「海外ミステリを読む」(73)

 
     
 

(トマス・H・クックの作品12)

「心の砕ける音」(2000年作)

  (村松 潔訳・文春文庫・2001)
  

 この作品の舞台はメイン州のポート・アルマという小さな町です。

   『岩場の海岸にかじりついた小さな町。防波堤に囲まれ、石造り
    の突堤が長々と伸び、湾内にかわいい小島のある町』

 メイン州は東海岸最北端の州で、隣はもうカナダです。ですから冬は寒いです。雪も内陸部のように上から降って来るのではなく、海からの冷たい風に乗って横からぶつかってくる雪です。

   『通りの両側にいろんな店が建ち並び、金物屋とパン屋のあいだ
    から湾の一部がのぞいている。凍てついた、鈍色の、死人の目
    みたいにどんよりした水面。雪は容赦なく降りしきり、電線に白
    いレースをかけ、歩道には吹きだまりをつくっていた。
まだ通り
    に出ている人たちは、もともと背負わされている重荷がちょっと
    重みを増しただけだと言わんばかりに、雪にひるむ様子もなく
    歩いていた。』

 この物語の主人公キャルヴィン(キャル)・チェイスは自分が生まれ育ったこの土地をこう思っています。

   『もし、地獄が冬だとすれば、メイン州の冬景色そっくりに違いない。』

 キャルの父親は町で唯一の新聞社を経営していたのですが、今では経営をキャルの弟ビリーに任せています。一方、キャルは検事の下で働いています。両親は二人の子供が独立したあとに離婚しています。小さな町で一家四人がそれぞれ別々に住んでいるという家族です。

 ある日、一人の女が深夜にバスでこの町にやってきます。女はドーラ・マーチと名乗り、ビリーが社長をしている新聞に「職求む。当方独身女性。職種不問」という広告を出し、住み着きます。

 最初に彼女を雇ったのはかって町長をしていた財産家でした。奥さんが亡くなり、子供もいないので世話をする女性が必要だったのです。その老人に気に入られたドーラでしたが、老人は病気で死んでしまいます。財産を彼女に遺すという遺言があったにも関わらず、彼女は欲しくありませんと拒否し、今度はビリーの新聞社で働き始めます。

 ここから彼女は兄弟と深く関わるようになっていきます。謎の多い彼女にまずビリーが恋をしてしまいます。キャルは彼女の過去を何も知らないのに帳簿を任せたり、色々な仕事を彼女に任せるようになったビリーを心配して、彼女のことを調べる気になります。

   『彼女が過去に何かを失っているのは疑うまでもなかった。
   (中略)ぼくが心配したのは、その心の傷がドーラからなにか
    を奪い去り、彼女のなかに穴を穿ってしまったのではない
    か、ぼろぼろ崩れ落ちるその穴の縁を、弟がいま危うげに
    歩いているのではないかということだった。』

 こうしてキャルのドーラの過去探しが始まります。まず、最初の一手はドーラがビリーに話した唯一の過去の軌跡を辿ることでした。彼女はニューヨークにいたことがあると住所を教えていたのです。この町からニューヨークへ囚人を受け取りに行く男にこっそりと、その住所に行ってみてくれないかとキャルは頼みます。

 その男がニューヨークから持ち帰ったものはドーラが部屋に残して行った雑誌でした。管理人がいつか居場所が分かった時に送り返してやろうと残しておいたというのです。その雑誌は実話雑誌で、山の中で発見された野生の少女の記事でした。治療した医師団は、自分の名前も分からない少女にドーラ・マーチという名前をつけたという記事だったのです。つまり、ポート・アルマにいるドーラ・マーチには別の名前があるということなのです。

 キャルはそのことを弟に伝えようと思って、彼の家に行くのですが、ドーラがいるのを見て、家に入らずに帰ってしまうのです。こうして機会を失ったキャルは弟がどんどん彼女に惹かれて行くのを横で見ているしかありませんでした。それだけでなく、自分もいつのまにか彼女を好きになっていたのです。兄弟が一人の女性を愛する物語として有名なのはスタインベックの「エデンの東」ですが、あれは兄の恋人を弟が好きになるという話でしたので、これとは逆のケースです。映画ではジェイムス・デイーンが演じた弟の名前もキャルだったはずです。

