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 『海外ミステリを読む』(46)

「スティーヴン・グリーンリーフ」(6)

   

「深夜の囁き」
    ー
私立探偵ジョン・タナー・シリーズ第6作ー
  
 
  (原作1987年・日本語訳1989年・佐々田雅子訳)
   (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1530)
    
  一流企業の顧問弁護士から依頼された仕事がうまく行き、いい報酬が
  貰えそうだと分かったタナーは事務所へ帰る途中、デパートに寄り秘
  書のペギーの為に香水を買った。

    『まだ私達の間には性的な関係はなかった。半端な誘いをかけたこ
   とはあるのだが、きわめて誠実に断られた。私達はお互いに恋人
   よりも友達を必要としている、という分別豊かな判断からだ。私
   達は深い敬意をもって結びついていた。同じように好意を寄せ合
   っていた。加えて、お互いにこういう認識を持っているように思
   えた。つまり、私達はどうでもいいようなところで小さな火花を
   散らすことはあるかも知れないが、お互いの人生における協力関
   係を一番大切にしている。』

  二人はそういう関係だった。お互いに40代で、ペギーは離婚歴があ
  一人娘はこの町で別に暮らしていた。つまり、お互いに一人暮らしで
  あり、邪魔するものはないはずだった。邪魔なのはお互いの自意識と
  いうところだった。

  タナーが事務所に戻るとペギーは長椅子に横になって寝入っていた。
  この一週間程、疲れている様子なのを見ていたタナーは心配になり、
  何かあったのかと尋ねた。だが、彼女はこう答えて、話すことを拒否
  する。

  「何でもないのよ。自分で困った状況に陥っているだけ。だから、
   自分で脱出しなくちゃ」

  しかし、最後に彼にヒントを与えた。
 
  「ずいぶん手間をかけて電話番号を変えたのに、ほんとにあっとい
   う間に新しい番号を嗅ぎつけられてしまうというのはどうしてか
   しら?」

  その夜、自宅に戻ったタナーは彼女のことが気がかりで電話してみる
  がずっと話中だった。様子を見に彼女のアパートに行こうとした時に
  彼女の方からかかって来た。訊いて見ると、友達と話していただけだ
  けだと答える。だが、彼女が何か隠しているような気がして、眠れな
  いまま朝を迎える。

  7時になると、タナーは車を運転して、ペギーのアパートの前に行き
  見張りを始めた。彼女が姿を現したのは十時だった。彼女の勤務時間
  は午後の半日だけだったから、そのこと事態は異変ではなかった。だ
  が、彼女がそれから訪れた場所が問題だった。それはルーシー・スプ
  リングの探偵事務所だった。ペギーは私立探偵を雇わなければならな
  い状況に追い込まれているのだとタナーは知った。

  ルーシーはハリーの妻だったが、夫が殺されたので、夫の仕事を継い
  で探偵事務所を経営していた。

  『ハリー・スプリングは友人であり、良き師であった。保安官助手
   から転じてこの町きっての私立探偵になった人で、私がこの商売
   を始めた最初の年に、仕事をするのに知らなければならないこと
   を教えてくれた。』

  そんな親しい仲なのに、ルーシーはペギーのトラブルが何なのかは教
  えてくれなかった。客を守るという探偵同士の仁義を優先させたから
  だ。
  諦めて事務所に戻ると、ペギーは出勤していた。だが、お互いにぎこ
  ちなく夕方まで過ごした。そして、別々に帰途に着いた。タナーは夕
  食を済ませたあと、行きつけのバーに寄ったが、その店のバーテンに
  ペギーからの「アパートに来て欲しい」という伝言があると聞いて、
  すぐ駆けつけた。

  アパートのエレヴェーターがなかなか来ないので、階段から行くこと
  にして、上がって行くと食料品や靴が散乱しているのを発見する。ペ
  ギーの部屋のドアは少し開いていた。中に入ると、ペギーは寝椅子に
  身を横たえている。

  『頬と唇はふくれて傷つき、彫りの深い顔には、乱暴に書き殴られ
   た落書きのように紫色のあざが広がっていた。前腕はすりむけて
   肉が見えている。その腕で顔を隠そうとした時、血が顔について
   筋をひいていた。ブラウスは肩のところが裂け、ブラジャーの肩
   紐が放物線状の筋になって見えている。スカートは汚れて皺にな
   っていた。呼吸もぜいぜいと苦しそうで、肺がセロファン紙で包
   まれているのではないかと思われた。』

