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『海外ミステリを読む』(37)

  「ダシール・ハメットの生涯と作品」(10)

  第10章「ミラーとカザン」

      劇作家アーサー・ミラーと演出家エリア・カザンは共に手を携えて
        アメリカの演劇界に躍り出て、一躍スターになったと言っても過言
        ではないでしょう。ミラーの1947年の「みんなわが子」と19
        48年の「セールスマンの死」はカザンの演出があったからこそ成
        功したことは間違いのない事実です。しかし、その成功のあと、「
        赤狩り」という時代の波の巻き込まれ、翻弄されてしまいました。
        同じように「赤狩り」の為に人生を狂わされたハメットとヘルマン
        の生き様を見る前に、この二人の場合はどうだったのかを考えて行
        きたいと思います。

        今、私の前に二人の自伝(勿論、日本語訳です)があります。どち
        らも上下二巻の大作です。先に書かれたのがミラーの自伝(198
        7年)で835ページ。カザンのが1988年で、1139ページ
        あります。内向的で、静のミラー。外交的で派手なカザン。そんな
        性格の違いを持つ二人がニューヨークの演劇界、ハリウッドの映画
        界で時代の波をまともにかぶりながら生き抜く姿は、下手な小説の
        遠く及ばない面白さです。訳はミラーのが倉橋 健氏。カザンの方
        は佐々田英則、村川 英の両氏です。 この章ではハメットとヘル
        マンにも関係ある部分を中心にしながら、二人の生き様を、お互い
        の自伝から読んで行きたいと思います。ただ、読者を「赤狩り」と
        は何かの基本的な知識がある人と想定して話を進めますので、この
        言葉を初めて聞いたという方は下記のサイトに目を通しておかれた
        方が理解が早いと思います。

          http://www.sankei.co.jp/mov/db/99a/0112backup.html

          http://village.infoweb.ne.jp/~fwjh1818/edit/eliakazan.htm

        全体的な印象で言えば、ミラーは牛が咀嚼して食事をするように、
        自らの生涯を彼流に咀嚼して表現していると言える気がします。
        題名の付け方からもそれが窺えるのです。カザンのそれは「A L
        ife」と率直ですがミラーは「Timebends,A Life」としています。
        訳者の倉橋健氏は「あとがき」でこの題名について、こう書いて
        います。

       『題名はTime(時)とBends(曲がること)の合成語である。もっとも
       「曲がる」といっても、単に「方向を転じる」あるいは「方向が変
         る」というだけではなく、「曲線状に、または抛物線を描いて曲
         り変る」という意味が含まれている。(中略)
        とすれば題名は「時の曲折、ある人生」でもいいわけである。
        所がミラーのなかでは「時」は過去、現在、未来をつなぐ継続的
         流れとして捉えられている。それが彼の「ある人生」であって、
         過去を清算することが現在ではないというのである。こういうミ
         ラーの思考や感懐を考えると「時の曲折、ある人生」ではしっく
         りこない。「時のおりふし」と言う言葉も浮かんだ。』 

       しかし、結局、ミラーの複雑な胸の内は内容から察して貰うことに
       なったらしく、日本語訳では「アーサー・ミラー自伝」となってい
        ます。

      『この自伝は年代的な構成をとっていない。ミラーはその時々の「
        現在」に立ち止まり、過去を振り返り、あるいは将来をながめ、
       「意識の流れ」のように記述をすすめている。』
                                     (同じく「あとがき」より)

       この方法はリリアン・ヘルマンが回想記で採用した方法です。しか
     し、ヘルマンは下院非米活動委員会では自らを貫き、有期刑からも
       逃れることが出来たにも関わらず、その回想記では歴史的な記述の
       部分で嘘が多いと非難されました。一方、ミラーはこの自伝でもヘ
       ルマンのように非難されることはないようです。私にはこれは単な
       る記憶力の違いだけではなく、ミラーの用意周到さがあるような気
       がします。自らの激情を押さえ込んで冷静さを装い、それを文章に
       している。そんな印象があります。

