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 『海外ミステリを読む』(54)

「スティーヴン・グリーンリーフ」(14)

   

「最終章」
   ー
私立探偵ジョン・タナー・シリーズ第14作ー
  
 
           (原作2000年・黒原敏行訳)
              (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1715・2002年)
         
    この作品も
チャーリー・スリートが死んだ事件を描いた「過去の傷口」を
    引き摺っています。というより、この作品で、あの事件が解決を見るとい
    う仕掛けになっています。

    この作品はこんな文章から始まります。

    『私もこの商売が長いので、最近は弁護士の先生がたにもオフィスまで
       足を運んでもらうことにしている。』

    タナーのオフィスにその女性弁護士(カーラ・サンドストロム)は本当に
    姿を見せます。私立探偵の事務所に弁護士の方から出向いてくるのは滅多
    にあることではありません。当然ながら、彼女は機嫌が悪い。私立探偵風
    情に弁護士の自分が出向かされたからです。

        その弁護士の依頼は女性の人気作家シャンデリア・ウエルズのボデイガー
    ドをして貰いたいというものでした。

    『彼女の作品はロマンチック・サスペンスというようなジャンルに属し、
     ヒロインがやくざな男や私生活上のごたごたで悪戦苦闘するストーリ
     ーに、何らかの社会的な題材がからみ、最後から二番目の章で必ずヒ
     ロインが不正を正すというのが決まりだった。』

    シャンデリア・ウエルズはそういう作品を書き、大金持ちになり、マスコ
    ミを賑わしているのがタナーには気に入らないようです。ですから、この
    仕事を断ろうとしたのですが、たった一つのことで、引き受けてしまうの
    です。それは、彼女の娘がエレノアと同じ幼稚園に通っていて、タナーを
    推薦したのが、ミリセントだと聞いたからです。今のタナーにとって、こ
    の二人こそが生きる上の支えといえるからです。

        仕方なく引き受けたタナーはまず、彼女の助手のラーク・マクラレンから
    脅迫者になりそうな人物について教えて貰います。別れた夫。ライバルだ
    った女性作家。異常な振る舞いをするファン。タナーは彼等に会って、話
    を聞きます。ですが、これと思える人物はいませんでした。

    書店でのサイン会の前に、シャンデリアは自作を朗読したあと、読者から
        の質問を受ける場面があり、その席で若い女性が貴女は私の作品を盗作し
        たと詰め寄ります。怒った彼女はサインをせずに、車に乗って次の予定へ
        と移動を開始した、その瞬間、彼女の乗った車が爆発します。タナーは燃
    えている車に近寄り、手に火傷しながらもシャンデリアを引きずり出して
    かろうじて命だけは助けます。

    これは自分の失敗だから、面子にかけても犯人を探し出すとタナーは本気
    になって動き出します。この犯人探しと、
チャーリー・スリートの事件が
    重なり、事件を解決させます。途中、あっと驚くようなラストへの伏線も
    張られています。例によって種明かしはどんな場合でもしないというのが
    私のモットーですのでしませんが、「訳者あとがき」によれば、この作品
    でシリーズを打ち切ると作者のエージェントが言っているそうです。日本
    版でのタイトル「最終章」も、それを意識してのことでしょう。つまり、
    これがこのシリーズの最後の作品だという意味です。

    尚、原題は「ELLIPSIS]です。これは「省略、省略符号」という
    意味のようですが、この言葉で作者が何を言わんとしているのかは「あと
    がき」では触れられていないので、読者の方で類推するしかありません。
    訳者も出版社も、最後のお楽しみとして、読者に残しておいてくれたよう
    です。

    この作品、シャンデリア・ウエルズの命を狙った犯人は、事件がチャーリ
    ー・スリートの事件と重なっていると判明した時点で、分かるわけですか
    ら、作者の意図は別にあると判断すべきだろうと、私は思っています。そ
    鍵となるのが、原題の「ELLIPSIS]ではないだろうか。私にはそ
    んな思いがするのです。

    前作「憎悪の果実」の中で、チャーリーが自分の全財産は福祉団体にすべ
    て寄付するが、その前にタナーに好きなものを選んで貰うという条件をつ
    けていたので、タナーがそれを選ぶためにチャーリーの部屋に入る場面が
    ありました。

