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『海外ミステリを読む』(19)

    <ロサンゼルスの探偵達>(その2)

   ロス・マクドナルド編(11)

     「さむけ」1964年(日本語版初版1965年)
                     (小笠原豊樹訳。ハヤカワ・ミステリ文庫)

   [概略]

       実直そうな青年アレックスは、茫然自失の状態だった。新婚旅行の第一
     日めに新妻のドリーが行く先も告げず失踪したというのだ。リュウ・アー
      チャーは見るに見かねて、捜査を開始した。
    ほどなくドリーの居所は掴めたが、彼女は、なぜか二度とアレックスの許
       へ帰るつもりはないという。
    数日後、霧がたちこめ、寒々とした夜。アーチャーは依頼者のアレックス
       を訪ねた。と、そこには、裂けたブラウスを身にまとい、血にまみれた両
      手をふりかざして狂乱するドリーの姿が・・・
    新境地をひらいた巨匠畢生の大作。
                                            (同書・裏表紙より)

     [ストーリー]

      『法廷の窓を覆う赤い模様の厚ぼったいカーテンは、日の光を完全に遮っ
      ていなかった。』

     これがこの作品の冒頭です。このように法廷の場面から始るのは初めて
     です。アーチャーは弁護側の証人として出廷していたのです。

   『証人台の上から、傍聴席の最前列の若い男が私の目にとまった。その青
   年は傍聴席の常連というタイプではなかった。午前中の暇な時間を他人
     のトラブルで埋める家庭の主婦や年金生活者とは違う。この青年には自
     分のトラブルがあるのだ。沈んだ青い目は私の顔を見つめていた。ひょっ
     とすると、そのトラブルをお裾分けしてくれるつもりかもしれないと思い、
     私はなんとなく鬱陶しい気分になった。
   私が証人台から下りると、青年はすぐに立ち上がり、ドアの所で、私の行
     手を遮った。
   「アーチャーさん、ちょっと、お話したいことがあります」』

   この青年が依頼人のアレックス・キンケイドです。警察に行っても相手にさ
      れずに追出されたのだという。話を聞くと、週末を利用して新婚旅行に来た
      のだが、妻がいなくなったのだという。この街の高級ホテルに思い切って泊
      ってみたが、自分が一人で浜で泳いでいる内に妻のドリーは荷物を持って
      黙って出て行ったようだ。考えられる原因はその前に鬚を生やした男がドリ
      ーに会いに来たことだった。
   「私の料金は高いですよ。一日100ドルと他に実費です」
   アーチャーのその言葉にアレックスは一週間分はありますと答えます。

      仕事を引受けたアーチャーは彼女の写真はないのかと聞くと、彼は新聞
    の切り抜きを取出して見せます。それは地元の新聞で「新婚旅行に来た
    夫婦」という記事と二人の写真でした。この設定はいささか無理があるよ
      うな気がします。いくら田舎の新聞とはいえ、新婚旅行に来ただけの理由
      で記事にするでしょうか。

    そのあと、二人は別々の車で彼等が泊ったサーフハウス・ホテルに行き
    ます。ホテル専属のカメラマンから訪ねてきた男は近くの酒屋で働いて
     いるチャック・ベグリーという男だと聞出すとすぐに、その酒屋に向いま
       す。だが、酒屋では2週間前に首にしたという。それでも彼が海岸に住
      む女性の家の居候だと教えて貰い、そこへ行きます。 その家のドアをノ
       ックすると、男が顔を出します。

    『オープン・ネックの黒シャツを着た50がらみの男である。風雨に曝され
     た石のように、頭がシャツの中から突出している。・・・  
     男は握りしめた拳の指関節で頬をこすった。男の顔には昔の揉め事の
     痕跡があった。人の手がつけた痕跡もある。殴打の跡とおぼしき目のま
     わりの隈、小さな物指しのように縫い跡の刻まれているこめかみの微か
     な傷。昔の揉め事の証拠であり、同時に将来の揉め事を約束する兆だ。』

    男はドリーに会いに行ったことを認め、新聞に出ていた写真が自分の娘
    に似ていたので確めに行ったが違っていたと釈明します。アーチャーが
    男と話している間に、アレックスはこの家の女主人からドリーを車の修理
     工場で見たと聞出していました。ドリーはMGを運転していて、年配の女
     性を乗せていたようです。  

