『海外ミステリを読む』(44)
「スティーヴン・グリーンリーフの作品とその周辺」(4)
[70年代の作家たち(3)−ビル・プロンジーニ]
ビル・プロンジーニは1943年カリフォルニア州ぺタルーマ生まれ
幼少の頃からパルプ・マガジンを収集。さまざまな職業を経て、23
才から執筆を開始。いくつかのペンネームを使用し50以上の長編、
300以上の短編、60以上のアンソロジーを出版し、その範囲はハ
ードボイルド、SF、ホラー、密室ものと多岐にわたっています。
シリーズものとしては「名無しのオプ」が大半を占める。オプはパル
プ・マガジンをこよなく愛するサンフランシスコの中年私立探偵で、
いわば作者の分身である。
光文社文庫の「海外ミステリー作家事典」には以上のようなことが書
いている。実際に彼の作品を読んでいると、古本マニアが自分のコレ
クションを守り、維持するために探偵という仕事をいやいやしている
のではないかと思えて来る。そのあたりがネオ・ハードボイルド派の
時代の作品と言えるのかも知れない。人生に疲れた時に慰めてくれる
ものは自分のコレクションというネクラで独身の、中年男の物語でも
あります。
翻訳のある「名無しのオプ」ものの詳しい資料は私のHPの中の「ミ
ステリ資料室」の下記のページにあります。
ビル・プロンジーニの『名無しの探偵』シリーズ
「探偵の帰郷」
ー私立探偵ジョン・タナー・シリーズ第4作ー
(原作1983年・日本語訳1985年・佐々田雅子訳)
(ハヤカワ・ポケット・ミステリ1454)
タナーは30年振りに、アイオワ州にある故郷、カルデイアに帰った。今
でもその町に住む妹ゲイルから兄弟達の遺産である農場のことで話し合い
たいことがあるので帰って来て欲しいと呼ばれたからだった。長男のマッ
ト、次男のカートも来ることになっているという。
タナー家の4人兄弟には伯父が残してくれた320エーカーの農場があっ
た。そのうち、80エーカーをゲイルの娘が夫と耕している他は小作に出
している。長男のマットは商売に行き詰っていて、一日も早く農場を売っ
て自分の取り分が欲しいと強く主張した。次男のカートも売ることに賛成
だった。彼には彼の事情があり、お金の必要に迫られていたからだった。
一方、妹のゲイルは農場を売らずに残しておいて、娘達に農業を続けさせ
たいと考えているので、タナーの一票が農場の行く末を決めるという難し
い状況だった。
寂れて行く一方の町当局でもタナー家に対して、地元の為だから売ってく
れるように圧力をかけていた。農場跡地に他所から企業を誘致し、町の活
性化を図ろうとしているのだった。しかし、財政困難なので高くは買って
くれないのは分かっていた。そのほかにも石油会社や環境保護団体が申し
込んでいた。一番高く買ってくれる所に売りたいが、町への義理もある。
現在、小作している人達の生活も考えなければいけない。ただ一人、故郷
に残って生きているゲイル。一方、男3人は故郷を捨てた人間だった。ゲ
イルは自分の味方になってくれることを期待して、タナーを呼んだのだっ
た。
売るか売らないか、売るならどこに売るかで4人は選択を迫られての話し
合いの最中、カートの息子のビリーの首吊り死体が発見される。ビリーは
家を出て、農場の隅に掘っ立て小屋を作ってスターブライトと言う女性と
住んでいた。ビリーはヴェトナム戦争で肉体的にも精神的にも大きな傷を
受け、町中から嫌われるような生き方をしていたので、警察では自殺と判
断した。しかし、スターブライトはビリーの子を妊娠していて、生まれる
のを楽しみにしていたと知ったタナーは殺人の疑いを抱き調査を始める。
甥の現在と過去を探る作業は自分と自分の家族のそれを探ることになるの
