『海外ミステリを読む』(51)
「スティーヴン・グリーンリーフ」(11)
「欲望の爪痕」
ー私立探偵ジョン・タナー・シリーズ第11作ー
(原作1996年・黒原敏行訳)
(ハヤカワ・ポケット・ミステリ1662・1998年)
一日の仕事を終えて、誰も待っていないアパートに戻ったタナーはバランタイ
ンを飲みながらテレビを見ていました。そこへ、ペギー・ネトルトンから電話
がかかってきます。かって、タナーの秘書であり、彼の恋人でもあったあのペ
ギーです。
この物語はこういう風に始まります。このペギー・ネトルトンが主人公でもあ
った作品「深夜の囁き」についてはグリーンリーフ編の(6)で触れてますの
ので未読の方はお読み下さい。
ペギーは今、シアトルにいるようです。頼みたいことがあるのでこちらに来て
貰えないだろうかと言い出すのです。この誘いに対して、タナーは未だに彼女
に未練のあるので、すぐに「いつ行けばいい?」と引き受けます。それを聞い
てからペギー・ネトルトンは「来て貰う前に、一つ話しておきたいことがある
の」と弁解をします。
『また胃がむかつき、熱く湿った電話の受話器が邪悪なものに感じられた。
「何だい?」
あまり長い沈黙に、自分で持ち出した話題を忘れてしまったのかと思った
ほどだった。
「その、どういったらいいか・・・いいわ、もう言ってしまうわね。わた
し、もうすぐ結婚するのよ」』
最初から言えばタナーが来てくれないだろうと思ったに違いありません。タナ
ーとしては今更、それでは話が違う。行くのは嫌だとは言えません。女特有の
損得計算に引っかかったわけです。
ペギーが結婚すると聞いて、がっかりしたものの今更行行きたくないとは言え
ないタナーはとにかくシアトルへ行きます。再会したペギーの頼みというのは
相手の男テッド・エヴァンズの娘のニーナが行方不明になっているので、見つ
けて欲しいと言うのです。
タナーは早速、調査を始めます。ニーナの職業はヌード・モデルですので、タ
ナーはエロチック・アートの世界に乗り込んで行きます。ですが、これがさっ
ぱり面白くないのです。タナーにやる気がないからです。それは作者自身のや
る気のなさを反映しているような気がします。
訳者の黒原氏は「あとがき」の中で、この作品をこう評しています。
『本書の設定はあの「カサブランカ」を連想させるが、「大人」のラブ・
ストーリーという点から見ると、こちらのほうが一枚上と言えるのでは
ないだろうか。』
褒めるところがないので、こういう表現になったのでしょうが、もう一人、碓
井隆司氏もかって、新聞の書評欄にこんなことを書いていました。
『事件より、私立探偵タナーの恋愛に比重を置くようになっています。
(中略)既に若くはない二人の微妙な心理の綾が物語の縦糸となり、
淡彩画のような味わいの恋愛小説に仕立て上がっています。』
しかし、私には恋愛小説としての「仕立て上がり」もあまりよくないと思える
のです。二人の絡みが中途半端のままに終わっているから、恋愛の部分も説得
力がありません。ペギーが何故、わざわざタナーに依頼したのかも納得出来る
説明をしていません。それ以上に問題なのは謎解きが散漫になっていることで
す。
「深夜の囁き」の時に、北上次郎氏は「ここまでくるとハードボイルドである
必要があるのかどうか分からなくなってくる。」と評しましだが、私はこの作
品にもそれがいえるのではないかと思います。ハードボイルド小説でもないし、
恋愛小説としても失敗した作品だと思います。(北上次郎氏のハードボイルド
論などを集めた「余計者文学の系譜」は角川文庫にも入っています)
じゃあ、この作品はどこで失敗しているのか。それについて私なりの解釈を述
べてみます。
「あとがき」にはこういう文章もあります。
『本書でグリーンリーフは、各章の冒頭にニーナの視点から三人称で叙述す
る部分を置くというシリーズ初の試みをしていて、若い女性の屈折した心
理を精緻な筆で内側から描き出すことに成功している。』
具体的に引用してみます。各章の冒頭にこのような文章を挿入しているのです。
