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『海外ミステリを読む』(39) 

    「ダシール・ハメットの生涯と作品」(12)

   第12章「召喚されたハメット」

    ハメットがニューヨークにある連邦地裁に出頭したのは1951年
    7月9日でした。勿論、自ら出向いたわけではなく、来いと言われ
    たから仕方なく行ったのです。その辺りの事情について、陸井三
    郎氏は「ハリウ ッドとマッカーシズム」の中でこう書いています。

    『「1950年国内治安法」(マッカラン法)の成立にもとづく検
      事総長(司法長官)指定の数百にのぼるいわゆる破壊活動団体の
      うち、ハメットは35団体に役員、理事などとして関係していた
      とされていたが、彼はシナリオ作家ギルド(その熱心な支持者で
      はあった)その他の映画演劇職能別団体などには全く関係せず、
      一匹狼の作家として通してきたためか、非米活動委員会の2度に
     わたる映画界の赤狩り調査にも召喚リストからは漏れていた。彼
     の作品は引き続き映画にリメイクされ、ラジオドラマで放送され、
     また彼の小説はことに戦時のGI向けポケット版で大量に普及し
     て以来、息の長いロングセラーになっていた。ところが、ハメッ
   トを狙い撃ちにする鉄砲玉は、意外な方向から飛んできた。』

   『1948年、アメリカ共産党幹部12人がスミス法違反の「合衆
     国政府転覆の陰謀」の容疑で逮捕され、告発されたが(うち全国
     委員長W・Z・フォスターだけは病気のため免訴)、3年後の5
     1年夏、アメリカ公民権会議(ACRC)の保釈金26万ドルで
     釈放されていた共産党員11人のうち4人が有罪判決を受けるべ
     き裁判所に出頭しなかった。マッカラン法制定による情勢悪化の
     ため、この四人は保釈中に地下に潜行していたのだ。このため、
     ACRCの1946年からの委員長で、ACRC保釈基金の理事
     長であるハメットは、今一人の理事フレデリック・V・フィール
     ドとともに、保釈金の拠出者について情報を求められ、1951
     年7月9日、ニューヨーク南部地区の連邦地裁に召喚された。』

    この時の法廷でのやりとりはこんな風だったようです。

   検事がこう質問します。

   「ミスター・ハメット、あなたは公民権を擁護する委員会の保釈基
     金の五人の管理委員の一人ですか?」

   それに対して、ハメットはこう答えます。 

   「その質問に答えれば私自身を罪に陥れる可能性があるという理由
      で、その質問にお答えするのを拒否します。憲法修正第五条によ
      って、私は黙秘権を行使いたします。」

     ハメットはこの「修正第五条」を80回以上、持ち出したと陸井三
     郎氏は先にあげた本の中に書いています。この修正第五条はアメリ
     カの様々な本を読む時には出てくる言葉です。少し固い話になりま
     すが、ここで この条項について勉強しておきたいと思います。

     憲法の修正なので、独立後、かなりあとから出来たと思いがちです
     が、実はこの1から10条までの修正条項は憲法制定後、すぐ作ら
     れたものなのです。これにはアメリカの独立の事情が絡んでいます。

     イギリスとの独立戦争を経て、独立を勝ち取ったものの、連邦政府
     の力を強め、強力な国家にすべきだと主張する人達と、各州の権利
     を重視すべきだと主張する人々が対立し、連邦派の主張が多く盛り
     込まれた憲法が取りあえず制定されました。これが1787年です。
     所が、その後、反対派が勢力を盛り返し、個人の権利を擁護した修
     正条項を盛り込まなければ連邦制の維持が困難になったわけです。
     そこで、1791年に1 条から10条までの修正条項が付け加え
     られたのです。

     修正第五条の全文を読んだ人は法律専攻の学生や専門家以外はあん
     まりないと思います。いい機会ですので、全文を読んで見て下さい。

     『何人も、大陪審の告発または起訴によらなければ死刑を科される
       罪または懲役刑の科される破廉恥罪について責を負わされない。
       ただし、陸海軍内で生じた事故及び戦争または公共の危害に際し
       て現に軍務についている民兵内で生じた事件は、この限りではな
       い。何人も、同一の犯罪について生命または身体を2度の危険に
       さらされない。何人も、刑事事件において自己に不利な証人とな
       ることを強制されない。何人も、法のデユー・プロセスによらず
       して生命、自由、もしくは財産を剥奪されない。何人も、正当な
       補償なしに私的財産を公共の用のために収用されない。』   
                   (「アメリカ憲法入門」松井茂記著・有斐閣より)

