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 『海外ミステリを読む』(38)

   「ダシール・ハメットの生涯と作品」(11)

       第11章「書けない作家」

     1933年に「影なき男」を完成させた後には、1934年に短編
     を発表しただけのハメットは書かない作家になってしまいました。
     自分が書いた作品のシナリオに手を染める以外には毎日、酒びたり
     の生活を送るようになりました。映画の原作料で生活できたからで
     す。しかし、書く意欲は失せてはいないようで、1938年にはラ
     ンダム・ハウス社と「ある若者がいた」という題名の本を書く契約
   をし、印税の前渡し金として五千ドルを受け取っています。ですが
   別の人間には「わが弟、フェリックス」という題名の作品だと語っ
   ているのです。つまり、まだ題名さえ決まっていなかったのです。
   結局、この作品は完成はしませんでした。一方、リリアン・ヘルマ
   ンはやっと劇作家として認められるようになり、お金もどんどん入
   って来るようになりました。それまでと立場が逆転たわけです。そ
   のことがハメットには大きな心理的負担になったのではないでしょ
     うか。私にはそんな風に思えますが、ノーランの意見は違うようで
     す。彼は「ハメット伝」の中でこう書いています。

     『スコット・フィッツジェラルドは、ハメットを「甘やかされた作
       家」であると考えていた。ハメットもこの評価には頷かざるを得
       なかったろう。もう六年以上も自分が納得できるものを書いてい
       なかったし、ランダム・ハウス社に約束した小説も書かないまま
       前金は返してしまっていた。それにもかかわらず、彼はヘルマン
       の仕事を手伝いながら測り知れない満足感を覚え、彼女を劇作家
       として成長させることで、自らの創造エネルギーを昇華させてい
    た。ある意味では、リリアン・ヘルマンの成功は彼自身の成功で
       もあった。彼女の作品はどれも、ハメットの厳しく容赦ない批評
       の賜物だった。彼女はこの点についてよくこう言っていた。
     「彼がどれだけ私に援助を差し伸べてくれたか、誰にも真似が出
        来るというものではない。単なる友情からではとても出来ない
        ことだった。それは、書くことについてよくわきまえ、優れた
        作品が生まれることを願い、しかも他人を助ける寛大さをそな
        えた、博識で心の温かい男性の献身と自己犠牲だったのだから
        ‥‥彼は自分のもとにやってくるすべての作家たちに寛大だっ
        た‥‥何故なら、書くという行為に対して、彼は深い尊敬の念
        を抱いていたからだ」』

      ハメットの指導で劇作家になれたと言っても過言ではないリリアン
      ですがハメットの死後、彼女の恋人になった、25才年下のピータ
      ー・フィーブルマンに対しては先生の役を果たしていたようです。
      ハメットがリリアンを鍛え、リリアンはピーターを鍛えたのです。
      ピーターも作家です。リリアンは作家が好きだったのでしょう。最
      初の夫も作家志望のシナリオ・ライターでした。ピーターは「リリ
      アン・ヘルマンの思い出」の中でこう書いています。

      『自分の初期の小説が過大に評価されていたことは承知の上だが、
        世間的な幸運も、内面の失意も救ってはくれなかった。救いの手
        を差し伸べてくれたのは、リリアンだった。僕にとってのリリア
        ンは、リリアンにとってのダシール・ハメットのような存在にな
        り始めていた。リリアンは僕よりも25才も年上で、ハメットと
        リリアンの年齢差の二倍以上も離れていた。彼女は仕事には強気
        だったが、細かく気も遣った。行き詰まったり、思うようにいか
        なくなった作家が抱く虚無感や挫折感に思いやりがあった。』

      このようにピーターのリリアンへの思い出は真心の溢れた吐露にな
      っていますが、彼のハメットの寸評は「ハメットは物書きには何の
      同情も示 さない男だった」と辛辣です。正直と言えば、正直でし
      ょうが、嫉妬を割り引く必要があるでしょう。これと同じにリリア
      ンのハメットへの「他人を助ける寛大さ云々」も割り引いて読む必
      要があるでしょう。

