「海外ミステリを読む」(74)

 
     
 

(トマス・H・クックの作品13)

「闇に問いかける男」(2002年作)

  (村松 潔訳・文春文庫・2003)
  

 この作品の原題は「INTERPRORATION」、つまり、尋問です。デヴュー作「鹿の死んだ夜」でニューヨークの異常犯罪を描いたクックがまたニューヨークに戻ってきました。主人公が市警の刑事なのも、犯罪が異常なのも同じです。20年ミステリを書き続けて来たクックがどう変わったかを見るのも、この作品の読みどころだと思います。

 この作品を一言で言えば、公園で殺害されたキャシー・レイクという8歳の少女の犯人捜しの物語です。容疑者として逮捕されているのは現場で寝泊まりしているホームレスのアルバート・ジェイ・スモールズという26歳の男です。ですが、決定的な証拠がなく、自白もしないので拘留期間が終わりに近づき、明日の朝6時までに証拠か自白がなければ釈放しなければならないという状況の中での最後の11時間の尋問を描いた作品です。

 尋問を担当するのはノーマン・コーエンとジャック・ピアースの両刑事で、その上司のトマス・バーク刑事部長も進行状況をチェックしています。この三人と容疑者の四人の心の中の闇を描くことが作者の狙いだったよ
うな気がします。ですが、日本語版では題名を「闇に問いかける男」として、表紙は容疑者スモールズの寝泊まりしている土管からのカメラアイ
で逃げているキャシー・レイクの姿を描いていて、主役を彼一人に絞った売り方をしています。

 裏表紙には本を売る為のキャッチコピーが載っていますので、ちょっと比べてみたいと思います。

 ちょっと長いですが、日本語版はこうです。

  『公園で少女が殺害された。公園に住み、そこで遊ぶ少女たちを
   ひたすらスケッチしていたもの静かな若者が容疑者として勾留さ
   れるが、殺害を頑として否認し続ける。なす術もない二人の刑事。
   証拠物件もみつからず、釈放までに残された時間はあと・・・・・』

 一方、日本ではあまりやりませんが、向こうは新聞や雑誌の書評の文章を借用するケースが多いようです。その中にこういう文章があります。

   『EVOKING THE FEEL OF 1950s DRAMAS LIKE THE 
       ASPHALT JUNGLE AND TWELVE ANGRY MEN』

 これはウオール・ストリート・ジャーナルからの引用のようで、50年代ドラマを思い起こさせると言っています。そして、例として、二つの映画ージョン・ヒューストンの「アスファルト・ジャングル」とシドニー・ルメットの「12人の怒れる男たち」を挙げています。尋問室でのやりとりは陪審員たちのデイスカッション映画「12人の怒れる男たち」を、外での展開はフィルム・ノワールの傑作「アスファルト・ジャングル」を思い起こさせるという表現は的を射ていると感じました。

 ジャック・ピアース刑事は33歳。4年前に一人娘を同じように変質者によって殺された過去を持っています。その時には犯人と思われる男を逮捕したのですが、証拠不十分で釈放せざるを得なかったのです。容疑者が釈放されたあともピアースは執拗にその男を尾行し続け、再び同じような事件を犯すのを待っていたのですが、男は事故であっけなく死んでしまい、ピアースは中途半端な気持なまま今日にいたっているのです。ですから同じような犯罪を担当して、今度こそは犯人を捕まえてやると意気込んでいるのです。

 もう一人の刑事のノーマン・コーエンは独身で、ラビを父に持つユダヤ人です。戦争中の体験から立ち直ることのできない心の傷を抱えています。「彼は奇妙な暗闇に呑み込まれていた。濃密な、重苦しい闇。人生に真っ黒なインクが注ぎ込まれたかのようだった」。ピアースはスモールがかって住んでいた町に彼の過去を求めて、外に出ますので尋問はコーエンが中心になって行われます。コーエンは自らが抱く闇を通して、スモールが抱える心の闇を切り崩し、自白を得ようと努力していきます。