は明らかだった。タナーは次々と知りたくなかった様々な事実を知ること
になる。一番のショックは母親の不倫とそれが原因とも言える両親の事故
死だった。
調査を進めて行く内に、タナーは背後にヴェトナム戦争が故郷の町に残し
た傷の存在を突き止める。
これ以上、書くとまだ読んでいない方の興趣を削ぐことになるので、いつ
ものように、あらすじ紹介はこの辺で留めて置きます。
この作品について、訳者の佐々田雅子氏は「あとがき」にこう書いていま
す。
『グリーンリーフがこの作品で意図したところは何か。それは、初めての
「自前の小説」ということではなかったろうか。つまり、乱暴を承知で
いえば、「致命傷」「感傷の終わり」「共犯証言」と続く三作は作家グ
リーンリーフにとっての習作ではなかったかということだ。ハメット、
チャンドラー、マクドナルドの強い影響下で筆を執るようになったグリ
ーンリーフは、(中略)三作とも正統ハードボイルド・スタイルをひた
すら忠実に踏襲してきた。その間、作品も次第に練り上げられて、「共
犯証言」などは、相当に高い完成度を感じさせるものになっている。し
かし、同時に、このままでは三人の上質の亜流の域を出ぬまま、どこか
で行き詰ってしまうのではないか、という懸念を抱かせられたのも事実
である。
グリーンリーフは、ハードボイルドの枠組みのいくつかをあえて解き放
ち、「自前の小説」を書くことによって、それを乗り越えようとしたの
ではないだろうか。(中略)物語自体も、タナーが甥を殺した犯人を追
うというハードボイルドらしい最低限の軸は持っているものの、農村不
況、失業の波がもろに押し寄せる空間で、五十年代の青春やヴェトナム
戦争という過ぎ去った時間を追いながら、揺れ動いていくという複雑な
ものだ。従って、ストレートなハードボイルドというよりは、アメリカ
の翳をうつした社会派の作品という印象が強いし、タナーと肉親、旧友
との愛憎入り混じった再会と別離を情感豊かに描いている箇所では、変
形のホームドラマという趣がないでもない。』
この作品についての、これまでにない卓越した批評だと感心しました。私
などにこれ以上付け加えることはありませんので、私流な表現に言い換え
てみますと、前作「共犯証言」は主人公の女性の過去が事件の鍵を握って
いる所など明らかにロス・マクドナルドの世界を思わせる作品でしたが、
この作品はハメットの「赤い収穫」を意識して書いたのではないかという
気がします。パースンヴィルという鉱山町に一人で乗り込んで、悪者達を
自滅に追い込んで立ち去るオプの物語がグリーンリーフの頭にあったに違
いありません。三十年振りに故郷に戻ったタナーは家族を襲ったトラブル
を見事に解決して、オプと同じようにサンフランシスコの町へと帰って行
きます。禁酒法時代のアメリカを一つの町に閉じ込めて寓話として描いた
ハメットにタナーは挑戦したのだというのが私の解釈です。タナーが描い
たのはヴェトナム戦争がアメリカ社会をどのように変えてしまったかとい
うことだったと思います。それをハメットと同じように一つに町に圧縮し
て描いて見せたのだという思いがします。それも見知らぬ町ではなく、主
人公が生まれ育った町に設定した所が、タナーのストーリー・テラーとし
てのうまさだと思います。その点では先輩ハメットを凌駕しているといえ
ます。
この作品の後、グリーンリーフはタナー・シリーズを休んで下記の作品を
発表しています。
「離婚をめぐるラブ・ストーリー」(早川書房)
(原作1985年・日本語訳1987年・佐々田雅子訳)
『46歳のD・T・ジョーンズは若い頃ペリイ・メイスンやクラレン
ス・ダロウのような弁護士をめざしたが、今はしがない離婚専門の
