「海外ミステリを読む」(60)

 
     
 

(私立探偵アルバート・サムスン・シリーズ6)

「季節の終わり」(1984年作)

  (1989年・石田善彦訳ハヤカワ・ポケット・ミステリ1532)
  (1996年・石田善彦訳・ハヤカワ文庫)

 若く美しい女性がハンカチを片手に持って、サムスンの事務所を訪れます。そして、内気そうに口ごもりながら、「お願いしたいことが・・・」と訴えます。サムスンは彼女に「中に入って、詳しい話を聞かせて下さい」とやさしく答えます。すると、彼女は「どうもありがとう」と言って、眼のふちをハンカチで押さえます。こうして二人は奥の部屋に入って行きます。

 この作品はこんな風に始まります。いつものサムスン・シリーズらしくないので、読者は「おや?」と首をかしげるでしょう。が、次の瞬間、その女性が部屋から出てきて、カメラに向って話し始めます。

   「わたしたちはみな、私立探偵のもとに新しい事件が持ち込まれる場面
    としてこのようなものを想像します」

 つまり、最初の場面はテレビ用の演出だったのです。依頼人を演じたのは地元テレビ局のニュースキャスターで、名前はタニア・ウィルカースン。サムスンが彼女の番組で紹介されている場面だったのです。ローカル局の「街角の話題」として4分程の出演です。

 キャスターはこんな紹介をします。

   「最近では、私立探偵のほとんどは大規模な探偵社に所属することが
    多くなりました。わたしたちはこのインデイアナポリスに昔ながらの探
    偵の種属の一人が生き残り、元気に活動を続けていることを知りまし
    た。アルバート・サムスンは人間の邪悪さという迷宮のなかで誇り高
    き孤独の道を歩み続けているのでしょうか。それとも現代の私立探
    偵はかってのような華々しいものではなくなっているのでしょうか?」

 フィリップ・マーローやリュー・アーチャーの時代は遠い昔の話になり、私立探偵は今ではオオタカやカブトガニと同じように絶滅の危機に瀕している珍しい種属になったというのです。そんな珍しい職業に今でも従事している人を街の人々に紹介するという番組に取り上げられたのです。日本のテレビでも良く見かける企画です。継承者のいなくなった伝統工芸のただ一人の老人を紹介するといった部類の番組です。局の企画ですからサムスンはカメラの前に立てばいいだけですので、引き受けたに違いありません。無料で宣伝してくれるなら断ることはないだろうと思ったのでしょう。

 自分でも放映を見たサムスンは注文が殺到するかも知れないと期待しながら待つことになります。実際に番組の中でキャスターから「もしもこの番組をごらんの視聴者の中に貴方の助けを必要とする方がいたら、その方の仕事を引き受ける余裕がありますか?」と訊かれたサムスンは「勿論です」と答えました。演技にも失敗はなかったから、仕事の注文が舞い込むはずだと思ったのでしょう。一方ではいたずら電話も覚悟しています。そのことでも、タニアから警告を受けていたのです。

 次の日、三本の電話がかかってきます。そのうちの一本はいたずら電話でしたが、あとの二本は仕事の依頼でした。最初の電話の主はダグラス・ベルターと名乗り、個人的な問題で相談したいということで、六時に事務所へ出向いてくる約束をします。次がいたずらで、三番目の電話の主はノーマル・ベイツと名乗り、仕事の件で話し合いたいので三時に自宅に来て欲しいと言いました。ほかに仕事のないサムスンは両方共にYESと答えたのは言うまでもありません。

 サムスンが午後三時に訪れたノーマル・ベイツのマンションは12階建ての高層ビルで、街を見下ろす場所にあります。ベイツは76歳の老人で、依頼というのは彼の友人の孫が家出をしたので見つけて欲しいということでした。名前はランス・ウィストックで二十六才。「社会の屑のような人間達」と付き合い、怪しげな場所に出入りしているらしいというのです。そんな彼を探して、どんな様子なのか見て欲しいということでした。

 卑しい街に行き、ドロップアウトした上流階級の若者を、孤独に、そして誇り高く、探しだせというのですから、まさに私立探偵らしい仕事と言えます。私立探偵は街のいかがわしい場所に常に出入りし、よく知っているに違いないというわけです。サムスンは前金の小切手を貰って辞去します。

