「海外ミステリを読む」(59)

 
     
 

(私立探偵アルバート・サムスン・シリーズ5)

「消えた女」(1981年作)

  (1986年・石田善彦訳ハヤカワ・ポケット・ミステリ1477)
  (1994年・石田善彦訳・ハヤカワ文庫)

   『その女性は美しかった。眼の覚めるような美しさだった。』

 この作品の冒頭の文章です。快調な出だしです。前二作の「その日は一日競馬でつぶした」(「内なる敵」)や「朝食後三十分間は金勘定をしてすごした」(「沈黙のセールスマン」)に比べて、私立探偵小説らしくなってきました。

 サムスンは美人の依頼人が来たものと早合点して喜びますが、彼女は寄付を求めて来ただけだったのです。恵まれない子供たちのために保育所を作るためだと泣き言を並べられたサムスンは最後の五ドル紙幣を寄付してしまいます。伏線を敷いてあるのかも知れないと思って、(それが私立探偵小説の伝統でもありますから)その先を読んだのですが、とうとうその女性は最後まで出てきませんでした。見事に一杯食わされました。

 残り少ない貯金の中の五ドルを失ってふさぎこんでいるサムスンの事務所に、また一人の女性が現れます。

   『ベージュのスカーフをかぶり、地味な薄手の灰色のコートを着た
    三十才くらいのふっくらした体つきの女性が立っていた。』

 彼女はエリザベス・ステットラーと名乗り、大学で仕事を探すためにこの街に来たばかりだと告げます。で、彼女の依頼というのは同じこの州内に古い女の友達がいるので、ついでに会いたいと思って連絡したら、電話口に夫が出て、妻は二ヶ月前に家出したので、ここには居ないと言うだけで事情も説明してくれない。彼女が心配だから調べて欲しいということでした。ここからは勿論、伏線が敷いてあります。

 探す相手の名前はプリシラ・ピン。夫の名前はフランク。住んでいる町はナッシュヴィル。お金のないサムスンはすぐ引き受けます。一日で終わる仕事だし、現金払いだったからです。彼女は五十ドルを置いて帰ります。これで美しい女性に奪われた五ドルは回収したことになります。

 その日の午後にサムスンは車でナッシュヴィルに向うわけですが、問題はこのナッシュヴィルなのです。ナッシュヴィルと聞けば私なんかはカントリー&ウェスタンのメッカとしての、あのナッシュヴィルを思い浮かべ、ハンク・ウィリアムやウィリー・ネルソンの歌声が聞こえてくるような気がするのですが、あれはテネシー州の筈です。ところが、よく読んでみるとこの本にはこう書いてあるのです。

   『「わたしには、インディアナ州に住んでいる友人がいます」彼女は
    いった。「ブラウン郡のナッシュヴィルに住んでいます」』

 私はアメリカの地理に詳しくないので、インディアナ州ブラウン郡のナッシュヴィルという町が実在するのかどうか知りません。二つのナッシュヴィルが存在するのか、それともエド・マクベインが創り上げたアイソラのようにリューインが創り上げた町のどちらかでしょう。出版社は「沈黙のセールスマン」の文庫版を出す時に、解説を東理夫氏に書かせていますが、むしろ、この作品の解説をお願いすべきだったと思います。アメリカの地理とカントリー・ミュージックに詳しい東氏が二つのナッシュヴィルについてどう解説するか読んでみたいものです。

   『六月のブラウン郡も、とても素晴らしい。ナッシュヴィルは郡庁所
    在地で、郡内の観光産業の中心地である。』

 この小説の舞台になるナッシュヴィルはインディアナポリスから一時間ちょっとで行ける町のようです。

 ナッシュヴィルに着いたサムスンは早速保安官に会いに行きます。保安官の名前はジェアンナ・ダンラップ。女性です。保安官の話ではプリシラ・ピンは二ヶ月前に家出したと夫から届けが出ているというのです。夫は彼女が家出する際に五十ドルを持ち逃げしたと訴え、彼女には逮捕状が出されていました。さらに、彼女はビリー・ボイドという男性と一緒に町を出たらしいと聞かされます。二人が交際していた様子はないのですが、同じ日に姿を消しているし、彼は以前にも別の女性と駆け落ちした過去があるからです。ビリーは画廊を経営していて、最近死んだ母親から広大な土地を相続した実業家なのです。 

