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 『海外ミステリを読む』(53)

「スティーヴン・グリーンリーフ」(13)

   

「憎悪の果実」
   ー
私立探偵ジョン・タナー・シリーズ第13作ー
  
 
           (原作1999年・黒原敏行訳)
              (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1699・2001年)
         
    この作品は前作「過去の傷口」を引き摺っています。前作でラスト・シーン
    を曖昧なままにしておいたのは、そのためだったのでしょう。

    この作品はこんな文章から始まります。

    『失血死という現象がある。大量の血を失うと、肉体はその機能を停止す
     るー脳、心臓、肺が活動をとめ、やがて死亡が宣告される。病院にかつ
     ぎこまれたとき、私はまもなく失血死してもおかしくない状態だった。』

    前作で書かなかったことをここで書いています。

    『私を撃った人物の名は、チャーリー・スリート。長年にわたってサンフ
     ランシスコ市警に警部補として勤務した男だった。チャーリーが私を撃
     ったのは、私を殺したかったからではなく、私に殺してもらいたかった
     からだ。チャーリーは一番の親友だったから、私は殺したくなかった。
     だが、結局のところ、私は彼を撃った。』

        その結果、チャーリーは死に、タナーは生き延びたのです。

    生き残ったタナーは心と体に重い傷を負い、長い病院生活を強いられたので
    す。病院でのリハビリの期間に、一人の女性と知り合います。名前はリタ・
    ロンバーデイ。ワトソンヴィルとサリナスの間にある、「ハシエンダスとい
    う聞いたこともない町」から来た25歳の女性です。彼女は拳銃で撃たれた
    わけではなく、障害のあった足を正常にし、顔にあった痣を除去する手術を
    受けたのです。二人はお互いのリハビリの途中ですれちがい、話しかけ、友
    達になったのでした。

    リタはタナーと「よくなったらハシエンダスに必ず行く」という約束をして、
    先に退院します。

    それから数日後に、タナーも退院し、アパートに帰ると、早速リタに電話し
    ます。だが、リタはハシエンダスに帰って四日目に何者かにナイフで殺され
    たというのです。それを聞いたタナーは即座にハシエンダスに行くことを決
    意します。そのことを電話の相手の、リタの母親に伝えると、彼女はこう答
    えます。

    「あなたが来ても来なくても、あたしには同じことよ。娘が土の中に埋め
     られたってことは変わらない」

    その言葉に対して、タナーはこう応じます。

    「ひどいことをした人間が自由に歩きまわっているという事実は変えられ
     ます」

        そして、誰に頼まれたわけでもないのにタナーは回復し切っていない体をお
    んぼろ車に乗せて、ハシエンダスに乗り込んで行きます。従って今回は依頼
    人なしの仕事です。

    ハシエンダスは人口1982人の小さな町です。苺を中心とした農作物の生産
    で人々は生活しています。大きな農場の持ち主のガス・ゲルブライド、息子の
    ランデイ、娘のミッシー、ガスから土地を借りて苺を造っている、リタの婚約
    者のカルロス・レイナ、リタの友達のセルマ・パウェル、看護婦のモナ・アッ
    プショー、それに警察署長、受付係と言った人々が小さな町でお互いに絡み合
    いながら生きています。そこへのこのこと乗り込んで行ったタナーに、それぞ
    れの人間模様を見せてくれます。病み上がりですので、タナーの調子も今一つ
    ぴりっとしません。

    農地の所有者はどんどん金持ちになって行くのに、労働者達は貧しくなって行
    くだけという、どこにでもある構図ですが、リタは病院にいる時にタナーにこ
    う言っていたのです。

    『「今すぐにだってよく出来るわ」リタは硬い口調で言った。「私がハシエ
     ンダスに戻って、ゲルブライドの連中と話さえすれば」
     どういう意味か訊こうとしたときに、看護婦が呼んだ。リタは退院する前
     に最後の診察を受けることになっていた。』

    リタは自らの体の障害を手術で取り除き、自信に満ちた女になって帰って行っ
    たのです。その為に強気に出て、殺されたと判断したタナーの犯人探しが始ま
    るわけです。

    町の人々の秘密を暴き、重く、悲しい真実を引きずり出したタナーは犯人には
    警察に自首しろと説得し、警察署長にも電話で知らせます。だが、署長は自分
    をのけ者にして勝手に町を掻き回したタナーに怒っているので、喜ぶ様子はな
    く、「お前さんたちの商売ではめでたい結果なのだろうな」と精一杯の皮肉で
    応えます。それに対して、タナーはこう反論します。