 二人目の客のダグラス・ベルターは約束の六時きっかりにサムスンの事務所に現れます。彼はこの街の上流階級に属するベルター一族の人間で、銀行の経営者でした。彼は妻のローラとの結婚二十五周年の記念にヨーロッパ旅行に行こうと思いパスポートを申請したら、妻の出生証明書が無効なものだったので、パスポートの発行を拒否されたというのです。二人は海外旅行をしたことがないので今まで気が付かなかったようです。その出生証明書は妻が自分の母親から渡されたものだったのです。何かの間違いに違いないと思ったベルターは自ら出生証明管理事務所に行って、調べて貰ったところ、ポーラが生まれたとされる日の前後三年の間ポーラと言う名前の女性の記録はなかったのです。残る手段はポーラの母に直接問い質すことです。ベルターはそれも試みたというのです。ところが、ポーラの母は八十七才という老齢のために完全看護の病院に入院していて、意味のある答えを訊きだすことが出来なかったのです。それで、サムスンに電話したのでした。

 サムスンは最初にポーラの母、エラ・マーチスンが入院している老人ホームを訪れます。ですが、彼女は誰かが自分を毒殺しようとしているなどと口にして、まともに話を出来る状態ではありませんでした。

 サムスンはポーラの名前が出生証明管理事務所になくても、同じ日に生まれたとして届けられている女の子はいないだろうかと思い、その事務所に行き、係りの男に二十ドル紙幣をつかませて、ポーラと誕生日が同じ女性を全員ピックアップしてもらいます。マーローやアーチャーの時代とは違い、もうコンピュータ時代ですから、そんな作業はあっという間に出来ます。その結果はたった一人でした。出産した女性はデイジー・ワインズ。子供の名前はポーラ・ヘレン・ワインズ。住所はエラ・マーチスンの当時の住所と同じでした。つまり、ポーラの母は本当の母ではなく、養い親だったということです。

 その夜、サムスンはベルター家を訪れ、ポーラと初めて会います。そして、その席には東洋人の家政婦も同席します。一緒に酒を飲んだりして、家族同然の扱いでした。彼女の名前はタマエ・ミツキ。日本人です。サムスンは三人に昼に探りだしたことを報告します。聞き終わったポーラはショックを受け、夫に抱えられるようにして、部屋から出て行ってしまいます。

 しばらくして夫のダグラスだけが戻ってきます。このあと、どうするかはポーラの問題です。彼女がいなければ何も決められないので、サムスンは帰ることにして玄関に向かいます。その時、ポーラが自分の部屋から出てきて、本当の母を捜して下さいと言い出します。

 こうして、サムスンはデイジー・ワインズという女性を探すことになります。彼女は何者なのか。どんな人生を生きたのか。今はどうしているのだろうか。死んでしまったのか。あるいは生きているのだろうか。生きているとしたら、どこでどんな生活をしているのだろうか。ポーラの出生日が1936年ですから、間に戦争が挟まっています。デイジー・ワインズはどんな状況で、ポーラを産み、手放したのだろうか。サムスンはそれを追って走りまわります。依頼人の秘められた過去を追う。それは前作以上にロス・マクドナルドの世界です。

 サムスンが調査を開始すると、エラ・マーチスンが病院で亡くなります。心臓発作だと判断した病院は普通死として処理してしまうのですが、疑問を抱いたサムスンはミラー警部補をたきつけて、検死をさせます。その結果、彼女は枕を顔にかぶせられた状態で麻酔注射をうたれたのだということが判明します。病死を装った殺人です。

 このあたりから過去は現在に繋がり、事実が明るみに出てくるという仕掛けです。無関係だと思われた二つの仕事も無関係ではなく、サムスンがタニア・ウィルカースンをミラーに紹介したためにミラーがすっかり彼女を気に入り、そのお礼として今回は簡単にサムスンに協力するというエピソードもありますし、日本人が登場するので大戦中に日本人が強制収用所に入れられた事実など日系アメリカ人の世界も描かれます。さらに失踪人課のリーロイ・パウダーも登場し、協力してくれるという盛りだくさんの脇のエピソードも出来がよく、作品を底支えして、充実した作品に仕上がっていると言えるでしょう。

[深読みコーナー]