      ハメットが適用を主張したのはこの中の「何人も刑事事件において
      自己に不利な証人となることを強制されない」という部分です。
      しかし、ハメットはこの法廷には証人として召喚されていたのです。
      証人の場合は被告人とは違って、証人の務めを果たす義務があると
      いう法律も存在するのです。ハメットがあんまりたくさん答弁を拒
      否しているので、判事はこう告げます。

     『あなたは答弁を拒否することによって、あなたに課せられた義務、
       つまり、この基金の管理委員だったあなたが自分の意思で引き受
       けた保証人の義務を怠っているばかりでなく、当法廷の審理をも
       妨げているのです。あなたの黙秘権の行使には、法的根拠も事実
       のよりどころもないと私は判断します。もし、あなたが今までの
       質問に答えるのをあくまで拒否するならば(中略)裁判所は、法
       の許すかぎりきびしくあなたを処罰する所存です。あなたがそれ
       を望まないことを私は強く希望します。』
        (ダイアン・ジョンスンの「ダシール・ハメットの生涯」より)

      そして、最後に判事はこう追及します。

     『当法廷は、あなたが管理委員の一人であり役員でもある、ニュー
       ヨークの公民権擁護委員会の保釈金基金の記録ならびに資金の保
       管場所とその供託金の出所に関する記録を、審理のために取得し
       たいと思います。快く提出されるようお願い致します。』

      だが、ハメットはこう答えます。

     『わたしがその書類を提出できるかどうかという問題と関係なく、
       わたしは提出をお断りしなければなりません。』

      証人として召喚された場合、選べるのは三つしかありません。要求
      に応じるか、嘘を付いて言い逃れをするか、要求を拒否するかです。
      嘘を付けば、偽証罪です。調べは付いているのですから嘘かどうか
      はすぐ分かるのです。勿論、委員会が一番希望しているのは証人が
      要求に応じることです。ですが、本当に欲しいのは基金の記録や帳
      簿などでなく、ハメットが屈服した姿なのです。これは茶番劇であ
      り、見せしめ以外の何者でもないとハメットには読めていたと思い
      ます。つまり、共産党員を匿えばこうなるのだと大衆の前に示すこ
      とがその目的なわけです。 

      ハメットは要求を拒否するという選択をしました。だが、それは正
      義の為とか、大儀名分の為ではなく、そうすることが委員会が最も
      嫌がる結果だとハメットに分かっていたからではないでしょうか。
    茶番劇に対する、ハメットなりの意趣返しだったに違いないと私は
      思っています。勿論、私の勝手な解釈ですが、ここまでハメットの
      人生を追いかけて来た私にはハメットはそういう男だったと思える
      のです。

      『ミスター・ハメット、手すりの前に進み出て下さい。ミスター・
       ハメット、あなたは法廷侮辱罪を犯しているとわたしは考えます。
       なぜならあなたは当法廷の命令に従うこと、並びに質問に答える
       ことを拒否し、(中略)あなたの義務を怠ったからです。』
               (引用は同上)

      その会場でハメットは逮捕され、拘置所に入れられ、そこから刑務
      所へ送られたのです。

      この時のことをリリアン・ヘルマンは「未完の女」でこう記してい
      ます。

      『彼は若い頃から面目を大事にしてきた人で、自分に課した規律に
        拘り、それらを遵奉することにかけてはことさら厳しかった。1
    951年に刑務所に入れられたが、それも公民権会議の保釈金基
       金を管理していた彼と、ほかの二人の委員が、基金に寄付を寄せ
       てくれた人々の名前を明かすことを拒絶したためだった。実を言
       うと、ハメットは会議の事務所に一度も顔を出したことはなく、
       従って寄付者の名前など一人として知らなかった、と言うのが真
       相だった。』

