『海外ミステリを読む』(40)
「ダシール・ハメットの生涯と作品」(13)
第13章「ハメット、死す」
出所してからもFBIはハメットを監視していたらしく、こんな記
録が残っています。1957年4月5日という日付の入った書類で
す。
『ハメットは、ニューヨーク州カートナーのオーチャード・ヒル・
ロードにあるサミュエル・ローゼン医師の私有地内にある門番小
屋に住んでいる。四年半前からそこに住み、家賃は無料である。
1936年に離婚して以来独身。銀行預金口座や貸金庫は一切も
っていない。下宿人も間借り人もなく、独りで住んでいる。
・・・一年半前に心臓発作を起こし、その結果、息切れを起こし
肺と横隔膜に余病を併発しているので、現在ハメットは仕事をし
ていない。現在彼はいかなる著作物からもあるいは文筆活動から
も印税を受け取っていないし、ここ数年も同様である。それは国
と州の税務署から受けた所得税の留置権のせいである。出所した
1951年以来友人達から借りた金で生活しているとも語った。』
(ダイアナ・ジョンソンの「ダシール・ハメットの生涯」より)
ハリウッドの高級ホテルに住み、お金をバラまいていた生活から一
転しての極貧生活のようです。エリア・カザンはこうなるのが怖く
て、仲間を売ったわけです。国家権力に逆らうものへの処罰がこれ
なのです。十代の頃から大人の世界で生きてきたハメットには、移
民として辛苦をなめてアメリカに移住してきたカザン同様、こうな
ることは分かっていた筈です。貧乏ということがどういうことなの
か分かっていただけにカザンは怖かったのでしょう。まあ、確かに
書けなくなっていたハメットと映画監督としての地位を獲得し、さ
らに上を目指そうと野心に燃えていたカザンとの違いはあるでしょ
う。それは差し引いて評価してやらないとカザンに酷すぎるかも知
れません。
しかし、ハメットはそんな境遇に追い落とされたことで恨みがまし
いことは言ったことはないとリリアンは語っています。ハメットの
次の愛人だったピーター・フィーブルマンは「リリアン・ヘルマン
の思い出」の中で、リリアンの言葉としてこう伝えています。
『あれは終わりの始まりだったと思う。刑務所を出てからずっと彼
は文無しだった。政府が彼の著作権すべてを剥奪していたので病
気になった時医療費が払えないのよ。彼が入院することが出来る
唯一の場所が退役軍人の病院だった。それでもあの人は別にどう
とも思わなかったのよ。不思議な人だったわ、ダッシュって。も
し政府が私の著作権を永久に剥奪するようなことがあったら、私
だったら腹を立てて騒ぐだろうね。けど、あの人は違う。決して
世間に多くを期待しなかった。彼はそれを自らが信ずるものを擁
護するために支払った代償に過ぎないと思っているのよ。』
出所してからのハメットは一時的には、お金が出来、別荘が買える
ようになったリリアンとの共同生活もしますが、基本は独り暮らし
でした。近所の商店の掛売りの勘定さえ払えず、体力も弱っている
ハメットをリリアンは自分の家に引き取ろうとしますが、プライド
の高いハメットはなかなかうんと言わなかったのでしょう。ですが
最後にはハメットもリリアンの説得に応じ、彼女の家に引っ越すこ
とになります。その辺りの事情をリリアンは「未完の女」の中でこ
う書いています。
『もうこのひとには独り暮らしは無理だということに、私が気づい
たのは遅すぎるくらいだったが、そう気づいたあとも、どう話を
切り出したらいいのか、見当がつかなかった。ある日、彼が「リ
ル・アブナー」(当時、人気のあった連続漫画)なんか読むのを
やめると私に約束させた直後、そのあまりの熱っぽさに私がげら
げら笑っていると、彼はきまって照れくさそうな顔になってー何
か感情的なことをいおうとするとき、彼はきまって照れくさそう
な顔をするのだがーそして、こう言った。「僕にはもう独り暮ら
しはむりだよ。肉体がめっきり弱ってきている。退役軍人病院に
入ろうと思うんだ。なに、平気さ。いつだって会えるんだし、そ
れに君の泣き顔を見せられたくはないからな」
けれど、私は涙を二日つづきの涙顔を見せることになり、結局彼
は私のアパートに来て暮らすことを承知してくれたのだった。』
最後の部分は意識して、さらりと書き流していますが、ここでは修
羅場があったに違いありません。リリアンはハメットの自尊心を傷
つけないように下手に出て、頼み込むという姿勢を見せて気位の高
いハメットを説得したに違いありません。ハメットが癌に犯されて
いることをリリアンは最後まで本人には伝えていなかったのです。
ハメットを自分のアパートに引き取ったリリアンは一室を与え、看
護婦もつけて世話をしました。ですが、ハメットの病状は悪化の一