 サムスンはまずプリシラ・ピンと親しかったという女性画家(シャロン・ドーンズ)に会いに行きます。シャロンはプリシラ・ピンは夫を愛していなかったが、ビリーと計画的に駆け落ちしたとは思わないとサムスンに告げます。小さな町なので、お互いに他の住人についてよく知っています。

 最後にサムスンはプリシラの夫のフランクに会います。場所はフランクの弁護士のデヴィッド・ホーグの事務所です。サムスンは母親の遺産を相続して金持ちになったビリーが町から出て行った理由が納得出来ないとフランクに言いますと、彼はこう答えます。

  「ビリーはしばらくこの町を出るための口実に飢えていて、それと同時
   にわたしの妻をものにすることが出来るなら、あのちびの女たらしに
   は絶好のチャンスと思えたに違いない」

 それに対して、サムスンはすかさずこう訊ねます。

  「なぜ彼は町を逃げ出そうと考えたのです?」

 すると、フランクはこう答えます。

  「町の人間はみな、彼が母親を殺したと考えているからだ」

 サムスンはこうしてこの事件が単純な家出ではなかったと知ることになります。その事実を車にのせて、インディアナポリスに戻り、依頼人が教えてくれた番号にかけて、報告に行こうと申し出ます。が、依頼人は彼に来て欲しくないらしく、私が事務所に行くと答えます。

 事務所にやってきた依頼人にサムスンは今日一日で知ったことを話します。ですが、彼女は信じられないと答え、今後どうするかは今晩ゆっくり考えると言って事務所から出て行きます。サムスンは彼女のあとをつけます。すると、彼女は駅前のみすぼらしいホテルに入って行きました。職探しに来たのですから裕福ではないのは明らかなのに、それを隠すところが変だとサムスンは感じたようです。

 その夜遅く、寝ているサムスンに彼女は電話をかけてきます。

  「明朝、わたしのために時間を空けておく必要はありません。わたしは
     明日の朝早く東部に帰ることに決めました。あなたへの調査の依頼が
   今日で終わったことを正式に通知しておくべきだと考えたのです」

 それに対してサムスンは「そうですか」と冷静に答えます。すると、彼女はさらにこう続けます。

  「率直に言って、あなたの推測の一部は信じがたいものでした。わたし
   としてはあなたがこの調査を長引かせるためにあのような考えを持ち
   出したと判断せざるをえません。このまま調査を続けるのはお金の
   無駄づかいだと思います」

 こんなことまで言われたサムスンですが、「分かりました」と答えただけでした。マーローなら一言言う場面です。アーチャーでもこうは終わらないでしょう。私はこの場面にサムスンの本当の姿があると思います。怒りを自分の中に閉じ込めてしまう男は本当は冷酷なのです。他人からはそうは見えないだけです。女の嘘を見破ったあとに男の本当の姿が見えるものです。マーローやアーチャーよりも女に甘くないのがサムスンかも知れません。 

 こうしてサムスンは依頼人を失います。それは同時に、この事件と縁を切ることになるはずでした。ですが、それから四ヶ月後にビリー・ボイドの死体が発見されたことによって変わってきます。彼の死体は森の中に埋められていたのをキャンプに来た人によって偶然発見されたのです。ですが、一緒に逃げた筈のプリシラ・ピンの死体はありませんでした。

 ビリーの死は何故かサムスンを動かします。最初は「軽い興味」を感じただけでしたが、色々考えている内に「自分が関係者の立場」に置かれていることに気が付くのです。「もし彼が最初から死んでいたとすれば」と考えたからです。そうなると、事件は最初から失踪事件ではなく、殺人事件だったわけです。従って、駆け落ちではなくなるのです。サムスンは「ナッシュヴィルに行かなくては」と感じて、事務所に鍵をかけ、留守番電話をセットして車に乗り込みます。依頼人はいないのですから、ガソリン代も自費ということになります。言ってみればボランテイアです。