       一方、カザンはそれとは対照的に、自らの胸の内を正直に吐露して
       いま す。

      『私は後悔という感情を知っている。自責の念も。そして、プライ
        ドも。そう。実に様々な時代があったのだ。作家というのは、恐
        らく映画監督や演出家以上に、印象や経験という形で蓄えてきた
        ものを糧としている。私達が学ばねばならないのは、自らの激情
        を否定するのではなく、それを尊重するということだ。激情は人
        間の属性であると共に、人間の素材なのだ。普通、人は過去の苦
        痛を忘れよう、乗り越えようとする。人は最大の痛みから自らを
        守ろうとする。だが、芸術家というのは、普通の人とは違った生
        き方をしなければならないし、苦痛は自らが選んだゲームの一部
        なのだということを認識している。私達の弱さ、過ち、罪といっ
        たものは、他人を理解するよすがなのだ。私達は過去を振り返る
        とき、顔を背けてはならない。』

       正直を通り越して、言い過ぎている部分がないとは言えないようで
       す。ハメットが寡黙故にボロを出さずに済んだという言い方をする
       なら、カザンはその饒舌でボロを出したと言えるかも知れません。

       カザンの饒舌はこんな風なのです。ある女優のことをこう書いてい
       ます。勿論、口説き落として性的な関係を持った相手です。

       『あの頃はいつでもいらっしゃいという感じだった、彼女は言った。
       「いらっしゃい」というのは本人の言い方だ。椅子に座って、立ち
         上がってみると、服の後ろに小さなしみがついていることがしば
         しばだった。「あれには困っちゃって」と、彼女は言った。それ
         で、医者に行ってみると、こう言われた。「めったにない特別な
         ものをお持ちですな」。医者は注射をしてくれた。「だから、今
      はいつでもいいわってわけじゃないの」』

        この女優はマリリン・モンローです。いくら何でもここまで書くの
       はひどすぎると私などには思えます。彼女が死んでからの文章であ
    り、彼女がそういう女性であったことは周知の事実だったとしても、
    演出家としてすでに名を挙げているカザンが書いてはいけないこと
    でしょう。皆が知っていることだからいいだろうという感覚がカザ
       ンの意識にあったに違いありません。「赤狩り」の時に、お前の知
    っている共産党員の名前を挙げろと言われて、もう相手は知ってい
    るのだから私が言わなくても誰かほかの人間が言うかも知れない、
       という心の動きに繋がったのだという気がします。

       その頃、ミラーとカザンは「フック」という映画を作るための作業
       をハリウッドで続けていました。あるパーテイに遅れて参加したカ
       ザンはマリリンがミラーと踊っているのを目撃します。

       『着いてみると、求める同士が巡り合って、お互いの目の中につつ
         ましやかな情欲の炎を燃やしているという光景が見て取れた。私
         は二人が踊るのを見守っていた。アートはダンスがうまかった。
         彼の腕の中でマリリンがいかに幸せそうだったことか!彼は長身
         でリンカーン・タイプのハンサムであっただけでなく、ピュリッ
         ツア賞受賞の劇作家だった。(中略)
        パーテイも人影まばらになった頃、私達三人はソファーに座って
         いた。記憶に間違いがなければ、私は奥ゆかしいことをした。ひ
         どく疲れたのでマリリンを送ってほしいとアートに頼んだのだ。
         マリリンはぱっと顔を輝かせた。その夜遅く何が起きたのか、私
         は知らない。しかし、マリリンは詳細には触れなかったが、こん
         なことを言った。アートは内気だったけれども、自分はほかでさ
         んざんひどい目にあわされた後だけに、かえってそれがうれしか
         ったと。彼女はまた、アートの家庭生活がひどく不幸せだとも言
         った。アートが彼女に何でも打ち明けたのは間違いなかった。
          (中略) 
        (その後も)私は時々彼女と夜のデートをしていた。だが、彼女
         はアーサーにぞっこんだったので、ほかのことはたいして話しも
         しなかった。彼もマリリンに執心だった。私は男らしく道を譲る
         べき時が来たと思った。しかし、アートが彼女をどこまで口説い
         ていたのかは分からなかった。彼はこの分野では押しの強いほう
         ではなかった。マリリンが彼のことを語る時、目には星が輝いて
         いたが、それはロマンスの星だった。私達は基本的に三人で一組
         だった。みんながそれぞれに楽しみを分かち合っていた。』