    『私が選んだのは二冊ーロス・トーマスの「大博奕』とロバート・ペン
     ・ウォーレンの「すべての王の臣」だった。チャーリーが好きだった
     この二つの小説は、彼がどういう男だったかを雄弁に物語っていると
     もいえた。チャーリーは切れ者の刑事であり、社会正義を熱烈に求め
     ながら世間からは誤解されて終わった男だった。』

    このうち、ロス・トーマスの名前はシリーズの中でも何回か出てきます。
    2作目の「感傷の終わり」の訳者の解説にも、グリーンリーフが彼を高く
    評価していると明言しています。こういう文章でした。

    『ストーリー・テラーとしての才能はE・S・ガードナーが抜群である
     と思う。また、現在活躍中の同業作家としてはロス・トーマスを高く
     評価すると述べている』
     (「「感傷の終わり」の「訳者ノート」より。訳者は斉藤数衛氏)

    これは作者の20年前の言葉ですから、今でもそう思っているのかは分か
    りませんが、これ以後の作品の中で、登場人物達に何回かロス・トーマス
    の作品を読ませているので、評価は変わらなかったのでしょう。一方、ロ
    バート・ペン・ウォーレンの名前はこれが始めてだったと思います。

    私に言わせれば、ガードナーよりも、ましてロス・トーマスなどよりはる
    かに、バート・ペン・ウォーレンの方がストーリー・テラーとして上のよ
    うな気がします。ウィリアム・スタイロンはウォーレンから学んだために
    アーウィン・ショーを超える作家になったといえるでしょう。グリーンリ
    ーフもウォーレンから学べる点があるのに気が付いていたら、もっと別な
    作品が生まれていたかも知れません。

    ウォーレンの小説作りの巧さ、スタイロンとの関係などについて知りたい
    方は中村紘一氏の下記の2作をお読み下さい。

      「アメリカ南部小説の愉しみ1−ウィリアム・スタイロン」
      「アメリカ南部小説の愉しみ2−ロバート・ペン・ウォーレン」
         両書共に臨川書店(京都)刊
    

       「すべての王の臣」の最後の方に、こういう文章があります。

    『これはウィリイ・スタークの物語だったが、私の物語でもあった。と
     いうのは私にも物語があるからだ。それはこの世に生きていて長い間
     彼の目に映っていた世の中がその後、非情に違ったものになった男の
     物語なのだ。その変化は突然、起こったのではなかった。』
         「すべての王の臣」
          (ロバート・ペン・ウオーレン著・鈴木重吉訳・白水社)

    この表現を借りるなら、グリーンリーフの14作のタナー・シリーズはこ
    う言えるでしょう。

    『これはジョン・マーシャル・タナーの物語だったが、スティーヴン・
     グリーンリーフの物語でもあった。』

    つまリ、タナーはかなりの部分で作者自身の姿が投影されているように思
    えます。その部分を探すのも、このシリーズのより深い味わい方ではない
    でしょうか。例えば、この「最終章」ではこんな文章があります。

    『学生時代と軍隊時代には、リュウ・アーチャーやフィリップ・マーロ
     ウの物語をよく読み、彼等の勝利をわがことのように思ったものだが
     そういう時間は私にとってきちょうなものだった。その後、私立探偵
     になったのも、レイモンド・チャンドラーとロス・マクドナルドのせ
     いだといっていいだろう。』

    この文章の中の「私立探偵」の部分を「ミステリ作家」と置き換えれば、
    グリーンリーフの言葉として通るのではないでしょうか。

        タナーは『あと二週間で五十才になる。』とこの作品の中に書いてありま
    す。さらにこう続きます。

    『二週間後に五十の大台にのる人間はどんなことを考えるか。彼は自分
     の人生を思う。私のような鬱病すれすれの人間は、楽しかった日々や
     得意の時期を思い出すことなど、一瞬たりともない。ビニール袋にご
     みが満ちるように脳裏に満ちてくるのは、やれなかったことの長いリ
     ストだ。果たせなかった目標。叶わなかった夢。試してもみなかった
     可能性。実現できなかった空想。はっきり言って笑えない。』

    ここにも弁護士を目指しながら、ミステリ作家になってしまったグリーン
    リーフの複雑な思いを見ることが出来るでしょう。    

    シリーズ第1作目の「致命傷」(1979)には「彼女(秘書のペギー)
    は私より五つ年下で四十一才だった。」と書いてありますので、当時は
    タナーは四十六才だったということになります。つまり、五年間で14
    の事件に遭遇したことになります。となると、一年間に三つ弱の事件を
    解決したことになります。そんなに忙しく働きまくったようには思えま
    せん。それだけ仕事の注文があったのならもっと儲かっていた筈です。