 ミラーとパウダーの両方が登場し、それぞれがサムスンに協力してくれる設定はこの作品が始めてですが、それには伏線として、この作品の前に発表したパウダー・シリーズの二作目の「刑事の誇り」があると思います。このシリーズ一作目では夜勤専門だったパウダーをサムスン・シリーズの「消えた女」で、こっそり失踪人課に配置替えしておいて、「刑事の誇り」でもそれを継承し、さらに発展させ失踪人課の課長にしています。そして、新たに部下のキャロル・フリートウッド刑事を登場させて物語に華を添える設定にしています。仕事中に銃で撃たれたフリートウッドは車椅子に乗って出勤して身障者刑事です。お互いに頑固者同士のやりとりがこの作品の主軸になっています。

 「刑事の誇り」では別居していたパウダーの息子が一時的に父親と同居する設定です。電話会社に勤める息子のリッキーが盗聴事件に加担しているのではないかと疑うパウダーは密かにサムスンに調査を依頼します。その調査費用をサムスンがパウダーに請求せずに無料にしたエピソードが伏線として敷かれています。そのためにサムスンとパウダーの関係も良好な状態にあるという設定を「季節の終り」でも引き継いでいるのです。作者はこのように登場人物をそれぞれのシリーズに分けながらも、設定は踏襲する方法を取っています。

 「刑事の誇り」(田口俊樹訳)の解説は作家の都筑道夫氏が書いていますが、その中に気になった文章があったので、少し触れて見たいと思います。この方もサムスン・シリーズよりもパウダー・シリーズの方が好きだという派です。

   『リューインは会話はうまいが、風景描写はうまくない、というひともいる。』

 彼の解説の中にこういう一文があります。実はリューインは「A型の女」を出版してすぐ一家を上げてイギリスに渡ったのです。「A型の女」は1971年作で、この「刑事の誇り」は1882年ですから、インデイアナポリスを離れて10年経つわけです。だからもう忘れたり、変わったりしているので書けないのではないかと解説者は言っています。

   『二十数年、見ていないとすると、インデイアナポリスも変わっているだ
    ろう。街の様子を書かないのではなく、書けないのかも知れない。』

 「二十数年」というのは都筑氏の勘違いでしょう。何故なら、氏が解説を依頼されたのは1995年の文庫版だったからです。つまり氏がこの原稿を書いたのが、「Aが型の女」が出てから二十年後なので、勘違いされたのでしょう。実際はイギリスに渡って十年後です。十年経てばどんな街でも変化はあるでしょう。しかし、資料は手に入るはずですし、帰国した形跡もありますので、書こうと思えば書けたはずです。私はリューインという作家は風景にあまり興味がないのだと思います。だから、あまり風景描写に力を注がないのだと思います。自分の作品というものは、自分では本当はよく分からないものです。他人から指摘されて、初めて気が付くものです。もっとも指摘されたからと言って、それを是正するとは限りませんが・・

 リューインも人から指摘されて初めて、自分がインデイアナポリスという街の描写をあまりしてなかったことに気が付いたと思います。私から言わせれば彼は書けないのではなく、書く気がないのだと思います。

 風景は描き込んでいなくても人物は深く描いていて、「刑事の誇り」の出来はいいし、その好調を「季節の終り」まで持続させています。「季節の終り」は前作「消えた女」と並ぶ、このシリーズの代表作となるでしょう。

 だけど、たった一箇所に欠点があります。設定に一箇所だけ無理な部分があるのです。そして、それは最後まで読まないと分からない仕掛けになっています。しかし私にはこれもリューイン独特の「ひっかけ」ではないかという気がするのです。つまり、わざと読者に「それはないだろう」と指摘されそうな設定をしたのではないかといういうことです。作者はそんな風に思った読者に対して、「だけど、あんたはもう最後まで読んだんだよ」と言って、にやりと笑っているのではないでしょうか。表面だけしか読めずに、作者が設定ミスを犯したとしか思えない読者には内心で「馬鹿な読者だ」と一人嘲笑しているような気がします。いかにも「アイアンマウンテン報告」の作者の息子らしいやり方だと私は思っています。

 このように冒頭とラストで私立探偵小説の約束事を逆手に取って、自分流に料理した手腕に私は拍手を送りたいと思います。作品の完成度から言えば、この作品がシリーズの中のベストだろうと思います。

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