 ここから面白くなってきます。最初からビリーが自分から失踪したのではなく、殺されて森に埋められていたとすると、状況は一変します。二人の駆け落ち説は消滅します。では本当はナッシュヴィルで何があったのか。ビリーは何故殺されなければならなかったのか。プリシラ・ピンもビリーの近くに埋められているのか。それとも、彼女は一人で町から出て行ったのか。

 しかし、ナッシュヴィルに着いたサムスンを待っていたのは、思わぬ展開でした。保安官達がしていたのはプリシラ・ピンの死体の発見の作業であり、彼女の夫のフランク・ピンの逮捕でした。ビリーとプリシラを殺した容疑だというのです。それにはプリシラの死体がなければいけないから探していたのです。

 フランクの弁護士のデヴィッド・ホーグはプリシラ・ピンが生きていることを証明すればフランクの無罪の証明にもなると考えて、サムスンを雇うことにします。サムスンはエリザベス・ステットラーがすでにプリシラを見つけているかも知れないから、エリザベスを探す必要があるとホーグに告げます。

 ここからサムスンはフランクとピンの過去へと本格的に入り込んでいくわけです。同時にエリザベス・ステットラーの捜索という三本柱で、物語はクライマックスへと登りつめて行きます。これまでの作品にあった中途半端さがなくなり、ロス・マクドナルドを読んでいるような錯覚を覚える程です。作者は、以前の四作品では、ロス・マクドナルド的展開を嫌っていたのではないでしょうか。それで自分らしさを出そうとしたが、それがうまく行っていなかったような気がします。それに比べて、この作品は気負いがなくなり、今までで最高の出来に仕上がっています。

 この作品の成功の理由の一つが、別シリーズで書いていたリーロイ・パウダーを登場させたことだと思います。パウダー・シリーズの一作目の「夜勤刑事」にはサムスンを登場させていたのですが、こっちのシリーズでは、これまでパウダーは登場させてなかったのです。

  パウダーはインディアナポリス署の夜勤勤務から失踪人課に移動になっているという設定です。エリザベス・ステットラーを探す手掛かりをミラーから得ようとサムスンは署にいきますが、彼は休暇でネブラスカに行って留守でした。それで、仕方失踪人課に行ったら、そこにパウダーがいたわけです。

 しかし、パウダーは相変わらずの毒舌でサムスンをからかいます。

  「驚いたな、私立探偵がおれたちに依頼人探しを頼みにくるとは」

  「依頼人がオフィスに殺到して見失うほど繁盛していたとは知らなかった」

 挙句の果てに、事件が起こってから来いと言って、サムスンを追い返してしまいます。口ではそう言ったけれど、パウダーは密かにサムスンに依頼されたことを実行するのです。こうして、今回はミラーの代わりにパウダーが色々な便宜を図ってくれることになります。

 サムスンと会えば喧嘩腰のパウダーですが、アドヴァイスしたり、調査してくれたりと,意外に親切なのです。二人のやりとりが、これまでの作品にあった停滞を霧散させているような気がします。サムスン・シリーズがパウダー・シリーズに似てきたという表現も出来るでしょうか。

 消えた女を追うサムスン。彼女は何故、消えたのか。そして、どこに行ったのか。それがこの作品のすべてです。文庫版の解説で瀬戸川武資氏はこう書いています。

   『もつれた糸のように複雑な人物の過去にさかのぼって解きほぐして
    いくあたりは、まさにロス・マクドナルドであり、人物の一人ひとりがロ
       ス・マク風の悲劇的陰翳を帯びている。その人間性の把握も見事な
       ものだが、この部分はわたしはさほど感心しない。リューインの筆致
       にはロス・マクとは異なる澄み切った明るさがあるからで、なにも無
       理をして悲劇の方向に向わなくてもいいと思うのだ。』

 私とは少し意見が異なるようです。好みの違いと言えばそれまでですが、私から見れば、これまでの作品は「澄み切った明るさ」しかなく、「人間性の把握」が少なかったから不満だったのです。炭酸の抜けたソーダみたいでした。でも、この作品は違います。これからもこの作品のように、「無理して悲劇の方向に」向うべきだと私は思っています。

