸のト
  ラック運転手だと教わります。
 
  そのあと、救急車を呼んで貰い、やって来た救急車のあとから自分も一緒に
  病院に行きます。しかし、病院に着くとすぐに 男は手遅れで死亡します。病
  院にやって来たチャーチという保安官はアーチャーに検死をするので2日程
  滞在してくれと言い、アーチャーも承知します。さらに被害者を発見した現場
  まで案内しろと言出します。そして、現場を見たあと、今度は一緒にケ リガン
  に会いに行くことを頼まれると、それも承知し、2台の車で再びケリ ガンのホ
  テルに行きます。

  ケリガンとチャーチは握手をしたものの仲が悪いのはアーチャーにもすぐ分
  りました。そのホテルで働いていたアン・メイヤーが行方不明のようです。
  ケリガン夫人の話では殺されたトニイはアンが好きだったようです。さらに彼
  女はチャーチの奥さんの妹で、メイヤー運輸の経営者の娘だと分ります。ア
  ーチャーがケリガン夫人から夫がアンと浮気しているという話を聞出してい
  ると、ケリガンが余計なことを話すなと妻を脅し殴ろうとします。それを見たア
  ーチャーは「奥さんに手をかけるな」と言ったので、殴り合いになり ます。
 
  ここまではある程度やむをえない状況からと言えますが、この先はアーチャ
  ーが自ら求めたと言えるのです。保安官と別れて一人になったアーチャー
  はホテルを捜して休めばいいものを何故かケリガン・ホテルに戻ります。そ
  の理由についてはこう描写しています。

 『あのケリガン夫妻、そして彼らのトラブルが、私に固く結びつけられた長い
  ゴム紐のように、ある名状しがたい連帯感といったものが私をつよく引くの
  だった。好奇心と呼んでもいいが、ミセス・ケリガンの斜めにかしげたブロン
  ドの美貌がそれにあずかって力があったのだ。私は彼女をこのトラブルか
  ら救い出してやりたかった。そして、彼女の良人をもっともっと深刻なトラブ
  ルのなかにつき落してやりたかったのだ。』

  ホテルの出入り口が見張れる場所に車を停めて、タバコを二本吸ったあと
  にネオンサインが消えます。客室が満員だった様子はありませんでした。
  ケリガン夫妻が車に乗って、出てきたのです。手伝っていたアンもいないの
  ですから誰もーつまり客もいないので営業をやめたということなのでしょう。
  途中、人家の前で夫人が下り、ケリガンは一人でさらに別の場所に行きま
  す。 そして、ある店に入ります。アーチャーもあとをつけて、その店に入りま
  す。 そこは「一方には人が群っているスタンドがあり、反対側に黒とオレン
  ジ色の塗装を施した座席がある古風なレストラン」でした。ケリガンは奥の
  個室に消えたので、アーチャーも個室をと注文するのですが、満員だと断ら
  れ、レストランに座ります。そして、彼は昼から何も食べていないことを思い
  出 し、ビールとニューヨーク・カツレツを注文します。

  それを食べ終りかけた頃、「一人の若い女が通りからさっと入って来た。彼
  女の頭は小さくて、美しい形をして、きらきら輝くサティンのような短い黒い
  髪で蔽われていた。生気のない黒い眼をして、口元は罪を犯したようにむ
  っつりと固く結ばれていた。」
  女が給仕に声をかけ、奥に入って行くとアーチャーも後を追い、ケリガンと
  今の女の声は分るので、立ち聞きします。女は奥さんが電話に出たという
  とケリガンは俺のホテルに電話するなと答えています。その途中にボーイ
  に見 つかったアーチャーはトイレに行って、その場を誤魔化したのですが、
  戻ると彼らはいなくなっています。

  外に出ると、ケリガンの車はなくなっていましたが、女は一人で歩いていま
  した。アーチャーはその女を尾行します。彼女はすぐにアパートの中に入っ
 て行きますが、アーチャーは名前を知らないので、それ以上の追跡は諦め
 て、近くにいた黒人の少年達にメイヤー運輸の場所を聞き、今度はそっち
 に向い ます。

