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『海外ミステリを読む』(26)

    <ロサンゼルスの探偵達>(その2)

   ロス・マクドナルド編(18)

   「ブルー・ハンマー」1976年(日本語版初版1978年)
                              (高橋 豊訳。ハヤカワ・ノヴェルズ)  

         [概略]

       幻の画家チャントリーの作とされる絵が盗まれ、私立探偵リュウ・アー
       チャーはその行方を探すよう依頼を受けた。絵は意外に簡単に発見さ
        れた。しかし、画家としての短い生命を燃やしつくし、25年前に突然姿
       を消したチャントリーは現在でも生きているのではないか、という疑念が
        アーチャーの脳裡を去らなかった。さらに事件を追い始めたアーチャー
        の前には、画家をめぐる人々の過去と愛憎が重くのしかかる!
       正統派ハードボイルドの第一人者が、追い続けてきたテーマをみごとに
       結晶させた待望の最新作
                         (同書の帯より)

   [ストーリー]

    『わたしは山の頂上で駐車用の広場になっている私道を登って、その家
     へ行った。車を降りて町の方をふり返ると、スモッグの中に半ば沈んで
         いる教会や裁判所の塔が見えた。』   

         これがこの作品の冒頭です。アーチャーは呼ばれてやって来たところ
       です。その家はサンタ・テレサで、最も高い地点に聳え立っている屋敷
       でした。つまり、この街で一番の金持の家という設定のようです。
       この家の主はジャック・ビーマイヤー。妻の名前はルース。リチャード・
       チャントリーという画家の絵が盗まれたので、見つけて欲しいという依
       頼でした。
     絵はルースがチャントリーを好きだったので買ったものでした。リチャー
       ド・チャントリーはこの街の画家ですが、25年前に失踪して、今だに行
      方不明だということです。  

       「お前はここがチャントリーの町だから、わしをここへ引きこもらせようとし
        たのだ。彼の家のすぐ隣りに家を建てさせたのだ」

     初対面のアーチャーの目の前で罵り合う夫婦の仲は悪いようです。ジャ
        ックが部屋を出て行った後で、アーチャーとルースはこんな会話を交し
       ます。

    『「これはアリゾナの事件になりそうですな。リチャード・チャントリーはあ
        ちらの出身だとおっしゃったでしょ」
     「ええ、そうよ。あたしたちはみんなそうなの。でも、最後はカリフォルニ
       アに住みついてしまったわけなの」
    彼女の声は単調で、別れた州への愛惜も、今住んでいる州に対する満
      足感も、全く現していなかった。それは失意の女のような声色だった。
    「あなたはなぜカリフォルニアへ移ったのですか、ビーマイヤー夫人」
    「あなたはあたしの主人の言ったことを念頭においているらしいわね。こ
      こがディック・チャントリーの町だとか、その為にあたしがここに住みつき
      たいと思ったのだとかという話を」
    「それは本当ですか」
    「たぶん、少しはほんとかもしれないわ。ディックはあたしが親しかったた
       だ一人の立派な画家で、ものの見方をあたしに教えてくれたのよ。だか
     ら、彼が最高の仕事をした土地に住むというのは、確かに嬉しかったわ。
     彼は七年の間にすべての傑作を描いてから、突然姿を消してしまったの」
    「それはいつのことですか」
    「正確に言えば、1950年の7月4日」
    「彼は自発的に姿を消したのですか。それとも誘拐されたか、殺されたの
     でしょうか」
    「そうは思えないわ。彼は奥さんに書置きの手紙を残して行ったのだもの」
    「で、彼の奥さんは今もこの町にいるのですか」
    「ええ、いるわよ。じっさいの話、あたしたちの家から彼女の家が見えるの
      よ。この峡谷のちょうど向こう側にあるの」
      (中略)
    彼女は私を外へ連出して、チャントリーの家を教えた。それは小塔のある
    新スペイン様式の大邸宅で、大きな温室のほかいくつかの離れ屋があっ
       た。そして、大地を切裂いた深い傷のように二つの邸宅を隔離させている
      峡谷の向こう側にあるそれは、我々の立っている位置よりもかなり低いと
      ころにあった。』