途を辿り1961年の始めには、病院に入れることになります。
ハメットの最後の場面をリリアンはこう書いています。それは同時
に「未完の女」のラスト・シーンでもあります。リリアンはハメッ
トを連れてボストンのケンブリッジに移住する計画だったのです。
そのためには病院も探さなければいけませんでした。
『当然、最後が近いと知ってよかったはずなのだが、そんな風に考
えたくなかった私は、飛行機でケンブリッジへ飛び、ハメットを
入院させる私立療養所をみつけ、その夜のうちにまた飛行機で帰
ってきて、本人にそのいきさつを告げた。
「ところで、ボストンまでどうやって行くんだね」
そう彼が聞くので、病人用自動車を頼むつもりだと答えると、お
そらくこんな言い方は彼とすると初めてだったろう、「それでは
費用がかかりすぎるじゃないか」と言った。
「だったら、いっそ幌馬車にしましょうか」
私がそういうと、彼はにこっとして答えた。
「それはともかく、僕らも幌馬車であちこち旅した方がよかった
なあ」
そんな言葉を聞いて、ひとまず危機は先へ伸びたと信じ、その夜
は私も安らかな気持になった。が、それは間違いだった。その翌
日、六時前に、病院から電話がかかってきたのだ。ハメットは昏
睡状態におちいっていた。病床に駆けつけたときは、もう最後の
徴候がみえた。はっと驚いたように彼は眼を見開き、頭をもたげ
ようとした。けれど、二度と意識は戻らず、その二日後に息をひ
きとったのであった。』
「未完の女」ではここまでしか書いていないので、ハメットの臨終
の場にリリアンが立ち会うことが出来たのかはっきりしないのです
が、前出のフィーブルマンの本ではこうなっています。同じように
リリアンが語る思い出の中の一節です。
『その後のことで覚えているのは病室の外で待っていた時のことね。
何日間か彼は昏睡状態だった。ある晩、八時頃だったが、看護婦
がやってきて私に合図したの。私は彼の枕元に駆け寄って名前を
呼んだ。大きな声で「ハメット」って呼んだわ。彼は頭の向きを
こんな具合に変えて、一瞬私をじっと見つめた。見えたかどうか
は分からないけど、私が部屋にいるのが分かったかどうか。それ
から二,三分して亡くなられました、といわれたのよ。』
リリアンはハメットの臨終に立ち会えたことがこの文章ではっきり
しました。
と、第1稿(メルマガ発行時)では書きましたが、今回改めて読み
直していると、おかしな点があるのを発見しましたので修正をして
おきます。第1稿の時は「未完の女」の文章とフィーブルマンの本
の文章は時間的に隔たりがあると解釈していたのですが、よく読む
と「未完の女」にはハメットは二度と意識が戻らなかったと書いて
あります。とすると、その二日後ーつまり臨終の時にリリアンがハ
メットの名前を呼んだとしても「一瞬私をじっと見つめた」筈はあ
りません。それなら意識があることになるからです。意識がないと
言う状態は呼んでも反応がない状態をさすのです。
そうなると、二つの解釈が可能になります。一つは「意識が戻らな
かった」という状態の解釈です。「一時的に気を失った」状態に過
ぎない状態だったのを、過大に解釈していた。だとすると、それか
ら二日後にもう一度、リリアンの呼びかけに反応してもおかしくな
いわけです。もう一つはリリアンの思い違いで、これは同じ場面の
描写だという解釈です。記憶力のいい方ではないので、自分で意識
しなくても結果として嘘を書いたことになっている箇所がたくさん
あると指摘されているリリアンです。
しかし、いくら何でも臨終に立ち会えたかどうかを忘れるわけがな
いと思います。途中の記憶、呼びかけにハメットが応じた最後はど
こでだったかの記憶が薄れていたのだろうと、私は解釈します。
ノーランは「ハメット伝」の中で、冷静にこう記しています。
『彼は昏睡状態に陥り、1961年1月10日午後7時、右肺に巣
くった癌のためにこの世を去った。検死医の報告によれば、彼の
死因は「肺気腫と肺炎に加えて、心臓、肝臓、腎臓、脾臓、そし
て前立腺の疾患も原因していた」。死を迎えた時、ダシール・ハ
メットは66歳。そして体重は118ポンドだった。』
いかにもノーランらしい文章です。伝記作者として何を伝えるべき
かを心得た「死への描写」だと思います。後世の我々はハメットの
死に誰が立会い、誰が泣き叫んだのかと同様に、何時何分に死に、
病名は何だったのかを知りたいと思うからです。それが伝記作者の
務めでもある筈です。ダイアン・ジョンスンはこの件に関してはノ
ーランに負けていますが、リリアン・ヘルマンの弔文を記載したこ
とで、引き分けでしょう。ノーランは恐らく、弔文を記載すること