弁護士稼業。自ら苦い離婚歴があり、酒飲みでギャンブル狂のせい
かカネには無縁なうえ、女に弱い。そんな彼の許へ、ある日たてづ
づけに三人の女性の依頼人がやって来る。(中略)いずれもやっか
いな仕事で、頑固な女性客に振りまわされながら、D・Tの悪戦苦
闘が始まる。』
『正統ハードボイルドの気鋭グリーンリーフが軽妙なタッチで現代ア
メリカ風俗を描き、新境地を拓いた話題の最新作!』
(同書表紙裏より)
訳者の「あとがき」にこういう文章があります。重要な要素を含んだ
文だ思うので、そのまま引用させて頂きます。
『作者スティーヴン・グリーンリーフは、これまで私立探偵ジョン・
マーシャル・タナーが活躍するハードボイルドを専門に書いてきた
作家だが、今回はじめて、弁護士が主役として登場する小説を書い
た。弁護士はグリーンリーフのかっての職業である。彼は作家仲間
のトマス・チャステインとのインタヴューで、法律の素養を生かし
て主役を私立探偵でなく、弁護士にしようと考えたことはないのか
と訊かれてこう答えている。「勿論、考えました。探偵の代わりに
弁護士を主役にすればすんだのに、わざわざ私立探偵小説を書いた
ということで批判もあるんじゃないかと思います。しかし、主人公
を弁護士にするだけの確たる理由がなければやるまいと決めたんで
す」』
私が今書いているのは私立探偵程度の男で充分務まる世界の出来事な
のだ。何も弁護士を主役にするのことも程もないよ。こう言っている
うにも解釈出来る言葉です。そして、この言葉は「探偵の帰郷」を書
き上げて、その出来栄えに対する自信から来ているのではないでしょ
うか。しかし、この作品の出来はあまりよくないと私には感じられま
した。
●今月の推薦本
(1)「雨に祈りを」(1999年作)
(デニス・レヘイン著・鎌田三平訳・角川文庫)
ボストンの私立探偵パトリック・ケンジーのシリーズ第5作です。
『裕福な家で大事に育てられたピュアな女ーそれが探偵パトリック
の抱いた、カレン・ニコルズの第一印象だった。だが、六ヶ月後
彼女は全裸で投身自殺を図ってしまう。この短期間に、何が彼女
をそこまで追い詰めたのか。調査すると、カレンは死に至る六ヶ
月の間に、フィアンセが事故死し、失業し、住む場所を失い、最
後には精神に変調を来たしていた。彼女を破滅させようとした明
確な意図の存在を確信するパトリック。だが、一体誰が、何のた
めに!?』
(同書・裏表紙より)
北上次郎先生が朝日新聞の書評欄(10月13日)で褒めるほどの
人気シリーズですが、訳者のあとがきによると、作者はどうやらこ
の作品を最後に当分休んで、別の作品を書くようです。これでまた
正統派の私立探偵小説が一つ消えたことになります。若手ナンバー
ワンのレヘインだけに読者としては残念です。
レヘインの位置づけとしてはこのシリーズ2作目「闇よ、我が手を
取りたまえ」の巻末にある茶木則雄氏の「解説」が正鵠を得ている
と思いますので、興味のある方はお読み下さい。茶木氏の説を簡単
に言えば、70年代から80年代にかけてのネオ・ハードボイルド
派の作家たちはチャンドラーの後継者だったが、90年代に時代の
波に乗って人気が出たのはエルロイやヴァクスのような「血と暴力
と狂気」を謳う作家たちだった。彼等はハメットの系列に繋がる作
家たちと言っていい。その90年代の最後に登場したレヘインは再
び、チャンドラー派の作家だと言えるのではないか、というもので
す。
確かにハメットよりはチャンドラー寄りと言っていいでしょう。レ
ヘインが幾つかの作品の巻頭に掲げている文章も、その気障さ加減
においてはまさにチャンドラー的といえます。