    つまり、隣りの家は谷を隔てた向こう側にあるということです。彼女は容
      疑者として、娘ドリスのボーイフレンドのフレッド・ジョンソンの名前を挙げ
      ます。彼は30を過ぎているのに、いまだに大学に残っていて、美術が専
      攻で、美術館の講師を勤めている青年です。この家にも来たことがあり、
      その絵に特別な関心を示していたというのです。

     アーチャーはその絵を売った画商ポール・グライムズの住所を聞いて、
       依頼人の家を辞去すると、次に谷を隔てたチャントリー邸に向います。
       ですが、チャントリー夫人は美術館に行ったと言われます。
     美術館に行く前にポール・グライムズの店に立寄りますが、ここでも留
       守だと言われてしまい、仕方なく美術館に行きます。

    そこで、アーチャーはチャントリー夫人に会います。

    『私は絵の盗難事件を調査するためにビーマイヤー夫妻に雇われた私
      立探偵だと、彼女に語った。彼女の反応を見たかったのだ。彼女は化粧
      の下で青ざめた。
      「ビーマイヤー夫妻は絵を見る目がないのです。彼らがポール・グライム
      ズから買った絵は、贋物なのです。彼は彼らにそれを見せるかなり前に、
      あたしのところに持ってきましたわ。私は手を触れようともしませんでした。
      あれはリチャードがとっくの昔に廃止したスタイルの見えすいた模倣です
      わ」
    「とっくの昔とは、何年ぐらい前?」
    「30年ほど前です。彼のアリゾナ時代のことですわ。ポール・グライムズ
       は自分であれを描いたのかも知れません」』

     次に、アーチャーは彼女にフレッド・ジョンソンのことを聞いてみます。す
       ると、ルースの意見とは正反対でした。彼はチャントリーの熱心なファン
       で、理解力もあるから、騙せるはずはないというのです。アーチャーが彼
       に会って話してみたいというと、住所を教えてくれます。

      アーチャーはそれからフレッド・ジョンソンの家に行きます。その家は「今
       世紀の初頭に多く建てられた三階建ての木造家屋」で、「あちこちの下
       見板がはずれ、ペンキが剥げ落ちて、黄ばんだ雑草が一面にはびこっ
       た敷地の中に幽霊のように立っていた。」

    『太った老人がドアを開けて、金網ごしにわたしを覗いた。汚らしい白髪
       がぼうぼうとのびて、虫を食ったような灰色のあごひげが短く生えてい
       た。気むずかしそうな声だった。』

    その老人がフレッドの父のジェラード・ジョンソンでした。そのあと、看護
       婦の制服姿の女が出て来て、老人を奥に追いやり、フレッドの母ですと
    名乗り、アーチャーと応対します。

    二人が話している所に1台の車がやってくるのですが、すぐ逃げるよう
        に走り去って行きます。

     『「あれはフレッドですか、ジョンソン夫人」
     彼女はちょっと躊躇してから答えた。
        「ええ、そうです。だけど、あの子はどこへ行くつもりなのかしら」
    「あなたは彼に停まるなと合図しましたね」
    「わたしが?それはあなたの思い違いですよ」
    わたしは彼女をそこに残して、青のフォードを追った。』

    フレッドの車を見失ったアーチャーは次に娘のドリスのアパートに行き、
    話を聞きます。すると、彼女はあの絵は自分が家から持出して、フレッ
        ドに渡したのだから、盗まれたわけではないと言い出します。
    そのあと、アーチャーはフレッドの家に張り込んで、彼が帰って来るの
    を待ちます。帰って来たフレッドはその絵をドリスから受取ったことは認
       めるのですが、自分の家に持ちかえった夜に、寝ている間に盗まれた
      と主張します。

       そのことでフレッドの母親に確めようと、病院に行く途中に草叢の中に
       倒れている男を発見します。頭を殴られたらしく血が流れています。ア
       ーチャーが近づいて、楽な姿勢にさせてやると、男は「チャントリーか。
       おれをほっといてくれ」と言うと、意識を失います。
       アーチャーはすぐ病院に知らせて、救急車を呼びます。そして、救急車
       のあとから一緒に病院に行きます。その男の人相が教えてもらったポ
       ール・グライムズに似ていたからです。