  そんなペギーの状態を見たタナーはレイプされたのかと訊いた。が、
  彼女は階段で突き落とされたのだと答えるだけだった。相手は電話を
  かけてきて、いやらしいことを言う男だと思うが、どこの誰かは分か
  らないとペギーは言った。

  その夜、タナーはペギーのアパートに残って面倒を見てやる。朝にな
  ると、同じアパートに住むカレン・ホイットルがマーガリンを借りに
  来た。ペギーとは親しい仲で、カレンは離婚して娘を養っているとい
    う。別れた夫が娘を取り返しに来るかも知れないので、戦々恐々とし
    ているらしい。そんな話をしたあと、今度はミルクがないことに気が
    付き、カレンから借りることにして、タナーは上の階へと上がって行
    った。

  カレンの部屋をノックすると、娘のリリーがドアを開けて,ママはバ
  スルームにいるからとタナーを部屋の中に入れた。その時、カレンが
  現れて、絶対に家の中に人を入れるなと言ったでしょうと、血相を変
  えて娘を叱った。

  『怒り狂ったカレン・ホイットルがドアの脇の壁に血走った目を向
   けたのが見えた。その視線の先に、ピストルー短銃身の38口径
   のように見えたーが用心金を釘に引っ掛けてぶら下がっていた。』

  驚いたタナーは何とかカレンを宥めて、やっとミルクを借りて退散す
  る。

    それからタナーは犯人探しに乗り出すが、ペギー本人が何故か執拗に
  電話をかけてくる男との会話を話そうとしないので、捜査はなかなか
  進展しなかった。

  『「その男は電話してきて何の話をするんだ?」
   ペギーはゆがんだつくり笑いを送ってよこした。
   「何を話すなんて百も承知でしょう?」と、ペギーは言った。
   「セックスのことを話すのよ」』

  二人で何を話すのか知りたいとタナーが言うとペギーは「触れたくな
  いわ」と拒否するのだった。それでも諦めずに説得して、会話の内容
  を聞き出そうとするタナーに彼女はこう言うのだった。

  「もし、この問題に深入りすれば、つまり、私とこの男の間であっ
   たことをすっかり話したら、貴方の私に対する見方が変わるって
   ことよ」

  「彼は私に喋るように命令して、私はそのとおり喋ったのよ」

  「私は彼に屈服したってことなのよ、マーシュ。分かる?ある意味
   では、彼にレイプさせたってことなのよ」

  「私が言おうとしたのはね、それが問題の核心なんだけど、場合に
   よっては、私も嫌じゃなかったってことなの。私、お喋りを楽し
   んだこともあったわ。どう、信じられる?納得できる?」

    自らの性生活の話の為かペギーは詳しいことをタナーになかなか話そ
  うとはしないので、タナーは次第に苛立ってくる。スパイダーとタナ
  ーが名づけた、その男が女のことを学ぼうとしているようなので、こ
  れまで他の男には話したことのないことまで話してしまったと言い出
  した時には怒ってしまう。

  『ペギーの軽率とも思える発言に腹が立ち、スパイダーの仕打ちに対
   して怒るべきところを怒っていないのに腹が立ち、さらに本心を言
   えば、私が知り合って以来の長い年月をかけてもまだ到達し得ない
   ペギーの秘密の部分に、スパイダーが短い期間で通暁してしまった
   ことに腹が立ったのだ。』

  だが、そのあと、すぐ反省する。

  『そういう私の反応は、独りよがりでひねくれたものだった。男はよ
   く、レイプされた女は自らそれを招いたところがあるのだと身勝手
   なことを口にするが、それと似通った反応だった。』

  しかし、まだ怒りは収まらない。

  『それは我ながら褒められたものではなかったが、ペギーも褒められ
   たものではなかった。』

  俺も悪いが、彼女も悪いのだ。そう言いたいようだ。何故、ペギーの
  することに腹が立つのか?それはタナーが彼女を好きだからなのだ。

  タナーがペギーを守る為に彼女のアパートに止まりこんでいる時、ス
  パイダーから電話がかかって来た。タナーは隣の部屋でふたりの会話
  を盗み聞く。

  『「いや、まだまだある。例えば、お前の下着の一部だ。ブラ。パ
   ンティー。スリップ。それぞれ一枚ずつだ。それも、お前が身につ
   けたもので、まだ洗ってないものを。そうだ、どうしてももらう
   ぞ。私はそれが欲しいんだ」
   「いやよ。お願い」
   「私は欲しいといえば、手に入れる。そうだな?そうだな、マー
   ガレット?」
   「ええ。貴方が欲しいなら。あげるわ」』