        この時(1951年)実は、ミラーとカザンは恋愛騒ぎ以上の重大
        な局面に立たされていたのです。コロンビア映画から依頼された「
        フック」というシナリオに社長からクレームが出ていました。組合
        運動を主題にした映画だったのですが、アメリカの労働運動は共産
        党とは関係ないのだということを強調して欲しいというような要請
        を受けたミラーとカザンは譲歩しながら自分達の望むような方向に
        持って行こうと努力している最中だったのです。

        ですが、最後にはミラーがその要請を断り、映画化は中止になりま
     した。しかし、カザンはやりたかったらしく、ニューヨークに帰っ
     たミラーからの電報で彼の「撤退」を知った時の心境を自伝の中で
         こう語っています。

       『「フック」は死んだ。突然に私の手からもぎ取られた。私は闘い
         で敗れることはいとわなかった。だが、闘いから逃げ出すことは
         好まなかった。何がアートをそうさせたのか?』

       この時期のカザンはもう演劇より映画に全力を傾けていたのです。
       自分が一流の監督だという自信もあった筈です。一つの映画をー自
       分の創りたい映画を完成させるためには監督は製作者、脚本家、俳
       優、スタッフと次々に渡り合わなければならないのです。権謀術策
       を用いて、時には褒め、時には騙したりもしなければなりません。
       それは文字通り闘いといっても過言ではないでしょう。この作品で
       もカザンはコロンビアの社長とミラーの間に入り、双方の意見を調
       整しながら自分のめざす映画にしたいと画策を進めていたのです。

       『私の戦術は規格外の映画をつくる監督がよく使う手だった。仕事
         をどんどん進め、俳優を契約で抑え、セットをつくり、小道具や
         衣装を集め、ネガを現像し、撮影所をその映画にどっぷりとつか
         らせてしまえば社長も喚いたり叫んだりする以外、何も出来なく
         なるだろう。撮影を二、三週間続けたところで中断するとなれば、
         金だけでなく、面子の面でも取り返しのつかない損失をこうむる
         ことになる。するべきことは、とにかく映画を撮り始めることだ
         った。』

        なのに肝心のミラーが「そんな理不尽な要求はのめない。僕はもう
        やめる」と勝手に降りてしまったわけです。シナリオがなければい
        くら名監督でも映画は創れないから、カザンは怒りが収まらなかっ
        たのでしょう。 彼はさらに続けます。

       『アートは何を守ろうとしたのか。脚本か彼自身か。私は彼の電報
         を思い出した。彼はパニックに陥っていた。そういわざるをえな
          い。  (中略)
        私が共産党員だったことを彼は知っていたが、彼もそうだったと
         は思えない。私達は親友だったかもしれないが、その問題につい
         ては話し合ったことはなかった。私は自分に向けられた脅威につ
     いて心配するのはとっくにやめていた。ワシントンの委員会に召
     還されるずっと前から、自ら認めていたからだ。』

       ここでやめとけばいいものをカザンは性格からでしょうが、余計な
        ことを書いてしまうのです。

       『私は心に決めていた。その時が来たら、一年半にわたって党員証
         を持っていたことを率直に認め、自分に関することは何も隠し立
         てせず、不利益な証言を強要されない「修正第五条」には頼らな
         い。しかし、どんな圧力を受けても、他人の名前は口にしない、
         と。それは恥ずべきことだった。考えるにも値しない選択だった』

