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『海外ミステリを読む』(41)

「スティーヴン・グリーンリーフの作品とその周辺」(1)

 新潮社から出ている「海外ミステリー事典」(新潮選書・権田萬治
 監修・2000年刊)の「グリーンリーフ」の項にはこう書いてあ
 ります。

 『1942年ワシントンD.C生まれ。1967年にカリフォルニア
  大学バークレー校で博士号取得。カリフォルニア州の弁護士資格
  を取得後、調査員を経て、カリフォルニアのモントレーで2年、
  サンフランシスコで5年、アソシエイトとして弁護士事務所に勤
  務する。その後、いくつかの大学の教員となり、79年に私立探
  偵ジョン・マーシャル・タナーを主人公としたハードボイルド、
  「致命傷」で作家デビューを果たす。以後、一貫して「タナー」
  シリーズを書き継いでいる。
  60年代後半から70年代にかけて、「ネオ・ハードボイルド」
  と呼ばれる一派が生まれた。ヴェトナム戦争とドラッグやフリー
  ・セックスに彩られた若者達の反体制運動という、アメリカの変
  動する時代が作品の背景に置かれた。(中略)
  グリーンリーフは、彼等より一世代下のいわば「ポスト・ネオ・
  ハードボイルド」と呼ばれる世代を代表する作家といえよう。』

 次に、「ネオ・ハードボイルド」の項を見ると、こう書いてありま
 す。

 『1970年代に台頭した、リューイン、ブロンジーニ、サイモン
  パーカー、ハンセン、ブロックなど新世代のハードボイルド作家
  のことをいう。小鷹信光の命名で、ネオ・ハードボイルド派の特
  徴は名探偵が癌ノイローゼだったり、妻に逃げられたり、ホモだ
  ったり元アルコール依存症だったり、ごく普通の人間と同じよう
  な悩み、苦しみを背負った人間である点にある。ここには、明ら
  かに反体制運動の挫折に対する幻滅や、ウーマン・リブ、性差別
  反対運動などが複雑に反映している。ハメットやチャンドラーな
  どのハードさはないが、時代を反映した作品だけに若い世代の共
  感をえた。』

 ここに付け加えるとすれば、ネオ・ハードボイルド派以降の作品に
 最も大きな影響を与えているのは、ヴェトナム戦争だということで
 す。何もミステリに限ったことではなく、すべての小説、映画など
 についてもいえることでしょう。ハメットの死んだ1960年に双
 方共に宣戦布告なくして始まり、1973年のアメリカ軍の完全撤
 退まで13年に及んだ戦争はアメリカの経験した最も長い戦争であ
 り、唯一の負けた戦争です。この戦争はアメリカという国家を初め
 て精神的に苦しめた戦いと言ってもいいでしょう。大儀名分のない
 この戦争は国論を二分し、アメリカを精神的に腐敗させた戦いでし
 た。ヴェトナム戦争を知らない世代の方にはいい機会ですので、一
 冊でもいいからこの戦争についての本を読むことをお勧めします。
 そうすればこれから先、ミステリを読んだり、映画を見てもより深
 く味わえる筈です。この戦争を知っている世代の方には、ソ連邦崩
 壊以後の、イデオロギーから開放され、当時とは違う見方を知って
 欲しいと思います。

 今、本屋に行ってすぐ手に入るヴェトナム戦争についての入門書は
 一冊しか見当たりませんでした。中公新書の「ベトナム戦争」(松
 岡 完著)です。文献と年表もきちんとしています。

 浅学非才の小生は「ネオ・ハードボイルド」という言葉が小鷹大先
 生の命名だとは知りませんでした。この章ではこれまで読んできた
 御三家とグリーンリーフを繋ぐ意味で、この派の作家たちの作品も
 平行して紹介していくつもりですが、詳しく知りたいと思われる方
 はこのジャンルの第一人者の小鷹信光氏の「ミステリー読本」(講
 談社)をお読み下さい。ただし、昭和60年に定価1800円で発
 売されたこの本は現在絶版であり、古書価は定価の倍近くします。
 でも、今は古本屋さんも新刊屋さんと同様に経営が苦しいのですか
 ら、少しは売り上げに協力して上げて下さい。

 前置きはこれ位にして、グリーンリーフの第一作を読んでみましょ
 う。


「致命傷」
  
   (原作1979年・日本語訳1982年・野中重雄訳)
   (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1391)
 
 サン・フランシスコの私立探偵ジョン・マーシャル・タナーにとっ
 ては「海が発酵したのではないかと疑いたくなるような、汚れた空
 気が溢れる」ロス・アンジェルスからサン・フランシスコに戻ると
 「清純な空気につつまれた町」に思えるのだった。だが、それは比
 較の問題であって、この町がそんなにいいとは思っていない。

 『私は他に行く所も、一緒に行く者もいないので、ただ漫然とここ
    に留まっているだけである。』

 探偵という仕事に生きがいを感じているわけではなかった。弁護士
  をしていた時に法廷で判事の不正に抵抗した為に、法廷侮辱罪に問
  われて六ヶ月投獄されて以来、弁護士の仕事をしていなかった。だ
  が、資格はまだあるので、しようと思えば出来るのだが、今は探偵
 仕事で生計を維持していた。現在、46才で独身。もはや中年と言
 っていい。