      ダイアン・ジョンスンが書いた「ダシール・ハメットの生涯」はこ
      ういう状況、つまりハメットが書けなくなってからは面白くなりま
      す。ハメットの作品をあまり高く評価していなかった気配のあるダ
    イアンは作品論などは気の乗らない書き方でしたが、彼が書けなく
      なってからは俄然張り切っているように私には思えます。ハメット
      がハリウッドの豪邸に一人で召使と住んでいた時の状況をこう書い
      ています。

      『主人(ハメット)と秘書(ミルドレッド)は一切仕事をしない。
        ミスター・ハメットは「影なき男」の続編を書くことになってい
        て、映画会社が彼女を派遣したのもそのためなのだが、来る日も
        来る日も、起きて下に降りて来る日さえも、ミスター・ハメット
        が仕事に取り掛かる素振りも見せないのだから、ミルドレッドに
        はどうしようもない。彼は本ばかり読んでいる。』

      『ロサンジェルスでハメットは、ベヴァリー・ウィルシャー・ホテ
        ルの寝室が六つある豪華なスイートに移り、連日連夜パーテイを
        開き、数週間後、頭痛、白いタイプ用紙、無駄にした時間や週末
        性交不能などをつらつら考えたあげく、再度禁酒をはじめ、生活
        に秩序を取り戻そうとした。ハメットは、酔いどれで、金を浪費
        し、期限通りに姿を見せず、仕事もしない男とみなされはじめて
        いた。』

       1938年以後のハメットを解く鍵は「書けない作家」にあると私
       は思っています。彼の奇行とも思える行動も、風変わりな男だと思
       われる言動も裏にあるのは書けない状況にいる作家だからというこ
       とだと思うのです。

       その一つの例が政治活動への参加です。書けない作家ハメットは目
       の前にある「白いタイプ用紙」とのにらめっこが嫌になり、逃げ出
       す日々だったわけですが、じゃあ、代わりに何をするかという問題
       が起きてくるわけです。酒を飲んで娼婦と遊び戯れて、時間を潰す
       方法がまず採用されました。しかし、それも毎日では飽きてくる。
    その代わりが政治への参加だったのではないかと私には思えるので
    す。ヒットラーの台頭によるファッシズムが自由主義国家に挑戦す
    る時代が始まっていたのです。ハメットの政治活動の最初は反ファ
    ッシズム運動への共鳴でした。それに共産党が積極的だったからハ
       メットの共産党との繋がりも始まったという構図だったのではない
       でしょうか。しかし、彼の本心は書くことからの逃避だったのでは
       ないか。酒を飲み、娼婦と戯れるよりは時間を潰す方法としてはま
       しではないか。その程度だったのではないか。そんな気がしてなり
       ません。なぜなら、作家として多忙だった頃の彼は政治には全く関
       わりを持っていなかったからです。もし、「影なき男」のあとも作
        品を発表し続けていたら、彼は政治には参加することはない作家で
       あり続けたと私は思います。書けなくなり、その事実に耐えられな
       くなった故に、政治に関わったに違いありません。書くことからの
       逃避だったと言っても過言ではないのではないでしょうか。

      『こんなハメットにも書けるものがなくはなかった。例えば、リリ
        アンへの手紙ー彼女がしょっちゅう旅行に出て滅多にそばにいな
        かったので。それから、政治活動上の声明書やまじめな書簡、人
        の著作の要約や有益な助言。そして、リリアンの戯曲への下手な
        手直し。だが、創作のためにいざタイプライターの前に座ると、
        たちまちアイデアも言葉も脳裡から消えうせ、白紙の絶望がとっ
        て変わった。たとえ、苦労してパラグラフを一つ捻り出しても、
        それを出来る限り、短縮し、破棄したいという、殆ど強迫観念の
        ような破壊欲にかられるのだった。』

      これはダイアン・ジョンスンの「ダシール・ハメットの生涯」の一
       節ですが、面白いと同時に重大な一節だと感じましたので、私の感
      想を述べておきたいと思います。まず、この文章ですが、ただの伝
      記作家では書けない文章と言えるでしょう。何故なら彼女自身が作
      家だからです。書けない時の苦しみを知っている人間の文章なので
      す。これがまず、第一点。