         彼が実際に行ったことを皆が知っているわけですから、こんなこと
        を言われても白々しく感じるだけではないでしょうか。マリリンの
        秘事とも言うべきことを平気で書いてしまうことと同じ感覚だと私
        には思えるのです。マリリンは遊ぶには楽しい女だが、妻にする女
        ではないとはっきり書いています。つまり彼女へのある種の侮蔑の
        念があるから、そういうことを書いてもいいではないかという感覚
        でしょう。皆が知っていること、他の人が漏らすであろうことだか
        ら自分が口にしてもいいではないか。勿論、根底には成功者への僻
        みや妬みがあるでしょうが、カザンが嫌われたのはこういう品性の
        欠如ではないでしょうか。言葉を換えれば、自分のしようとしてい
     ることが品性の欠如に基づくものだとは思えない感性の持主なので
     しょう。だから、悪いことをしたと思えず、非難する他者への怒り
     ばかりが先に立つのです。

       『恐らく、アートは自らの結婚生活の現状と、それに起因する心痛
         のせいで動揺していたのだろう。しかし、それにしても、どうし
         て彼はあれほど深くマリリンへの愛にのめりこんでしまったのだ
         ろう。いくら何でも、テイーンエイジャーではあるまいに。それ
         は経験の乏しさのせいだったに違いない。つまり、彼女と結婚す
       るなどということは思いもよらなかったのだ!マリリンはおよそ
         妻というタイプではなかった。それは誰の目にも明らかだった。
         いくら経験が乏しいからといって、彼はそれも分からないほどの
         馬鹿ではなかった。』

       マリリンのような女に本気になるなんてミラーも馬鹿な男だと言
    っているわけです。カザン自身はマリリンとの関係を遊びと割り
    切っているのが明白です。

       次に、ミラー本人がどう書いているか彼の自伝から引用してみます。
    
       何回か会っている内にミラーは「この理解しがたい娘のなかにある
       人知れぬ気高さに心を乱されていた。ほとんど触れたこともないの
       に、密かに通い合うものが、希望のようなものがあるように思えた」
       と感じていたのです。この時、ミラーは36才、マリリンは25才
       でした。ミラーがハリウッドを離れる時、彼女はカザンと一緒に空
       港まで見送りに来ました。その時の模様です。

       『彼女を見るのが辛く、このまま逃げ出すか、無明の世界に踏み込
         むしかないと知った。その眩しい輝きを持ってしても、どういう
         わけか彼女のまわりには、暗さがあった。私の内気さの中に彼女
         が安心感と、もみくちゃにされた生活からの開放を見ていたとは、
         まだ思っていなかった。逆に私は自分の臆病さを憎んだが、今変
         えるわけにはいかなかった。別れるとき頬にキスすると、彼女は
         ハッと息をのんだ。』

       ミラーはカザンと違って本気だったのです。多くの人がマリリン・
       モンローについて書いていますが、女としてではなく、一人の人間
       としての彼女の内面を描いたという点ではこの本が白眉だと思いま
       す。ノーマン・メイラーの愚作「鹿の園」はマリリンをモデルにし
     たと言われていますが、彼が何故、マリリンをあんな風に描いたか
     のヒントもミラーの自伝にあります。ですが、この章はマリリン論
       ではありませんので、これ以上横道に入るのは止めておきます。

      ミラーの自伝で一番面白いのはマリリンに関する部分だと言えると
      すれば、カザンの自伝はと言えば、我々の知っているハリウッドの
      スター達が宣伝部や芸能記者が伝えているのとは違う、生の姿で登
      場する部分でしょう。

   カザンは自伝の中で自らの「裏切り」についてこう弁明しています。

       『私がグループ・シアターの左翼の名前を明かさなければ映画界で
         働けなくなる、とスクーラスがほのめかしたことに触れたうえで、
         アートにこう言った。私は当分、映画の仕事も金も入らなくなる
         にしても備えはしているし、それだけの犠牲を払う価値があるな
         ら苦境に耐えていくだけの覚悟もしている。しかし、そういった
         判断を全面的によしと出来ないものがある。一体、何の為にすべ
         てをなげうとうというのか、何度も自分に問うてみた。正当とは
         思えない秘密を守るため、他人がすでにその名前を明かしたか、
         そのうち明かすであろう人々を守るためではないのか。私は長年、
         共産主義者を憎んできたのに、彼らを守るために自分のキャリア
         を投げ打つことが正しいとは思えない。』