    『「この商売にめでたいことなんてないですよ」私は答えた。
     「これで帰ります。用があったら電話帳で名前を探してください」
        「お前さんの協力なんか必要ない。今までだって必要なかった」
     私はビュイックを北に向けて走らせた。私が帰る場所と考えている都市へ、
     人のためになることもならないこともしてきた都市へ向けて。その都市の、
     見る者に畏怖の念を与える高層ビル群の明晰な景観に比べて、ルーフのへ
     こんだ車の運転席から見るサリナス・ヴァレーの平坦で肥沃な世界は、何
     かに切り詰められ、押しつぶされているように見えた。』

 [深読みコーナー]        

       1.この作品の舞台となったサリナス(サリーナスと表記する人もいて、統一さ
     れてないようです)はスタインベックの故郷です。グリーンリーフはこう
     書いています。

    『中西部の農業地帯に生まれ育ったせいか、あるいは大学時代にスタインベ
     ックを愛読したせいかは知らないが、私は以前からサリナス・ヴァレーが
     好きだった。最初にこの土地を通過するようになったのは、たいていロサ
     ンゼルスに出かけるときか、モントレー・ジャズ・フェスティバルに行く
     時だった。』

    エリア・カザンの映画「エデンの東」のファースト・シーンで、わびしい海
    沿いの町でジェイムス・デイーンが母親を尾行する場面がありましたが、あ
    れがモントレーです。もっともあの映画は第一次世界大戦勃発の頃の話です
    から、時代としては70年の差があります。そのあと、彼は貨車にただ乗り
    して
サリナスに帰るというシーンがありました。ついでに言えば、「エデン
    の東」では苺ではなく、レタスと大豆が大規模に栽培されていました。石川
     好氏の「ストロベリー・ロード」は60年代の状況を描いた作品でしたか
    ら、苺が儲かるようになったのは戦後からかも知れません。

    タナーがサリナスに入る場面をグリーンリーフはこう書いています。    

    『サリナス・ヴァレーは西のサンタ・ルシア山脈と東のガビラン山脈にはさ
     まれた緑豊かな土地だ。ハシエンダスに通じる道はプルーンデイルの南、
     サリナスの北にある。』

    一方、スタインベックは「エデンの東」の第1章で故郷をこう描写しています。

    『サリーナス渓谷はカリフォルニア州北部にある。二つの山脈に囲まれた細
     長い草原湿地帯で、サリーナス河がその中央を曲折しながら北へ向かって
     流れ、果てはモンタレー湾に注いでいる。』
           (野崎 孝訳・早川書房版より)

    これが冒頭の文章です。この文にある「二つの山脈」というのはガビラン山脈と
    サンタ・ルシア山脈です。

    『私はまた、渓谷の東部にあたるガビラン山脈が、陽光と美を誘うような魅
     力にあふれ、見る者の胸に、慈母の膝に這い上がる嬰児の如く、その暖い
     山麓に分け入りたい気持を掻き立てる、明るい陽性の山並みだったことを
     覚えている。鳶色の草の愛情で、人を招く山だった。西の空に屹立するサ
     ンタ・ルシア山脈は、この谷を外海から守っている山並みであるが、これ
     は暗く、物憂くー無愛想で、危険だった。私は、自分の胸の中に、西に対
     する恐怖と東に対する愛慕とをいつも感じていたものである。』

    そのあと、スタインベックはこの渓谷の歴史に筆を染めています。

    『最初にインディアンがいた。元気も創意も文化もない劣等人種、甲虫の幼虫
     やいなごや貝類を捕食していた民族・・・』

    いささか言葉が過ぎるのではないかという思いがする文章です。「怒りの葡萄」
    などの社会正義、現実告発などの姿勢はあくまで「白色人種」を対象としている
    ことを自ら暴露しているのではないでしょうか。でも、まあ、毒舌家だった彼の
    ことだから多少は大目に見るべきというだという人もいます。

    『それから峻烈でうるおいのないスペイン人が探検しながら入ってきた。貪欲
     で現実的で、金や神を強欲に求めた。』

    『やがて、アメリカ人がやってきた。これは数が多かっただけに、一層貧欲な
     連中だった。彼等は土地を奪い、彼等の権利を有効にする為に法律を造り直
     した。』

    人は誰でも、故郷には愛憎の混じった複雑な感情を抱くものですが、スタインベ
    ックのこの文章にもそれが現れています。グリーンリーフはこの土地には赤の他
    人です。その違いの分かる二つの文章です。