シリーズ第2作目「闇よ、我が手を取りたまえ」の巻頭にはこんな
文章を掲げています。
『サイドボードや本棚など、幼年時代のあらゆる場所に潜む、恐怖
と堕落が目に見えないことに、われわれは感謝すべきだ。』
ーグレアム・グリーン「権力と栄光」よりー
続く第3作目「穢れしものに祝福を」では聖書から取ってきていま
す。
『聖なるものを犬にやるな。また、真珠を豚に投げてやるな。恐ら
く彼等はそれを足で踏みつけ、向き直ってあなたがたにかみつい
てくるだろう。』
−マタイによる福音書、第7章第6節ー
そして、この作品ではイエーツの詩を使っています。
『そのひどく年取った老人は言った。「美しいものはなにもかも、
水のように流れ去ってしまった」』
(この訳は誰のか知りませんが、「老人」とは「ひどく年を
取った人」をさす筈です。これでは「馬から落馬した」に
なりますね)
(2)「ゼルプの欺瞞」(1992年)
ベルンハルト・シュリンク著・平野卿子訳・小学館
『行方不明の娘を探してほしいという依頼を受けた私立探偵ゼル
プは、女子大生の彼女の生活から手掛かりを掴もうとするが、
関係者は非協力的、さらに父だと名乗った依頼者の男も正体不
明だった。そして、彼女の知人である医者が殺害されたとき、
闇に葬られた過去の基地爆破事件が浮上してきた。ベルンハル
ト・シュリンクがあの「朗読者」に先立って1992年に発表
し、翌年ドイツ・ミステリ大賞を受賞した話題の長編小説!』
(同書・表紙裏より)
先月ご紹介した、ドイツの老私立探偵ゲーアハルト・ゼルプもが
活躍するシリーズ第二作です。かってナチス時代に検事だった老
探偵はこの作品では69才という設定です。
作者は何故、主人公をそんな高齢な私立探偵にしたのか。アメリ
カの小説のパロデイを書くためではないのです。主人公は私立探
偵である必要はなかったでしょうが、ナチスの時代を生き抜いた
人間、それも権力の側にいた人間であることは必要不可欠だった
のです。だから六十を越えていなければならなかったのです。
この本の解説は福本義憲氏が「68年世代のポストモダン・テロ
」と題して書いています。ナチの時代を生きた第一世代は過去を
悪夢の時代として忘れることで、やっと戦後を生き抜いてきた人
々です。主人公のゼルプもその一人です。そして、その子供達つ
まり第二世代は親達に向かって、何故ヒットラーを阻止出来なか
ったのかと弾劾をしてきたのです。彼等の中からドイツ赤軍派が
生まれ、テロが多発するようになったのです。福本氏はこの本の
背景にあるのは「68年世代のテロリスト達のポストモダンな末
路」であると指摘しています。作者シュリンクもこの68年世代
の一人なのです。ドイツでは学生運動が最も盛んだったのが19
68年なので、この世代を「68年世代」と呼んでいます。日本
流に言えば「安保世代」というところでしょう。
福本氏はシュリンクがインタビューでこう語っていると書いてい
ます。
「出来事を集団の歴史に統合することが大切だ。そのためには、
あらゆる分野での作業が必要だ。学問、ドキュメント、芸術の
すべての分野だ。アウシュヴィッツでさえ、当時の面影を残す
ものは今やわずかだ。次の世代に過去を継承するためには、あ
らゆる分野を動員しなければならない。想像力とフィクション
の価値もそこにある」
つまり、シュリンクはナチに関わった親の世代と大学紛争とベト
ナム戦争の自分達の世代の経験を小説というフィクションを通じ
て次世代へ継承して行こうとしているのだと思います。この骨太
の意志こそが、今の小説(特にミステリのジャンル)に欠けてい
るのだと私は思っています。パソコン・ゲームのシナリオではな