      次に「政治活動上の声明書」という何気ない言葉です。これらがハ
      メットの共産党への加担、ひいてはアメリカ社会への破壊への加担
      と言われた様々な声明書への参加の実態なのです。彼は自分の作品
      が書けないから、気分転換の為に、旅行中のリリアンに手紙を書い
       たり、依頼されていた政治活動への署名をしていたということなの
      です。勿論、賛同したからサインしたのでしょうが、実際の運動に
      はあまり参加していないようです。それでも相談されれば意見も述
      べ、するべきことはしていました。但し、声明書へのサインは酔っ
      ていなくて、手が震えていない時に限られたし、行動への参加も酔
      って娼婦と戯れたり、くだらないパーテイに時間を取られていない
      ほんのわずかの時間でしたが。

      最後に「リリアンの戯曲への下手な手直し」という言葉です。ダイ
      アンはリリアン本人からの手紙や資料提供に基づいて、この伝記を
      書いているわけです。ですから、その文章には当然、リリアン・ヘ
      ルマンのチェックが入っているはずです。この文章に関しては「例
      え、それが本当のことだとしても貴女のような若い子に言われる筋
      合いはないわよ」と激怒するリリアンの姿が見えるようです。この
      伝記の出版が遅れたのも彼女のOKがなかなか出なかったからだそ
      うです。それを頭に置いて、この言葉を読むと、色々な裏事情が浮
      かんで来るような気がするではありませんか。現実にはリリアンの
      戯曲はハメットの手直しがあったからこそ出来が良くなったわけで
      すから、これは「リリアンの下手な戯曲への手直し」とダイアンが
      書いたのを、リリアン本人が怒って、「リリアンの戯曲への下手な
      手直し」と直したとは考えられないでしょうか。勿論、これは訳者
      の小鷹先生が原文をそのまま訳しているという前提がつきますが。
      つまり、この言葉はダイアン、リリアン、小鷹信光先生の三人が絡
      み合う闇の中の戦いを想像させる言葉と言えるでしょう。いつも言
       うように伝記を読む楽しさはこういった所にもあるのです。「下手
      な」という形容詞一つで、こんなにも想像を働かせ、楽しむことが
      出来るのです。

      ハメットの突然の陸軍への志願入隊は1942年9月のことでした。
      リリアンにも内緒でした。これを知ったリリアンの反応をダイアン
      は伝記の中でこう書いています。

      『リリアンは呆然とし、ぞっとした。ハメットが死んでしまう。あ
        んなひ弱な体で、現実の生活から逃げるなんて馬鹿げたまねだわ。
        彼女はありったけの言葉で毒づいた。「今日は、私の人生の中で
        最も幸せな日だ」とハメットは言ってのけた。』

      この文章で注意しなければいけないのは「リリアンは」から「毒づ
      いた」までは本当にリリアンの言葉なのか、ダイアンの創作なのか
      この部分からだけでは判断できないことです。というのは「伝記」
      の前半部分でもダイアンは勝手にハメットの心情などを自分の創作
      で書いていたからです。何故、そのことに拘るかと言えば、それに
      よってリリアンとハメットの関係の解釈が変わってくるかも知れな
      いからです。

     「現実の生活から逃げる」という言葉は「書けないハメットはその
     苦しみから逃れるために入隊してしまった」という意味になるから
     です。もし、リリアンが本当に「毒づいた」のなら、ハメットが逃
     げたと思っていたことになります。しかし、ダイアンが創作したの
     ならリリアンの本心は分からないということになります。ダイアン
     はこの入隊を書けない状況からの逃亡だと思っていることは前後の
     文章から読み取れることです。リリアン本人がどう書いているか、
     「未完の女」から読んでみます。

     『だいたい四十八才という年令でなぜ従軍する気になったのか、い
       まだに私には納得がいかないのである。陸軍が入隊を認めた日に、
       彼から電話がかかってきて、今日は自分の生涯で一番幸せな日だ
       という。そして私が、私にとっては一番幸せな日どころではない
       し、だいいち肺の古傷のほうはどうなの、とたずねると、彼は大
       きな声で笑っただけで、受話器をおいてしまった。』