        この作品では、事件が解決したあとでも、いつもとは違い、気分のすぐれ
    ないタナーです。

    『年齢と誕生日のことを考えていると、将来のことを考えずにはいられ
     なかった。具体的に言えば、この20年間やってきた商売を、後ろめ
     たさを感じに続けていけるかということだ。』

    1979年の12月には、自分より若い男に「我々皆にとって70年代は
    失われた10年間だったんだ。2週間もすれば、僕たちには新しいチャン
    スがやってくる」と説教したタナーでした。80年代にはいいことがある
    のは「彼」だけではなく、「僕たち」だったのです。だが、実際の80年
    代は「海賊的気風がわが世の春を謳歌した」時代だったのです。金儲けが
    優先され、貧富の差がより激しくなり、モラルの低下した時代がやって来
    たに過ぎなかったのです。ヴェトナム戦争に翻弄された60年代、その傷
    を癒していた70年代、そんなあとで期待して迎えた80年代に裏切られ
    た世代。それがタナーとグリーンリーフの世代だったのではないでしょう
    か。

    その80年代の悪しき時代の膿を描いたのが、シリーズ8作目の「血の痕
    跡」でした。作者は血液製剤で金儲けを計る大企業と、犠牲にされる貧者
    と敗者を描き、この作品の主人公トム・クランドールの絶望にタナーの絶
    望を重ねています。そういう意味では8作目がターニング・ポイントだっ
    たと思います。

    『本当の友人と言えるのは、暴力のはびこる町での仕事の帰りにたまに
     立ち寄る刑事のチャーリー・スリートをべつにすれば、トム・クラン
     ドールだけだった。』

    性格的にはタナーはチャーリーよりはむしろトムと似ているといっていい
    でしょう。同じように暗い性格です。「憂鬱の泥沼に足をとられて」しま
    うのでした。トムの妻は美人の歌手です。彼女は夫のことをタナーにこう
    伝えています。

    『あるとき突然、彼は自分の周りのすべてが音を立てて崩れていくよう
     に思い始めたのよ。この世界が。アメリカが。わたしが。彼は私たち
     みんなに失望したのよ。』

    彼女の言葉は、その部分まではタナーを納得させたでしょう。ですが、そ
    の先は、タナーの心を彼女の夫と同様に傷つけるものでした。

    『でも、わたしは溺れ死にしたくなかったのよ。トムにもそうなって欲
     しくなかった。でも、トムは自分を救うためのことは何一つしようと
     しなかったから。わたしは自分用の救命いかだを探すことにしたのよ』

    つまり、夫を裏切り、新しい男を作ったのです。タナーがそのことを指摘
    すると、彼女は「怒りがぱっと燃えがり」こう返答します。

    『どうすればよかったっていうの?船と一緒に沈めばよかったの?わた
     しはただの一等航海士よ、船長じゃないわ』

    女は常に自分の船の船長であるのに、一等航海士に過ぎないと言って船か
    ら逃げ出してしまっても男は非難出来ないことをタナーは知っています。
    だが、心の中では許せないのです。それがトムやタナーのような男の心の
    中には重い錨となって沈んでいくのです。
    
    
トムに続いてチャーリーも失ったタナーはすっかりやる気をなくしてしま
    いました。

    
    『チャーリーが死んで頼りになる仲間がいなくなった今、この仕事を続
     けたいという気持ちは薄れてしまっていた。それにこのごろは、依頼
     人たちの抱えているトラブルに対して同情よりも腹立たしさを覚える
     ことが多い。私の経験からいうと、彼等のトラブルは愚劣さやわがま
     まが原因であることが殆どだ。おまけに私はこの商売で成功している
     という自負を、単なる自画自賛の形ですら持てなくなってきている。
     そうした諸々のことを考えれば解決法は決まったようなものだが、た
     だ一つだけ問題があったーそれは私が文無しだという事実だ。』