      このリリアンの文章を読めば、ハメットは寄付者の名前を告げない
      から投獄されたわけだが、真相は知らないから告げようがなかった
      のだと解釈出来ます。しかし、ジョンスンの伝記を読む限りではハ
      メットが求められたのは名簿などの記録だということです。提出を
      拒否したということはその記録の存在と保管場所を知っていたこと
      になります。寄付者の名前を知っているか、知らないのかという問
      題ではないと判断できます。リリアンにすれば意味する所は同じと
      いうことなのでしょうが、少しずれがあるような気がします。こう
      いう所が、リリアンの文章は嘘が多い、信じられない箇所があると
      言われるのでしょう。しかし、ジョンスンの伝記は出版前にリリア
   ンが目を通した筈です。この部分にOKを出したリリアンの心境は
   どうだったのでしょうか。彼女が「未完の女」でこのことを書いて
   から10年以上経っています。自分が書いたこととジョンスンの文
   章の間に矛盾があると気が付かなかったのでしょうか。

      リリアンはこのあと、こう続けます。出廷前夜、ハメットはこう言
      ったと書いています。

     『こんなことは絶対に口にしたくないのだが、きみに言っておいた
       ほうがいいかもしれない。もしこんどのことが、ただの刑務所行
       きではなくて、生命にかかわることになるとしても、ぼくは自分
       の考える民主主義のためなら、命を捧げてもいいと思っている。
       もっとも、民主主義というものをどう考えるかを、警官や判事た
       ちに教わるつもりはないがね』
                      (「未完の女」より)

   この言葉は今では殆どの「ハメット論」に取り上げられ、ハメット
     のイメージ創りに役立っています。しかし、これもリリアンの「味
   付け」が入っているような気がするという人もいます。私も少しリ
     リアン流の加工が入っているのではないかという気がしないでもあ
     りません。男は自分の一番近くにいる女には素顔しか見せないもの
     です。このハメットが言ったという言葉は化粧した顔に思えます。
     リリアンが化粧させたのではないでしょうか。勿論、私の勝手な推
     理です。でも、真実はもう闇の中です。この会話は二人だけの時の
     ものですし、ハメットは何も書き残していません。そして、二人は
     もうこの世にいないわけ ですから。 

     ハメットは法廷侮辱罪で刑務所に入れられ、六ヶ月の刑に服するこ
     とになります。最初はケンタッキー州、あとでウエスト・ヴァージ
     ニア州にある連邦刑務所でした。刑務所での仕事は浴室と便所の掃
     除だったそうです。模範囚だったので、刑期を30日短縮され、1
     951年12月9日に出所します。

     次に召喚されたのは1953年3月26日、上院政府活動調査委員
     会の常設委員会でした。委員長はジョゼフ・マッカーシー本人です。
     この時には法廷侮辱罪で告発されずに済みました。この委員会での
     やりとりの模様にハメットの思考回路が少し見えていますので、最
     初に引用 した陸井三郎氏の著書から読んでみましょう。

    『「さてハメットさん、最初の本を出版したのはいつでしたか?」
     「最初の本は「血の収穫」で、1927年に出版されました。そ
     れを書いたのは1927年、27年か28年でした」
     「その本を書いた当時、あなたは共産党員でしたか?」
     「私は合衆国憲法修正第五条による私の権利に依拠して、回答が
      自分を罪におとしいれるかも知れないという理由で返答を控え
      ます」
     「あなたはいつ、最後に出版した本を書きましたか?」
     「ほんとうのところ、それには答えられません。というのは短編
      集がいくつも出ているからです。30年代、40年代のいつか
      だったと思います」
     「30年代か40年代。その最後の本を書いた当時、あなたは共
        産党員でしたか?」
    「同じ理由で、返答を差し控えます」
    「ハメットさん、あなたはいま共産党員ですか?」
    「同じ理由で、返答しません」 』 

  今度は委員長のマッカーシーとのやりとりです。質問しているのが
  マッカーシーで、答えているのがハメットです。

   『「共産主義の体制が、わが国で現行の体制よりも良いと思います
     か?」
      「その質問には答えられません。というのは、共産主義がわが国
     で現行の体制よりも良いのかどうかという設問が、本当のとこ
        ろどういう意味なのか分からないからです」
    「では、現在ロシアで行われている共産主義はわが国の政府形態
        よりもすぐれていると思いますか?」
   「そうですね。私がロシアで実施されている共産主義についてど
        う考えているかはともかく、それは疑わしいと思います。そう、
        ある国にとって良いことも、べつの国にとってはべつのことが
        良いことです。ロシアの共産主義が合衆国にとって、より良い
        ものだとは思いませんが、同じように、ある種の帝国主義が合
        衆国にとって良いものだとも思えません」』 