 そんな中でビリーが何者かに殺されてしまい、ドーラが町からいなくなってしまうのです。状況からみて犯人はドーラしかいません。

  『ぼくがドーラを捜しはじめたのは、弟が死んでから37日も経って
   からだった。その耐え難い日々のあいだ、ぼくは、地中の弟も当
   然そうだったろうが、自分の内側でウジ虫がうごめき、容赦なく
   飽くことなくむさぼり食われていくのを感じていた。ぼくは途切れ
   とぎれにしか眠れず、倒れないですむ程度にしか食べられず、
   頭の中で絶えず事件の経緯を反芻していた。
   そして、ビリーの死後37日目に、これにけりをつけなければな
   らないと決心した。このまま彼女を逃がしてしまうわけにはいか
   なかった。凛とした冷たい空気の中から<彼女を捜せ>という
   声が聞こえたような気がしたのだ。』

 キャルは検事局を辞めて本気でドーラ探しを始めようとします。保安官は「ドーラ・マーチを捜すのはほかの人間の仕事だ。あんたの仕事ではない」と止めますが、彼は聞き入れません。「彼女を見つけたら、どうするつもりだね?」と保安官に訊かれるのですが、キャルは「最小限の答えとして、ただ黙って肩をすくめた」だけでした。彼自身でも分かっていないから答えられなかったのです。とにかく彼女を見つけたい。それだけなのです。ドーラが犯人でないかも知れないし、なにか事情があって逃げたのかも知れないからです。彼女は助けを待っているかも知れません。色んな状況が考えられるから即答は出来なかったのです。

 彼女の捜索を始めたキャルが最初に見つけたものは彼女の部屋に残されていた一冊の詩集でした。蔵書票があり「カリフォルニア州カーメル、ロレンゾ・クレイ蔵書」と書いてあったのです。これを足がかりに彼女を探すわけです。カーメルはかってクリント・イーストウッドが市長をしたことのある西海岸の町ですが、キャルは車で大陸横断をして行くのです。

  『空が白みかけたころ、ぼくは自分の車のところへ行って、スーツ
   ケースを後部座席に投げ込んだ。家から道路へ出ていくとき、こ
   んなふうに軽装で出かけるのはぼくにふさわしいと感じた。ぼく
   が持っていたのはわずかの着替えと若干の現金、ドーラが残し
   ていった一冊の本、それにいまやぼくに残されたただ一つの目
   的、頭のなかで延々と繰り返される<彼女を見つけろ>という
   命令だけだった。』

 ニューヨークに立ち寄ってからカリフォルニアに向かいます。途中の中西部の町に用事があるわけではないのですから、飛行機を使った方が早いのではないかと思うのですが、彼は何故か車で大陸横断をするのです。これがこの小説の最大の謎です。考える時間が欲しいとか、結果を知るのが怖いといった理由があるのなら、それなりの記述が必要な筈ですが、そのことには一切触れていないのです。

 ペイパーバック版にはいくつかの書評を転載していますが、その中にこの作品はジョン・ファウルズの「フランス軍中尉の女」を思い出させるという文章があります。

   『その衣服は黒い。強風に服地があおられているが、その人影
   は静止して動かず、あくまで海のかなたを凝視し、水死人の
   生ける墓碑にも似て、偏狭な地方性の時代の異物にふさわし
   い断片であるよりも神話に登場する人物といった印象を与え
   て、たちつくしていた。』
   (「フランス軍中尉の女」の第1章より。沢村灌訳)

 一方、クックのこの作品にはこういう描写があります。 

 『そのときだった。公園の向こうの端に立っている女が目に入った
  のは。岸壁のヘリに、女は海に向かって立っていた。もう一度光
  に照らし出されるまでのわずかの時間、彼女は海底からなにかが
  だれかが手を伸ばすのを待っているかのようだった。』

 その書評を書いた人はこういう文章から二つを結びつけたのでしょうが、私はファウルズのペダントリーからはむしろ本格派の巨匠ヴァン・ダインを連想してしまいました。私にはクックのこの作品の後半はウールリッチの「黒のシリーズ」に似ているような気がします。例えば、こんな文章です。

  『ぼくは永遠に知ることはないだろうが、ドーラは人生のはぐれ者
   なのだろう。そう思うと、ぼくは心の底でなにかうごめくのを感じ
   た。目に見えない鞭に駆り立てられて、ある場所から次の場所
   へと流れていく。ドーラみたいな、孤独な、根無し草の人間に対
   して、ほんのかすかに心が震えるのを感じた。』

