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  『海外ミステリを読む』(20)

      <ロサンゼルスの探偵達>(その2)

   ロス・マクドナルド編(12)

     「ドルの向こう側」1965年(日本語版初版1969年)
                            (菊池 光訳。ハヤカワ・ミステリ文庫)
      
        [概略]  

        大実業家の息子トムが脱走したので探して欲しい。アーチャーは少
        年院の理事からこんな依頼を受けた。だが、まもなく、トムが誘拐さ
        れたという報せが入った。アーチャーはすぐに調査を始めたが不思
        議なことにトムは謎の女と街に出没しているらしい。しかも、二人の
        いたモーテルでアーチャーが見たものは何と謎の女の撲殺体だった。
        トムと女の間には何があったのか?また、事件の深淵にはまりこん
        だアーチャーを待つものは?一人の少年の行動に翻弄され、自らの
        醜い過去を露呈して行く人間の姿を重厚な筆致で描く英国推理作家
        協会賞受賞の傑作
                                 (同書・裏表紙より)

      [ストーリー]

        親の手に余る少年を入れる学校から生徒が脱走したので、探して
        欲しいとアーチャーはその学校の校長のスポンテイに依頼されます。
        逃げた少年は金持の実業家ラルフ・ヒルマンの息子で17才のトム
        です。

        学校で少年達に話を聞いたあと、帰りがけにスポンテイに会いに行
        くと、丁度、父親が来ています。その父親の話では息子は誘拐され、
        2万5千ドルを要求されたというのです。父親は「私が知りたいのは、
       息子がどういう状況で、誰の黙認のもとに、ここから連出されたのか
       ということだ」とスポンテイに詰寄ります。ですが、スポンテイはトムは
       自分の意 志で出て行ったと告げます。

       そのあと、アーチャーはラルフ・ヒルマンと一緒にその邸宅に行き、詳
       しい事情を聞きます。その話によると、トムは隣りのカールソン家の車
       を無断借用し、一晩家を明け、朝になって帰って来たりするようになっ
       たので、あの学校に入れて矯正してもらうつもりだったというのです。

       トムはカールソン家の一人娘のステラと仲がいいのですが、双方の親
       は二人の交際に反対のようです。 ヒルマン家で夫妻と話し合っている
       所に、誘拐犯から電話がかかり少額紙幣で2万5千ドルを要求してき
       ます。そして、また電話すると言って切ってしまいます。

       それからアーチャーは歩いて、隣のカールソン家を訪れます。そこで、
       彼は娘のステラからとトムが日曜日の午後に仲間と一緒に趣味のジ
       ャズの演奏をしている店を聞出します。その店に行く前に廃車置場に
       立ち寄ったアーチャーはカールソン家の車 を探し、内部から「ダックス
       ・モーテル7号室」の札がついた鍵を見つ けポケットに入れます。

       そのあと、その店に入り、トムとよく一緒にい た男(サム・ジャックマン)
       を教えてもらい、会いに行きます。そして、サムからトムが昨日、かなり
       年上の女と一緒に店に来たことを聞出します。

       次に、アーチャーはダックス・モーテルを訪れます。フロントに誰もいな
       いので宿帳を盗み見て、7号室の客がロバート・ブラウン夫妻と名乗っ
       ていることを見つけます。そのあと、いつものように管理人から色々な
       情報を聞出します。

       人に会い、話を聞く。そこで得た情報から次の人に会い、また話を聞く。
       その繰り返しがアーチャーの日常活動です。それは人が朝起きて、顔
       を洗い食事をすることを毎日繰り返していると同 じことです。それも夜
       中だろうが、朝早くだろうが相手の都合など考えずに押しかけるのです。
      