 メイヤー運輸に行ったアーチャーは従業員から保安官のチャーチはメイヤ
 ーの二人の娘の内の姉のヒルダと結婚したこと、妹がアンだということ、ト
 ニイの女はジョーという酒場の歌手であることなどを聞出し、メイヤーの家
 に 向います。 そこには姉娘のヒルダもいました。アーチャーはヒルダと話
 したあとに、メ イヤーと話し、トラックと積荷を見つけたら700ドルの報酬を
 貰う約束を取りつけます。

 そのあと、アーチャーはヒルダをチャーチと暮している家まで送ることになり
 ます。送る途中の車のなかでアンの住所を聞出すと、今度はそこに向いま
 す。入口のドアがロックされてなかったので、アーチャーは中に入り、彼女
 の部屋を 調べます。請求者や手紙を盗み見ている所をチャーチに発見され
 ます。

 それから、ジョーという女が働いていると聞いた酒場に行きます。本人はい
 ませんが、名前がジョー・サマーであることと住いを聞き出すと、訪れます。
 アーチャーは証拠品として押収し、サクラメントまで運ぶ途中の麻薬タバコ
 をジョー・サマーに与えることでケリガンの替りに届けに来たと嘘をつき、さ
 らに情報を手に入れます。 しかし、シャワーを浴びるふりをして女は逃出し
 ます。あとを追ったアーチ ャーは彼らの仲間のボージイに頭を殴られ、気を
 失ってしまい、ジョーには 逃げられてしまうのです。

 意識を取戻したアーチャーは懲りもせずに、今度はケリガン邸に向うのです。
 そこで夫婦の喧嘩を盗み聞きします。喧嘩は男が出て行くことで決着がつき
 ます。家から出て行くケリガンをアーチャーはまた尾行します。あくことを知ら
 ずに尾行し続けるアーチャーについての説明は一切ありません。
 読む方 としては「この男は一体なにが目的でこんなことを続けているのだろ
 う」と 思えてきます。単なる好奇心にしては度が過ぎています。正義感に燃
 えてい るのでしょうか。それとも報酬が目当なのでしょうか。

 所が、そのどちらに も大した関心はなさそうです。かと言って単なる観察者
 という存在でもないのがどうも気になるのです。ケリガンはドライブインで、さ
 っきアーチャーを殴ったボージイに会います。アーチャーはそのあとはボー
 ジイの方を尾行します。すると、彼は今は使われていない空軍基地の格納
 庫に向います。アーチャーがその格納庫に入ろう として接近した時、中から
 行方が分らなかったメイヤー運輸の大型トラック がアーチャーに向って飛出
 してきます。発砲し応戦したアーチャーはかろう じて難を逃れます。

 道路に戻り、トラックの行方を追って分岐点に着くと、また保安官のチャーチ
 と出会います。アーチャーはトラックを見なかったかと聞きます。すると保安
 官はそんなものは通っていないと答えます。 彼と別れて、再び一人になった
 アーチャーはケリガンのホテルに戻ってみま す。すると、ケリガンがオフィス
 で死体になっているのを発見します。ガレージの方からエンジン音がするの
 で行ってみると、スポーツカーが飛出して 来ます。運転席にジョー・サマー
 がいるのを見たアーチャーは拳銃を出して車を停めようとします。

 『その時、何か、重い、硬いものがうなりをあげて、うしろから私の両脚にぶ
  つかってきた。私は路地の片側に倒れた。』

 その隙に車は走り去ってしまいます。アーチャーを襲ったのは殺されたトニイ
 の従兄弟のプラガ警部補でした。事情を説明して、彼から開放されたアーチ
 ャーは逃げた連中を追うのは無理だと判断して、ケリガンの妻に会いに行き
 ます。しかし、時間は午前二時なのです。なのに、彼女は起きていて、バルト
 ークを聴いていました。アーチャーはケリガンの死を彼女に伝えます。

