『海外ミステリを読む』(32)
「ダシール・ハメットの生涯と作品」(5)
第5章「コンチネンタル・オプ」
私達がハメットの作品を読むのは他のハードボイルド作家の作品を読ん
だあとに始祖と呼ばれている人の作品を読んでみようと思って、手にす
るというケースが多いと思います。ハメットの最初の作品が1923年です
から70年以上昔に作られたということをまず頭に入れて置く必要がある
でしょう。この70年の間にミステリも変わってきています。
ハメット自身は食べる為に書いたと言いながら、後年は密かに「いつか誰
かがミステリを文学にしようと試みるでしょう」と言った自らの言葉を実践
しようと挑戦した形跡があります。その戦いには敗れましたが、その言葉
通りに今では出来のいいミステリは十分に文学になりえています。二つ
の区別がなくなりつつあるとも言えるでしょう。
それではまず最初に、ハメットの初期の作品のヒーロー、コンチネンタル・
オプについて考えて行きましょう。
作家の池上冬樹氏は集英社文庫の「世界の名探偵コレクション」のハメッ
ト編の解説でこう書いています。
『リアリズムによる探偵小説をめざしたハメット。ハードボイルドの父親であ
るハメットのハードボイルドの源流ともいうべき作品が、コンチネンタル・オ
プ物語といえるだろう。
ダシール・ハメットの全作品群の約半分を占めるのが、サンフランシスコを
舞台にした、コンチネンタル探偵社に勤める名無しの探偵、すなわちコンチ
ネンタル・オプを主人公にした物語である。オプを主人公にした作品は、中
篇の連作「血の報酬」、長編「赤い収穫」と「デイン家の呪」、そして26作の
短編小説を数えるが、これらはすべてハメットが最も脂がのっていた初期
に書かれている。(中略)
オプ物語はみな一人称一視点で語られている。といっても、この一人称
で語られる物語は現代人からみると、かなりそっけない。私生活が全く
描かれていないからである。』
ハメットはハードボイルドの元祖であり、ハメットが作り出したコンチネン
タル・オプはハードボイルド探偵の元祖と呼ばれていますが、正しくは「真
に文学と呼び得るアメリカで初めての探偵小説の」という形容詞をつける
べきでしょう。
「名探偵事典」(郷原 宏著)にはこう書かれています。
『身長170センチ、体重約86キロ、白人。アメリカ人にしては短躯、小太り
で下腹がでている。腕力には自信があり、悪漢を痛めつけたり射殺した
りすることを楽しんでいる気配がある。酒好きでヘビイ・スモーカーである
こと以外に趣味らしきものはない。他人の言うことを額面どおりに信じな
いが、与えられた使命は万難を排して完遂する。仕事ぶ
りは冷酷非情。常に無表情で、被害者にも同情しない。』
池上冬樹氏の解説にもあるように、饒舌なマーロウと違ってオプが自分
のことを語る場面は少ないのです。そのせいか次の文章は殆どの評論
家が引用する有名な文章です。
『俺にも雇い主に対する忠実とか、そんな気持はあるかも知れないが、
それはどうでもいいことだ。俺が探偵稼業をやっているのは、その仕事
が好きだからだ。気に入った仕事なら、誰だって精一杯やりたい。そう
でなければ意味がない。これまで18年間、俺は悪党を追っかけまわし、
謎にぶつかり、それを解きほぐすことを何よりの楽しみにしてきた。そ
れで満足していた。それ以上の楽しい将来は想像も出来ない。』
(「カウフィブナル島の掠奪」より)
ほかに次のような文章があります。これは「金の馬蹄」という作品の冒
頭ですが、あまり引用されることがないので、少し長めにお見せしまし
ょう。
『「今度はたいして面白い仕事でもないんだがね」ヴァンス・リチモンド
は握手がすむと、さっそく切り出した。「つまり、君にある男を探し出し
て貰いたいというわけなんだ。それも犯罪者でもなんでもない普通の
人間なんだが」
その声には、言い訳がましい調子があった。このやせた顔色のさえな
い弁護士が、ぼくにくれてよこした仕事のうち、ことに最後の二つばか
りは、射ち合いやらなんやら、とにかく相当に派手な騒ぎにまで発展
した。だから、そこまで行かないような事件だと、ぼくが眠気を催すと
でも思っているらしい。まったくその通りだった時代もかってはあった。
ぼくがまだ20かそこいらの青二才で、コンチネンタル探偵社に入れて
もらったばかりに時分のことだ。所が、それ以来、いつしか流れすぎた
15年という歳月が、そうした荒っぽい仕事に対するぼくの食欲をすっ
かり減退させてしまっていた。』
ついでにこの作品の中にある奇妙な文章にも触れて置きたいと思い
ます。
「奇妙な」という形容詞は私一人の判断ですが、読者諸氏はど
