「海外ミステリを読む」(71)

 
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(トマス・H・クックの作品10)

「緋色の記憶」(1996年作)

  (鴻巣友季子訳・文春文庫・1998)
  

 この作品は「記憶」シリーズの中の一作ですが、この「記憶シリーズ」というのは実は日本の出版社の営業政策から生まれたもので、原作に「MEMORY]という言葉がついているのは「死の記憶」だけなのです。しかし、作品の内容から判断して、他の三作品も同じ手法で書かれているところから「記憶シリーズ」と銘打ったのだと思います。原題は「THE CHATHAM SCHOOL AFFAIR」、つまり、「チャタム校事件」です。前作「夏草の記憶」は高校生同士の初恋を軸にしたものでしたが、今度は高校の教師同士の恋愛が生み出した悲劇を描いています。その事件を校長の息子で二人の教師の一番身近にいた生徒ヘンリー・グリズウオルドが回想するという形式ですが、この手法も前作と同じです。

 新任の美術教師エリザベス・チャニングがボストンからバスでチャタムという小さな町にやってくるところから物語は始まります。彼女を校長であるヘンリーの父親が出迎えるのですが、それにヘンリーも付き合わされていたわけです。こうした出会いから彼女の死までを、ヘンリーが見届けることになるのです。彼女の恋の相手は英文学の教師のレランド・リードです。教師同士の恋愛が禁止されていたわけでなかったのですが、問題はリードに妻子がいた事です。そのために二人の恋愛は「不倫」になるわけです。

 不倫が悲劇の根本だったのはこの小説の時代設定が1926年だからです。つまり、この時代には「姦通罪」が存在したのです。エリザベス・チャニングが何故逮捕され、姦通罪で投獄されたかがこの物語です。

  「ミス・チャニングはマサチューセッツ州法が姦通罪に定めた最高刑
   、懲役3年の刑をいいわたされた。」

 日本でも戦前までは姦通罪が存在し、最高刑は2年でした。現在でも姦通罪が存在するのはアラブ諸国と韓国だけだそうです。キリスト教の国家で姦通罪がなくなり、イスラム教の国家で残り続けていることや、同じ仏教の国でありながら、儒教の教えが姿を消した日本でなくなり、まだ儒教の教えが生き続ける韓国で残っているなど、文化の違いとその現在が見えてきます。

 クックはあえてそういう時代を選び、場所も姦通罪に厳しいニュー・イングランドに設定しているのです。この作品の基盤にあるのは初期のこの地方を支配していた冷酷ともいえるピューリタニズムです。その代表的な作品と言えるのが、ホーソンの「緋文字」ですが、クックは明らかにそれを意識して、この作品を書いています。というより、自分流の「緋文字」を書いてやろうと思ったのではないか。私にはそう思えます。この場所とこの時代を舞台に選び、非常に観念的な作品に仕上げたのが、その証拠です。日本語版のタイトル「緋色の記憶」の「緋色」もホーソンの「緋文字」を意識しての言葉です。

 訳者は「あとがき」でこう書いています。

  『本作を貫く色は深い赤、緋色。読み込むほどに、この色を作者が
   入念に配しているのがわかる。緋色は、シンボリックにとれば、ま
   さに「嵐が丘」のヒースクリフとキャサリンが交わしたような情熱の
   色であり、ナサニエル・ホーソンの「緋文字」で知られる「アダルタ
   リー」すなわち姦通の色、そしてもちろん血、あるいは死を暗示す
   る色でもある。

 ここで、訳者が「作者が入念に配している」と指摘する「色」について本文をみて見たいと思います。

 まず、冒頭のチャニング先生がボストンからバスでチャタムに到着した場面では、彼女の衣装について、こう表現しています。

    「深緋色の襟」
     (the wine-red collar of her dress)

 彼女の部屋のカーテンにはこんな色を配しています。

   「緋色のカーテンをわけて」
     (through the red curtains)

 裁判の時のチャニングにはこんな服装をさせています。

   「深緋のブラウス」
      (a dark red blouse)