       ブラウン夫妻はもう3週間も滞在していること。夫が妻をよくひっぱたい
       ていること。妻は昔、ハリウッドで映画に出ていたと言っていたこと。 ト
       ムが一緒にいたこと。それらを聞出したアーチャーはヒルマン邸に戻り
       ます。そこでは犯人から何の連絡もないとトムの母親のエレイン・ヒル
       マンが苛立っています。アーチャーはラルフと二人だけになり、女のこ
       とを報告しようとしますが、ラルフは妻にも聞かせて差支えないと言う
      ので、仕方なく二人の前で話します。だが、話を聞いたエレインはやは
      り興奮してアーチャーに食ってかかります。 エレインが二階に上がった
      あとで、犯人から電話があり、ラルフが一人金を持って海岸に来いとい
      う指示があります。

       ラルフが金を持って出て行ったあとにアーチャーもヒルマン邸を出ます。
       そして、ダックス・モ ーテルに向います。ダックス・モーテルの7号室に
       行って見ると、そこにはブラウン夫人の死体がありました。車が近づい
       たので隠れていると、ドアをノックし、鍵がかかっているのを知ると、「開
       けないと錠をぶっ飛ばすぞ」と叫びます。応答がないので、諦めて立去
       りかけたのを見たアーチャーが外に飛出すと相手は拳銃を撃ちます。
       それでもアーチャーは男に近づいて、男を捕まえようとするのですが、
       拳銃で手と頭を殴られて気を失って倒れます。

       気が付いたアーチャーは病院で医師と警察官に囲まれていました。そ
      の夜は病院に泊ったアーチャーを訪ねて、次の朝、依頼人のスポンテ
      イが現れます。勝手なことをして息子の命を危険に曝したとヒルマンが
      怒って、スポンテイにアーチャーの解雇を要求したというのです。

      「差上げた小切手の一部を返してくれなどとは言わない。たとえ私に雇
      われていたのが24時間にかなり足りなくても、あの250ドルは全部君
      のものだ。余剰分で医療費が充分まかなえるはずだ」

     その言葉を聞いたアーチャーは珍しく怒って、「地獄にでも落ちろ」とに
     スポンテイに言います。アーチャーが依頼人に対してこんな台詞を吐く
     のは長編12作目にして初めてのことです。しかし、そのあと一人になる
   と、「あの時機に、再度ダックス・モーテルに行くべきではなかった」と反
     省します。

    しばらくして医師の診断で退院しても大丈夫だと言われたアーチャーは
   スポンテイの小切手で病院の支払を済ませます。

    『200ドル以上返ってきた。タクシーで中心街に向いながら、スポンテイ
     の意志を無視して、事件の為にもう一日費やすだけの金の余裕がある
    と考えた。』

    この作品はこういう細かい点にもちゃんと神経の行届いた描写を書き入
    れています。これが必要なのです。依頼人もいない、金を払う人間もい
    ないのに事件の為に走り回る私立探偵はやはりリアリテイを失うのです。
    警官をやめたアーチャーは生活の為に私立探偵になったのですから正
     義の前にお金が優先するはずです。

   「包帯の上からかぶれるよう、一回りサイズの大きい帽子を買い」,アーチ
     ャーは自分の事務所があるハリウッドに戻ります。そして俳優や芸人の
     斡旋業をしている昔なじみのジョウイ・シルヴェスターを訪ねます。

    ブラウン夫人が殺された時の写真を見せて、見たことがないかと聞きま
     す。写真を見たジョウイは彼女が昔知っていた、アイダホから出てきた
     女優志願のキャロルという娘に似ているといいます。アーチャーはダッ
     クス・モーテルで自分を殴って逃げた男がアイダホ・ナンバーの車に乗
    っていたことを思い出し、もっと詳しいことを聞出そうとします。だが、彼
     の知っているのはそれだけでした。その代り、自分より詳しいと思える
     人物を紹介してくれます。それは当時、ワーナー映画の脚本部にいた女
     の子で、今ではテレビのプロデューサーをしているスザンナ・ドルーでし
     た。