『仕上げにもう一度、リップグロスを上塗りし、髪を整え直し、陰毛に櫛を
入れ、胸の谷間の汗をむぐい、スタジオに入る。スタジオとは名ばかりで、
その実は写真家のむさくるしいアパートだ。』
『この男とは絶対に手を切る。これは決定ずみだ。だが、そのあとは、何を
してお金を稼ぐ?つきまとってくるあの変態男から誰に守ってもらう?自
分を幸せにしてくれる人は、テッド以外にいないのだろうか?』
最後までタナーはニーナに会うことはないのです。最終章で助けに来てくれた
タナーに初めて会うという仕掛けになっています。
最終章の冒頭はこうなっています。
『「最後にもう一つだけ」と、男はいう。この見知らぬ男は、はじめ捕らわ
れの身でこの部屋に入ってきたが、今は主導権を握っていた。「きみはテ
ッド・エヴァンと寝ていたのか?」
彼女はかぶりを振る。「そんなの馬鹿げてるわ」なぜ、そんなことを訊く
のだろう?この男はいったい何者?目当ては何?』
「この見知らぬ男」というのはタナーのことです。
こうして、タナーは無事ニーナを救出し、ペギーはテッドと結婚することにな
るわけです。
この作品の失敗の原因はこの冒頭の挿入分なのです。これが、ただ、単に無意
味であるばかりではなく、作品の視点そのものをぼやけさせてしまっています。
ニーナの視点などどうでもいいのです。タナーはニーナを探すという作業の中
で、ペギーとの関係を見つめ直し、その中から自分とペギー、そして、テッド
との三角関係を掘り下げるべきだったのです。途中でニーナのことなど、どう
でも良くなり、大人の三人の関係の方が大事な問題になる。そういう展開にす
べきでした。そういう展開に持って行っていたら、この作品はもう少しましな
作品に仕上がっていた筈です。
一歩譲って、どうしても入れたいのならニーナではなく、ペギーの視点にすべ
きでした。そうしていたら、恋愛小説としての部分にふくらみが出て、ミステ
リとしての失敗をいくらか補っていたことでしょう。
この本の中で一番面白かったのは「あとがき」といってもいいでしょう。出来
が良くないと分かっている作品をこれから売らなければならない関係者の一人
としての発言になっています。黒原氏の苦渋の胸のうちを「あとがき」に読み
取ったのは私一人ではないでしょう。これまでタナー・シリーズを11作読ん
できたわけですが、これが最悪の出来と言えるでしょう。
次回作で作者は果たして立ち直っているのでしょうか。実はこの作品、ラスト
で作者は大きなヒントを残しています。
事件が解決し、サンフランシスコへ帰るために空港へ行き、お土産を買ってい
る場面に、こういう文章があるのです。
『空港の、ボーイング社のギフト・ショップで、娘のエレノアのために青い
小さな飛行服を買ったーそういうものが好きだとあの子の母親が話してい
た。』
「娘のエレノア」とはっきり書いているのです。ただし、私は原文を読んでい
ませんので正しく訳されていると仮定しての話になります。つまり、原文に間
違いなく「私の」という形容詞があるという条件が付きます。もしそうである
なら、前作で代理出産で生まれた子供はやはり、タナーの子だったと言ってい
るわけです。ラストでこんな文章を入れるのは次回作を楽しみにして下さいと
いう作者のメッセイジでしょうが、裏を返せば、この作品は失敗だったと言っ
ているような気がしないこともありません。
[深読みコーナー]
1.この小説の最初にこんな文章があります。夜、アパートに帰ったタナーがく
つろいでいる場面です。
「私は靴を脱ぎ、両足を椅子の上にのせ、一袋のオレオとバランタイン
を手の届くところに置いていた。NBCの好意による、九十分間の憂
さ晴らしの準備が整った。十八分後、ヘレン・ハントのような女性と
お付き合いできたら、私の悩みも少しはどうにかと考えている最中に」
つまり、ヘレン・ハントの出てくる番組を見ようと待ち構えている所なのです。
そこへ、ペギーからの電話がかかってきて、タナーは事件に介入していくので
す。
