『海外ミステリを読む』(31)
「ダシール・ハメットの生涯と作品」(4)
第4章「作家誕生」
ハメットの年譜で1920年代を見れば、こうなっています。
『1920年(26才)
・結核により入院生活
1921年(27才)
・5月、退院
・7月6日、入院中に知合った看護婦ジョゼフィン・ドーランと結婚。
・ピンカートン社サンフランシスコ支社に配属。
・12月1日、退社。
・妻子と別居し、宝石店の広告文案係をしながら小説を書き出す。
病状悪化。不眠症。飲酒癖深まる。
1922年(28才)
・処女短篇と思われる「最後の弾丸」、「スマート・セット」誌に掲載。
・「帰路」ピーター・コリンスンの名で「ブラック・マスク」誌に初登場。
1923年(29才)
・オプもの第1作「放火罪および・・・」をピーター・コリンスンの名で
「ブラック・マスク」誌に掲載。
・妻子とエデイ通り620に住む。
・やがて、ハメットだけモンロー通リ20の安アパートに移る。
1927年(33才)
・「ブラック・マスク」誌に「血の収穫」連載。
1928年(34才)
・「ブラック・マスク」誌に「デイン家の呪い」連載。
1929年(35才)
・「血の収穫」「デイン家の呪い」をクノップ社より出版。いずれも好評。
・「マルタの鷹」を「ブラック・マスク」誌に連載。
・8年にわたるサンフランシスコ生活を切上げて、ニューヨークに一
人移る。 』
(「世界ミステリー傑作集」・学習研究社「世界文学全集48」)
サンフランシスコでの最初の出来事は結婚でした。相手が妊娠5ヶ月
だったからです。そして、探偵に戻り、家主が酒の密造をしているよう
なアパートに住み、暇な時は近くにある図書館に通い、本を借りて読
むというような生活を始めました。文章を書いて生活しようと決心した
のです。その仕事なら結核の体でも何とかやって行けるのではないか
と考えたのでしょう。新聞記者、コピーライター、そして作家。そんな職
業がハメットの頭の中に浮んでいたと思います。
彼はこう語っています。
『霧の日のフリスコはほんとにやり切れない。サンフランシスコ湾から
吹いてくる風ときたら、どんなに分厚いコートを着ていようと骨の髄
まで浸み入ってくる。私のガタのきている肺にはことさらこたえた。
その冬、、ピンカートンで働くのはあまり気が進まなかったが、私達
には金が必要だった。』
妻子を養う為、ピンカートン社のサンフランシスコ支局で働いていたの
ですが、体が彼の意気込みについて行けなかったのでしょう。22年2
月に退社しています。冒頭に引用した年譜の21年の項に、退社のあ
と、妻子と別居と書いていますが、これは誤りだと思います。別居は2
3年になってからだと思います。
ピンカートン社退社の時期は21年12月とするジョー・ゴアズの説に
対して、ノーランは22年2月と書いています。ゴアズの名前が出たつ
いでに付加えておきますと、ハメットと同じように探偵だった過去を持
つゴアズの調査によると、サンフランシスコではハメットが運転免許証
を取った記録がないそうです。そのせいか、コンチネンタル・オプが車
を運転する場面はないような気がします。タクシーかケーブルカーか、
他人の運転する車に乗っています。一つには当時のサンフランシスコ
はロサンゼルスのような広がった街ではないので、車なしでも行動出
来たのだと思います。
探偵仕事を辞めたハメットは職業訓練学校のジャーナリズム科に入学
します。ここの授業料は退役軍人管理局が払ってくれています(ノーラ
ンの伝記)。しかし、ジョンスンの伝記では社会復帰職業訓練局となって
います。訳者はどちらも小鷹さんですから原文の名詞が違うのでしょう。
同じなら同じ訳語を使う筈です。訳者に徹する為に原作には口出しない
と決めて、この差異には触れていないのでしょう。
この時期のハメットについて二つの伝記はこう記しています。
『毎朝、ハメットは早起きして朝食を作り、それから学校へ通った。午後
は妻と娘を連れてシヴィック・センターの図書館の隣にある公園に出
かけた。二人が外で日なたぼっこをしている間、ハメットは図書館のぎ
っしり本の詰った書庫をうろつき、飢えた男が食べ物にむしゃぶりつく
ように、次から次へと手当り次第に本を貪り読んだ。彼は読むのが早
く、記憶力に優れ、興味の対象は古典から現代小説、古代史から抽象
数学と幅広かった。くる週も、くる週も図書館で過した。こうした密度の
濃い午後の時間が、のちに彼が「私の大学教育」と呼ぶものになった
のである。』(
ノーランの伝記より)
『そのあいまの時間は図書館で過した。教育をまともに受けていなかっ
たので、あれにするかこれにするか、読む本を選ぶ基準を持ち合わせ
ていなかった。手当り次第に選び、すべてを読破し、いいものにめぐり
あったときははっきりと自覚し、興奮に打ち震えた。彼はクズを見抜くこ
とが出来た。(中略)
13世紀アイスランドのリアリスティックな冒険譚にはとくに関心を抱き、