 アーチャーは彼女に夫を殺したのかと訊きます。

 『「いいえ」彼女は、更に激しく、つよい声で続けた。「でも、私が悲しんでいる
  とか、嘆いているとか、そんな気持でいるとは思って戴きたくありません。た
  だ、混乱しているだけですの。・・・本当のことを申しあげますと、ドンは今夜、
  私を棄てたんですのよ、ミスター・アーチャー。その時、私は殺してしまいた
  いくらいでした。本当に殺そうとするときのことが心のなかに浮んで浮んで
  きました。私は、通りまで彼を送って彼を射つ自分の姿が、はっきり眼に浮
  びました。その時、拳銃があったら、本当に実行していたかも知れないんで
  す。でも、こんな考えは本当にとりとめのないもじゃありませんかしら?」
  彼女の眼が暗い青い照明のように光を帯びた。
 「誰が殺したのですか、ご存知ですの?」
 「それは申しあげにくいことですね。サマーという女が現場にいましたが」
 「ドンの相手の、あの、いやらしい目つきのブリュネットですね?」』

 アーチャーは週末にケリガンが女と別荘に行ったようだと夫人に聞き、そこ
 に行ってみることにし、鍵を借ります。そして、その別荘へ向う途中にモーテ
 ルを見つけて、アーチャーは疲れきった体をベッドに横たえます。ここまで
 の時間的経過は数時間に過ぎないのですが、もう全体の半分です。
 勿論、登場人物はすべて登場させていますし、ケリガン殺しの犯人もすでに
 舞台に上がっています。そして、このあと一日でアーチャーは事件のすべて
 を明るみに出してしまいます。解決ではありません。アーチャーのしたことが
 良かったかどうかは法的には正しいことでしょうが、人間の幸せと言う点か
 ら考えれば正しくないかも知れません。ですから解決ではないのです。

 この作品でロス・マクドナルドは始めてチャンドラーの影響から脱して、自ら
 の道を歩き始めたといえるのではないでしょうか。ここにはチャンドラーが書
 かなかった、というよりチャンドラーには書けなかったひとつの家族の悲劇
 がー50年代のアメリカに舞台を換えたギリシャ悲劇が演じられていると言
 っても過言ではないでしょう。

 この作品に関しては、私も冒頭に掲げたポケミスの解説目録の言葉に同
 感で す。これまで読んできた中では一番の出来だと思います。

 [この作品からのアーチャーに関するデータ]

夫の死を伝えた時のケリガン夫人との会話の中でこんな文章があります。

 『「今は、そう思いますの。今は、何もかも、バカらしく思えてきて。あなたは
  時間がとまってしまったような感情を経験したことがおありでしょうか?
 まるで真空のなかに往んでいて、未来もなくなってしまって、過去までがま
 るで消えてしまったような気持ちになったことが?」
  「一度だけありますよ」と、私は言った。「妻が私を棄てて行ったあとの1週
 間。しかし、それも長くは続きませんでしたね。あなたにとっても、そんな気
 持ちがいつまでも続くものじゃありません。すぐに回復しますよ」
  「奥様がいらしたことは存じませんでしたわ」
  「ずいぶん昔のことでしてね」
  「どうして、その方はあなたと別れたのですか?」
 「私の生活には耐えられないと言いましたよ。他人のことにばかりかかず
  らって、彼女に対してはあまり充分にかまってやれない生活ですからね。
  それで、私も、ある意味では彼女の言分が正しいのだと思いました。しか
  し、その事実が本当にはっきりしてしまったのは、二人とも、もう愛情を持
  たなくなっているからでしたよ。少なくとも、私達のうちの一人は、もう愛情
  がなくなったというわけです」
  「どちらが、ですの?」
  「その問題にはあまり触れたくないんですがね。死体をほじくり返すような
  仕事はいやな仕事ですよ」』

