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『海外ミステリを読む』(24)

      <ロサンゼルスの探偵達>(その2)

          ロス・マクドナルド編(16)

             「地中の男」1971年(日本語版初版1971年)
                          (菊池 光訳。ハヤカワ・ミステリ文庫)

   [概略]

         ロサンゼルスの雨あがりの朝。リュウ・アーチャーは庭におりてくる小
        鳥に餌を与えていた。そこに一人の少年が、興味深げに近寄ってきた。
       少年はロニイといい、前日家出し、隣家に来た若い母親の息子だった。
       複雑な家庭環境を思わせるロニイの態度、その朝ロニイを迎えにきた
        父親と母親の諍いを見て、アーチャーは少年のために心を暗くした。
        やはり若いロニイの父、スタンリイには今にも暴力をふるいそうな、異
        様な苛立ちが見られた。結局、少年は、父とティーン・エイジの娘に連
        れられ、祖母の家に向った。
       翌日、サンタ・テレサから山火事が発生した。ロニイの祖母の家はその
        近くにあった。少年の母から、ロニイを連れ戻してくれと依頼されるまま
        に、アーチャーはサンタ・テレサに急いだ。が、前日三人が訪れたとい
        う山荘に彼らの姿はなく、しばらくしてスタンリイだけが消防団員によっ
        て発見された。火元の空地に掘った穴の中に、刺殺されたその死体が
        横たわっていたのだ。三人は何故このような山荘に来、そこで何が起
        きたのか?アーチャーは執拗に追跡していったが、まず突き当ったの
        は10数年前に端を発する錯綜した人間関係の謎だった!
       ハメット、チャンドラーを継ぐ、ハードボイルド派の巨匠が、ミステリの極
        限を極める近年最大の問題作!
                (ポケミス版・裏表紙より)

    [ストーリー]

      『夜明け前に、木の葉のざわめきで目がさめた。暑気を含んだ風が、寝
       室の窓から吹き込んでいた。起き上がって窓を閉め、ベッドに横たわっ
       て風の音を聞いていた。その内に風がやんだので、起きてまた窓を開
       けた。新鮮な海のかおりとわずかにくびれた感じのウェスト・ロス・アン
       ジェルスのにおいを伴って、ひんやりした空気がアパートに流れ込んで
       きた。ベッドに戻って、朝、我家のかけすの声に起されるまで眠った。
      私は、我家のかけす、と呼んでいる。五、六羽が、代る代る、窓の下枠を
     めざして急降下しては隣家の木蓮の木へ引上げて行く。』

     これがこの作品の冒頭です。少し長めに引用したのは、このような自宅
      で寛いでいる場面から始まり、ここで夫婦のトラブルに遭遇し、事件に巻
      き込まれるという設定はのこれが最初で最後、つまりこれだけなのです。
      いつもは事務所に依頼人がやって来るか、あるいはアーチャーが電話
      で呼ばれて依頼人の家に、それも大抵は屋敷に出向くという設定です。
     ここはリュウ・アーチャーではなく、作者その人が背後から浮び上がって
    来るような描写です。

     「運命」という作品の巻頭に「山登りの仲間たち、 ジョンとディックに」とい
      う言葉があるように、ロス・マクドナルドは山歩きや野鳥観察を趣味にし
      ていた人でした。これまでも鳥は何度か登場させていましたが、このよう
    な描き方ではありませんでした。

   『車をおりると、一羽のものまねどり(モッキンバード)が木から舞い降り
      て私の頭めがけて急降下してきた。』(「人の死に行く道」)

     『鳥の翼が錫のように白いなら、恋人よ、あなたは罪よりも汚れているだ
      ろう。』(「さむけ」)

     『このあかりが人間の活動の始る合図だと思ったものか、鳥がまた鳴声
      をあげた。』(ギャルトン事件」)

    (ロス・マクドナルドの作品において、鳥が持つ象徴的な意味については
    各務三郎氏の深読みがありますので、興味のある方は「赤い鰊のいる
     海」 (読売新聞社・1977年)の中の「カイツブリの目は赤い」を御読み下
     さい)

     このあと、下の階に住むウォラー夫妻の部屋に昨夜から来ていたロニイ
     少年とその母親のジーン・ブロードハーストと知合い、事件に巻き込まれ
    て行きます。

     『「でも、今は考えていられないわ、ミスター・アーチャー。サンタ・テレサへ
      行かなければならないわ。車で私を連れて行って、ロニイを取り返すのを
      手伝っていただけないかしら?」
     「私は私立探偵だ。生活の為にそういう仕事を引受けている」
     「ローラ・ウォラーがそう言ってたわ。だから、あなたにお願いしたいの。勿
     論、費用はお払いするわ」
    私はドアをあけて、錠をセットした。
      「ミセズ・ウォラーは私について、ほかにどんなことを言っていた?」
    顔にそぐわない明るい笑みを浮べて言った。
     「あなたは孤独な人だって」』

    こうして、いつもとは違う方法で仕事を依頼されたアーチャーですが、すぐ
     にロニイを連れ去った父親が殺されて、土の中に埋められているのを発
     見します。ですが、ロニイの姿がないので、ロニイ捜しを続けます。
   ジーンはそんなにアーチャーこう尋ねます。