 二人の上司のトマス・バーク刑事部長にはスコッテイという息子がいます。父親に反抗して家を出てホームレスになり、麻薬中毒で病院に運び込まれて死にかけているのです。捜査が進むにつれて、その息子も殺人現場に居合わせていたこどが分かり、ひょっとして自分の息子が犯人なのだろうかと疑いを抱いている状況です。そのために自らも捜査に乗り出しています。アイルランド男のバークは内心ではたった一度の挫折から立ち直れなかった息子に腹を立てているのです。自分はニューヨークのスラム街で生まれたのに歯を食いしばって警官から刑事部長にまで這い上がったので、麻薬に救いを求めて自滅した息子の弱さが許せないのです。息子がまさか少女を殺すような人間になってしまったとは思いたくないが、確信がもてないわけです。

 容疑者のアルバート・ジェイ・スモールズは26歳。「スモールズの声は弱々しかった。子供みたいな声だった。」「スモールズは大人の前に出た子供みたいに落ち着かなかった。しきりに相手に気に入られようとして、気に入られないとどうなるか恐れているみたいだった。子供みたいに椅子の上でもぞもぞして落ち着かなく、あたりを見回し手近にあるものをもて遊んで、目を合わせるのを避けていた。」

 そんな弱々しい、子供みたいな男ですが、「殺したのだな」と迫られると「殺してません」とはっきり否定するのです。否定するスモールズに「じゃあ、誰が殺したのだ」と問いただすと、彼女を怖がらせていた男がいたと主張しています。

  『スモールズという人間はどこから見てもただ空虚でふわふわして
   いるだけに見えるのだが、ひとつだけ例外があった。キャシー・
   レイクの死とはなんの関わりもないと断固として否定していること
   である。この点に関しては彼はまったくなにも通さない花崗岩の
   石版みたいだった。』

 行き詰まりを突破するために、ピアースは外に出ます。スモールズが出身地を隠すことに秘密がありそうだと判断したのです。子供の頃、母親に観覧車に乗せてもらったと話したことと、彼になまりがないことからニューヨーク近辺にいたに違いないと推理したのです。

 スモールズの過去を求めて走り回るうちにピアースは別の犯罪事件に遭遇します。このあたりがジョン・ヒューストンの犯罪映画の傑作「アスファルト・ジャングル」のタッチに似ているのは確かです。この映画はマリリン・モンローもちょい役で顔をだしていましたが、何と言ってもスターリング・ヘイドンがいいです。

 残された時間のなかでピアースはスモールズの秘密を探り出し、自白に導けるのか。それともスモールズ最後まで否定し続けるのか。結末の意外性も納得出来るものになっています。

[深読みコーナー]

 訳者の村松 潔氏は「あとがき」の中でこう書いています。

  『世界の中に居場所を見つけられず、大都会の吹き溜まりに
   じっとうずくまるように生きてきたスモールズの悲哀や、それ
   を追求する側の刑事たちの挫折した人生や心にあいた空
   虚な穴が際立っている。登場人物の殆ど誰もが人生につま
   ずき、この世界の理不尽さに深く傷つけられている。』

 私もこの意見に同感ですが、作者がこの作品で描きだしているもう一つの影は、若者の絶望の姿だという気がします。麻薬に溺れて死んでいくバーク刑事部長の息子といい、ピアースの自虐的な生き方といい、そこにあるのは絶望の果ての投げやりな態度です。挫折しながら人生に立ち向かっている大人たちと、人生から逃げていく若者たち。さらに、若者を理解出来ない大人たち。それが若者の絶望を深めているという現実。その対比が浮かび上がってくる作品でもあります。

 コーエンは尋問しながらスモールズにこういう印象を持ちます。

  『この内的な苦悩に苛まされているというのが、ほかのどんな
   犯罪者とも違うところで、まるで異星人みたいだったー天空
   のはるか彼方にぼんやり光っている、暗く冷たい生命体の
   生息には適さない星からやってきた生き物みたいだった。』

 つまり、コーエンにはスモールズという若者は理解できない存在なのです。この小説のラストは挫折しながら生きている刑事が無惨に叩きのめされると同時に、この若者の絶望の深さを浮かび上がらせています。日本語版の「闇に問いかける」という意味はこのラスト・シーンにあるのでしょう。

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