その簡潔で冷酷なリアリズム、常套的だが人を惹きつける力を持つ語
り口、社会、欲望、名声についての洗練された認識などを、自分の望
む小説作法や自分自身との必然的な結びつきの中で読み取った。
のちにハメットは、文体や小説作法の概念についてはヘンリー・ジェイ
ムズに、語り口については北欧冒険譚に負うところが大きかったと述
べている。』
(ジョンスンの伝記より)
この中で、ジョンスンは注釈として、こんなことを付記しています。
『ノーランによると、ハメットは「マルタの鷹」のプロットをヘンリー・ジェ
イムズの「鳩の翼」にヒントを得たと語ったという。』
このエピソードはノーランが1969年に出版した「A Casebook」という
ハメット論に中にあるのでしょう。ノーラン自身は伝記の中ではこのこ
とには触れていません。
ハメットの作品が、最初に署名入りで活字になったのは1922年10月
号の「スマート・セット」ですから、作家修行の期間が2年弱だったことに
なります。この雑誌は新人を発掘することで有名で、スコット・フィッツジ
ェラルドもこの雑誌から育った一人です。この時はダシール・ハメットと
いう名前を使いましたが、同じ年に「ブラック・マスク」に採用された「帰
路」の時にはピーター・コリンスンという名前を使っています。つまり、
「スマート・セット」より格下の大衆雑誌だったので、本名は使いたくなか
ったのではないでしょうか。この雑誌から育って行ったフィッツジェラルド
のようになりたかったので、「ブラック・マスク」のような程度の低い雑誌
には書きたくないが、背に腹は変えられないというハメットの屈折した
心の動きが読み取れるような気がします。ピーター・コリンスンというペ
ン・ネームにもそんな彼の心情が伺えます。ノーランによればカーニバ
ルの世界の隠語で「ピーター・コリンズ」と言えば身元不明の男という意
味なのを知っていたハメットが末尾にONをつけて「身元不明の男の息
子」という意味を持たせてコリンスンにしたのだそうです。世間に対して
斜に構える生き方を貫いたハメットのいよいよ本領発揮という所でしょ
うか。結核菌を時限爆弾のように抱えて、14才から学校から離れて、
生きる為に世間の荒波に揉まれて来た男が自然に身につけた防御策
と言ってもいいでしょう。さらに言えば、「ブラック・マスク」でのペン・ネ
ームをピーター・コリンスンからダシール・ハメットに替えた時が、フィッ
ツジェラルドのような純文学作家として生きることを諦めて、大衆作家
として生きることを決意した時だと私は思います。
「スマート・セット」誌に発表した作品の中に「私立探偵の回想」と題した、
探偵稼業の裏話を書いたものがあります。個人的な心情を吐露するこ
との少なかったハメットがどんなことに興味を持っていたのか、推測出
来る文章ですので、幾つか抜粋してみます。
『私が尾行していた男がある日曜日の午後、郊外に出て、完全に道に迷
ってしまった。あげくのはてに私はその男に町への帰り道を教えてやる
ハメになった。
私は禁酒法取締官と間違われたことが三回あるが、探偵の身分を明か
したのでトラブルになったことは一度もない。
ある南部の町の警察署長はある男の特徴を、頚部のあざにいたるまで
詳細に説明してくれたが、その男が片腕であることはとうとう触れずじま
いだった。
文書偽造罪で刑務所に入っていた男がいたが、この男は彼の服役中に
喫煙するようになっていた妻を捨ててしまった。
色々な人種が刑事裁判所へ引出されるが、有罪を証明するのに最も手
をやくのはギリシャ人である。ギリシャ人は証拠がどんなに強固なもの
であっても、ただすべてのことを否定する。そして、圧倒的に不利な証拠
を前にして述べられる、彼のいう「事実」の供述ほど、その否定しようの
ない非現実性や明白な矛盾にもかかわらず陪審員の心を動かすもの
はない。
モンタナの保安官補が逮捕令状を持って、ある自営農民の小屋に近づ
くと、その農夫はライフルを手にして現れた。保安官補は拳銃を抜き、
彼の頭上めがけて威嚇射撃をしようとした。射程距離は長く、その上強
い風が吹いていた。弾丸は農夫の手からライフルをたたき落した。
時がたつにつれ、保安官補はこの事件で得た拳銃の名人としての評判
がフロックによるものではなく、腕によるものだと、自分でも信じるように
なった。そして、保安官補は友人達に推されて射撃コンテストに出場す
ることになり、拳銃の名人という名声のすべてを賭けることになった。
コンテストが開かれると彼の撃った弾丸は六発とも完全にはずれてしま
った。』
すべてハメットの実体験からのエピソードでしょうが、特に最後の話は彼
の作品を解く、重要な鍵だと思います。何故、このエピソードがハメットの
心に強い印象を残したのかと考えて行くと、彼の思考回路が浮び上がっ
てくるような気がするのです。人間の愚かさとそれが分っていて行動して