    『「現実性の話のついでに、あなたは、どうやって私の息子を取り返すつ
      もりなの?」
     「私はサンフランシスコで私立探偵をしているウィリー・マッキーという男
     に電話をかけた。彼はあの周辺の地域を熟知しているので、彼に調査
     を依頼するつもりでいる」
    「せひそうして。お金はなんとかするわ」
     金以外の事柄も含めた決断を下したようだった。
    「それで、あなたは、どうするつもり?」
    「待つ。そして、質問をしてまわる」
     苛立たしそうな身振りを見せたが、また長椅子に腰を下した。
     「あなたがすることは、質問をしてまわるだけね」
    「私もいやになることがある。時には,聞かなくても話してくれる人達がい
     るが、君はその一人ではない」
    疑い深そうに私を見た。
     「それは,形を変えた質問ね。そうでしょう?」
    「そうではない。君は奇妙な結婚をしたものだな、と考えていたのだ」
    「それで私にそのことを喋らせたいの?」
    「君が話したければ、聞く気はある」
    「私が、なぜ話さなければならないの?」
    「私は、君のおかげでこの事件に引き込まれたのだ」 』

    このやり取りは最後は口説きに近くなっています。アーチャーはまだ依頼
   人であるジーンから報酬は一銭も貰っていないのです。彼女は払わないし、
    彼は請求しないからです。つまり無料奉仕になっています。

    『私は、一、二分、黙って座っていた。自分は彼女を半ば愛しているな、と
     思った。それは、一つには、彼女がロニイの母親であるからだが、同時に
    彼女が若く美しいからでもある。黒いドレスに絞め付けられている体は、激
    しく心をひく。
    しかし、未亡人であることが、私が立ち入ることのできない影の輪を、彼女
    のまわりに作り出しているような感じがする。それに、自分に言った。私は、
    彼女の倍近い年齢だ。』

   アーチャーは年を取ったせいか、女性を好きになるのが早くなったようです。
    自分が変ったことをアーチャー自身が認めています。

    『年をとるにつれて、私の、胸の中でかっては熱していた復讐心が、次第に
    冷えてきた。私は保存する価値のあるものを保存するのに役だつ、いわば
     整然たる人生の営みに、より深い関心を抱いている。』

    犯人を警察に引渡したあと、その護送車のあとについて走る場面でアーチ
    ャーはこんなことを言っています。

    『私はその後について繁華街へ車を走らせながら、最近は、人生の下劣な
    脇筋が悲劇の本筋になる場合が多いな、と考えていた。しかし、刑事や速
    記者にはもっと平凡な説明をした。』

   意味がよく分らない文章です。どんなことが悲劇の本筋でなければいけな
    いのでしょうか。このあと、アーチャーがロニイとジーンを車に乗せて街か
    ら離れる場面で終っています。

    『私はこれですべてが終ることを願っていた。ロニイの人生が、次第につぼ
    まる円を描いていた父親のように、彼の父の死を中心に回転しないことを
    心から願った。慈悲深く彼の記憶が消えることを祈った。
    私の思いを感じ取ったかのように、ジーンが,子供の背後から手を伸ばし
    て、冷たい指先を私の首筋に当てた。私達は、まだ湯気を上げている火事
     跡のそばを通り、雨の中を南に向けて車を走らせた。』

     この後、ジーンとアーチャーはどうするのだろうか。ジーンはアーチャーに
     どういう形で報酬を支払うのだろうか。お金で払うのだろうか。それとも、お
     金以外のもので支払うのだろうか。あるいはアーチャーは何も請求しない
     で二人と別れるのだろうか。そんなことを考えさせる結末です。

  [深読みコーナー]

      ポケミス版と文庫版で巻末の解説者が違うケースが時々、ありますが、こ
      れもその一つです。

      (ポケミス版)
     解説者は訳者。1971年2月11日付けのニューヨーク・タイムズの読
         書欄に掲載された批評を転載しています。

    『現代において、探偵小説という形態が存在するのは、この作品のよう
         なノヴェルを可能ならしめるためである。(中略)
     私は、ミスター・マクドナルドの作品の中でも、この作品が最高の作品
     ではないかと思う。興奮を覚えるほどの見事なできばえであるばかり
         でなく、読む者を非常に感動させる力をそなえている。それを実現す
         るための一要因であるロス・マクドナルドの文章は、繊細な感覚と緊迫
         感に満ちていて全く無駄がないうえに、弾性に富んでいる。そこには、
         孤立し、硬直したセンテンスは一つもない。』

     この、いささか褒め過ぎの文章を書いたのはユードラ・ウェルテイとい
     う女性作家で、作品には「Losing Battles」があるそうです。

   (文庫版)
     解説は宮脇孝雄氏。こちらではロス・マクドナルドの伝記を書いたマシ
     ュ・J・ブルッコリの文章から引用しています。

    『1964年のコヨーテ渓谷の大火はミラー(マクドナルドの本名)夫妻の
         住居の間近にまで迫った。住民が避難したあともミラーは二日間家に
     留まり、屋根にホースで水をかけつづけた。1969年の夏、「地中の
     男」の創作ノートに彼が最初に書いた言葉は「エコロジーの犯罪」であ
         る。作中のサンタ・テレサの山火事は、登場人物たちの内面を焦す炎
         を象徴する。』

         因みに、この作品は巻頭に「 マシュ・J・ブルッコリへ」という言葉が掲
         げられています。ロス・マクドナルドはこの伝記作家が余程気に入っ
         ていたのでしょう。 この解説には、この他にリュウ・アーチャーの名前
         の由来が「ベン・ハ ー」の作者リュウ・ウォレスのファースト・ネームと
         作者自身の星座、 射手座(アーチャー)を合わせたものだという文章
         もあります。

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