     アーチャーとアレックスは早速、その修理工場へ向います。そこで、その
     車の持主はミセス・ブラッドショーで、運転していたのはアルバイトの大学
     生だと教えて貰います。ミセス・ブラッドショーはリュウマチで足が悪いの
     で運転が危ないので、息子が運転をさせないのだそうです。
    息子が大学で補導部長をしているので、その大学の学生を雇うのだとい
    うことです。住所を聞出すと、次にその家に二人で向います。

     『私の車は開けっぱなしの鉄の門を入り、アレックスの車がそれに続いた。
     緑のドアと緑の鎧戸がある白塗りの小さな門番小屋の脇を通り過ぎ、屈
     曲したドライブウェイを辿って、私立ちは植民地時代風の白い家が見え
     るところに出た。』

     その家にいたミセス・ブラッドショーはドリーを雇っていることを認め、
   住まいにしている門番小屋にいるか、学校に行っているかのどっちかだと
    語ります。そこで、アレックスが確めに門番小屋に行きます。彼は彼女の
   姿はなかったが荷物は間違いなく彼女のものだと言います。そこで、ア
   ーチャーはアレックスに先に行って、モーテルに部屋を二人分確保してお
   くようにと頼み、自分は大学に向います。

     大学に行ったアーチャーはブラッドショー補導部長が会議中なので、女
     子学生の補導部長のローラ・サザーランドに会い、ドリーが図書館でア
     ルバイトしてる最中だと聞出します。アーチャーは図書館に行こうとしま
      すが断られ、ドリーをこっちに呼ぶことになります。

     呼ばれて来たドリーは二人の補導部長と共に部屋に閉じ篭り、アーチャ
     ーは待されます。待っている間にヘレン・ハガテイという女性と知合いま
      す。彼女はこの大学の教授で、ドリーの主任教授でもあるようです。

     そのあと、アーチャーはドリーと話しますが、彼女はアレックスを傷つけ
      たくないので彼のもとには帰らないと言って立去ります。駐車場に戻っ
      たアーチャーをヘレン・ハガテイは待っていました。彼女はドリーのこと
      を話して上げるから家に来ないかと誘うのです。アーチャーはその誘
      いに乗って、彼女の車のあとからついて行きます。

     彼女は1ヶ月前にこの街に来たばかりだということで、家の中に家具が
     殆どありません。彼女はドリーのことよりも、自分が脅迫されているので
      守って欲しいと言い出します。でも、アーチャーは先約があると説明しま
      す。すると彼女はその先約よりもっとお金を出すからと頼みます。

     『「誰があなたを殺す気なんです、ヘレン?」
     「誰だか分らないわ。でも脅迫されたの」
     「脅迫?」
     「電話でね。声に聞覚えはなかったわ。男だか女だか分らない声なの。
      男でも女でもないみたいな声」ヘレンは身震いした。
    ・・・・
      「何かドリー・キンケイドと関係のあることですか」
     「あるかも知れないわ。よく分らないけど。いろいろ事情がこみいってい
       るのよ」
     「そのこみいった事情とやらを聞かせて下さい」
     「語れば長い話なのよ」と女は言った。「そもそもの始まりはブリッジトン
       ね」
     「ブリッジトン?」
     「私が生れて育った町よ、その町で何もかもが起ったの。私は逃出した
     けど、夢の風景からは逃げ出せない。私の悪夢の舞台はいまだにブ
       リッジトンなのよ。私を殺すと言って脅迫した電話の声は、追い掛けて
      くるの声だわ。過去から話しかけてくるブリッジトンの声なんだわ」
     ・・・・・
     「どのへんです、そのブリッジトンというのは?」
     「イリノイ州、シカゴの南」
     「そこで何もかもが起ったと言いましたね。それはどういう意味です?」
     「肝心なことは何もかも、ということ。それが始ったと気づいたときには、
        もう何もかも終ってしまっていたのよ」』

     このあと、アーチャーは先約があるので、そっちを片付けてからまた戻
       って来ますと答えて、その家を出ます。そして、アレックスが予約した
      はずのモーテルに行きますが、彼は部屋を取ってから、すぐ外出したと
       ボーイに聞かされます。
     ホテルを出ようとしたアーチャーは二人の写真を写したカメラマンを訪
       ね、現像を頼んであった写真を受取り、その時にチャック・ベグリーは
       10年前に自分の妻を殺したトマス・マギーだと教えて貰います。ドリー
       の旧姓もマギーですから彼は本当に父親だったのです。

