『海外ミステリを読む』(33)
「ダシール・ハメットの生涯と作品」(6)
第6章「サム・スペード」
1928年に「デイン家の呪い」を「ブラック・マスク」誌に連載し、
作家としての地位を確立したハメットは翌1929年には「マル
タの鷹」
を連載し、1930年にはクノッフ社から出版します。
この「マルタの鷹」では主人公を、それまでの名なしのオプか
らサム・
スペードという名前を持った私立探偵に変えました。
何故変えたのかは
謎のままです。彼がそのことで何も書き残
していないからです。
ハメットの本名はサミュエル・ダシール・ハメットです。ダシー
ルが母方の姓で、ハメットが父方の姓です。子供の頃から彼
は周りの人々からはサムあるいはサミュエルと呼ばれていま
した。彼をダシールと呼ぶのは作家になってから知り合った
人達だけなのです。ダシール・ハメット
は彼にとってはペンネ
ームなのです。ですから、彼は主人公に自分のフ
ァースト・
ネームを与えたわけです。それほどの気合いの入れ様だっ
たのです。苗字の方は当時の実在のボクサーのジョン・スペ
ードからとっ
たとノーランは伝記の中に書いています。そして、
ハメット自身の言葉として、こう書いています。
『サム・スペードにモデルはいない。私と同じ釜の飯を食った
探偵の多くがかくありたいと願った男、少なからぬ数の探偵
たちが時に自惚れてそうありたいと思い込んだ男、という意
味で、スペードは夢想の男なのである。いかなる状況も身
をもってくぐりぬけ、犯罪者であろうと罪のない傍観者であ
ろうと、はたまた依頼人であろうと、かかわりをもった相手に
打ち勝つことの出来る強靭な策士であろうと望んでいる男
なのである。』
サム・スペードを主人公とした「マルタの鷹」はハメットの代
表作として今日私達の前にあります。その成功の原因はサ
ム・スペードという人間を創りだしたことにあるのはいうまで
もありません。先輩諸氏のハメット論を読んでいても誰も口
にしていないようですが、私には「デイン家の呪い」もオプ
よりもサム・スペードを主人公にしていたら、もっと面白い作
品に仕上がったのではないかという気がするのです。
ハメットの長編作品の中で一番評価の低い「デイン家の呪
い」の欠点は作者がこの題材は「名なしのオプ」が主人公
では書けないなと意識しながらも、そのまま止めずに書い
たことから来ているのではないかと私には思えるのです。
「デイン家の呪い」での失敗は重要な登場人物に小説家
を持ってきたことにあると思います。コピーライターか新聞
記者にでもしておけば傷は広がらなかったでしょう。ある
いはもっと小さな役を与えておけばオプが主人公でよかっ
たのです。それをヒロインに次ぐ役を与えたものだから、
色々書き込まなければならなくなり、その最中に作者の中
で混乱が生じてしまったのではないかと思うのです。
大雑把な言い方ですが、オプが作中の小説家に負けてい
るのです。
それだけに私には生のハメットの心中が覗ける思いがし
て、かえって好きな作品ではあるのですが、作品だけを独
立させた時にバランスが崩れているのは事実でしょう。そ
れは作者自身も途中で気が付いていた筈です。だから、
次の作品で新しい主人公を創り出したのでしょう。
『サミュエル・スペードのあごは、骨ばっていて長く、その先
はV字形にとがっており、それよりももっとなだらかではあ
るが同じようにV字形をした口の下に突き出ている。鼻の
先も、小さいV字形をなして垂れ下がっている。黄味を帯
びた灰色の目だけは水平だが、同じVのモチーフは、鉤
鼻の上部に刻まれた一対の縦じわから外につり上がって
いる濃い眉の形にも表れており、薄茶色の髪までが、高
い平らな両のこめかみから、前額の一点に向かって生え
下がっている。その顔つきはなんとなく愉快な、ブロンド
の悪魔といった感じだった。
彼はエフィー・ピラインの方を向くと言った。
「なんだね、きみ?」』
(村上啓夫訳・創元推理文庫版)
これが「マルタの鷹」の冒頭です。これを読んで何を最初
に感じますか。名なしのオプからサミュエル・スペードとい
う名前を与えただけにやけに詳しく顔の造りを説明してい
るようですが、「V字形」という名詞の使い過ぎの他に、目
の説明の「黄味を帯びた灰色の」という形容詞が私には
気になりました。
「黄味を帯びた灰色の」目というのは一
体どういう目なのでしょうか。 海外に住んだことも外国人
と交際したことのない純日本人としては想像が出来ない
のです。そこで誰かの本にないかと捜した所、次のような
文章が見つかりました。