 次の文章などはまさにウールリッチ・タッチと言ってもいい位です。

  『次の瞬間、ドーラがぼくの腕のなかから抜け出して、ドアに歩
   み寄り、それをあけて、暗闇のなかに出ていくのを感じた。愛
   からさえ逃げだして、とぼくは思った。どこへ行こうというのだ
   ろうか。』

 西海岸に辿り着いたキャルは、ドーラが残していった本の蔵書印にあった名前を頼りに私立探偵のように執拗にドーラを捜し求めて歩き、最後には見つけ出します。捜索の過程で、ドーラの本名も過去も分かったのですが、あとは彼女が殺したかどうかを聞く為にドーラに会います。

 ドーラの話を聞いたキャルは彼女が犯人でないことを知ります。犯人は別にいたのです。殺したのでなければ何故逃げたのだとドーラを問い詰めます。

  『「何があったんだい、ドーラ?」
   「どんな解決策も思いつけなかったのよ、
キャル。ただそれだ
    けのことだった。わたしはだれも傷つけたくなかった。あなた
    も、ウィリアムも。あなたたちのどちらかと一緒になることは出
    来なかった。だから、逃げ出すしかなかったのよ」』

 このあと、ドーラと別れて町に帰ったキャルはビリーのあとを引き継いで新聞社の経営を引き受けます。家族全員を失い、愛するドーラを連れ帰ることは出来なかったのですが、未来の見える解決にしています。こういう結末はこれまでの「記憶シリーズ」にないものでした。クックの新しい展開と言ってもいいのではないでしょうか。

[深読みコーナー]

 作家は原稿を出版社に渡したあとは、それがどのような扱いを受けるのかタッチすることは出来ません。それをどう売るかは出版社の仕事になるからです。この作品の原題は「PLACES IN THE DARK」です。直訳すれば「暗い場所」でしょうか。作中にこんな文章があります。

  『子供たちが凍った池の上で無頓着にスケートをしている。笑い
   さざめきながら、氷上に円を刻みつけている。彼らは足下に死
   の淵が横たわっているとは想像もせず、自分の心の奥底に秘
   められた暗い場所があり、そこから立ち昇ってくるものが自分の
   運命を決してしまうとは考えてもみないだろう。』

 原題はこの文章から来ているのでしょうが、ここだけ取り出したのでは「暗い場所」にいた子供達のその後の人生を描いた物語だという風に解釈してしまうでしょう。ペーパーバック版の表紙もそういう解釈で、暗闇の中で燃えさかっている火から逃れている女性を描いています。ですが、この文章と絵には省略した部分があるのです。まず、絵の話をすれば、これはアップで寄っていますが、ズームで引けば男が一人立って、彼女を見ているのです。その男を表紙からもタイトルからも省いているのです。上の訳文では伝わって来ませんが、実は原文は「I watch」なのです。つまり、「私は見つめている」のです。暗い場所で傷ついた子供達の運命を見つめている「私」がいるのです。日本語版の表紙はそういう原文の趣旨を生かした絵になっていて、より作者の意図に近づいているような気がします。訳者はこの時、日本語版の題名を聞かされていなかったのではないかという気がします。この訳は原題に添ったものになっています。日本語版の題名がこれとは別だと知っていたら訳し方も変わってきたのではないかと思います。

 このシリーズの表紙は実によく出来ています。これほど作品の内容を正確に、そしてうまく表現した表紙の絵はかってなかったのではないでしょうか。特に今回のこの作品の表紙は作品の内部にまで踏み込んだ内容になっています。手元にない方は本屋さんのHPに入って、原題と日本語のタイトルを打ち込んで両方を見比べて見て下さい。ペイパーバック版の表紙からズームで引いたのが日本語版なのです。ペイパーバック版には現れていない男の姿が日本語版には描かれています。

 日本語版のタイトルの「心の砕ける音」は作中のこの文章から採ったものです。最後にドーラを発見し、話を聞き、真相を突き止めたあとの別れの場面です。

  『彼女はドライヴウエイに立って、ぼくの車が立ち去るのを見送っ
   ていた。ミラーのなかで、彼女が別れのしるしに片手を上げる
   のが見えた。それがしだいに小さくなって、小さな光の点になり
   やがて消えた。ぼくの心が骨で出来ていたとすれば、それが砕
   ける音が聞こえたにちがいない。』

 この訳では「砕ける音」を聞いたのが第三者だという解釈も可能ですが、原文には「I would have heard it crack」とはっきり主語が「私」であると書いてあります。つまり、「砕ける音」を聞くのは「私」自身なのです。弟を失い、ドーラも失った「私」の悲鳴と言えるでしょう。

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