     そのことを確めにアーチャーはチャック・ベグリに会いにいきますが、
     居候していた女性の家から出ていってしまっていました。

    次にアーチャーは再びブラッドショーの家へ行きます。門番小屋に入
     ると、そこにはこんな光景が待構えていたのです。

    『二人は小さな居間のソファ・ベッドに腰掛けていた。青年は両腕で女
    を抱き寄せていたが、それは家庭的な情景ではなかった。女は青年
      に逆らい、その抱擁から逃れようとしていたらしい。それは精神病院
      の看護婦が、なんとか拘束衣なしですませようと、何時間もかかって
      狂暴な患者を取り押える図に似ていた。
    女のブラウスは裂けて、片方の乳房が殆ど露出している。髪を振乱し
    た頭がこちらを向き、顔が見えた。うつけたような顔が、表情も変えず
      に私に向って叫んだ。
   「出てって!」
   「私がいる方がいいでしょう」と二人に向って私は言った。』

   アレックスがこの部屋にいると、ドリーが走って来て、そのあとまた出
     て行こうとしたので止めたのだというのです。ヘレンが死んで、それは
     私のせいだとドリーは叫びます。

    『若い女は単調なモノローグを始めた。あまり早口で、しかも曖昧だか
    ら、殆ど意味を追うことはできない。何でも、ドリーは悪魔でありド
      リーの父親も悪魔であり、ヘレンの父親も悪魔であり、父親同士は
      殺人の盟約を結んでいるから、ドリーとヘレンは血をわけた姉妹に
      あたり、その血をわけた姉妹をドリーは裏切り、殺させてしまった、
      というようなことである。』

   ドリーに精神病の発作の兆候を見たアーチャーは医者にみせた方がいい
     と判断し、アレックスにこの町に知合いの医者はいないかと聞くとドリ
     ーが自分からはっきりと精神病院に行くのはいやだ、ずっと前にみても
     らった医者(名前はゴッドウィン)がこの町にいるからその人がいいと
     言出します。
   アーチャーは早速、母屋で電話を借りてドクター・ゴッドウィンに往診
     を依頼します。ゴッドウィンはついさっきまでロイ・ブラッドショーと
     一緒に夕食会に出席していたらしく、先約を済ませたら伺うと答えます。
     丁度、その時にブラッドショーが帰って来たので、アーチャーはドリー
     をアレックスに任せて、ブラッドショーと一緒にヘレンの家に向います。

   ですが、二人がそこで発見したのはヘレンの死体でした。すぐ警察に
   連絡します。そして、ここから警察が登場しますが、ドリーはゴッドウ
   ィンの療養所に入ることになり、警察の手からは守られることになり
     ます。

    あとは例によってアーチャーの事件の究明に入るわけですが、今回は
   アレックスの父親に解雇されると、「自腹を切って続けるつもりはない」
     といい、雇ってくれる人間を探したりもします。「私には独力で調査を続
     けるだけの経済力がないんです。それに、そんなことをやっていては商
     売になりませんしね」と訴えたりして、細かい点にも神経が行届いた構
     成です。本人も自信があるようで、こう書いています。

  『巻頭の数章は書上げるのに数ヶ月を要し、7回も8回も書き直した。中
     心となるプロットは思いついていた。これは私が考えついた個別のプロ
     ットの中で最もしっかりしたものの一つだった。だが、作品全体の展開
    を想定せぬかぎり、納得のいく第1章は書けないことに、私は気づいた。
    私のペンが、ノートブックの横罫のページをおぼつかなげに走るにつれ
    て、次第に記憶と想像力が、カリフォーニア(アーチャーのいつものスタ
    ート地点)からリノへ、さらにイリノイ州へとのびる関連人物たちの織物
     を編み始めた。』 (小鷹信光訳)
     (HMM・1983年11月号「ロス・マクドナルド追悼号」より)