    病院についてすぐ男は死にます。ポケットからポール・グライムズに宛
        てた今夜8時のパーテイの招待状が出てきたので、アーチャーはその
        男が誰かをその場にいた警官に告げます。 そして、そのあとパーテイ
    の最中のチャントリー邸に行き、チャントリー 夫人にポール・グライム
      ズが殺されたことを伝えます。さらに、犯人はチ ャントリーの可能性が
      あるが、どう思うかと問質します。それに対して彼女はありえないと否
      定します。

      チャントリー邸を出たアーチャーは病院に行き、フレッドの母親に会い
      ます。彼はあの絵のことを訊ねます。
      「彼は盗んだのじゃありませんよ。何か検査するために借りてきただけ
      なんです。彼はそれを美術館へ持って行って、そこで誰かに盗まれた
      のです」
      その答は息子のとは違うと指摘しても認めようとはしません。結局、ど
      ちらの言っていることが正しいのかは分らないままです。

      フレッドがドリスを連れて、アリゾナへ行ったことが分ると、アーチャー
      はビーマイヤー家を訪れて、そのことを伝え、これ以上の調査を続け
      るなら彼らの後を追ってアリゾナに行く必要があり、それにはとりあえ
      ず50 0ドル頂きたいと申出ます。小切手を切ったのは夫ではなく、夫
      人の方で した。

      ここから、話は絵の捜索ではなく、チャントリー本人を追跡する方向に
      変ります。それはいつもの、過去への旅になります。果してチャントリー
      は生きているのか。もし、生きているのなら、今どこでどうしているのか。
      アーチャーは墓地を掘り返すように、過去をほじくり返します。複雑に入
      組んだ彼らの過去をアーチャーは執拗に追い続けます。

      ですが、そこに明るい解決はありません。絵は取戻すことが出来ます
      が、彼らの過去にもう ひとつの悲劇を付加えただけでした。

   [深読みコーナー]

    ●アーチャーについて  

       この作品からアーチャーに関する描写を拾ってみました。

      『「あなたは画家のような姿をしていないし、話振りも画家みたいじゃな
      いわ。画家の目をしていないし、画家の匂いもしない」
      「じゃあ、僕はどんな匂いがするの」
      「警察官かしら」』

    警察官に見られるという文章はこれまでの作品でもよく使っています。
    この作品のほかの場面でもあります。

      『「あなたは刑事さんなんでしょ」  
       「ま、そんな仕事をしていますが」
    彼女は鋭い黒いまなざしを投げた。
   「今もお仕事中なんですか」
    「何やら全時間労働みたいな仕事なもんでね」』

    次に引用する文に私は彼の衰えを見ました。

     『もともとわたしの選んだ研究対象は、世間の人々なのだ。アパートに
      追込まれた人々や、日が暮れる前におとなになろうとして、急に老け
     てしまった早熟な若者たちだ。もし、あなたが治療専門家なら、あなた
     は治療専門家を必要とするはずがあるまい。もし、あなたが狩猟家な
     ら、あなた自身が狩られる心配はないはずではないか。』

    何をわけの分らないことを言っているのだと言いたくなる文章です。ア
   ーチャーには客は選べなかった筈です。そして、それは断じて研究対象
   なんかではない筈です。ここでの「わたし」はロス・マクドナルド自身では
    ないでしょうか。作品の中でこのように作者が顔を出したのは初めてで
    す。抑制が効かなくなったのでしょう。本人はこのあとも、まだ書き続け
    るつもりだったはずです。なのに、病気がそれを不可能にしてしまったの
    です。あるいは、彼の中の本能がそうさせたのでしょうか。この場面以外
    にも彼の個人的述懐と思われる個所があります。例えば、こんな文章で
    す。

    『「ええ、彼女はひどくがっかりしていました。トーマス・ウルフのいうとお
     り、人間はふたたび故郷に帰れないのかもしれませんね」
   わたしはフレッドが両親と一緒に住んでいるあの破風造りの家を思い出
    しながら、ほんとに故郷に帰りたいと思う人がいるだろうかといぶかった。』

   ロス・マクドナルドも故郷を捨て、カリフォルニアに住みついた人です。貧
    しい少年時代に転々と居場所を変えざるを得なかった過去を持つ人間
    にとって、帰りたくても帰れる故郷はないのです。ロス・マクドナルド自身
    がそういう過去を持っている人です。ここは思わず彼の本音が出た文章
    だと私は感じました。