  タナーにはペギーが何故、男の言いなりになるのかが分からない。そ
  のことで男だけでなく、彼女にも腹が立つのだった。電話のあと、そ
  のこに触れ、喧嘩になってしまう。彼女の方は、タナーの自分を非難
  するような視線に耐えられないと言う。

  真夜中にペギーの部屋から追い出されたタナーは車で走りまわりなが
  らこう思う。

  『私達は相手が想像していた通りではないという気配を初めて感じ
   たのだ。過去と理想を分かち合ったにも関わらず、私達は戦わず
   して二人の歴史を放棄してしまったようだった。』
  
  この作品では依頼人はいない。タナーと秘書との恋愛が軸になる。訳
  者は「あとがき」でこう書いている。

  『この作品は、社会派色や凝ったプロットというグリーンリーフの
      従来からの持ち味よりも、むしろ大人のラブ・ストーリーという
      色彩によって深く印象づけられるのではないだろうか。』

  『タナーは脅迫者に対するペギーの不可解な盲従ぶりに苛立ち、ペ
      ギーはタナーに蔑みの視線を感じて傷つく。お互いの修復への努
      力も空回りして、和解も束の間、関係はますます悪化していく。
      自らの不器用さに小さな吐息をつきながら、それでも歩みを変え
      ることなく四十代の半ばを過ぎた同士。そういう二人のいわば人
      生の午後三時の愛は、もともと強烈なきらめきはない淡彩の愛だ。
      しかし、それが突然の危機に直面して、思ってもみなかったほど
      の振幅をもって激しく揺れる。翻弄される二人の内面の動きは、
      ペギーの過去の秘密も絡んでスリリングでさえある。』

  正直なところを言えば、最初に読んだ時はタナーと同じようにペギー
    のストーカーに対する反応は男としては苛立ちを覚えた。そして、ハ
    ードボイルド小説を読みたかったのであって、中年の男女のラブ・ス
    トーリーを読むつもりで、この本のページをめくったのではないとい
    う印象だった。だが、数日後にもう一度読み直して見た時、作者の伏
    線の置き方のうまさにまず気が付いた。引用した文章にも伏線の一部
  がある。

  そして、次に作者の意図が少し読めた気がした。作者はチャンドラー
  やロス・マクドナルドがやらなかったことに挑戦しているのではない
  だろうか。殺人事件もなく、依頼人もいない。あるのは秘書との恋愛
  だけだ。だが、裏には別の伏線を敷き、ミステリとしての手順をちゃ
  んと踏みながら、実は描きたかったのはペギー・ネトルトンという一
  人の女性の人生だったのではないだろうか。二回目を読み終わった時
  に、そういう思いで本を置いた。

  訳者は「あとがき」をこう結んでいる。

  『ハードボイルドとしては異色のこの作品に対して、米での評価は
      二つに分かれるようである。否定的な評価は「脱線」とするもの。
   (中略)
   しかし、ハードボイルドに正統が存立しにくくなっている今、作
      家は独自の世界の創造に向かわざるを得ない。グリーンリーフに
      しても現在は創生へ模索を重ねているように見える。勿論、まだ
      完成の段階にはいたっていないにしても、苦闘の中で資質を開花
      させつつあることは、心理描写だけでも充分に惹きつけるものが
      あることの作品の筆力や技巧から明らかである。』
  
  私の結論はこの作品は先輩作家、特にロス・マクドナルドへの挑戦作
    ではあるが、勝ったというところまでは行かなかったと思う。どこが
    悪いかと言えば、事件が解決したあとの二人の関係が書き足りないの
    だ。終わり方が中途半端になっている。作者自身の中でも迷いがあっ
  たのではないだろうか。ここできっちり別れておけば、別の秘書を登
  場させることが出来て、新しい展開も書けただろうにと余計な心配が
  浮かんでくる。シリーズ物では常連の登場人物は大事な要素となるこ
  とをグリーンリーフが知らないわけはない。
ペギーはこのあとの作品
  にも登場するが、もう単なる秘書以上の存在にはなっていない。扱い
  に作者自身の迷いを見るのは私一人だろうか。

  [深読みコーナー]

