『海外ミステリを読む』(21)
<ロサンゼルスの探偵達>(その2)
ロス・マクドナルド編(13)
「ブラック・マネー」1966年(日本語版初版1968年)
(宇野輝雄訳。ハヤカワ・ミステリ文庫)
[概略]
依頼主ピーター・ジェイスミンはリュウ・アーチャーに会うなり、マー
テルという男のもとに走った彼の婚約者ジニーを連れ戻し、さらに、
その男の身辺を洗ってほしいと申し出た。彼の話によれば、マーテ
ルはだいぶ金を持っているようだが、どうもその素性がはっきりしな
いーしかも、突然どこからともなく現れた男に、ジニーがなぜそんな
熱を上げたのか理解できないといい、いかにも、美しいジニーの結
婚相手は、自分のほかにはありえないといわんばかりの自信をの
ぞかせていた。アーチャーは、あまり乗気でなかったが、単なる駆落
ち以上のものがあるだろうと思い、調査に乗りだすことにした。少し
ずつマーテルの身辺を洗うにつれ、ふに落ちない点が数多く現れて
きた。マーテル自身は、表向きフランス人で、身分を隠さなければな
らないと言っているのだが、
どうやら、ラスベガスに仲間を持ち、そ
こに深い関りを持っていることが判明したのだ。
が、それにしては、
何故育ちのいい、美しいジニーがそんな男に走ったのか?・・・・
アーチャーは、次第に無気味な犯罪のカラクリへと足を
踏み入れて
いった。
一作ごとに声価を高めるハードボイルド派の巨匠が「縞模
様の霊柩車」
「さむけ」に続いて放つ、待望のリュウ・アーチャー・シ
リーズ!
(ポケミス版・裏表紙より)
●この作品の日本語版は「ドルの向こう側」より先に出版されています。
[ストーリー]
『<テニス・クラブ>のことは以前から話に聞いていたが、実際に訪れ
るのは今回は初めてだった。クラブの中庭やバンガロー、プール、宿
舎、別館は、ロサンゼルス郡の郡境から南へ数マイル行った太平洋
の入江の
周りに並んでいた。』
これがこの作品の冒頭です。アーチャーは依頼人ピーター・ジェイスミ
ンに呼ばれてやって来たのです。婚約者が別の男のもとに走ったので
連れ戻
して欲しいという依頼でした。それに対してアーチャーはこう答
えます。
「本人にその意志がない限り、強引に連れ戻すわけにもいかんでしょう。
このことは電話でお話しておいた筈です」
その返答に依頼人はこう対抗します。
『「なるほど。僕の言い方がまずかった。たとえ僕のもとへは帰らないに
しても、彼女の人生を破滅から救うことは出来る」
ピーターは、テーブルに両腕をのせると、聖地奪回の聖戦に参加した
騎士の情熱を私に吹きこもうとするように身を乗りだした。
「ジニーをあんな男と結婚させるわけにはいかん。これは別に嫉妬で
言っているんじゃないんです。自分のものにならなくてもいい。僕は彼
女の身を守ってやりたいんです」』
その男の名前はフランシス・マーテル。当人はフランス人だと言ってい
るが、肌が黒過ぎる。警察にも追われているらしい。その上、金持らし
いとピーターは訴えます。それに対して、アーチャーは前金で300ドル
を要求します。ピーターは小切手を切り、「マーテルの居所、出身地、金
の出所を突き止めて欲しいと頼みます。
仕事を引受けたアーチャーはピーターからまずジニーのことを詳しく聞
出します。それによると、彼女のフルネイムはヴァージニア・ファブロン
で、年は24才、地元のモンテヴィスタ州立大学のフランス文学専攻の
学生。少女時代からフランス文学に熱中していたのに、ぽいと中退し
たようです。それからジニーの父親は6、7年前に死にいまだに、それ
を悲しんでいるとのことです。そして、肝心のフランシス・マーテルはバ
グショウ未亡人から家を借り、さらにはその紹介でテニス・クラブにも出
入出来るようになったのだという。
アーチャーはまず最初にそのバグショウ家に向います。見張っていると
ハリー・ヘンドリックスと名乗る中年男が近づいてきます。話してみるとお
互いにマーテルを調べている事がわかります。その話の途中にマーテ
ルの車が家から出てきたのをみると、ハリーはカメラを構えます。それを
見たマーテルは車から降りてきて、そのカメラを取上げ、壊して立去りま
す。
ハリーと別れたアーチャーは次にファブロン家を訪れます。ジニーの母
親のマリエッタ・ファブロンは主治医だというジョージ・シルヴェスターと
食事の最中でしたが、シルヴェスターはアーチャーの顔を見ると慌てた
ように帰って行きます。彼女はジニーとマーテルのことを賛成で、邪魔
するなと言ってアーチャーを追い返してしまいます。
次にアーチャーは隣りのジェイスミン家を訪れて、ピーターの父親に会
います。彼は息子とジニーの結婚には賛成だと語ります。そして、ジニ
ーの父親とはプリンストン大学からの友達で、彼が海で自殺したことを
話してくれます。
それから次に、テニス・クラブに行きます。マーテルは引越しの最中で
したが、アーチャーは近づき、何か聞出そうとするのですが、荷物を片
付けなければならないからと去って行きます。そのあとにピーターと会
い、ジニーは仏文科のタピンガー教授のお気に入りだと教えて貰いま
す。
そのあと、ピーターと一緒にタピンガー教授の家に行きます。目的は
教授にマーテルが本当にフランス人かどうかを確めるためのテスト問
題を作って貰うことでした。教授が作ってくれた質問はこんなものでした。
「危険な関係」を書いた作家と映画化した監督は?