 しかし、アーチャーの、この最後のセリフはいささか自分勝手に過ぎるので
 はないでしょうか。アーチャー自身がそうやって毎日、他人の秘密をほじく
 り返している筈です。他人の話を盗み聞き、部屋に勝手に押入り、日記や手
 紙を盗み読むのが彼の仕事のやり方なのです。なのに自分のことになると、
 「触れたくない」では「それはないだろう」と言われて当然でしょう。

 ロス・マクドナルドはこのセリフでアーチャーの恥部を見せたつもりなのでし
 ょう。

  [深読みコーナー]

 この作品には本文が始る前に奇妙な言葉が掲げられています。

  『ある者は暗殺者に襲われることを恐れ、また、ある者は犠牲者を見出す
    ことを恐れる 。一方は、もう一方より知恵がある。
                       スティヴン・クレイン』

  全18作のアーチャー・シリーズの中で、巻頭に他人の文章を掲げている
 のはこの作品だけです。作者にはそれなりの意図があったのでしょうが、
 「あとがき」では一切この言葉には触れていません。私はこの言葉はこの
 作品を解く鍵だと思うので、触れていない「あとがき」は怠慢というべきだと
 考えます。
  「あとがき」にあるハードボイルド論はこの本の初版(私は98年の6版を買
  直して、この稿を書いています)のままですが、今では陳腐なものになって
 います。再版の時に別の稿と交換すべきだったのではないでしょうか。
 出版社が費用と手間を惜しんだ為に、無様な「あとがき」になっています。
  
  この三行の言葉は何度読んでも頭の悪い私にはよく理解できませんでした。
  暗殺者に襲われることを恐れる者と犠牲者を見出すことを恐れる者のどちら
  が賢いと言っているのでしょうか。
  分るのはロス・マクドナルドはこの言葉からヒントを得て、題名を付けたのだ
  ろうということ位です。
  しかし、『FIND A VICTIM』(原題)では上の文章の意味と違ってくるはず
 です。原文で確めようと思って、丸善と紀伊国屋に行ったのですが、原文で
 も今ではロス・マクドナルドを読む人は少ないらしく、アーチャー・シリーズは
 数冊しかなく、この作品はありませんでした。取寄せると1月かかるというこ
 となので諦めました。従って、私はこの引用の文章の原文を確認せずに、こ
 の稿を書いていますので、あるいは誤読があるかも知れません。

 ロス・マクドナルドは何故、「犠牲者を見出せ」と題したのでしょうか。引用の
 文章では「犠牲者を見出すことを恐れる者」について語っているはずです。
 この違いにこの作品のポイントがあると私には思えるのです。巻頭にあるの
 ですから読者は当然この差に気がつく筈です。ですから、作者はそのことを
 計算に入れていたと考えるべきでしょう。つまり「犠牲者を見出す者」と「見
 出されることを恐れる者」の両方をこの作品で描いたのだと語りかけている
 のではないでしょうか。そのことをずばり伝える言葉が見つからなかったか
 ら、副題としてこの他人の文章を利用したのだと私には思えるのです。そし
 て、さらには読者に対して犠牲者は一体誰だと思うのかと問いかけているの
 です。

 1人の読者である私はこの作品の犠牲者は殺されたトニイでもケリガンでも
 なく、犯人その人だと感じました。ですから、アーチャーは事件を解決したの
 ではく、事件を明るみに出しただけなのです。

 この引用文の作者のスティヴン・クレインという人を私は知りませんでした。
 辞典で調べて見たら次のようなことが述べられてあります。この名前ではこ
 の人しかいませんでしたから多分合っているだろうと思いますが、この文が
 どの作品からの引用かは確められませんでした。

  『アメリカの作家・従軍記者。1871-1900。ニューヨークで新聞記者をしてい
    たが、「街の女マギー」(1893)と、南北戦争を生々しく描いた「赤い武功章」
    (1895)で小説家としても知られるようになった。』

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