  私にはこの作品の最大の謎は次の文章です。タナーが車の中でペギー
  のアパートを見張っている場面です。

  『ペギーは十時まで出てこなかった。駐車違反取り締まりの婦人警
      官を避け、ルイス・オーキンクロスを読み、駐車する場所を求め
      て通りを流す運転手者たちを見守りながらそれまでの時間を過ご
      した。』

  前作ではタナーにロス・トーマスを読ませていたグリーンリーフです
    が今回は何と、ルイス・オーキンクロスを持ち出してきました。「女
  刑事の死」なら、車の中から見張りながら読んでも妨げにはならない
  でしょうが、ルイス・オーキンクロスの小説では、見張りも疎かにな
  るし、読んでも作品の内容の理解が疎かになる筈です。それなのに、
  何故、こんな場面でタナーにその作品を読ませたのでしょうか。私は
  そこでページをめくる手を止めてしまいました。

  一体、何のつもりでルイス・オーキンクロスを持ち出して来たのだろ
  うか。弁護士であり、小説家であるオーキンクロスはアメリカ上流階
  級の人間でありながら、自らの属する階級を糾弾し、揶揄する作品を
  発表し続けているので、自らの階級からは「禿鷹として唾棄」されて
  いる男です。中流以下の人間模様しか描かないし、描けないグリーン
  リーフにとってオーキンクロスは雲の上の人間なのです。

  作者の意図が掴めないので、伏線の一つかも知れないなと思いながら
  読み進めることにしました。

  オーキンクロスがどのような作家なのか知らなければ、このあと、私
  の言っている意味が通じないと思いますので、ご存知ない方の為にこ
  こでこの作家について少し言及したいと思います。この作家を知って
  いる方は読まずに先へ進んで下さい。

  ルイス・オーキンクロス1917年ニューヨークに生まれ、ウオル・
  ストリートで弁護士として活躍しながら、WASP(ワスプ)の世界
  を描き続けている作家です。彼自身がジャックリーン・ケネデイと従
  兄妹同士というワスプだから、身内の世界を描いていると言えます。
  日本でさえ下層階級の私としては、アメリカの最上流の社会を描いた
  作品など読みたくもありませんが、資料としては読みます。ハードボ
  イルド・ミステリの世界は所詮中流以下の身分の人間同士の絶望のぶ
  つかり合いです。だからこそ、昨日のわが身、明日のわが身として読
  めるのです。

  肝心のWASP(ワスプ)の意味ですが、Wはホワイト(白人)、A
  Sはアングロサクソン、Pはプロテスタントつまりアングロサクソン
  系の新教徒の白人という意味です。それにお金持ちという条件が付く
  のです。この民族集団に属していても貧乏人は単にプア・ホワイトと
  呼ばれ、WASP(ワスプ)には属さないのです。ですから、簡単に
  言えば、「アメリカの最上流階級の人々」と解釈すればいいと思いま
  す。

  アングロサクソン系の新教徒の白人とは最初にアメリカ大陸にやって
  きて国を築いた民族集団のことです。最初の開拓者として、あとから
  やって来た民族集団に君臨していると言えるのかも知れません。そも
  そも、このワスプという言葉は、二番目に移住してきたユダヤ系、カ
  トリック系の民族集団がアングロサクソン系の新教徒の白人を指して
  言う時の蔑称なのです。日本人への蔑称がジャップであるのと同じよ
  うな使い方だと思います。違いはジャップは白人が日本人を見下して
  いるのに対して、ワスプは見上げながらの蔑称であるという点でしょ
  うか。

  ワスプという言葉の複雑さは今ではアングロサクソン系の新教徒の白
  人自身がこの言葉を使い始めていることにあるようです。日本人が自
  らをジャップと言えば、蔑称であることを知らない馬鹿呼ばわりされ
  るでしょうが、この言葉は単なる蔑称とはすこしニュアンスが違うよ
  うです。

  ワスプについては中公新書に手頃な入門書がありますので紹介してお
  きます。

  「ワスプ(WASP)−アメリカン・エリートはどう作られるか」
    (越智道雄著・中公新書・1998年)

  この本から少し引用してみます。

  『ワスプという言葉は、ユダヤ系、そしてホワイト・エスニックと
   呼ばれる、主にカトリック教徒からなる民族集団(アイリッシュ
   ・南欧・東欧系)の間で使われ始め、やがて比較的リベラルなワ
   スプ自身の間で自己批判的に使用され始めたのである。』

