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 『海外ミステリを読む』(49)

「スティーヴン・グリーンリーフ」(9)

   

「熱い十字架」
   ー
私立探偵ジョン・タナー・シリーズ第9作ー
  
 
           (原作1993年・黒原敏行訳)
              (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1621・1995年)
         
    タナーが大学の同窓会に出席することからこの作品は始まります。タナーは四
    十八才。「遠い昔の恥多き日々を今更振り返りたくはない」と一旦は欠席の返
    事を出しておきながら、結局は出席してしまいます。自分でもその心変わりの
    理由が分からないようです。と言うより、これは作者の責任です。心変わりの
    理由については読者を納得させる説明をしていないのです。

    チャンドラー、ロス・マクドナルド、ハメットといわゆる「ハードボイルド」
    私立探偵が主人公の小説をずっと読み続けてきたわけですが、大学の同窓会に
    出席するなど初めてのことです。ハメットは大学などに行っていないので主人
    公の大学のことなど触れていないし、チャンドラーは大学を出ていますが、マ
    −ローが出身大学に言及する箇所はなかったと記憶しています。ロス・マクド
    ナルドは大学院まで行った男ですから、アーチャーの大学時代のことも数回触
    れていますが、それでも同窓会にまでは出席させてはいません。
でも、三人の
    先輩作家達がしなかったからこそ、自分の主人公を同窓会に出席させたのでは
    ないかという気がしないでもありません。「探偵の帰郷」では故郷に帰らせた
    りもしました。これも前記の三人はしていません。つまり、グリーンリーフは
    三人とは違う自分らしさを出そうとしたのではないかという解釈が出来るので
    す。

    タナーは同窓会で親友だったセス・ハートマンと再会します。彼は今、サウス
    ・カロライナ州のチャールストンで弁護士を開業しているのですが、トラブル
    があるので、タナーに来てくれないかと依頼します。タナーが弁護士をやめて
    私立探偵をしていることは勿論知っています。

    この事件の発端の仕掛けも、突然電話をかけてきて、チャールストンに来てく
    れという方法でもいいわけです。ですが、作者は同窓会を利用しました。タナ
    ーに当時の恋人だった女性にに会わせたり、タナーが野球をやっていて、プロ
    のスカウトが試合を見に来る程の選手だったことを紹介しています。このエピ
    ソードはこの作品で初めて明かされるものです。作者はこうやって、ハメット
    やチャンドラーのような「青春時代を封じた」主人公ではなく、「恥多き青春
    時代」を持った主人公を描き出したかったのではないでしょうか。

    「誰かが僕を破滅させようとしているんだ」とセスに泣きつかれたタナーは話
    を聞きます。セスはタナーに一枚の紙切れを見せます。それにはこんなことが
    書いてあります。

    『「南部の誇り」同盟はここにセス・ハートマンを南部の敵とみなすことを
     宣告する。南部流儀を破壊せんとする、堕落した、ふしだらな、人種的純
     潔を汚す、異質で、非白人的で、非キリスト教徒的な勢力を擁護し、その
     手先となって大衆を扇動するセス・ハートマンは、南部の裏切り者であり
     偉大なる白色人種に害をなす背信者である。
     よって次の判決を言い渡す。
      刑:死刑
      刑の執行者:<南部の誇り>同盟に所属する人種浄化旅団
      刑免除の条件:新南部連合の土地からすみやかな退去。   』

    そして、このあとにはこういう文章が続きます。

    『「これは、真面目なものなのかい?」私はそう言いながら紙切れをセス
      に返した。私の脳裏に白いシーツと、燃える十字架と、そうした象徴
      を使う連中の画像があふれた。
     セスはうなづいた。「真面目なものだろう」
     「背景にどういう事情があると思う?」
     セスは目をこすりながら首を振った。「そこが問題なんだ。わからない
     んだよ。でも今は詳しい話に入りたくないんだ、マーシュ。一緒に来て
     、ことの真相を探りだすのを手伝ってくれるかどうか、それが知りたい
     だけだ」最後の方はかすれ声になった。こんなにうちひしがれたセスを
     見るのは初めてだった。』

    この会話のあと、タナーはセス・ハートマンを助けに南部の町チャールストン
    に行くことを引き受けるのです。その理由については長い説明を、読者を納得
    させるのに十分な以上に長い説明を、加えています。

    『私がチャールストン行きを承諾したのは、何よりもある一本の神経に触
     れたからだった。それは罪悪感をつかさどる神経であり、その罪悪感は
     私の公民権運動へのかかわり方に根ざしていた。公民権運動は私が若か
     った頃の時代の象徴ともいうべき政治的運動だった。あの英雄的な運動
     によって、アメリカはアパルトヘイトの泥沼から這い上がり、人種的公
     正さへの道を歩もうとし始めたのだ。人種差別はいまだに残っているし、
     ひところに比べるとむしろ事態は悪化しているとも言える。しかし、だ
     からと言って、あの時代の運動の栄光や、セスのように命を張って戦っ
     た人々の勇気が、価値を減じるものではない。』