う感じるでしょうか。
オプは弁護士からの依頼で一人の男を捜しにメキシコのテイファナに
ある「金の馬蹄」という名前の酒場に入り、カウンターに座り、一人でビ
ールを飲んでいます。
『ぼくは素知らぬ顔でカウンターの奥の壁にかかった看板の文字を読
んでいた。
<当店でお出しするウィスキーは 米国産、英国産ともすべて
正真正銘の戦前ものばかりです>
この文句の中に、嘘がいくつあるか、それを数えにかかった。もっと
ありそうだったが、とにかく、四つまで数えあげた時に、ぼくとぐるの
連中の一人、ギリシャ人がまるでガソリン・エンジンの逆火のような、
途方もなく大きな咳払いをした。』
オプはそのあとは忙しくなり、こんな暇つぶしは出来なくなります。で
すが作者は暇な筈です。このあとも、何故、こんなことを持ち出したの
かについては一切触れていません。物語には全く関係のない一節な
のです。何の為にこんな看板の話を持ち出したのか理解に苦しむの
は私だけでしょうか。
四つの嘘とは何でしょう。私には一つだけは分かります。
この店のウ
ィスキーが戦前、つまり禁酒法が実施されるより前に作られ
たという
点でしょう。「禁酒法」の章で触れたようにこの法律は第一次
世界大
戦が終わった年に実施され、それ以前に作られた酒なら売り買いは
違法ではないと決められていたのです。つまり、当店の酒は合法的
だと主張しているのが嘘だと言っているのでしょう。最近作られた密
造酒に違いないとオプは思ったのです。しかし、この酒場はメキシコ
なのです。アメリカの法律を気にする必要があるのでしょうか。
あとの三つは検討もつきません。
このように私にはハメットがこの文
章を挿入した意図も、文章そのものの意味も理解出来ないのです。
所が、ステイーヴン・マーカスという人のハメット論ではこの一節をこ
う解釈しているのです。
『この看板と、それに対するオプの反応は、ハメットの描いた社会のあ
るがままの性格の一部を映し出している。』
ハメットの描いた社会とは何なのでしょうか。この論文にはこう書いて
あります。
『ここで我々はハメットが20年代の作家であり、それが禁酒法時代だっ
たことを思い起こす必要がある。アメリカ社会は事実上、一つの広大
な、集団的虚構になりはてていた。さらにいえば、この虚構は、ただ単
にそれが作りあげられたものであるとか、実際には真実と一致してい
なかったという意味で偽りであったというだけでなく、同様にそれが腐
敗しつつあるものだったという意味でも偽りだったいうことなのだ。この
時期、アメリカ人は一杯飲むたびに法律の土台を削る片棒をかついで
いた。アメリカ社会は実際には暗に不法行為の共犯者の身になりはて
ていたのである。』
ここまでは禁酒法を勉強したので、私達にも理解出来ますが、問題はこ
の先です。
『1920年代は組織犯罪と組織的な犯罪者たちにとっての大いなる時代
であり、ハメットが抱いた妄執的な想像の一つはそれらが社会全体を
乗っ取り、前と変わらぬまっとうな社会であるかのように運営してゆくの
ではないかという危惧だった。言い換えれば、社会そのものが、それを
支配し、内側から変質させているものの真の姿を隠蔽し、偽り続ける一
つの虚構になるのではないかという危惧である。だからこそ、ある形態
の社会がいかに機能するかという原初マルクス主義的批評表現が、か
なり初期の段階からこのアメリカ生まれの作家のなかにあったことも分
かるのだ。』
酒場の宣伝文句からマルクスまで話を持って行く腕力には感心しました。
一時期、日本でもこういう論理が流行ったことがありました。この論文が
掲載されている本は今では手に入りませんので、若い方には初めてで
しょうから、後学の為にもう少し引用してみましょう。こういう論文を
「腕
力で書く」というのです。分かり易く言えば、「難しい言葉を使っている割
には内容は大したことはない」ということです。
『そして、事実オプは、彼の仕事や任務や職業によって決定的にも、完全
にも、身を守られていない(我々はみんな、「おのれの仕事をやる」こと
によってどれほど多くの不正に立ち向かうことが出来るかを、苦々しく学
び直さざるを得ない)。マックス・ウエーバーの記念碑的な言葉に「政治
の決定的な手段は暴力である」というのがある。ハメットが描いた近代
アメリカ社会においては、詐欺、ペテン、背信、裏切り、国全体の風土
病的な無節操さなどとともに、確かに暴力は決定的な手段である。この
手段は、ハメットの探偵とも、あらゆる面で異質ではない。オプがいうよ
うに「探偵稼業はきびしいもんだ。手に入る道具はなんだって使う」ので