  『ワスプの呼称が頻繁に使われ始めたのは、1970年代、ユダヤ
   系、そしてホワイト・エスニックの台頭と軌を一にしている。彼
   等の兆候は、すでに1950年代のマッカーシー旋風に表れてい
   た。自身アイリッシュだったジョーゼフ・マッカーシーは、「赤
   狩り」を出しにして、実はワスプ上流層を標的にしたのである。』

  『WASPではW(白人)やAS(アングロサクソン)よりも、P
   (プロテスタント)の方が重要なのだ。従ってノンASでも、白
   人でありさえすれば、Pに改宗することで「凖ワスプ」の扱いを
   受ける。』

  しかし、これも金持ちであるという条件が付くのです。貧乏ではいく
    ら改宗しても凖ワスプ扱いはされないでしょう。この辺りがややこし
    いところです。

  アメリカの上流階級をさす、もう一つの言葉に「オールド・マネー」
  という言葉があります。意味は大体ワスプと同じですが、その差はワ
  スプが人種に重点をおいている点でしょうか。

  「オールド・マネー」については日本語による、簡単な入門書という
  ものはありません。オールド・マネーに属する人間が書いた本で日本
  語訳があるものが一冊ありますので、紹介します。

  「アメリカ上流階級はこうして作られるーオールド・マネーの肖像」
   (ネルソン・W・アルドリッジJR
著・猿谷 要監修・酒井常子訳)
          朝日新聞社・1995年

   この本の作者はボストンの名門アルドリッジ家の四代目の当主で文字
  通りのオールド・マネーです。彼はオールド・マネーを新世界にお
  ける貴族階級と定義しています。監修者はそれをこう補っています。

  『原語の「オールド・マネー」は普通名詞として用いられているも
   のだが、わが国では全く馴染みがなく、適切な訳語もない。富と
   時間のふるいにかけられて出来上がった一種の超富豪貴族、とで
   もいうしかないのだが、強いていうならイギリスのジェントルマ
    ンに近いものであろうか。』

  この本はアメリカの富豪階級の内実と本音を説明してくれていますが
  私が笑えたエピソードはこんなものでした。

  1930年代にボストン美術館の館長をしていたあるオールド・マネ
  ーは見学者が一番少ないのが最良の美術館であると語ったというので
  す。アメリカの著名な美術館はオールド・マネー達が税金逃れとコレ
  クションの散逸を避ける為に作ったものが多いのです。本当は他人に
  は自分のコレクションは見せたくないのです。カネがないくせに、口
  だけはうるさい中流以下の人間たちには、わしの美術館には来てもら
  いたくないという本音なのです。勿論、このエピソードはオールド・
  マネー同士の内輪の話です。世間向けのきれい事はそれぞれの美術館
  の玄関に掲げてある筈です。

  こんな文章もあります。

  『重大な選択には、大なり小なり不安はつきものである。選択をす
   ることもなく、不幸に身をまかせたり不幸を恐れたりしないで済
   むのは魅力的な境遇かも知れないが、それでは本当の意味での人
   間らしい生活が出来ないという危険を覚悟しなければならない。
   世襲の大富豪たちはそれに耐えており、その限りでは思い切り人
   生を生きているとは言えない。』

  一度でいいから、こんなことを言ってみたいものです。我々貧乏人の
  収入より支出が多い生活が「本当の意味での人間らしい生活」だと思
  っておられるようです。

  で、肝心のワスプとオールド・マネーの違いですが、この作者はこう
  表現しています。

  『ところがWASPの自民族中心主義者が、この支配的な社会階級
   の運命を握っているのである。たまたまWASPがオールド・マ
   ネーの特性を表す階級価値をアメリカ社会に引き入れた最初の金
   持ちグループだったというだけで、もともとその価値のなかには
   WASP自体を特徴づけるものは何もなかったのである。相続財
   産は勿論のこと、気品、スポーツマンシップ、贈与の精神、行動
   の規範、自己犠牲の衝動、ノーブレス・オブリージの認識なども
   すべてWASP本来のものではない。』

  『要するにオールド・マネーのカリキュラムは民族的でも、部族的
   でも、家族的でもなく、階級的なものにすぎないのだ。』

  『民族はどんな階級よりも宿命的で、たとえアメリカ人にとっても
   努力目標にはなりえないものである。それにひきかえ階級はほと
   んど自由に選択できる随意なもので、買うことさえ可能なのであ
   る。』