いかと思えるようなミステリが時代の主流になっている限りはい
い作品は生まれないでしょう。
(3)「ハバナ・ベイ」(1999年)
マーティン・クルーズ・スミス著・北澤和彦訳・講談社文庫
帯にはこう書いてあります。
『ハメット賞受賞!卓抜した捜査ミステリー。名作「ゴーリキー
・パーク」のレンコ捜査官が再び!熱帯の島で浮かんだ旧友の
死体が語るのは・・・』
このコピーは「ゴーリキー・パーク」を知らない読者にはピンと
来ないでしょう。あのヒット作が出てから、すでに10年が過ぎ
たからです。それでも、売りに出来るのはそれしかないというと
ころでしょう。だから、ハメット賞を頭に持ってきたのだと思い
ます。これを書いたコピー・ライターの苦労が察せられます。
これはモスクワの人民警察主任捜査官アルカージ・レンコが活躍
するシリーズ第4作です。ロシア人が主役でも、書いているのは
生粋のアメリカ人です。何故、生粋かと言えば、作者の母親はイ
ンデアンの血を引いているからです。
このシリーズを簡単に説明しておきます。
第1作「ゴーリキー・パーク」(1981年)
中野圭二訳・ハヤカワ文庫(上)(下)(1990年)
『ゴーリキー公園の顔と指のない三つの死体ーそれはソ連社会の
根深い矛盾を象徴していた。ようやくレンコは殺人犯の正体を
掴むが、検事局長からそうさの終了を命じられる。彼は決して
掘り起こしてはならない過去を発見してしまったのだ。主任捜
査官の地位さえも奪われたレンコは、メーデーの夜、ついに犯
人と対決する。そして、レンコが海の彼方で見た、驚愕の真実
とは?英国推理作家協会賞ゴールド・ダガー賞受賞作。』
(同書・表紙裏より)
第2作「ポーラー・スター」(1989年)
中野圭二訳・新潮文庫(1993年)
『モスクワでの行動でKGB上層部に睨まれた捜査官アルカージ
は、シベリアに流された後、今は名前を変えてソヴィエトの北
洋漁船「ポーラー・スター」号の船員として働いている。所が
ある時、引き揚げた底引き網に女船員の死体が発見され、船長
から徹底捜査を命じられるや、事件は果たせるかな、国際的な
疑惑にまで広がって、深刻な様相を帯び始めた。』
(同書・表紙裏より)
第3作「レッド・スクエア」(1992年)
棚橋志行訳・福武書店(1994年・上巻と下巻)
アルカージ・レンコはこの作品で再び、モスクワの検事局主任
捜査官に返り咲く。モスクワのブラックマーケットを舞台にマ
フィアの問題に取り組む。
<その他の作品>
「琥珀色のジプシー」(1971年)
中野圭二訳・ハヤカワ文庫(1985年)
ジプシの古美術商ローマン・グレイを主人公にして、都会に
生きるジプシーの世界を垣間見せてくれる。
「ジプシーに捧げる歌」(1972年)
中野圭二訳・ハヤカワ文庫(1985年)
ジプシの古美術商ローマン・グレイが再び、登場。古美術の
世界とジプシーの世界が読者を楽しませてくれる。通向きの
作品。
「ナイトウィング」(1977年)
村社 伸訳・早川書房(1979年)
肺ペストを媒介する吸血蝙蝠の大群がアリゾナのインデイア
ン居留地襲った事件に挑戦するインデイアン出身の保安官補
の活躍。
「スタリオンゲート」(1986年)
水野谷とおる訳・角川書店(1987年)
第二次大戦末期のアメリカ。原子爆弾を開発する基地を舞台に
繰り広げられるスパイ活劇。主人公はインデイアンの軍曹。
作者のマーテイン・クルーズ・スミスの母親はインデイアンだ
そうです。だからなのか、インデイアンやジプシーの描き方に
あたたかを感じます。
「ローズ」(1996年)
北澤和彦訳・講談社文庫(1997年)
19世紀の後半のイギリスの鉱山町ウィガンが舞台。鉱山技師
が牧師失踪事件の謎を追う。