を許されなかったのでしょう。一方のダイアンはリリアンから資料
を提供されていた思います。
ハメットの葬儀の時のリリアンの弔文は長いので、全文の引用は無
理ですから私なりに重要だと思う箇所をピックアップしてみます。
ただ、注意しなければいけないのは弔文というものはその人の悪い
所には触れずに、いい所を探して褒めることを基本にしたものであ
るということです。
『今、彼はもはや言葉を必要としない。このささやかな葬儀、彼に
捧げるささやかな献辞は私自身のためである。彼は本に書かれて
いる言葉に敬意を払い、現実の生活における言葉に疑いの目を向
けていた。彼の信念によれば、言葉はときとして思考の代わりを
するものであり、ほぼ間違いなく行動の代わりをしたのであって
この二つを彼は深く 信じていた。』
『彼はほかの人々に対してあまり好感を持っていなかったが、誰か
を必要としている時、あるいは欲している時、彼ほど惜しみなく
与える人はいなかった。彼はあらゆる人に寛容だった。周知の通
り、彼は私達が生きているこの社会をあまり高く評価していなか
ったが、その社会によって罰せられても愚痴一つこぼさなかった
し、その罰に対して怒りを燃やすこともなかった。投獄される前
夜、彼は私に、誰が何といおうと自分は政治的な理由からではな
く、人間として自分の言葉を守るべきであるという信念から行動
したのだと語った。』
『尊厳に対する人間の権利を信じ、いついかなる時も、自分自身の
ゲームを押し通した。他人のゲームを真似る人間を「金のためな
ら何でもやる」と嘲笑した。』
ダイアン・ジョンスンとウィリアム・ノーランのハメット伝は彼の
死の場面で終わっています。しかし、彼の死後に一つの問題、二人
の伝記作者が触れなかった問題が残っていたことを陸井三郎氏が教
えてくれました。何回か引用させて頂いている「ハリウッドとマッ
カーシズム」の中で、陸井氏はハメットの著作権の行方について言
及しています。二人の伝記作者が何故、そのことに触れなかったの
か。資料を使えなかったのか、意図的にそのことを避けて通ったの
か、あるいは知らなかったのか、私には何とも言えません。ただ、
そういう事実の存在を指摘するに留めたいと思います。
ハメットは1952年に遺書を書きました。それによると、遺産を
四等分しています。娘二人と一人の孫、それとリリアンです。しか
し、この当時はハメットは政府に逆らった為に、言いがかりをつけ
られて税金を滞納していると決め付けられ、印税を差し押さえられ
てしまっていたので、財産はむしろ赤字だったわけです。つまり、
相続放棄をした方がいい状況だったのです。しかし、ハメットはい
ずれ、この狂気の時代も終わり、自分の著作権を取り戻せると冷静
に判断したのでしょう。そういう時代が来た時のために、自分の愛
する人間達に平等に四等分したのです。しかし、問題はここからで
す。リリアンは勝手に当局と交渉して、ハメットの著作権を自分の
ものにしてしまいました。小説家であるハメットにとって財産とい
えば、著作権しかないわけです。それをリリアンが自分のものにし
たということは、他の遺族の手には何も残らないということなので
す。陸井氏はこう書いています。
『ヘルマンは生前のハメットに四万ドルの請求権があったと申し立
てたのに加えて、病院の支払い千ドルの請求権もあると主張した』
分かりにくい文章ですが、つまり、リリアンは「私は無一文だった
ハメットに生活費や治療費などで四万一千ドルの貸しがある」と言
い出したのです。この際、自分が無名の頃にハメットから金銭的に
色々世話になったことには触れないことにしたようです。彼女とし
ては、彼への愛情とお金の貸しは別問題だったのです。これは何も
リリアンに限ったことではなく、程度の差こそあれ、すべての女性
に共通する性(さが)ではあります。妻、母、妹、叔母といった周
囲の女性のこれに悩まされている男性も多いことで
しょう。
男の私には「お金がない、若い時にハメットに金銭的に世話になっ
たのだから、立場が逆転して世話をしたとしても、チャラになるで
はないか」と思えるのですが、女はそうは考えないのです。「それ
は彼と二人の間の問題であって、彼が死んで、彼の妻や子供に遺産
が行くのなら、その分は返してもらいたい」という発想をするわけ
です。
話が横道に逸れないうちに戻しましょう。
これはあくまで陸井氏
の文章から読み取れることです。私はこの文章に書かれていること
がどこまで正しいかの検証を全くしていないことを付け加えて置き
ます。
陸井氏はさらに続けます。
『ニューヨーク遺言執行法廷で、ここでは触れることの出来ない紛
争とややこしい曲折をへて、ヘルマンは、死亡した復員軍人の恩