    つまり、学生時代にセスは公民権運動に参加し戦ったのに、自分は参加しなか
    った。今の自分はそのことを悔いている。タナーはそう思っているわけです。
    だから、その罪滅ぼしが出来るかも知れないと思い、南部へ行くことを決意し
    たというわけです。

    こうしてタナーはセスと一緒に問題の土地チャールストンに行きます。作者は
    初めて南部を訪れたタナーの目を通して、この町を、この州を、そして現在の
    南部を語ります。まるで、それがこの作品の目的であったみたいに。

        チャールストンとはどういう町なのか。浅井信雄氏の「アメリカ50州を読む」
    にはこう書いてあります。

    『1670年に建設されたチャールストンは18世紀になると奴隷貿易で活
     況を呈し、酒と女に寛容で粗野な雰囲気に包まれ、ニューイングランド地
     方のピューリタン的規律との間に深い心理的ミゾを生んだ。』
              (新潮文庫版)

    結局、その北部との摩擦が奴隷制度の存続をキーにして、南北戦争(1861
    −1865)へと発展したのです。戦争の発端はこのチャールストンで起こっ
        たのです。連邦から脱退したのもサウスカロライナ州が最初でした。言わば、
    南部一の過激州だったようです。州の議事堂の上に南部同盟の戦闘旗を最後ま
    で掲げていたのもこの州でした。前述の浅井信雄氏の本によると、1994年
    にはまだこの旗が掲げられていたそうです。グリーンリーフがこの作品を書い
    たのは1993年ですから、その当時はまだあった筈で、そのことをグリーン
    リーフはセスとタナーの会話の中に「なぜ、州会議事堂に今でも南部連合の軍
    旗がひるがえっているのか」と書き込んでいます。この事実こそが南部とはど
    ういう地方であるかを物語っている気がします。丁度、同じ時期に日本でも内
    乱があり、アメリカと違い、叛乱した薩摩・長州軍が勝ったわけですが、最後
    まで徳川側について戦った東北諸藩の連合軍の軍旗つまり、三つ葉葵の旗が福
    島県や岩手県の議事堂に掲げられていたようなものです。日本では考えられな
    いことです。日本では東北地方で、いまだに薩摩や長州の人間を嫌う風土が残
    っている程度です。過去を忘れることが美徳であるという国民性のなせる業で
    しょう。それに比べて、百年過ぎても屈しない姿勢を見せる南部とそれを許容
    する中央政府の度量の広さがアメリカという国の凄さかもしれません。

    作者はさらにタナーの口を通じて、この町をこう語っています。

    『過去が現在に息づき、歴史が宗教にまで祭りあげられ、未来が神話と先祖
     崇拝の延長線上に描かれているーここまで熱烈にみずからの過去を賛美す
     る町を、私はかって見たことがなかった。』

    『当否はともかくとして、私の世代の私と同じような考え方をする人間にと
     っては、南部とはいまだにアメリカ最大の汚点の象徴であるからだ。その
     汚点は今もって拭い去られておらず、ほかの何にも増してわが国の弱点と
     なっている。』

        着いたその日、タナーその南部の中でももっとも南部的な町、つまりいまだに
    人種差別が頑として存在する町を歩きながらこう感じるのです。

    『目に見えない潤滑剤が社会をなめらかに動かしていて、同一人種と異人種
     間の交流をスムーズに行なわせているように思えた。それは北部の都市に
     見られる一触即発の危険をはらんだ激しい摩擦対立とはきわだった対照を
     なしていた。
     同じような緊張がここでも見られるはずではないのか?何しろここは、す
     べてが始まった土地なのだ。そもそもの初めに、貪欲な白人が根本的原因
     を作りだした土地なのだ。
     それなのに、この町が私にむかつくような嫌悪感を抱かせないのは、いっ
     たいどういうわけだろうか?』

    このタナーの初印象がどう変わって行くか。それがこの作品の見所といってい
    いでしょう。

    タナーは早速、仕事を始めます。いつものように人に会い、話を聞き、敵が誰
    かを探るのです。そうやって歩きまわる内に、この町に対する気持ちも次第に
    変化していきます。南北戦争はこの町の多くの人々にはいまだに、「北部によ
    る侵略戦争」であり、「奴隷制度をめぐる戦争」ではなく、「州権をめぐる戦
    争」に過ぎなかったのです。

    事件の真相を突き止めたタナーはこの町に対して、最初とは違った印象を抱い
    て去っていきます。

     『初めて足を踏み入れたときには純朴な魅力にあふれていると見えたこ
      の町も、今は何となく薄汚れて見え、精一杯の化粧をしたくたびれた
      年増の娼婦といった感じがした。商業地区のつるつるとした安っぽい
      光沢の下には病と堕落が見えるような気がした。』

[深読みコーナー]