ある。言い換えれば、ハメットの小説には、手段と結果の間の逆説的な
緊張と,絶えざる相互作用がある。この両者の関係は、決して一定した
ものでも、確定的なものでもない。偉大な評論「職業としての政治」のな
かで、マックス・ウエーバーはさらにこう追及している。「世界は悪魔に
よって支配されている。権力や暴力を手段として敢えて選ぶものは、悪
魔の力と契約を結ぶことになり、彼の行動にあってはよいことがよいこ
とから生まれ、邪悪なことが邪悪なことから生じるということにはならず、
その逆こそ正しいことがしばしばである。この理屈が分からないものは、
たとえ誰でも政治的な小児である」。ハメットもオプも小児ではない。と
はいえ、暴力や疑わしい手段を意図的に用いることに付随する結果か
ら逃れる経験を積むほど成人し、鍛えぬかれる人間は一人としていな
いのである。』
この文章の最後の部分などは浅学非才の私には何を言っているのか
理解出来ません。ハメットもオプも「政治的な小児」ではないけれど、思
想的には経験が少なく、鍛えられてもいない。と言っているのでしょうか。
小鷹氏はこの論文の作者がハメットの伝記に取り組んでいる話を聞い
たと書いたあとに、こう続けています。
『このオプ論の調子でやられたのではやりきれないというのが、まあ私の
正直な感想ではあるのだが。』
私も同感です。その小鷹氏のオプ論のさわりを見てみましょう。
『コンチネンタル・オプ物語の文学性をステイーヴン・マーカスのように、
難解な哲学的用語や経済用語を用いて論証するむきもあるが、「かく
してハメットは、クライム・ストーリーを文学にまで高めた」といった論法
にあまり意味はない。私自身はこのシリーズを、禁酒法下の荒廃した
アメリカ社会にあってさえもなお、大衆にとって十分にセンセーショナル
な要素を持っていた犯罪事件に関わって行く、仕事だけが生きがいの
プロの探偵が、彼の目に映った事柄をありのまま上司に報告する興味
深い調査報告書のようなものだと受け止めている。その調査報告の内
容と衝撃力をもった独特の語り口、随所に織り込まれている生の口語
体による会話の魅力が、出来のいい読物として、読者である私の興味
をそそるのである。』
最後にレイモンド・チャンドラーの有名な論文「簡単な殺人法」を読んで
みましょう。彼はまず、いわゆる「本格的探偵小説」について言及してい
ます。
『ドロシー・セイヤーズ女史は「探偵小説は実際上も、また仮説上でも決
して文学的業績の最高水準に到達することが出来ない」と述べている。
さらに女史は別の場所でこのことは探偵小説が「逃避の文学」であって、
「表現の文学」でないからだと提言している。』
このドロシー・セイヤーズの文章に対して、チャンドラーはこう反論して
います。
『表現の文学と逃避の文学などという言い方は、批評家の常套語であり、
まるで動かせない意味でも持っているかのように使用される抽象語に
過ぎない。すべて生気をもって書かれたものは、その生気を表現してい
る。退屈は主題というものはない。あるのは退屈な精神だけだ。
(中略)
本当に女史の心を蝕んでいたのは、女史の書くたぐいの探偵小説が、
それ自体の内包するものすら満足させえない不毛の方式であることに
徐々に気づくに至った事実であろう。』
そして、ハメットに対してはこう語っています。
『ハメットがいわゆる芸術的目標を意図していたかどうか、私には疑問
に思われる。彼は身をもって経験した知識を使って何かを書くことによ
り生計を立てようと試みたにすぎまい。(中略)
ハメットは最初から(そして、殆ど最後まで)人生に対して鋭い積極的な
態度をとった人達のために書いた。そうした人達は物事の暗黒面を恐
れることなく、そこで生活した。暴力に出会って臆することはなかった。
暴力は彼らの街にあふれていたのだ。ハメットは単に死体を提供する
だけでなく、殺人を、ちゃんと理由あってする人々の手に返してやった。』
『彼は簡潔で、倹約で、非情だったけれども、最高の作家にしか出来な
いような仕事を何度もやってのけた。これまで誰もが書かなかったよう
な場面をいくつも書いた。』
そして、次の文章はハメットの本質を最も簡潔に言い当てていると私は
思ってい
ます。マーカスの文章と比べながら読んで見て下さい。さすが
にチャン
ドラーだと思いました。
『ハメットは独自の文体を持っていたが、彼の成し遂げた洗練さにはほど
遠いような言語で書かれていたために、読者にはそれと分からなかっ
た。読者は、自分達が日頃しゃべっているとおぼしい俗語で書かれた、
内容たっぷりのいいメロドラマを読んだのだと思い込んでいた。』