  このやりとりを読んでいると、ハメットは1回目の召喚の時とは作
    戦を変えたような気がします。体が弱っているからもう刑務所には
    行きたくないなという気持ちがあったのかも知れません。大事な所
    では修正5条を持ち出すけれど、相手に法廷侮辱罪を持ち出させな
    い程度にしておこう。そんな配慮を感じます。そのおかげで我々は
    共産主義に対するハメットの考え方を知ることが出来るわけです。
    尤も、国家権力との駆け引きですから、どこまでが彼の本音かは分
    かりませんよ。それを頭に入れて読んで下さい。

  『「あなたはわが国で共産主義の採用を支持しますか?」
   「いますぐに、という意味ですか?」
   「そう」
   「いいえ」
   「あなたは支持しない?」
   「ひとつには、大多数の人々がそれを望んでいないとしたら、私
         には実践的でないように思えるからです」』

   これが本音かも知れないなと思わせる答弁ではあります。悪名高い
    マッカーシーもハメットには多少の遠慮があるような気もします。
    マッカーシーは最後に、ハメットに「あなたは言い逃れをしている」
    と言ったと陸井三郎氏の本にはあります。ですが、法廷侮辱罪は適
    用しませんでした。

    こうした記録を見ると、ハメットは共産党の党員だったのかと質問
    されると、必ず修正5条を持ち出しています。じゃあ、本当はどう
    だったのかということになると、彼が何も書き残していないので事
    実は闇の中です。リリアンはこの件について「未完の女」の中でこ
    う書き残しています。

    『ハメットの政治上の信念について、私はことさら語るのを避けた
      がっているわけではないが、実際のところ、彼が共産党員だった
      かとうか私は知らないし、一度もたずねてみたこともない。』

    これが二人の関係だったと思います。だからこそ、前に挙げた「ぼ
  くは自分の考える民主主義のためなら、命を捧げてもいいと思って
  いる・・・・」という言葉はハメットらしくなく、リリアンの「化
    粧」を感じるのです。    

    『ハメットが共産党員だったかどうかを、私が知らないということ
      はどうでもいいように思えるけれど、彼がマルキシストであった
      ことは間違いない。尤も、彼はきわめて批判的なマルキシストで、
      多くのアメリカ人が外国人を軽蔑するのと同じような単純な意味
      で、しばしばソ連を軽蔑していた。アメリカ共産党についても彼
      はよくひやかしたり、鋭く咬みついたりしたが、結局のところ、
      党員達には忠実であった。』

  しかし、ハメットの死後、リリアンの愛人となったピーター・フィ
  ーブルマンは「リリアン・ヘルマンの思い出」の中で、こう書いて
  います。 

  『僕がハメットは党員だったのかどうか尋ねたのはその日だった。
  「彼が党員だったのはみんな知っていたわよ」リリアンは言った。
  「それは秘密じゃないわ。それでも彼等は私が党員でなかったこ
      とを証明することが出来ないのよ。私がダッシュに怒り狂って
      それで手を引いたと人から思われたくないのよ」』

    リリアンはハメットが党員だったかどうかは知らないと言ってみた
  り、党員だったことは誰でも知っていると言ったり、本当にいい加
  減な発言をしています。こいう点がリリアンの言葉には嘘が多いと
    言われる由縁なのです。策略と物忘れが混在している為に後世の我
    々は悩まされることになるのです。
ピーターはリリアン擁護派です
  ので、そのことも頭に入れる必要があります。この文章はリリアン
  が党員ではなかったということを言いたいのです。ハメットには含
  む所のあるピーターが嘘を付いている可能性も否定できないからで
  す。私としてはハメットは入党はしていないのではないかという気
  がします。ハメットは党員として仲間を庇ったというよりは、自分
  自身の生き方を頑固に守ったというべきなのではないでしょうか。

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