   2.苺の栽培について

    タナーが、苺の栽培をしているカルロスに畑に案内して貰っている場面にこんな
    文章があります。

    『「カオペクテイトだ。連中は腹が減ると青い苺を食う。それで腹をこわすん
     だ。青い苺には薬もついてるし」
     「どういう薬?」
     「殺虫剤、防腐剤、除草剤。果物には敵が多い。こっちも生活がかかってる
     から、敵はさっさと殺すしかない」
     「畑で働いている女たちがマスクをしているのはそのせいなのか?」
     カルロスの表情が握った拳のように硬くなった。
     「あれはマスクじゃなくてスカーフだ。土埃を吸わないように巻いている」』

    カオペクテイトは日本で言えばセイロガンのような下痢止めの薬らしいですが、
    青い時に危ないのなら熟しても危ないのではないでしょうか?この先にはこん
    な文章もあります。

     「苺は毎年新しく植える。古いのは土の中に鋤き込んで、土地をたがやす
     んだ。そして畝を作ったら、ビニール・シートをかぶせて、土に臭化メチ
     ルとオキシデメトンを注入する。線虫や真菌、モザイク病ウイルス、ヴァ
     ーテイシリウム萎凋病菌なんかを殺すためだ。アリマキや酢線虫やハダニ
     を殺す殺虫剤もまく。」

    グリーンリーフのことだからちゃんと調べて書いているのでしょうが、それに
    しても農薬が多いと感じます。日本でもこんなに農薬を使っているのかどうか
    知りませんが、大丈夫なんだろうかと、ふと思いました。私は農業には無知な
    ので、あるいはこれくらいの農薬は普通のことかも知れませんが・・・

  3.原作のタイトルについて、

    この作品の原題は「STRAWBERRY SUNDAY」です。直訳すれば
    「苺の日曜日」ですが、意味が分かりません。訳者の黒原氏も触れていません。

        そこで、私なりの推理をして見たいと思います。

    まず、この作品、作者はいつもと違って、やたらと映画やテレビに関係する固
    有名詞を持ち出しています。例えば、こんな具合です。

    「リタの細面に広がっている微笑みに比べれば、メグ・ライアンの笑顔さえ
     しかめ面にみえそうだった。」

    「壁には雑誌から切り取ったダイアナ妃の写真のほか、<ローマの休日>と
     <麗しのサブリナ>の映画ポスターが張ってある。リタはオードリー・ヘ
     ップバーンが好きだったらしい。」

    「たいていシュワルツネッガー主演だけどね」

    「まもなく正面の入口から一人の女性が入ってきて、これから<シェーン>
     のリメイク版のオーデイションをするような感じで私の前に立った。」

    「若き日のリタ・ヘイワースみたいな娘のことです」

    「だが、夏の日曜日にはどの局も見るに値するものを放映していなかった。
     <X−ファイル>さえ再放送だ」

    この<X−ファイル>のところで私の目が留まりました。たまたま、今、私が
    ファイナル・シーズンを次々に見ている時だったからです。最初に読んだとき
    には見落としていましたが、この「日曜日」が気になったのです。

    <X−ファイル>が再放送なので、見る気になれす、ジル・コッペリアに電話
    をかけます。地方検事補の彼女はチャーリーの事件を担当していて、前作で登
    場しています。タナーはサリナスまで彼女を呼び、一夜を共に明かした仲です。
    この時、タナーは事件を解決していません。途中で、自宅に戻った時でした。

    電話に出たジルはタナーにこう言います。

    「まだ、苺畑をお散歩しているの?」

    ここに括弧して、こういう文章が入っているのです。

    (タイニー・テイムの60年代のヒット・ソング「チューリップ畑でお散歩」
     にひっかけている。)

    この曲はタイニー・テイムの1968年に出た「God Bless Tiny Tim」(邦題
    「
タイニー・テイムに神のご加護を」)というアルバムの中の一曲なのです。
    ほかに「いちごの紅茶」という曲もあります。

    グリーンリーフはこのあたりから題名をつけたのではないかと思います。つまり
    サリナスに住む人々にとっては生死に関わる大問題であっても、よそ者のタナー
    には「日曜日に苺畑を散歩している」に過ぎないのだと言いたいのではないでし
    ょうか。ジルにはチャーリーの事件の方が大事なわけです。そして、タナーにも
    それを認めさせようという、皮肉な台詞でしょう。

    このことから考えて、原題は「休日は苺畑で」とか、「苺畑でお散歩を」という
    ような意味ではないかというのが、私の深読みです。しかし、これではハードボ
    イルド小説らしくないので、「憎悪の果実」という日本語訳が作られたのではな
    いでしょうか。

    
 
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