この時の番組がヘレン・ハントのテレビ・ドラマの頃の作品か、映画なのかは
分かりませんが、タナーの好みのタイプの女性の一人といっていいでしょう。
この小説が1996年作なので、まだ、オスカー(主演女優賞)をとってはい
ませんが、もう映画女優として人気が上がっていたころです。因みに、翌年の
1997年「恋愛小説家」でオスカーを取り、トップ女優になっています。
そのあと、「ペイフォワード」で主人公の少年の母親を、「キャスト アウェ
イ」でトム・ハンクスのフィアンセを演じていたのが、ヘレン・ハントです。
2.この小説を読みながら、私は何故か、ポール・オースターの「幽霊たち」を
思い浮かべていましたので、そのことに少し触れておきたいと思います。
グリーンリーフのこの作品を読みながら、まず感じたのは、本文で触れたよ
うに、北上氏と同意見で、これならハードボイルドである必要はないという
ものです。さらに読み進めて行くうちに、これではタナーでさえ存在意義を
喪っている、「深夜の囁き」よりまだひどい、そう感じたのです。
この小説の主人公は誰なのでしょうか。タナーでもないし、ペギーでもない。
ニーナなのでしょうか。それもはっきりしないわけです。そんな時に、ポー
ル・オースターの「幽霊たち」が浮かんできたのです。
「幽霊たち」を未読の方のために、簡単に説明すると、こんな小説です。
『ある日、私立探偵ブルーのもとに、変装していると一目で分かる依頼人
ホワイトが現れる。ブラックという男を見張ってくれというのである。
ブラックは一人暮らしのアパート住まいで、何か書きものをしている男
らしい。依頼人は手回しよく真向かいのアパートに一室を用意してくれ
ている。ブルーはそこから男を見張ることになるが、しかし、事件らし
い事件は起こらない。やがて、ブルーは疑いを抱きはじめる。見張られ
ているのは自分のほうなのではないか。ホワイトとはブラックの変名な
のではないか。こうして、一年以上見張りを続けたあげく、ブルーはブ
ラックの部屋に乗り込む。はたして、ブルーが発見したのは自分がホワ
イトに宛てて出した報告書の山にほかならなかった。』
(「波」1989年7月号・三浦雅士氏の文章より)
推理小説として読めば、何も起こらず、謎は謎のままに終わるという何とも形容
しようのないおかしな作品です。まあ、ポール・オースターは私立探偵小説とい
う枠組みを利用しただけで、別にミステリを書くつもりはなかったわけですから
それはそれでいいのでしょうが。
彼はこの作品の前に「シテイ・オブ・グラス」という作品を同じように私立探偵
小説の形式で発表していているのですが、アメリカでも当初、ミステリと誤解さ
れたようです。日本にも、これは「エドガー賞」のノミネート作品として紹介さ
れたそうです。
ここで、ポール・オースター論を始めると、タナーが幽霊のように消えてなくな
りますので、私がグリーンリーフのこの作品を読んでいて、思わず、ポール・オ
ースターを連想してしまったと言うことに留めておきます。つまり、ミステリを
書くのなら、この作品のような書き方では行き詰ってしまうということです。オ
ースターの「ニューヨーク三部作」をミステリとして読めば、エド・ウッドが監
督した映画を見たような気分になる筈です。私には、この作品は正にそんな気分
にさせられた作品でした。
グリーンリーフがポール・オースターを真似したとは思いません。一番妥当な解
釈はグリーンリーフが私立探偵小説の未来について迷っているということでしょ
う。彼はこのあと、タナー・シリーズを三作品書いています。このあと、どう書
いているのか。それがこれから読む上の楽しみと言えるでしょう。
ポール・オースターを未読の方で、興味があるのでしたら次の三作から読みはじ
めるのがいいでしょう。
「シテイ・オブ・グラス」(山本楡美子・郷原宏訳・角川文庫)
「幽霊たち」(柴田元幸訳・新潮文庫)
「鍵のかかった部屋」(柴田元幸訳・白水社Uブックス)
この三作が彼の出世作で、「ニューヨーク三部作」と呼ばれています。