 このあとに続く文章については同感です。

  『だが、そうした文句もインディアナポリス警察失踪人課のリーロイ・パ
   ウダー警部補が登場すると、あっさり消えてしまう。パウダーは、言う
   までもなくリューインの「夜勤刑事」「刑事の誇り」の別シリーズの主役
   である。およそタイプの異なる二人のヒーローの交錯するこの楽しさ
   は、他の作家ではなかなか味わえない。』

 結論は、この作品はこれまでの中では最高の出来だと言っても過言ではないということになるでしょうか。

[深読みコーナー]

 「表と裏」(原作1980年・日本語版2000年・田口俊樹訳・ポケミス1688)

 サムスン・シリーズ四作目の「沈黙のセールスマン」と、この五作目の「消えた女」の間に「表と裏」という作品がありますので、少し触れておきたいと思います。

 リューインの作品の中で、これが一番評価の難しい作品だと思います。ハメットやロス・マクドナルドのように、今後新しい作品が書かれるということがない作家と違い、リューインは現役の作家であり、これからもサムスン・シリーズの新しい作品が出る可能性もあるわけです。従って、「表と裏」という特殊な作品の評価は今後の作品によって評価が変わりうる作品だからです。

 この小説の主人公はインディアナポリスに住む、ウィーリー・ワースというミステリ作家です。一人娘は結婚して、他所の町で暮らしているので、現在は奥さんと二人暮らしです。実生活では夫婦の共通の友人の夫が殺されるという事件が発生し、ワースは探偵ごっこをして事件の真相を探ろうとするのです。

 そういう実生活の描写の間に、ワースが書いている作品が挿入されて行くという構成になっています。

 挿入される作品の主人公はハンクというタフガイ探偵です。依頼人の妻を連れてイギリスに行っているその途中で、その女性が殺されてしまい、ハンクは犯人探しをするわけです。

 つまり、読者は二つの殺人事件に遭遇するという仕掛けなのですが、これがどっちもユニークでして、奇妙な出来上がりなのです。訳者の田口俊樹氏は「あとがき」の中で、この作品について、こういう評価をしています。

  『探偵小説家である主人公、ウィリーが書く私立探偵小説が同時進行
   
的に語られる。こっちの主人公はサムスンとは似ても似つかぬ、マイ
   ク・ハマー・タイプのタフガイ探偵であるのが、それだけでリューイン
   ・ファンには笑えるところだが、いかにも小市民的な探偵小説家とそ
   のタフガイ探偵とはいったいどのような関係にあるのか。また、作家
   の体験はどのようにフィクションに生かされ、逆にどのようにフィクシ
   ョンは作家の日常に影響を及ぼすものなのか。そのあたりの事情が
   −おそらくリューイン自身、自らの体験をカリチュアライズして書いて
   いるのではないかと思われるがーコミカルに描かれ、それが本書の
   読みどころになっている。』

 例えば、ウィリーが書いている小説の部分で、こういう描写があります。

   『おれたちは11時半にフロームに着いた。思ったより早く着いた。
    町は思ったとおりのイギリスの町だった。(準備が出来たら、あと
    で町の描写を入れること)

 最後の括弧の中のようなことは初稿の時は、誰でもすることですが、決定稿では必ず消すものです。わざと、そういう「作家の裏事情」を見せているということなのでしょうが、それが「読みどころ」になるという意見はどうでしょうか。勿論、そういう評価をする読者が多ければ、それでいいわけです。それが、「時代が求めている作品」ということになるわけですから。

 「色んな意味でリューインらしい一冊である」という評価が田口氏の結論のようですが、私にはこの作品がリューインの転換点だったのではないかという気がします。

 1971年に第一作「A型の女」を出して以来、ここまでサムスン・シリーズを四作、パウダー・シリーズを一作出しているわけです。ここまでをリューインの前期と言いたい気がするのです。そして、多くの試みを込めた「表と裏」を経た後の作品はそれまでと違って来ているように思えます。

 そして、「表と裏」の翌年に出たのが、シリーズ五作目の「消えた女」です。私には「消えた女」でリューインはやっと私立探偵小説の技法を自分らしさで表現出来たのではないか。そんな気がします。

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