しまう弱さを冷静に見つめる作家の眼が感じられます。「マルタの鷹」の
中の有名な「フリットクラフト」のエピソードもこの延長上にあると私には
思えます。これについてはあとで触れますので、ここでは深入りはしませ
ん。
作家になることに成功した1923年の年譜に「妻子と別れて一人暮しを
始めた」とありますが、これには事情があるのです。
再び、喀血したハメットがそれまで勤めていたサミュエルズ宝石店で働
き続けることが困難だと判断し、恩給を請求した時に当局がつけた条
件が家族に感染させない為に一人で暮せというものだったようです。
ですから夫婦の不仲が原因の別居とは違うようです。しかし、別居のき
っかけになったのは事実でしょう。
一人になったハメットは広告文で生活費を稼ぎながら小説を書き続け
ていたのです。そんな生活の中からコンチネンタル探偵社のオプ(調
査員)、即ちコンチネンタル・オプを主人公にした作品が産出されて行
ったのです。「雇われ探偵」「ターク街の家」「銀色の眼の女」「新任保
安官」などの傑作短篇を経て、長編への移行期の連作中篇「血の報
酬(ブラッド・マネー)」を発表します。
『「ブラック・マスク」にダイヤモンドのように硬質な探偵小説を書き始め
た頃、ハメットは新しいジャンルの開拓を企てていたのではなく自分が
一番よく知っている非情な世界を正直に、ありのままに、紙の上に表
現しただけだった。その自然の成行で、街で囁かれている隠語を文字
に写し、ピンカートン社時代に見知った人々を、彼らが実際にそうした
のと全く同じように、作中でしゃべらせ、行動させた。その偶然の結果
が、エラリー・クイーンのいう「初めての純粋にアメリカ的な・・・混じりっ
けのないこの国の探偵小説」だった。』
(ノーランの伝記より)
長編「血の収穫」(1928)と「デイン家の呪い」(1929)を完成し、19
30年の「死の会社」(短篇)がオプものの最後の作品となります。サン
フランシスコにやって来て、結婚し子供を二人作り、作家としてデビュ
ーし、コンチネンタル・オプものを書いた。それがハメットの20年代で
した。
1929年にサンフランシスコを去ったハメットはその後、妻子と一緒に
暮すこともオプものを書くことはありませんでした。何かを捨ててサンフ
ランシスコを去った筈ですが、寡黙なハメットはそのことについては何も
書残していないのです。ですから、我々は彼の心情を推測するしかあ
りません。
『ハメットの主治医によれば、1929年の秋、彼の結核は完全な鎮静
状態にあった。彼は活力を取戻し、そわそわと落着かなかった。8年
を経て、アメリカの犯罪小説作家として確固とした地位を築き、サン
フランシスコから旅立とうとしていた。作家としての修行時代、この街
は彼を支えてくれた。だが、今、彼は自分を手招きしている東部の新
しい空気に触れる必要を感じていた。』
(ノーランの伝記より)
しかし、これを読んでもハメットが何故、サンフランシスコを捨てたのか
よく分りません。この選択はハメットにとって、この街にやって来た時以
上に重大な選択だと私には思えるのですが、ジョンソンはこのことには
一言も触れていません。どうも関心を寄せるポイントがこの人とはずれ
るのです。彼女が女性だからなのか、妻子とハメットの関係に重点を置
いた書き方をしているようなのです。
ジョー・ゴアズが書いた小説「
ハメット」ではこう書かれています。(この
小説は二人の伝記作者が触れていない部分にも調査が行き届いてい
て、なかなか楽しめます)
『この2ヶ月ほどの間に、なんとか時間をやりくりして「デイン家の呪い」
の改稿はすませたが、「マルタの鷹」のほうは最終稿、この事件の解
決後まで待たねばならないだろう。いや、おそらくサンフランシスコを
去ったあとになりそうだった。が、そうしているあいだに、新作のアイデ
アを得たように思った。ある腐敗した街、名前はないーくそ、サンフラ
ンシスコでは駄目だ。もうこの街にはほとほとうんざりだ、しかし、ボル
テイモアではどうだ?腐敗、市政、殺人、友情、そして恋。探偵小説と
してでなく、そう、
だめだ。探偵小説にも、もうあきあきしている。』
(稲葉明雄訳・角川文庫版)
これもはっきりとしませんが、要するにこういうことではないでしょうか。
つまり、ハメット本人もはっきりした理由を挙げることが出来なかった
のではないか。ただ何となく、このままでは作品を書く上で行き詰る
のではないか。そんな不安がよぎり、自分でもどうすることも出来な
かったのではないでしょうか。書いてみるまで自分でもどんな作品に
なるか分らないものです。考えられるのは環境が変ればいい作品に
なるのではないかという誘いです。これがノーランが書いている「自
分を手招
きしている東部の新しい空気」ということでしょう。
こうして、ハメットはサンフランシスコを離れ、新しい主人公(サム・ス
ペード)を創り出し、新しい恋を始めるのです。