 『探偵の仕事には魅力が乏しく、道徳上のあいまいさが多すぎる。
  その証拠にカリフォルニアの企業職業コードでは、私立探偵は集
  金代理業者や保険調停業者の分類に入れられている。』

 こんな愚痴をこぼしながらもタナーは探偵仕事を続けている。

 『さまざまな依頼人がやってくるものである。私の事務所へやって
  くる依頼人のほとんどは、顔のない名前だけで現れ、名前のない
  顔として帰って行く。』

 だが、ジャックリーン・ネルソンはそうではなかった。タナーの事
 務所に依頼人として現れた彼女はこんな風に見えた。

 『彼女はいかにも人好きのするタイプで、確かに魅力的な女性だっ
  た。ブルーのニット・ドレスにつつんだ肉体は、守銭奴の金箱の
  ようにはちきれんばかりで、首にまいた真珠のネックレスが、で
  きたての星条旗の星のようにピカピカ輝いていた。』

 そして、彼女はローランド・ネルソンの妻だった。

 『ローランド・ネルソンはアメリカでは有名な消費者擁護運動家で
  あった。彼は過去十年間にわたって、プロに指導される何百人と
  いうボランテイアによる全国的なネットワークを組織していた。
  この組織は、消費者の側に立って、政界、実業界の実態をあらゆ
  る角度から徹底的に調べ上げ、その報告を世間に公表することが
  仕事であった。』

 そのローランド・ネルソンの妻ジャックリーン・ネルソンがタナー
 の事務所にやってきたのだった。そして、こう言った。少し前に夫
 が一週間行方不明になったことがある。どこへ行っていたのか聞い
 ても答えない。誰かに脅迫されているのか、それとも女がいるのか
 それを調べて欲しい。それが仕事の内容だった。

 引き受けたタナーは調査に乗り出す。まず、彼のスタッフ達に近づ
 く。ローランドの右腕といわれるビル・フリードマン、助手のセー
 ラ・ブルック、弁護士のアンデイ・ポッター。

 次にはネルソンの邸宅を訪れて、ローランド本人、娘のクレア、ク
 レアの恋人のアルビン・ロッドマンに紹介される。

 ネルソン家での家族全員との対話を終えて帰ろうとすると、娘のク
 レアがタナーを自分の部屋に呼び、思ってもいなかったことを言い
 出す。彼女は足が不自由で、その上、養女だった。孤児院から貰わ
 れてネルソン夫妻の娘になったのだった。

  そのクレアがタナーにハリー・スプリングという探偵を知っている
 かと聞いた。タナーは彼とは友人同士だと話す。すると、クレアは
 自分は彼を雇ったのだが、もう一週間も連絡がないので連絡するよ
 うに伝えてくれないかと頼む。彼女は何の為にハリーを雇ったのか
 タナーに話さなかったが、タナーは引き受ける。

 タナーは教科書通りに、まずローランド・ネルソンの尾行から始め
 る。大学での講演を終えたローランドは車にセーラ・ブルックを乗
 せて、走りだした。タナーはそれを尾行する。二人は車から降りて
 一軒の家に入り、「ネルソン夫人が疑っていたことが充分できる位
 の時間」出てこなかった。そして、出てきたのはネルソン一人だっ
 た。つまり、そこはセーラのアパートだったのだ。

 次の日は図書館に行ってローランド・ネルソンに関する新聞記事を
 調べた。だが、彼が脅迫される可能性のある行動は見つからなかっ
 た。問題があるとすれば助手のセーラ・ブルックとの浮気くらいだ
 った。

 『もし、脅迫の事実がないとすれば、それは単なる夫婦間の問題で
  しかない。ネルソン夫人と夫との間かあるいは夫人とセーラとの
  間か、はたまたその両方の問題に違いない。それはどうでもよか
  った。私はいっさいそんな問題には関わりを持ちたくない。』

 タナーは依頼人が信用出来ず、調査に意欲も失っていた。依頼人が
 何か言ってくるまで放っておくことにし、残る問題ーハリーの件に
 取り掛かることにした。何故、クレアに連絡しないのかと詰問すれ
 ば自分の仕事は終わる筈だった。

  ハリーの事務所は図書館の近くだったので、次にそっちへ廻った。
 タナーは妻のルーシーとも親しい仲だった。かって、ハリーは保安
 官助手で、ルーシーは従軍看護婦だった。ルーシーはハリーがクレ
 アからの依頼でオックステイルという小さな町に行ったのは知って
 いたが、何をしに行ったのかは聞いていないと答える。

 そんなことを話し合っている途中で、刑事が訪れてきて、ハリーが
 オックステイルで殺されたと告げる。

  タナーは死体を引き取るルーシーに付き添ってオックステイルに行
 くことになる。話を聞いたセーラも一緒に行くと言い出す。彼女は
 オックステイルが故郷であり、
ロッドマンとは高校の同級生だった
 と打ち明ける。