  『オールド・マネーが階級でなくなったとすれば、それはほとんど
   全面的に今迄のWASPのやり方のせいである。WASPオール
   ド・マネーの歴史は大部分が野蛮人の大群を恐れる撤退の歴史で
   ある。』
   
  この本の作者はワスプをオールド・マネーの中の民族派という位置づ
  けをしています。ここに作者の狙いがあると言っても過言ではないで
  しょう。本来、同義語というべき二つの名詞を使っての見事な手品で
  す。ワスプをオールド・マネーという言葉の内部に取り込んでしまお
  うとしているのです。自らの属する民族集団は変えられないが、階級
  は努力次第で変えられるのだと表明することで、下の階級の人間達の
  反感をかわそうとしているのです。
   
   寄り道はこれくらいにして本題に戻ります。

  オーキンクロスの作品はこれまで二、三の作品が訳されただけで、一
    冊の本としては去年訳された次の作品集だけなのです。アメリカの上
  流社会に興味を持つ人間は少ないだろうという日本の出版社の判断で
  しょう。じゃあ、何故今頃になって訳して売り出したかと言えば、日
  本におけるアメリカ社会の研究で残るはWASPの世界だけだからだ
  と思います。今なら昔よりは売れるだろうという判断からでしょう。

    「WASPの流儀ールイス・オーキンクロス名作集」
  (ルイス・オーキンクロス著・越智道雄編訳・2002年・扶桑社)  

  この本には八つの短編が入っています。ワスプの女性の一生、ワスプ
  と非ワスプの争い、滅び行くワスプなどが描かれています。

  「モード」(1949)、「マネー・ジャグラー」(1966)
  「王子と乞食」(1970)、「ファブリの証言」(1980)
  「償い」(1997)、「バビロンのリアリスト」(1997)
  「オノリアとアッテイラ」(1997)、「間奏曲」(1999)

  オーキンクロスは作中で、非WASP(イタリア系カトリック)の登
    場人物にこう言わせています。

  『若者がWASPによるアメリカ文化の昔日の支配を歯に衣着せずに
     批判するのは珍しくないが、その激しさの割にはどれくらい支配し
   ていたかの概念に乏しい。私の若い頃には、アメリカの社会も政治
     もほぼ完璧に大企業と法律専門家の手に握られ、どちらも非常に白
     人で、非常にプロテスタントだった。(中略)
   少年時代から私はカトリック教会と家族のイタリア的伝統を、昔か
     ら私達を犠牲にしてきた過酷な階級制度と結びつけていた。私はア
     メリカ的生き方を信じたのだ。アメリカの神、その理念、そのよき
     マナー、アメリカの抑制、その秩序のよさ、その清潔さを信じたの
     である。今でもそうだ。勿論アメリカの欠陥も見抜いていたーイタ
     リアの移民の子なら誰でもそうだ。アメリカのしかつめらしさ、そ
     の唯物主義、その偽善。それでも両親が逃れてきたものに比べれば、
     私にはずっといいものに思えた。アメリカ文明の悲劇は、WASP
     道徳を一掃し、それに代わるものを何一つ補填しなかったことだ。』
     (「ファブリの証言」より)

  WASPという言葉の意味も時代と共に変わり、1997年の作品の
  中でこんな文章もあります。WASPの女性の言葉です。

  『「このWASPって言葉の本当の意味は何なのよ?」私はダンに
      いらいらした口調で聞いた。「そりゃあ昔は白人、アングロサク
      ソン、プロテスタントの意味だったわ。でも、今じゃスコットラ
      ンド系、ドイツ系、スカンデイナヴィア系、それどころかケネデ
      イ一族以降はアイルランド系カトリックまで入るじゃないの。ど
      うして世間はこんな古びた区別にこだわるのかしら?」』
           (「オノリアとアッテイラ」より)

  カトリックで大統領になったのはケネデイが初めてなのです。それま
  ではワスプでなければアメリカ大統領にはなれなかったのです。ここ
  ではそのことを指摘しているのです。

  話をグリーンリーフに戻すと、私は彼がオーキンクロスを持ち出して
  来たのだから、この作品で自由の国アメリカの、表には出せない、影
  に隠れた階級制度に触れるのではないかと期待をして読み進めたので
  すが、最後になってもこの問題には一言も触れませんでした。ですか
  ら一体、何の為にオーキンクロスを持ち出してきたのだという疑問は
  今も尚、そのまま残っています。

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