     『軍隊生活に幸福を覚える人が多くいることは、いうまでもないが、
       第二次世界大戦が始まるまで、私はそういう人を実際に知らなか
       ったし、知りたいと思ったこともなかった。従って、ハメットが
       その一人だと分かったときは衝撃を受けた。一般のアメリカ人よ
       り以上に自分独特の基準に従って生きてきた偏屈者が、なぜ軍隊
       生活の拘束や規律や重労働を、楽しく、愉快なものとして受け取
       ることが出来たのか、私にはどうにも納得出来ないのだ。もしか
       すると、他人に律せられる生活がなにかの問題を解決してくれた
       り、自分ひとりで仲間を見つけることの出来ない人間に一つの位
       置を提供してくれたからかもしれず、あるいは、四十八才になる
       男に、自分の半分の年令の連中と伍してやってゆけるという、一
       種の誇りを与えてくれたのだろうか。それとも、そうしたことを
       全部ひっくるめた理由からか。あるいは、単に彼が祖国を愛して
       いて、戦争になったら是が非でもたたかわなくてはならないとい
       う気持になったからかも知れない。ハメットの理由がなんであっ
       たにせよ、アリューシャン列島での苦労も彼にとっては苦労と感
       じられなかった。』

      これらの文章から読むリリアンの本心は書けないで悩んでいるハメ
      ットには触れたくないという所ではないでしょうか。「他人に律せ
      られる生活がなにかの問題を解決してくれたり」という辺りで、そ
      れとなく触れているような気もしますが、ハメットの誇りを傷つけ
      たくないという気配りから、それ以上は言及しなかったのではない
      かと私は感じます。従って、ダイアンの文章はリリアンの心境を伝
      記作者が推察してのそれだったと解釈するのが正しいような気がし
      ます。ですから、ダイアンの文章の、この部分に関してもリリアン
      のOKがなかなか出なかったのではないかと推察したりもしていま
       す。

    しかし、リリアンのこの文章は彼女の意図とは別な、あるヒントを
      与えてくれているような気がします。つまり、ハメットは軍隊生活
      を楽しめた男だったということです。自ら志願して入隊したのです
      から、少なくても軍隊を怖がってはいなかったといえるでしょう。
       このことは後の証言台でのハメットの言動を解く鍵にもなっている
      と思います。ハメットは軍隊も監獄も大した違いはないと思える男
      だったのではないでしょうか。つまり、監獄に行くことを怖がる人
       間ではなかったのではないかということです。その上、書けない作
      家には書くことを禁止されたとしてもちっとも困らないのです。ど
      っちみち書けないのです。この辺がカザンとは状況が違っていたと
      いえるでしょう。まあ、この問題は次回にして、この章の最後に軍
      隊時代のあるエピソードに触れておきたいと思います。

      様々な政治運動に参加していたハメットはこの頃にはFBIの要注
      意人物に指定され、常にマークされていたのです。ダイアンの伝記
      にこういう文書があります。これはFBIの秘密文書が公開されて
      手に入ったものでしょう。FBIが陸軍情報部に照会した文書のよ
      うです。この頃、ハメットはアメリカ作家同盟の会長に祭り上げら
      れていたのです。

     『陸軍省情報部長
       司令部参謀
      ヘイズ・A・クローナー准将閣下殿

      照会人物 ダシール・ハメット

       当局は、上記の人物、即ちコミュニスト団体のアメリカ作家同盟
       の会長が、1942年9月18日前後に一等兵として合衆国陸軍
       に入隊したとの情報を得ております。当局の調査では、ハメット
       は共産党のシンパであります。閣下がこの情報に留意され、適切
       な配慮をなされるよう要望いたします。

                                                   ワシントンDC
                                    連邦捜査局長官
                             J・エドガー・フーヴァー

      1942年10月6日』

     『ワシントンDC
      司法省 連邦捜査局長官
      J・エドガー・フーヴァー中佐殿

      拝復フーヴァー中佐殿

     陸軍省のファイルを調べましたが、該当する人物は、陸軍軍人の
      中にも、陸軍省で働く文民の中にも見当たりません。当情報部は
      この人物の調査を必要ないものと判断します。

                        陸軍情報部先任将校補佐
                             司令部付大佐
                                             ジョン・T・ビッセル

   1942年10月22日  』

    この文書から言えるのはFBIの情報は正しく、陸軍情報部がお粗
    末だということでしょう。陸軍がハメットを確認できなかったのは
    ハメットが志願兵であり、入隊後、数箇所に転属されたためでしょ
    うが、それにしても流石に噂に高いFBIの情報網ですね。
    この結果、FBIはハメットが別の場所にいる可能性も考えなけれ
    ばならなくなり、無駄な捜査を強いられたことでしょう。

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