 (1)同窓会に行ったタナーが当時の恋人だったリビーとの25年ぶりの再会を楽し
    む場面で、こんな会話があります。

     「その、平穏な人生を送っているのかい?」
     「人生は平穏であってはいけないのよ。そうじゃない?『あのやさしい夜
      の中におとなしく入っていくな』覚えてる?」
     「相変わらずの文学少女だな。おれはただ、幸せにやってるのかと訊いた
      だけだよ」

    若き人のタナーの姿を読者に印象づけるためのエピソードですが、この詩の作
    者はデイラン・トマス(1914−1953)です。この詩をもう少し詳しく
    紹介しておきます。

    この詩「あのやさしい夜のなかへ」は彼の、臨終の父親に対する悲しみの叫び
    です。

    『あのやさしい夜のなかへ静かに入ってゆかないでください。
     老齢は日の暮れに燃え上がり怒号すべきです。
     怒ってください、光の死にゆくのを怒ってください。

     死に臨んだ賢人たちは、彼らの言葉が稲妻を裂くことは
     なかったので、闇は正しいのだと知っていますが、彼らは
     あのやさしい夜のなかへ静かに入ってはゆきません。』

    このあとまだまだ続きます。この詩が気に入ったら、是非全文を、そして、他
    の詩も読んで見て下さい。ここに引用したのは松田幸雄氏の訳文(小沢書店版
    の「デイラン・トマス詩集」)です。

 (2)作者はこの作品の中で、チャールストン出身の作家ジョセフィン・ハンフリー
    ズの「愛にあふれて」(雨沢 泰訳・新潮文庫・平成6年)をタナーに読ませ
    て「そのすばらしい語り口は一ページ目から私をとりこにしてしまった」(8
    0ページ)と褒めちぎっています。私はこの作家を知らなかったので、読んで
    みましたが、17歳の女の子の、成長日記といった青春小説で、これほど褒め
    る程の作品とは思えませんでした。何か裏があるのか、伏線の一つだろうかと
    悩んだのですが、結局分かりませんでした。私には、このことがこの作品での
    最大の謎でした。

 (3)題名について。

    この作品の原題は「サザンクロス」です。つまり、南軍旗のことなのです。そ
    れを出版社は「熱い十字架」と変えてしまったのです。作中にあるこんな文章
    から採った題名でしょう。

    『それでもカリフォルニアにおける人種差別は、クランその他の団体が深く
     浸透している南部ほどではないだろう。白いガウンに尖った帽子の男達、
     曇り空をあかあかと照らす燃える十字架、野卑な怒号、木に吊り下げられ
     た黒人の死体。そういう過去も恐ろしいが、現在もまた同じように憂鬱だ。』

    「サザンクロス」では分かりにくい題名だと判断したためでしょうか。確かに
    「熱い十字架」の方が象徴的で、営業政策としても優れていることは認めます
    が、作者の意図は原題に込められいる筈ですから、少なくても「解説」でこの
    ことに触れるべきだったと思います。

     この作品が書かれて五年後に同じ題名でミステリを書いた作家がいます。パト
     リシア・コーンウェルです。彼女は検死屍官ケイ・スカーベックを主人公にし
         たシリーズで一躍人気作家になり、続いて女性警察署長ジュデイ・ハマーのシ
         リーズでも好評です。後者のシリーズの2作目が「サザンクロス」なのです。
         舞台はバージニア州リッチモンド。つまり、かっての南部連合国の首都です。
         彼女は作品の中でこう書いています。

     『この優雅な町に住む人々の生活は、おおむね順調だった。ところが18
           61年に状況が一変した。この年、バージニア州は連邦から脱退しよう
       としたが、連邦がそれを許さなかったのだ。南北戦争でリッチモンドは
      大きな被害を受けた。戦争が終わると、南部連合国の首都だったこの町
      の住人は、いなくなった奴隷のかわりに借金をかかえて、なんとか生き
      ていかなねばならなかった。戦争には負けたが、彼らは自分達の大儀
      にはあくまで忠実で、依然として南部連合の戦旗サザンクロスを堂々と
      かかげた。』
        (柏原真理子訳・講談社文庫版)

    「訳者あとがき」にも「ロマンチックなタイトルのようだが、実はこのサザン
    クロスは南十字星ではなく、南北戦争当時の南部連合国の旗のことだ」とちゃ
    んと説明しています。
尚、現在でも州旗にサザンクロスを部分的にしろ残して
    いる州が二つあります。ミシシッピ州とジョージア州です。州内の対立構造ー
    つまりサザンクロスを掲げ続けろと主張する勢力の力がまだ残っている州と、
    古い過去の遺物は必要ないと主張する勢力が強い州との違いが読める構図では
       あります。

    最後にもう一言。もし、早川書房がグリーンリーフのこの作品を原題通りに出
    版していたら、講談社の方はどうしていたでしょうね。果たして、サザンクロ
    スを掲げて戦いを挑んだでしょうか。そんなことを考えるのも小説の楽しみ方
    の一つです。

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