    他人の愚かさに我慢が出来なくなるのは年のせいです。熟年離婚の原因も
    多くも、ここにあるといっても過言ではありません。今まで我慢出来たこ
    とも許せなくなるのです。だが、貧乏ならば、嫌な仕事も、配偶者とも離
    別は困難です。しかし、タナーは最後に思いも寄らぬ方法で金持ちになる
    のです。それで、もう探偵はやめるという形で、このシリーズは終わるよ
    うです。もうお金には困らないのだから、嫌な仕事を続ける必要はないと
    いうことです。初期の頃の社会正義を振りかざすグリーンリーフの面影は
    ここでは姿を潜めています。自分の年齢に正直な結末の付け方だと私には
    思えます。テレビドラマのような派手な死に方をさせなかったのはうれし
    いことです。まあ、ひょっとして続きを書きたくなるかも知れないから殺
    さずに終わろうと言う気持ちがあるのも確かでしょうが・・・・

    タナーの今後がどうなるのか。ジル・コッペリアとは結婚するのか。自分
    の娘と信じているエレノアとの関係はどうなるのか。我々は今は、あるい
    は永久に知ることが出来ません。作者のグリーンリーフがタナーの人生を
    語ることを「省略」してしまっているからです。原題の「ELLIPSI
    S」という言葉の意味を私はそういう風に解釈しました。

  [深読みコーナー]    

    第1作「致命傷」が1979年で、この14作目の「最終章」は2000
    年ですから、グリーンリーフは20年間タナー・シリーズを書き続けたわ
    けです。ハメット、チャンドラー、ロス・マクと続いた「私立探偵小説」
    の主流派をグリーンリーフが受け継いだという評価は的を外れてはいない
    でしょう。

    『ハードボイルドが時代についていけなくなったのか、時代がハードボ
     イルドについていけなくなったのか、ロス・マクドナルドの死去に象
     徴されるように、幸せなハードボイルドの時代は終わった。』

    第3作「共犯証言」のあとがきに訳者の佐々田雅子さんがこう書いたのは
    1983年のことでした。あれから20年経ち、今の日本ではミステリだ
    けではなく、文学そのものが死滅しようとしています。上の佐々田さんの
    言葉を借りるならば、文学が時代についていけなくなったのではなく、時
    代が文学を捨てようとしているのだと私は思っています。そこに今の日本
    の歪みがあるのです。ナチスは焚書をしましたが、滅びました。その二の
    舞を演じないように祈るのみです。

    全14作のタナー・シリーズを振り返って、どの作品が最高傑作なのでし
    ょうか。3作目の「共犯証言」を挙げる人がいます。「ハードボイルドの
    王道をめざそうとするかのように、時代に密着した素材を避け、古いセピ
    ア色の写真を思わせるような懐かしい物語」と評したのは訳者の佐々田さ
    んです。正統派を継ぐ作品としては、それなりの意味があるし、面白く読
    めた作品であることは確かです。10作目の「偽りの契り」も、大富豪の
    一族の秘められた過去を引きずり出すという、チャンドラー、ロス・マク
    の作品に匹敵する佳品といっていいでしょう。時代の膿を曝け出した「感
    傷の終り」と「血の痕跡」も、禁酒法時代を描いたハメットや戦後の混乱
    期の傷痕を浮かび上がらせたチャンドラーと同じように評価していいと思
    います。

    私は14作の中から一作を選べと言われれば4作目の「探偵の帰郷」を挙
    げます。主人公の私立探偵を生まれ故郷に帰らせるという発想は、ハメッ
    ト、チャンドラー、ロス・マクの3人のうち、誰一人として実現させるこ
    との出来なかたったテーマです。生まれ故郷に戻り、兄弟達の葛藤、甥や
    姪たちの人生まで描き、それをミステリという約束事の中で見事に作り挙
    げていると思います。この一作で、彼は私立探偵小説の幅を広げたという
    意味で、ミステリ史上に残るでしょう。今、本国では私立探偵小説は衰微
    していますが、ジャズがアメリカから全世界に広がり、むしろ本国を凌駕
    しているように私立探偵小説も、アメリカ以外の国ではどんどん進化し、
    いい作品が生まれています。その一つのいい例がドイツのベルンハルト・
    シュリンクの私立探偵ゼルプを主人公にした三部作です。

    そういう意味で9作目の「熱い十字架」も取り上げたいと思います。この
    作品では大学の同窓会に出席し、そこで旧友に会い、彼の故郷に呼ばれて
    行くという設定の中で、タナーの青春時代を描くと同時に、今のアメリカ
    南部が抱える問題をも浮かび上がらせるという作品に仕上がっています。
    シュリンクのゼルプ三部作も、主人公の過去とドイツの20世紀そのもの
    をミステリという形式の中で見事に描いています。私はこの方向にこそミ
    ステリの向かうべき道があると思っています。

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