        つまり、私が知っている共産党員たちはそれだけの犠牲を払う価値
        はない人間達だと言っているわけです。彼らの人生より、才能ある
        監督である私の映画創りの方が意義があると言っているようにも取
        れます。

        この時のことをミラーは次のように書いています。カザンがミラー
    に話があると言って会ったのです。

    『彼は、ほっとしたように、首尾よくすんだと言わんばかりに切り
     出した。話は簡単な型通りのもので、いくらもかからなかった。
     彼は喚問され、いったんは協力を断ったものの、思い返して出頭
     し、非公開ですべてを証言し、自分が党にいた何ヶ月間に知った
     数十人の名前を確認したのである。彼は肩の荷をおろしたように、
     さばさばしていた。実際には済んでしまったことなのに、私の助
     言を求めた。彼が欲しかったのは諒解であった。』

    『彼はいつも自分は生き残りの家族の出で、生き残るのが仕事だと
     言っていた。彼は努めて淡々と話していたが、それは林のなかで
     私の前に広がる静かな災厄だった。彼に同情すると共に彼が怖く
     なった。』

    『カザンが必要とあらばいつでも私を犠牲にしかねないという事実
     は否定出来なかった。』

    これが1952年のことです。一方、ミラーの喚問は1956年で
       す。実はこの4年と言う歳月の差がミラーにとっては幸運だったと
       言えるでしょう。「赤狩り」という狂気に対してアメリカ国民が冷
       静さを取り戻しつつあったということでしょうか。ミラーがシンパ
       ではあっても共産党員であったことがないことも関係あったでしょ
       うが、委員会もカザンに対するより厳しくはなかったと言えるよう
       な気がするのですが、ミラーは自伝の中では「聴聞会の記憶は、乱
       闘のあとをたどるのと同様、とぎれとぎれである」と書いていて、
       カザンのように具体的な出来事を明 らかにしていないのです。記
       憶力のいいミラーがこのような大事なことを忘れるはずはありませ
       ん。これは嘘でしょう。ニューヨークの下町で生まれ育った男のア
       メリカでの処世術と言っていいでしょう。一方のカザンは同じ貧乏
     でもギリシャで生まれ、移民としてアメリカに来た男です。ミラー
     のようなアメリカでの処世術を身に着ける暇はなかったのでしょう。
     ミラーとカザンの生き方の違いは結局、ここにあったような気がし
    ます。

       結局、委員会が彼に求めたのは「将来はアメリカについてもっと明
       るく書くように」ということだったと自伝にはあります。ミラーは
       アメリカについて悲劇的に書き過ぎると叱られた程度に終わったよ
       うな印象を残す書き方しかしていないのです。何か書きたくない裏
       の事情があるのではないかとわたしには思えます。

       それには召還される直前のエピソードが関係しているのではないか
       と思います。当時、ミラーはマリリン・モンローと結婚するために
       はまず離婚しなければならなかったのです。一番簡単に離婚出来る
       ネヴァダ州でも六週間は滞在する必要があるらしく、ミラーはそれ
       を実行し、滞在42日目にリノにある弁護士の事務所を訪れました。
       その弁護士はニュー ヨークの弁護士が離婚の手続きのために紹介
       してくれた人でした。

       そこには先客が一人いました。ジョン・ウェインに似た男だったそ
       うです。ミラーの顔を見た弁護士は非米活動委員会の調査官が召喚
       状を持ってミラーを捜して、ここにも来たというのです。弁護士は
       どうするのかとミラーに尋ねます。ミラーは咄嗟に返事に迷います。
       が、弁護士はミラーの返事を聞かずに、電話をかけてくるからと自
       室に行ってしまったのです。すると、ジョン・ウェインに似た男が
       「どうするつもりだ」と話かけて来たのです。用心深いミラーはこ
    れは何かあると気が付きます。すると、その男は話題を変えてきま
       す。