 こうして事件の中心はオックステイルに移る。

 『オックステイルは、ただ一つの目的のためにできた町であった。
  周辺の農場の産物を集め、一刻も早く市場へ発送するための町だ
  った。』

 『サン・ホアキン・ヴァレーの東のはずれにある、暑くてゴミゴミ
  した町で、住人達と同じに不愉快なところだった。見知らぬよそ
  者が行くと、囚人が看守を見るように憎悪の目を向けるのだ。』

 ハリーはこの町で、病院を廻って、養子縁組の記録を調べていて殺
 されたようだった。クレアの出生の秘密が事件の鍵を握ると知った
 タナーはかってこの町で何が起こったのかを探り出して行く。

 オックステイルという田舎町での事件が登場人物全員の現在に繋が
 っていることをタナーは明らかにしていく。過去に追い回される人
 間達。過去を抹殺したい人間。過去を知りたい人間。現在を守る為
 には過去を知る人間を殺さなければならない状況に陥る人間。そこ
 に描かれているのは、明らかにロス・マクドナルドの世界だ。私が
 持っているのは初版本だが、帯にはこんな文章がある。

 『チャンドラー、ロス・マクドナルドの後継ぎとしてはここ十年で
  最高のものであるだけでなく、マクドナルドの最近の三、四作よ
  りセンチメンタルでないところがいい。』

 この作品は1979年作、ロス・マクドナルドの最後の長編「ブル
 ー・ハンマー」が1976年だから「最近の三、四作」と言えば、
 ほかに「眠れる美女」「地中の男」「別れの顔」といった晩年の作
 品をさすのだろうが、「センチメンタル」でなければロス・マクド
 ナルドらしさが欠けるという逆説も成り立つわけで、逆にそこがこ
 の作品の「落としどころ」の足りなさとも言える気がする。

 スティーヴン・グリーンリーフはこの作品で、ロス・マクドナルド
 の後継者と言われるようになるが、弁護士資格を持つ私立探偵を主
 人公に据えた点に作者の対抗意識というか、挑戦の意図を私は感じ
 る。作者は何故、主人公を過去に弁護士だったが、今は資格を剥奪
 された私立探偵にしないで、今も弁護士資格があり、やろうと思え
 ば出来る私立探偵にしたのだろうか。この設定こそがこのシリーズ
 の鍵を握ると私は見ている。書き手の側から言えば、アウトローの
 方が数倍書き易い。プロットの立て方も展開の仕方にも自由が利き
 幅を広げるのが簡単なのだ。なのにグリーンリーフはタナーに弁護
 士資格を与えてしまい、行動の自由を奪っている。弁護士が詐欺や
 泥棒の真似は出来ない。そんなことは勿論彼は承知の上で、こうい
 う設定にした筈だ。巻末のあとがきにグリーンリーフ自身が弁護士
 を志したことがあり、自らの弁論の才能に自信がなくて諦めたと書
 いてある。そういった作者本人の夢と挫折を主人公タナーに投影さ
 せたとなると尚更苦労するのではないだろうか。自ら足枷を嵌めて
 シリーズをスタートさせたことが吉と出るか、凶と出るか、それも
 このシリーズの見所かも知れない。作者がこの設定を途中で変えて
 しまうのか、あるいは押し通すのか。その辺も注目して行きたい。

 タイトルの意味はタナーが登場人物の一人に語る次の台詞から来て
 いるのだろう。

 「私は今までもすでにあまりに多くの人たちに引っ張りまわされて
  いるのです。今の私はハリー殺しの犯人を見つけること以外には
  何の関心もありません。それ以外のことは回り道だし、致命的な
  障害になりかねない私はこれまで依頼人のため、あるいは自分自
  身のために、どんな場合でも常に真実を発見する為に全力をあげ
  てきた。だが、今度の事件だけは別です。ハリーの殺害犯人をサ
  ン・クェンティン刑務所へぶち込む助けにならない限り、どんな
  ことがあってもあとへは下がりません」

 だが、タナーは犯人を見つけても刑務所に入れることは出来なかっ
 た。犯人に告白させたあとのタナーの心境を作者はこう語る。

 『私は一刻も早くこの事件からも、オックステイルの住人にかけら
  れた呪いからも逃れたかった。犯罪が、町全体を、住人の心を覆
  い、歪め、損い、ねじまげ、町に育った人々、町に立ちのぼる蒸
  気を吸った人々を、すべて腐らせてしまうのだ。』

 そして、タナーはすべてを警察に話し、あとは彼等に任せるからと
 言い残して立ち去ろうとする。だが、犯人は二日だけ待ってくれと
 頼む。タナーは明言せずに犯人の元を去る。

 そのあと、どうなるかはご自分でお読み下さい。前から申し上げて
 いることですが、たとえ評論として中途半端になろうとも私は書い
 てはいけないことは決して書きません。著名なミステリ評論家の中
 には自分の論の為に必要とあれば結末を明かしたり、犯人を指摘し
 たりする方もいますが、それはやはりルール違反だというのが私の
 基本姿勢です。今後もこれは崩さないつもりです。    

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