典で減額されたハメットの税金と利息16万3、286ドルの債
務を決済するため、そのわずか24分の1にあたる6、786ド
ルを支払うと申し出て、当局側はこれでハメットに対するすべて
の請求権を放棄した。法廷は、すべての書簡類を含むハメットの
全著作の版権を最低価格五千ドルで公売にかけると裁定した。ヘ
ルマンとその弁護士側が、ヘルマンには故人の伝記とその作品論
を書く希望がある、と法廷に申請した結果であった。ハメットの
娘二人と孫には、弁護士を雇って争う費用と意志もなかったので
ハメットの2010年まで有効な全版権はすべて、五千ドルの最
低価格でヘルマンの手に帰した。ハメットの遺族には、版権に対
する法律上の請求権はすべて失われた。』
陸井氏が「ここでは触れぬことの出来ない」と言って、伏せた部分
が多すぎる為に、意味のよく分からない文章になっています。ここ
まで書いたのなら、触れるべきだったと私は思います。一方的にヘ
ルマンを裁く文章だけに、それがないと信頼性に欠けるという批判
が出るでしょう。その「触れぬことの出来ぬ」部分が開示されない
限り、ほんとかどうか分からないとの反論があるはずです。五千ド
ルで公売にかけて、入札に参加したのは誰と誰だったのかも書いて
いません。まさか、ヘルマン側だけだったということはないでしょ
う。だとしたら公売とは言えません。
私はアメリカの相続税法は全く知らないのですが、日本のそれでは
相続人には遺留分があり、妻には半分、子供ならどれ位と決められ
ているのですが、それが侵害された時は裁判でその事実を争う必要
があるのです。警察や市役所が決定出来る事項ではないのです。こ
の文章ではアメリカもそういうシステムのようです。法的にはリリ
アンは「内縁の妻」に過ぎないのです。つまり、相続人ですらない
はずです。その人間がハメットの遺産のすべてである著作権を奪っ
たわけですから、相続人の側が訴えを起こせば、当然認められた筈
です。相続人側の弁護士は逆に、若い時にハメットがリリアンの為
に使った金額の方がそれより多いから返却を求めるという作戦に出
るでしょう。しかし、それは証拠が揃わないので認められることは
ないでしょうが、判決としては少なくともリリアンの独り占めには
ならなかったでしょう。
しかし、死ぬ間際にリリアンはさすがに気がとがめたのか、もう貸
した金は取り戻した為か、(私はその両方の理由からだと思います
が)遺書にハメットの著作権を本来の相続人である、ハメットの娘
と孫に返したと陸井氏は書いています。
『ハメットの娘二人はそれぞれ三万五千ドルを遺贈され、またハメ
ットの2010年まで有効な版権への権利は三分割されて、その
三分の二がジョー・ハメット・マーシャルに、三分の一がハメッ
トの孫メアリに贈られることになった。』
所が、リリアンの遺産の恩恵に預かった、愛人のピーター・フィー
ブルマンは「リリアン・ヘルマンの思い出」の中で、こんなことを
書いているのです。
『彼女は、財団を二つ設立し、僕にヴィンヤードの家と全著作権使
用料の半分、それにいくらかの現金と、そのほかにも幾つかの品
を残したのだった。彼女は僕を、彼女の著作権の受託者にしたの
で、それはダシール・ハメットの著作権も含むことになる。つま
り、僕を第一相続人にしたのだ。』
これは陸井氏の方が正確だろうと私には思えます。ハメットの著作
権もリリアンがくれたというのはフィーブルマンの勘違いでしょう。
いくら強欲なリリアンでも、さすがにそこまではしなかったでしょ
う。リリアンは愛人のフィーブルマンに多額の遺産を残したのは事
実でしょうが、それにはハメットの著作権は含まれていなかったで
しょう。もし、これが事実だとしたら、ハメットがどんな顔をする
か見たいものです。リリアンらしいと笑って済ませられるか、それ
とも激怒するか。そこでハメットの本心が探れるのですが、それに
は私が地獄でハメットに会うまでは無理でしょうね。リリアンは弔
文のなかで天国にいるハメットに語りかけていますが、ハメットは
天国にはいません。小説家は地獄に行くものです。
波乱万丈だったハメットの生涯は彼の死後も波乱万丈であり、それ
がこれからも続くだろうと私は思っています。この著作権騒動は新
しいハメ
ット論へのプロローグと言っても過言ではないでしょう。
マッカーシズムへの再検討、リリアンが「化粧した」ハメット像、
小鷹信光氏や各務三郎氏達が描き、そして定着している日本でのハ
メット像、そういった諸々を21世紀からの視点で見直す論者の出
現を期待して、私のハメッ
ト論を終わりたいと思います。
この愚考が新しいハメット論、ハメット像への種火をなることを願
いながら、この章を終わります。