       『「ところで、ダシール・ハメットを知っているかい?」
        「そりゃあ、もちろん」
         一体、ハメットのような急進派と、このジョン・ウェインは
          どんな関係があるのだ?
      「アリューシャンでおれの隊の軍曹だった。二年ほど、おなじ
           兵舎で暮らしたんだ。いろんなことを教えてくれたよ」
         私は唖然とした。数年前、ハメットは、アメリカ公民権会議の
         保釈金寄付者の名前を挙げるのを拒否し、投獄されたことがあ
         る。』

       そのジョン・ウェインに似た男はさらに自分はテキサスに農場を持
    っているからそこに隠れていればいいと薦めてくれるのです。ハメ
    ットもしばらくそこに隠れていたのだが、「馬鹿なことにそこを出
       て、捕まってしまった」とまで言うのです。流石に、裏に何かある
       と気が付いたミラーは彼らの誘いに乗らずに、部屋を出た所でその
       調査官に会い、自分から名乗り召喚状を受け取ったというのです。
       この日が離婚に必要な滞在42日目だからミラーが来る筈だと
    知っているのはこの弁護士だけではないでしょうか。たまたま、そ
       の日に偶然政府の調査官がリノまでやって来るとは思えません。ミ
       ラーを逃亡させて、どうしようという計画だったのでしょうか。ミ
       ラーはこれがはっきり罠だったとは書いていないのです。ただ、ち
       らっと仄めかしているだけです。

       『マリリンとやがて結婚しようという今、私が姿をくらませば大騒
         ぎになり、矛先は彼女に向かうだろう。』 

       これだけなのですが、ここに真相があるような気がするのです。つ
       まり、マリリンとミラーの結婚に反対する映画関係者がこのスキャ
       ンダルを演出し、結婚をやめさせようとしたのではないか。そして、
    それから30年経っているのに、この程度しか書いていないのは背
    後の右翼筋を刺激しないためではないか。勿論、私の勝手な推理で
    すから、真偽の程は分かりません。ただ、こんなエピソードがあっ
    たと紹介するに止めたいと思います。

    最後に、このエピソードの中で、ミラーがハメットについてこう書
        いていますので、紹介しておきましょう。 

       『私はハメットとは親しくなかった。彼がめったに口を聞かなかっ
         たせいもあるーその孤高の寡黙は他人を寄せ付けない戦術だった
         のかも知れない。しかし、彼は稀に見る信念の人で、他からも尊
         敬され、書くものもすばらしかった。行動の人という世評にも関
         わらず、実際には鬱屈するものがあったような気がする。海のも
         のとも山のものともつかぬ戦後のすべての風潮に対し、高みの見
         物を決め込んでいたふしがある。長年の伴侶リリアン・ヘルマン
         と同様、その信条はともかく根はアリストクラットで、ヘミング
         ウェイやフィッツジェラルドの政治的未熟さや個人的ないい加減
         さには批判的でありながら、左翼作家より彼らに親しみを感じて
         いた。才能に対する尊敬と面白い金持がいた1920年代が、今
         も彼の座標軸で、人間関係の質に対する現在の無関心さに何より
         も腹をすえかねていた。』

        最後の部分は訳が悪いのか、原文が悪いのか、それとも私の頭が悪
       いのかは判断出来ませんが、意味がよく分かりません。でも、まあ、
       ハメットに対してあまり高い評価はしていないことは分ります。ヘ
    ルマンにはもっと厳しい評価をしています。

       『事実、リリアン・ヘルマンの誠実さは、晩年の失意の時代にあっ
         たダシール・ハメットやドロシー・パーカーに対する変わらぬ友
        情にみられるようにまことに感動的なものがあった。』 

       このように持ち上げてはいますが、本心ではこうだったようです。

       『彼女には、私に生涯ついてまわった罪の自責の念が欠けており、
         いつも自分自身ではなく、外へ向かって非難を向けていた。だ
         が、私達が打ち解けた友たりえなかったとしても、それは恐ら
         く劇界で競い合っていたからだろう。彼女には私の成功に対す
         る嫉みがあったと思う。』

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