    次の文では相手は地元の、年配の保安官です。 「私は四十才以下の男
    は絶対に信用しないことにしているんです」とその保安官が語ったあとの
    場面です。

    『「ぼくはあんたに信用される資格があるんだろうね」  
     「そりゃそうです。あなたは五十を越えてるんでしょ。わたしは六十です
    よ。こんな気持になるとは思ってもみなかったけど、わたしも引退が待ち
    遠しくなってきました。世の中が変ってきちゃってるものですから な」
   しかし、あまり変りばえがしないよと、わたしは心の中でつぶやいた。依
    然として金がものをいったり、沈黙を買う世の中だもの。』

   この作品でロス・マクドナルドはアーチャーに自らの職業について今ま
   でになく、多くを語らせます。

    『「ぼくは人が死ぬのをみるのがつらいんでね」
   「それなのに、あなたは奇妙な職業を選んだものね」
   「つくづくそう思いますよ。しかし、往々にしてぼくは殺しを防止する機
   会を持つこともありますから」
  とは言ったものの、わたしはときどきそれを促進させることもあった。』

    『「ぼくに謝る必要はありませんよ」と、私は言った。
    「ぼくはこの職業を好きで選んだのです。でなければ、この職業がぼく
   を選んだのです。それは当然、さまざまな人間的な苦痛を伴いますが、
   ぼくはほかの職業を探す気がしません」』

     『「あなたはお金の為に仕事をしているんでしょ」
     「ぼくは別に金に困ってはいませんよ」
     彼女は身をのりだし、指輪をはめた両方のこぶしを膝の上においた。
    「わたしの言っているのは,莫大なお金のことなのよ。あなたが一生か
    かっても貯められないほどの。悠々と引退できる金額なのよ」
    「ぼくは仕事がすきですよ」』

   最後の方ではこんな文章もあります。

     『宵の口で車の交通は混雑していたが、二時間でロング・ビーチに入っ
      た。前にも言った通りそこはわたしの生まれ故郷で、海岸に沿って連
      なっているともしびは、現実と遠くかけ離れてしまった思い出の未来へ
      の期待に輝いていた。』

    こうして、生まれ故郷にまでアーチャーを立寄らせたのは作者の中に
     は意識がなかったものの、本能が何かを知らせて書かせたような気が
     します。

    ●題名について

    若い女性の新聞記者ベテイと仲良くなったアーチャーは夜を共にしま
     すが、その場面にこういう文章があります。

     『ベテイはあくびをして、再び眠った。わたしは目が覚めたままで、ゆっ
     くりした夜明けの光りの中に彼女の顔が徐々に浮んでくるのを見守っ
      た。しばらくすると、彼女のこめかみの青い血管の規則的な脈動が見
     えた。彼女が生きていることを示す静かなハンマーの鼓動。わたしはそ
     の青いハンマーが永遠に停まらないように祈った。』

    つまり生命そのものを指しているようですが、作品の内容は暗い過去
     が中心であり、そこから明るい未来などけっして生まれて来ない人生
     の結末を描いたものですから、題名と繋がる部分は全くありません。
  さらに、言うならばこのシーンそのものが必然性の全くないもので、ま
  るでロス・マクドナルド本人の心の叫びのような気がしてなりません。
  この作品が彼の最後の作品になり、このあと、病に倒れ、彼自身の
  「ブルー・ハンマ  ー」が停まってしまったのですから、単なる偶然とは
  思えません。祈ったのは自らの余命の延長だったような気がします。

  小鷹さんの年譜では彼の死の年はこうなっています。

    『1983年7月11日、ケネス・ミラー=ロス・マクドナルドは、サンタ・バ
     ー バラのパイン・クレスト養護院で死亡。死因は、3年間治療を受けて
   いたアルツハイマー病。享年67才。』

   いつ頃からこの病院に入院していたのかは書いていません。養護院と
    はどう種類の病院なのか、その方面の知識がないので私には分りませ
    ん。

   この年譜には「付記」として、こんなことが書いてあります。

    『ロス・マクドナルドは、ドストエフスキー、ディケンズ、トウェインなども愛
     読したが、最も好きな作家はマルセル・プルーストだと述べていた。』

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