    スザンナ・ドルーはアーチャーには思い出のある女性だったようです。
     二人は他ならぬジョウイのパーテイで知合ったのです。

    『ジョウイのパーテイからスザンナを家へ送って行き、その後は打ち合せ
    て、あちこちのパーテイで会った。話合う事柄が限りなくあった。彼女は
     人間に関する私の知識を、私は彼女の書物に関する知識を吸収した。
    私は彼女の気違いじみたユーモアのセンスに夢中だった。肉体的なこ
     とは、真実の愛情である場合にしばしばそうであるように、もっと後にな
     ってであった。私逹は意識的に先へ延ばそうとしていたようだ。その時
     は二人とも酒を飲んでおり、スザンナが、子供の頃から心の中に鬱積
     していた身の上話をした。父親は若くして妻を失ったカリフォルニア大学
     の教授で、彼女の勉強をきびしく監督した。その父親はすでに亡くなっ
     ていたが、彼女はまだ首筋に父親の呼気を感じるような気持でいた。』

    作者がアーチャーの若い頃の恋について、こんなに長く描写したのは初
    めてです。そして、その恋の結末についてこう書いています。

     『私逹は仲違いし、スザンナはパーテイへ、少なくとも私が行くパーテイ
     へ顔を出さなくなった。その後、結婚したがうまくいかなかった、と聞い
      た。そして、職業婦人の道を歩み、その方は成功した。』

    アーチャーはジョウイの電話を借りて、その場でスザンナに電話します。
    彼女はキャロル・ハーレイという名前を覚えていました。彼女のことが
    聞きたいと話すとスザンナは電話では駄目、オフィスに来てと言います。
    アーチャーは勿論、すぐに駆けつけます。そして、キャロル・ハーレイが
     夫とバルセロナ・ホテルに泊っていた頃に知合ったこと、夫はプロ・ボク
     サーで海軍にいたらしいこと、そして、当時キャロルは妊娠していたこと
     を聞出します。

     アーチャーはそれらの新事実を警察に教えた後、スザンナと一緒に彼
     女のアパートに行きます。二人で飲みながら話している所に電話がか
     かります。その電話は彼女にはショックだったらしく、顔の表情まで変
     っていました。それを見たアーチャーは誰からなのかと聞きますが、ス
     ザンナは「言えないわ」と拒否します。それを聞いたアーチャーは「苦々
     しい思い」で彼女の部屋を去ります。

     夜、電話した時に、もう一度聞くと 「私の下らない一生が追いかけてき
     た」としか答えません。

    こうして、スザンナも事件に関係してくるという設定です。こういう風にア
     ーチャーの過去を絡ませれば色々な設定が出来たはずなのに、ロス・
    マクドナルドはそういう手法はあまり使っていません。12作目のこの作
     品で初めて使ったのです。

    このあと、ヒルマンはハーレイ夫妻の過去を探るべく、バルセロナ・ホテ
     ルを訪れます。遠い昔に閉鎖されたホテルに住む番人は元ホテルの探
     偵で、拳銃をつきつけて、話すことはないとアーチャーを追払います。で
   も、ホテルの前にあるガソリン・スタンドでいい情報を得ることが出来ま
     す。その男を追って行き、さらに次の関係者を見つけ、次第に事件の核
     心に近づくのです。

    ここまでで丁度半分です。しかし、アーチャーは依頼人を失ったままなの
     です。ですが、調査を依頼した、遠方の土地にいる探偵には費用を払わ
     なければいけません。

     『20年近く探偵商売をやって来た現在の総資産は3500ドル前後だ。そ
      れなのに、あれだけ金のあるラルフ・ヒルマンが私に自費で息子探しを
     やらせている。しかし、と自己憐憫に答えた。俺は自分のしたいことをや
      っているのだ。自分を負かした人間に打勝ちたい。トムを見つけたい。
     ようやく手がかりを掴めた今、事件を投出すわけにはいかない。』

     こんな風にぼやくアーチャーは初めてです。そのあと、ヒルマンに会い、
      新たに見つけた事実を伝え、これ以上金のかかることは自費では出来
      ないといいます。それに対して、ヒルマンは 「申し訳ない。気が付かな
      かった」と詫び、2000ドルの小切手を払います。私立探偵リュー・ア
      ーチャー、商売再開です。