『本当に黄色い眼というのがあるのか知らないが、虹彩
(アイリス)が黄色っぽい褐色の眼のことを黄色い眼とい
うのだったら、そんな眼はそれほど珍しくはないだろう。
別の所では、スペードの眼は黄灰色の眼となっている。
ハメットは本格派ミステリに登場する、頭脳明晰でデイ
レッタントな名探偵とは全く異質な、当時のアメリカには
いくらでも存在していそうな、強くたくましい男を行動派
の探偵として創りだしたのだ。だから、スペードの描写
はきわめて具体的であり、実在感がある。そして、すべ
ての登場人物や対象物の色彩も、きちんと書き込まれ
ている。
「マルタの鷹」の冒頭から100ページの間に出てくる色
の形容は「赤ら顔」というような言葉まで含めて数え上
げていくと、計167回にもなる。しかし、これらの色彩語
は、その色で何かの観念を表現しているわけではなく、
すべて具体的な事物の形容の一部として用いられてい
るのが特徴なのだ。とにかく、ハメットは、ミステリをカラ
フルにした最初の開拓者であったと言えるだろう。』
(「ミステリーと色彩」福田邦夫著・青蛾書房・1991)
「ミステリーと色彩」という本は「色彩」という視点からのミ
ステリ論で、チャンドラーやロス・マクドナルドへの言及も
あり、異色の本とも言えます。
「マルタの鷹」を出版した1930年にハメットは「ガラスの
鍵」の連載を始めますが、この作品の主人公はサム・ス
ペードではなく、賭博師のネド・ボーマンです。何故、主
人公を変えたのかが謎として残っています。自分の名
前を付けた位ですから気に入っていたはずです。作品
の評判もよく、サム・スペードを主人公にして、まだまだ
書けたはずです。実はサム・スペードが登場する作品
は4つしかないのです。それに他の3作品は短編で、そ
れも彼がハリウッドへ移ってからの1932年に発表した
「スペードという男」「赤い灯」「二度は死刑に出来ない」
という作品だけなのです。ですから、実質的には長編
「マルタの鷹」にだけしか登場させていないと言っても
過言ではないでしょう。
ハメットは何
故、サム・スペードを続けて使わなかった
のでしょうか。今回はその点に重点をおいて考察して
みたいと思います。
その推理の発端はこの作品のラストにあるのです。
少し長いですが、まず、この作品のラストを読んで
見ましょう。
事件の真相を探り出したスペードは愛している筈のブ
リジッド・オーシ
ョーネシーを警察に「この女がマイル
ズを殺したんだ」と言って引き渡します。そして、その
あと、担当の警部補と部長刑事と事件のことを話合
います。
『「とにかく、おれたちが聞いたのはカイロからだよ。
ガトマンは死んでしまったよ。おれたちが踏み込ん
だら、ちょうどあの小僧がガトマンを撃ったばかりの
ところだった」
「そうか、あの男も、そのことは予想しているべきだ
ったな」とスペードは言った。
月曜日の朝、九時ちょっと過ぎに、スペードが事務
所に入って行くとエフィー・ピラインが読んでいた新
聞をおいて、あわててスペードの椅子から立ち上
がった。
「おはよう、天使さん」と彼は言った。
「このこと、新聞に出ていること、本当?」と彼女は
たずねた。
「ああ、本当だよ」スペードは帽子を机の上に放り
出して、腰を下ろした。(中略)
「君のサムは探偵が商売だからね」鋭く彼女を見て
から、腕を彼女の胴中にまわし、手の先を腰にあて
た。
「あの女がマイルズを殺したんだよ、天使さん」と彼
はおだやかに言った。
「あんな風に、あっさりとね」彼は指をパチンと鳴らし
た。
エフィーはその言葉に傷つけられたように、彼の腕
から逃れた。
「いやよ、あたしに、触らないで頂戴」と彼女はとぎれ
がちに言った。
「あたし、あたしにも、あなたが正しいことは分かって
いるわ。あなたは間違ってないでしょう。でも、今は
あたしに触らないで頂戴」
スペードの顔が、彼のカラーのように蒼白になった。
廊下のドアのノブがガチャッと鳴った。エフィー・ピラ
インは素早く身をひるがえして、表の部屋へ出て行
きながら、ドアを閉めた。が、すぐ又入って来て、ドア
を閉め、小さな単調な声で言った。
「アイヴァが来たわ」
スペードは机の上を見つめながら、殆ど分からない
位微かに頷いた。
「そうか」と言って、彼はブルッと身震いした。
「まあ、通したまえ」』
アイヴァというのは殺された相棒のマイルズ・アーチ
ャーの妻で、スペードと浮気したことのある間柄です。
夫が殺された今となっては彼女にとっては頼るべき
男はスペードしかいないのでしょう。そのことを話し