(答えはラクロとロジェ・ヴァデイム)
ドレフィスの有罪を信じていたフランスの大画家の名前は?
(答えはドガ)
ジャン・ジュネの釈放運動に主役を演じた文化人は?
(答えはジャン・ポール・サルトル)
フランス人で教養のある人物ならこれくらいのことは知っていなければ
おかしいという程度の問題でしょうが、最後の謎解きでもこの質問に意
味を持たせたりしたのはいささか文学青年的発想で、エンターテインメ
ント派の人達から嫌われる一因だと思います。これは初稿では入れて
も二稿で削除すべき部分だったのではないでしょうか。ひょっとすると、
この作品は
時間的余裕がなくて二稿はなかったのかも知れません。
いずれにしてもこの部分はあまり意味がないと私には思えます。タピン
ガー教授の登場の場面はもっと違うシーンにすべきだったでしょう。
二人はその問題をかかえてマーテルの住む場所に向います。二人が
車から下りた瞬間、若い女性の悲鳴が聞えたので、邸内に踏み込も
うとするとジ
ニーが姿を見せます。「今のは君の悲鳴だろう?」とピー
ターが聞くと、
ジニーはネズミが出てきたので驚いたのだと弁解したあ
とで、自分はもう
マーテルと結婚したと告げます。
そこに、マーテルが出てきたので質問を
ぶつけますが、彼はすべてに
正解します。二人はその場は手を出せずに退散します。
これに懲りたアーチャーは以後、本人からではなく周囲から情報を少
しづつ集めて行く方式に変えます。まず、テニス・クラブに出入りする
写真屋
、支配人、マネジャーなどから始めます。そして調査の輪を広
げて行くのです。あっちで一つ、こっちで一つと過去を探り出し、ジグソ
ー・パズルを填めて行くように全体像を作り上げる、いつものアーチャ
ーのやり方に
戻ります。
調査の結果、マーテルの話すフランス語はカナダか中南米の人間が
使うものだと分ります。さらに、自殺で処理されていたジニーの父親の
死は他殺だった疑いが強くなります。このあたりから事件は一変して
お金を巡っての争いが表面化します。ラスベガスでのギャンブルと借
金、そしてギャン
グに登場人物達が関りがあることが判明します。
調査を続けるアーチャーにある人物がこういうことを教えてくれます。
『ええ、間違いなく、脱税なんてラスベガスでは日常茶飯事ですから。
こういう隠し所得は俗に「黒い金(ブラック・マネー)」と称されている。
じつにぴったりの名称ですよ。』
これが作品の題名の由来でしょう。
ジニーの父親の死の真相に事件の発端があることを突きとめたアー
チャーはマーテルの化けの皮もはがすのですが、そのマーテルが殺
されてしまい、
思いがけない結末を迎えます。
[深読みコーナー]
(1)最初の方のアーチャーとタピンガー教授との会話でこんな場面があ
ります。「何を書いておられるんです?」というアーチャーの問いに対
して、タピンガー教授はこう答えます。
「本です。まあ、ぼつぼつ余暇をみてですがね。テーマはアメリカの現
代文学に及ぼしたフランスの影響で、今は一時さかんに論じられたス
テイーヴン・クレインを研究している段階です。・・・」
このステイーヴン・クレインの名前は「犠牲者は誰だ」で巻頭にかかげ
ていた作家です。ロス・マクドナルドはこの作家に並々ならぬ関心を持
っていると言えると思います。
(2)この作品でのリュー・アーチャー
この作品ではいつになく、アーチャーの個人的なことがたくさん語られ
ています。そして、初期の頃のアーチャーとは変ってきていることが分
ります。これが年を取るということなのかどうかは読者それぞれが判断
することでしょう。
『年齢は私よりちょっと上、せいぜい50といったところだろう』
『「ちょっと伺いたいんですけどね、アーチャーさん。あなた、この街に