   舞台を彼がよく知っている大学という世界に設定した為もあって、プロッ
    トもしっかりしています。詩を小道具に使っても不自然さを感じない舞台
    が生きている気がします。  実は、ここに引用したヘレンとドリーの、意
    味不明の告白が事件の真相をすべて語っているのです。最後まで読む
    とそれが分るという仕掛けです。

   [深読みコーナー]

    (1)ヴェルレーヌの詩について

       アーチャーがヘレンの父親に会いに行った場面で酔った父親が「ほら、
       読みなさい。かわいそうなヘレンには、これだけの才能があったんだよ」
       と言って、雑誌に載った詩をアーチャーに見せます。

      秋の日の
      ヴィオロンの
      ためいきの
      身にしみて
      ひたぶるに
      うら悲し     (上田 敏訳)

       元警官だった、ヘレンの父親が娘の死を悲しんで、彼女が10代に訳
       したヴェルレーヌの詩を読んでいるという光景は唐突であり、違和感
       があります。

       ロス・マクドナルドは何故、ここにヴェルレーヌを持出 してきたので
      しょ う。 私が最初に思いついたのはヴェルレーヌとアルチュール・ラ
      ンボーとの禁じられた愛からの連想で、父親の娘に対する禁じられた
      愛を匂わせたのかなということですが、それなら引用する詩はこの詩
      でなければいけない筈です。

      都に雨のふるごとく
      わが心にも涙ふる
      心のそこににじみいる
      この侘しさは何ならむ  (鈴木信太郎訳)

    あと一つ考えられるのはこの詩に纏わるエピソードです。第二次大戦
    の時、連合軍のノルマンディ上陸作戦の決行日を伝える暗号にこの詩
       が使われたのです。ラジオでこの詩が朗読されたら、上陸作戦が始る
       と決められていたのです。ハリウッドの男優を総出演させた「史上最
       大の作戦」の大ヒットで、このエピソードはヴェルレーヌという詩人
       の存在さえ知らなかったアメリ カ市民にその詩と作者を教え込んだの
    です。 この映画は1962年の製作です。そして、「さむけ」は19
       64年の出版です。つまり、ロス・マクドナルドは映画の人気に便乗
       したのではないでしょうか。作品に大衆性と話題性を盛込み、少しで
       も売行きをよくしようとしたのではないか。そんな気がします。

    この詩のフランス語の原文はこうです。

         Les sanglots longs
         Des violons
             De l'automne
         Blessent mon coeur
         D'une langneur
             Monotone

     この作品での英訳はこうです。これがロス・マクドナルドの訳かどう
    かは分りません。

      When the violins
      Of the autumn winds
      Begin to sigh
      My heart is torn
      With their forlorn
      Monotony

    (2)題名について

        CHILLという言葉を名詞として使う場合は「冷気」、「悪寒」 
      「冷淡さ」という意味のようですが、この作品の関連の中で言えばよ
       く分らないのです。ある特定の登場人物をさしているのか、あるいは
       作品全体をさしているのか、作者は書いていないのです。私はこの作
       品を日本語訳で読み、気になる部分だけを原文でチェックしたので、
      原文すべてに目を通していません。したがって、見落 しがあるかも知
      れませんが、作者は作品の中で「CHILL」という単語を使ってい
      ないのではないかと思います。

      作者が題名と関連させているのではないかという個所は二つありま し
       た。 その一つは最初の方の、アーチャーとヘレンの会話の中です。

      「あの子も情報網の一環ね。あの子のことだったら、髪の毛が逆立つほ
       ど恐ろしいことを私は知ってるのよ」
      「話してください。前から髪の毛を逆立てたくてたまらなかったんです」

       この会話は原文ではこうなっています。

      “She's one of them. I could tell you things about that
         girl that would curl your hair.”
      “Go ahead. I've always wanted curly hair.”

      もう一個所はラスト近く、アーチャーがある関係者の話を聞いたあとで、
       こういう描写があります。アーチャーはこの瞬間、犯人が誰か分ったと
       いう場面です。

      「蜘蛛の濡れた足のようなものが私のうなじを走り、一瞬、髪の毛が逆
       立った。」

       “Something that felt like a spider with wet feet climbed up
         the back of my neck into the short hairs and made them
         bristle.”

       この2箇所では表現は違いますが、同じような意味だと思います。題名
       も、ここと同じようなことを言っているのではないでしょうか。
                (原文はRandom House社版から引用しました)
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