    疲れきってアパートに帰ると、家出をしたステラが管理人に事件の証人
    だと言って、部屋に入れて貰っていました。アーチャーはここに置くと彼
     女の両親に未成年者誘拐で訴えられるからと、スザンナのマンションに
     泊めて貰います。

    次の朝、ステラを家に連れて帰るために、スザンナのマンションに行く
     といたのはステラだけでした。男が来て、一緒に食事に出たとステラは
    言います。さらに男の顔は見なかったが、あの声はトムの父親だったと
    告げ、アーチャーを驚かせます。

   ステラを家に送ったあと、アーチャーは隣りのヒルマン家を訪れます。果
     して、いたのはヒルマン夫人だけでした。アーチャーは過去を引きずり
     出そうとして、ご主人は今、スザンナ・ドルーと食事をしていると告げま
     す。すると、夫人はこう答えます。

   『「まあ、」彼女が行った。「あれがまだ続いているの?こんな恐ろしい
     出来事の最中にすらも?」
    「何が続いているのか私には分りません」
    「あの二人は愛人なのよ」苦々しげに言った。「20年間も」』

    やはり、そうだったのかと知ったアーチャーは自分が知っていることを
    話し、夫人からさらに聞出そうとします。夫人はアーチャーが色んなこ
    とを知っているので驚きます。

   『「あなたはどうしてそのように詳しく他人の生活のことがお分りになる
    のかしら?」
    「人々の生活を知ることが私の商売なのです」
    「あなたの熱情の対象でもある?」
    「私の熱情の対象であり、私の妄念の対象でもあるのでしょう。その
         中に住んでいる人間以外に世の中のことはあまり目にとまらない
        のです」』

    この会話のあと、アーチャーは一気に事件の真相を掴みます。トムは
       無事に家に帰り、キャロル・ハーレイを殺し、さらにそれに気づいて脅
       迫して来たその夫を殺した犯人も見つけます。

       小説の最後の場面はアーチャーと犯人の対決です。犯人は彼を買収
       しようとします。ですが、彼は「私はあなたが申出られたようなもので
       は買えません」と答えます。これがこの作品の題名の由来なのだと思
       います。「ドルの向う側」つまり「お金では買えないもの」の存在をさし
       ているのでしょう。
     犯人はそれなら慈悲をと要求します。ですが、アーチャーは「私にはそ
     れだけの慈悲はありません」とそれも拒否します。犯人にきびしい人間
    だと言われたアーチャーはきびしいのは私ではなく、「現実が追いつい
    たに過ぎないのです」と答えた瞬間に、警察の車が到着します。

   [深読みコーナー]

       読み終わったあと、何故か、グレアム・グリーンの「情事の終り」を思い
       出しました。最近、再映画化されてよくその作品の名前が耳に入ってく
       るからでしょうが、どこか似た所があると感じました。これは結局、 あの
       小説と同じように、一つの情事の決着の物語なのではないだろうか。
       そんな気がしました。そういう見方をすれば、結構面白い作品です。

       グレアム・グリーンは自分の作品を「ノヴェル」と「エンタテインメント」の
       二つに分けて発表していたのは有名ですが、ロス・マクドナルドはそれ
       を統合しようとしたのではないかと私は考えています。その辺について
       はロス・マクドナルド編の最後に触れたいと思いますので、ここではこ
       れ以上は言及しません。

       この作品は1965年、つまりこの作品が発表された年のCWA(イギリ
       ス推理作家協会賞)を受賞しています。なお、前作の「さむけ」はこの
       前年に同じ賞の次点に選ばれています。この年のMWA(アメリカ探
       偵作家クラブ賞)の最優秀長編賞受賞作はジョン・ル・カレの「寒い国
       から帰ってきたスパイ」です。アメリカでは1974年になって、やっとM
       WA賞の中で一番わけの分 らない「巨匠賞」しか貰っていないロス・
       マクドナルドですが、イギリスでは評価が高いようです。グレアム・グ
       リーンの作品がよく読まれるような国だからでしょうか。日本でもグレ
   アム・グリーンが好きな読者はロス・マクドナルドが好きなのではない
   でしょうか。

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