合い、出来ればベッドにまで連れていきたいと思って、
朝から事務所に押しかけたと解釈出来る場面です。
スペードとしては追い返すわけにも いかず、仕方が
ないから会おうと秘書に告げたわけです。
しかし、この 部分も少しおかしい気がします。「スペー
ドの顔が、彼のカラーのよう に蒼白になった」という文
は「廊下のドアのノブがガチャッと鳴った」 の後ろに来
るべきでしょう。この位置ではエフィーの「私に触らない
で」
という言葉に「蒼白になった」という解釈も可能だ
からです。ハメットはスペードを女のそんな言葉に動
揺するような男に設定していないのは作中の文章を
見れば分かることです。
「月曜日の朝、・・」からあとは 要らないかも知れない
という思いがあったからこのようなことになったのだと
思います。
オプ物の作品ではこういう終わり方はしていないので
す。例えば、 「血の収穫」のラストはこうです。
『ミッキーとおれはサンフランシスコへ帰った。おれは
報告書を無害なものにするために費やした労力と汗
とを節約したほうが賢かったらしい。おやじは、あんな
ものに騙されはしなかった。おれは大目玉を喰ったの
である。』
(田中西二郎訳)
「デイン家の呪い」はこうなっています。
『ローレンス・コリンスンは私達と一緒に声をあげて笑
ったが、決して私みたいにあごをはずすような笑い方
はしなかった。彼もきっと私には洗練する力ばないと
考えたに違いない、と私は思った。』
(村上啓夫訳)
この作品のラスト・シーンでは昔、ちょっとした騒ぎがあ
りました。エスカイヤー誌が「ハードボイルド探偵比較
表」というのを掲載したことがあったのですが、その中
のサム・スペードの欄に「1930年、“マ
ルタの鷹”事件
の二日後、アイヴァ・アーチャーに射殺さる。原因は嫉
妬」と書いてあったからです。
これを読んだ各務三郎氏が次のような文章を発表した
のです。
『所で、スペードの経歴欄を読んで慌てた人はいない
だろうか。スペードは「マルタの鷹」事件落着後、射殺
されたとある。犯人はアイヴァ・アーチャー。いうまで
もなくコキュされた挙句に殺されたマイルズ・アーチャ
ーの妻。(中略)
ブラック・マスク誌に連載した時には殺してしまってい
るのかも知れない。ノーランが指摘する改定箇所では、
こんな大事な箇所に触れていないようだ。ハメットのよ
き読者ではないわたしには、どなたかに教えて頂くより
方法が無い。』
(この文は「赤い鰊のいる海」に採録)
これは小鷹信光氏が「ブラック・マスク」を入手し、原文
と単行本を比較した結果、連載時の文章から一語(Iv
a.)を省略しているほかは全く手を加えていないことを
突き止めて、エスカイヤー誌編集部のお遊びと分かっ
たのでした。ですが、小鷹氏はあの雑誌がなぜこんな
いたずらをしたかにまでは言及していません。
(この件は小鷹氏の「サム・スペードに乾杯」に採録)
そこで私なりの推理をしてみたいと思います。
まず、エスカイヤー誌がこんないたずらをした意図です
が、それはハメ ットへの皮肉というか揶揄だったので
はないでしょうか。
「マルタの鷹」 はラストに疑問がある。この終わり方で
はこんな推測も出来るぞと言っているのではないでしょ
うか。筆者は勿論、連載時と単行本には違いはないこ
とは確かめてある筈です。つまり、このラストは「ブラッ
クマスク」誌の編集部の意向があったにしろ、ハメット
本人が書いた通りだと知っていた筈です。その上に立
って、ラストがおかしいと言っているのです。
あるいは初稿の段階でハメットがアイヴァにスペードを
殺させるシーンを入れていた可能性も否定は出来ませ
ん。「ブラック・マスク」の編集部ではまだまだサム・スペ
ードで書いて欲しいので、ハメットにその部分を削るよ
うに要請したけれど、反発したハメットは「それでもいい
けど、書き直しはしませんよ」とせめてもの抵抗をした
結果、今のような中途半端なラストになったのだと考え
られないことはないでしょう。
エスカイヤー
誌はそのあたりのことを絡めていたのか
も知れません。
ですが、私としてはもう一つの可能性を考えています。
このラストは削除したのではなく、逆に付け加えたの
ではないか。そんな思いが消えないのです。警察に
犯人を渡した所でこの作品は終わっていたのではな
いだろうかということです。つまり、「月曜日の朝、・・」
から先は最初の段階ーつまり第1稿ではなかったの
ではないかという気がするのです。オプ物では大抵
がそういう終わり方をしているからです。