ついて、どの程度の知識をお持ちです?地理的にではなく、社会環
境の点で」
「たいした知識はありません。私は貧家の出ですから」』
「そいつはまた、なつかしいな。僕も戦時中はパリにいたんですよ」
『「こちらはアーチャーさん。私立探偵のね」
「まあ、すてき。あなたのような男性の身の上話、ぜひ拝聴したいわ」
「最初はロマンチストで、なれの果ては一介のリアリストです」』
『私も、かっては、ここから遠からぬロング・ビーチで警察勤めをして
いたことがあるのだ』
『私はこの若い警官に懐かしさを感じた。もう20年以上も前の話だが、
ロング・ビーチ警察に入りたての頃、私も丁度、彼と同じ心境だった。
彼もまだかけだしの身だし、せっかくの闘志が現実のきびしさの前に
挫折しないようにと祈った。』
『「お金だけが人生のすべてじゃない」
「私もそういう考えだったのよ。こんなことになるまではね。あんた、自
分は社会改良家だとでも思っているの?」
「そうは思ってない。ただ、社会の悪と闘ってるまでのことさ」
キテイは怪訝な表情を浮べた。
「あんたって妙な人ね、アーチャー。好きなものはなんなの?」
「好きなものは社会の人間だ。だから、多少なりとも彼らのために貢
献しようと思ってね」
「それだけで生きて行けるの?」
「少なくとも、人生に悲観することはない。あんたも、一度、試してみ
るんだな」』
『このような場所からは悲劇の続編ではなく、ロマンチックな田園詩が
生まれてくるような感じさえした。人生は、はかなく甘いものだ、と私
は胸につぶやいた。甘く、はかないものだ。』
『未解決の事件から手を引くのは精神的に苦痛だった。西ロサンゼル
スのアパートに帰ると、感覚が過度に麻痺するまで酒を飲み続けた。
それでもやはり、よく眠れなかった。真夜中に目が覚めてしまった。
窓に降りそそぐ雨はセロファンをがさがさ鳴らすような音をたててい
た。ウィスキーの酔いがさめるにつれて、私の心にはかすかな恐怖
が芽生えてきた。人生は高速道路を疾走する車のように過ぎ去って
いくのに、ひとり悄然と闇のなかに身を横たえている中年男。』
(3)作者自身の言葉。
この作品について作者自身はこう語っています。
『比較的新しい作品には、学問的な世界が再び忍び込んできている。
(中
略)
戦争前の私の青年期に、去りがたい魅惑的な中世風の非現実感を
有しているように思えた学園さえも、今日の姿に変ってしまった。「ブ
ラック・マネー」では、世間の退廃が大学のキャンパスに侵入し、ぬ
くぬくと根をはびこらせている。ラスベガスの地獄図と学問の森を同
一の型にはめ込む双眼鏡的な観点を問題にされたのか、学者風の
批評家のあるものは、「ブラック・マネー」を反学問的な小説とみなし
てきた。一方、私は26年間も探偵小説を書き続けてきながら、相も
変らず学者風の気持を持っていることが、はしなくも露呈されている
のではないかとおそれている。いずれにせよ、現代社会の中心人物
となった以上、大学人種は、虚構の世界でも実人生と同じように、な
んら庇護を受けぬ扱いをされるだけのことはあるのだ。産軍学共同
体の王たちは、シェイクスピア劇の王たち同様、悲劇的な欠陥に支
配されるようになるだろう。』
(Archer
at Large序文より。小鷹信光訳)
ロス・マクドナルドの作家になる前の職業経験は教師だけです。大
学院にも何年も通った経験があります。つまり、彼が知っている唯一
の世界が教師や学問の世界なのです。ですから、この指摘は恐らく
正しいだろうと思います。しかし、この文章にある作者の「学者風の
気持」が未だに残っていることの「おそれ」もまた、適中した作品に仕
上っているというのが私の結論です。