「月曜日の朝、 ・・」から最後までは冒頭と同じスペー
ドの事務所での秘書のエフィー ・ピラインとのやりとり
です。オプが主人公ではなく、スペードが主人公なの
だから変えなくてはいけないのではないか。でないと、
読者からオプ物と同じだと思われるかも知れない。そ
んな気持ちがハメットの中にあったのではないでしょう
か。だから、オプ物とは違うラストにしたと考えられない
でしょうか。
じゃあ、何故、こんな中途半端と解釈出来るようなラス
トにしたのか。ハメットは余韻を持たせたラストのつも
りだったのではないでしょうか。だが、どう見てもそれ
がうまく行っているとは思えません。エスカイヤー誌の
いたずら記事もその辺を突いているような気がします。
原因はハメットの中に迷いがあったのだと私は思って
います。ラストの場面だけの問題ではなく、小説を書
き続ける上での迷いです。それがこの小説の終わり
方に出ているのです。だから、サム・スペードの長編
が
これ一本で終わったのだと思います。ハメットがこ
のあとすぐ、悪戦苦闘、七転八倒しながらサム・スペ
ード物の長編に挑んでいたら状況は変わっていたの
ではないか。そんな気がするのです。サム・スペード
を放り投げて、ネド・ボーモントに逃げたのではない
でしょうか。
ハメットと彼が創り出したヒーローとの関係をダイアン
・ジョンソンは「ダシール・ハメットの生涯」の中でこう
述べています。
『一人称の「俺」として登場したオプは、太ったチビの中
年男で、どう見てもハメット自身とはかけ離れていた。
所が新しい三人称ヒーローに、彼は自分の名前サム
を与えた。作品と自伝との関連を明らかにすることを
ハメットはとりわけ拒んだが、「マルタの鷹」だけは例
外だった。登場人物のモデルについて訊かれたとき、
ハメットは遠まわしに、スペードのモデルが自分自身
であることをほのめかしている。』
『初期のオプは、ごく単純に、忠誠心の厚い完璧なプ
ロの探偵だったが、「デイン家の呪い」の結びでは以
前より複雑な、人間味のある男に変身した。「マルタ
の鷹」のサム・スペードは、オプの徹底したプロ意識
に、むしろ古典的ともいえるロマンテイック・ヒーロー
の性格ーハンサムで性的魅力があるーを加味した男
で、オプ以上の好感をもって受け入れられた。そして、
ハメットは「ガラスの鍵」のネド・ボーモントを、最も弁
舌の立つ、一筋縄ではいかないヒーローに仕立て上
げた。
これらの作品を通じて、ハメットは小説に描かれた伝
統的なロマンテイックな主題を、近代都市にふさわし
い言葉とムードの中に溶け込ませる技法に磨きをか
けてきた。「血の収穫」ではオプは西部の町の粛清に
やってくる。「デイン家の呪い」は、魔法にかけられた
危難の美女のお伽話であり、「マルタの鷹」は宝捜し
の物語である。』
私にはハメットの小説は世評程いいとは思えないわ。
ハメットという男には魅力を感じるけど、作品はあま
り好きじゃないわね。そんな彼女の本心が見えてくる
文章です。私は伝記を読む醍醐味はこういう所にあ
ると思っています。
このあと、彼女は自分の言いたい所に話を持って行
きます。つまり、自分が興味を持っているのはハメッ
トの作品ではなく、ハメット本人なのだということです。
『彼の主人公は次第に、彼自身に近づいて言った。
小説を書き始めの頃は、オプをわざと自分とは正
反対の、チビでデブの四十男、女には無関心な男
に仕立てあげたが、独断的で魅力のあるスペード
は、ハメット本人にきわめて近い理想像に仕上が
っている。信条を重んじ、孤独で、捨て切れぬ俗心、
友人たちの卑劣な心や野望を見抜く力、そして、結
核などに苛まれるネド・ボーモントにいたって、ハメ
ットは殆ど自画像に近い男性像を作り上げたので
ある。オプは仕事を立派にこなし、勤務する探偵社
と仕事をうまく成し遂げるという信念とに身を捧げる
男だった。スペードは、ハメット自身の次第に用心
深さを増して行く人生感を反映して、自分自身の道
を歩み始めた。オプは命令が届かなかった時とか、
邪悪な事件の背後で依頼人が糸を引いていた時だ
け、自分の手でことを解決する。一方、スペードは、
どんな場合でも、自分で決定を下す。所が、ネド・ボ
ーモントは、いまだに価値の中に真の価値を、権力
の中に美点を捜し続けている。』
しかし、彼女もハメットが何故、スペードを放り出して、
ネド・ボーモントを主人公にしてしまったのかについ
ては言及を避けています。私はこの問題がこの時期
のハメットを探る鍵だと思っています。それは彼が書
けなくなったことに繋がっている筈です。