 クックはこのように微妙に使い分けていますが、訳の方は「緋色」に統一しています。題名を「緋色の記憶」としたからです。ですが、クックは本当の「緋色」を意味する「scarlet」は使っていないのです。タイトルも「case」ではなく、「affair」を使っているのですが、そういうところは日本語にしてしまうと伝わってきません。翻訳作品にはどうしても、このような限界があるということは頭に入れておくべきでしょう。

 この作品は1997年のアメリカ探偵作家クラブ賞の最優秀長編賞を取った作品ですが、出来から言えば、前作の「夏草の記憶」の方が上だと私は思います。ですから、賞が与えられたのはこの作品を含むこれまでの作家活動に対してだと解釈すべきでしょう。

 この作品は「夏草の記憶」の二番煎じの感があります。時代と場所の設定を1926年のニューイングランドにしたのは、ホーソンの世界を現代に置き換えるためだったと思います。つまり、厳格なピューリタニズムが残っている世界を描いても違和感がない時代と場所がそのあたりだったからでしょう。前作はクックが生まれ育ち、熟知している土地をきちんと描き切っていたから作品に厚みが出ていたのです。海のない土地の草の匂いが行間から漂っている文章でしたが、この作品は海辺の土地を舞台にしながら潮の香りが伝わってこないのです。海のない土地で生まれ育った人間が海辺の土地を描いている。そんな印象なのです。ホーソンの「緋文字」も海をあまり意識させない作品でしたが、そこまで似せたところが失敗だったのではないかという気がします。ミステリとノヴェルの壁を取り除くことに成功したことは認めるにしても、人間の魂の救済という観念的なテーマにに拘りすぎたので、クックの持ち味が生きてきていないような気がします。

 冒頭、いきなりチャタムの町のなかの描写からはじまるので、この町の名前を初めて聞く人には、どういう場所なのか分からないのです。バスから降り、校長の家で食事を済ませたチャニングを彼女の住居となるコテージに車で案内する途中で、「私はミス チャニングがコッド岬の景色に目を向けているのに気付いた」という描写を入れているので、この町がケープ・コッドに近いところにあるのだなと分かるわけです。ボストンから南に海沿いにニューヨークの方向に進めばケープ・コッドに達するわけですが、その中間にプリマスという町があります。ここは1620年メイフラワー号で100人近い清教徒達が上陸した場所です。つまり、ここからアメリカという国が始まったと言っても過言ではないのです。堕落したカトリックに失望した清教徒たちが、理想の国を築き挙げようとして祖国を捨てて来たわけですから、厳しい掟があります。姦通への重い罰もその一つであり、魔女狩りもそんな中から生まれたのです。魔女裁判で有名なセイラムはボストンの少し北にある町ですが、ここはホーソンの生まれた町で、先祖の一人が被告を魔女だという判決を下したは判事だったことで後世非難され、彼はそのことで罪の意識を持っていたといわれています。

 クックが何故チャタムを舞台したのかは分かりません。チャタムでなければならない必然性が感じられないのです。むしろセイラムかプリマスを舞台した方がよかったのではないかという気がしないでもありません。事件の舞台となる「黒池」は海と繋がってはいないようなので、かなり奥地にあるようです。池には魚がいるとは書いていますが、どんな魚かは書いていません。つまり、そんなことはどうでもいいと思っているからです。もっと大事な魂の話をしているのだということでしょうが・・・

  『岬には低くなだらかな丘がつらなって、山腹には雑木や樫が入り
   混じってまばらに繁り、海辺の砂丘にはえる草木の間に風が吹き
   あれている』

 こういう描写がありますが、チャタムはケープコッド湾の裏側にあるので、かなり高いところまで登らないと湾の内側は見えないはずです。チャタムからプロヴィンスタウンまで海抜数メートルの低い地面がずっと続いていて、高台からなら見えるということなのでしょうか。あるいはこれは湾の外側の描写なのでしょうか。その辺がはっきりしない描写なのです。

 このように今までの作品で彼の詳しく知っている南部地方を植物から歴史までじっくり書き込んでいたのとは違っています。チャタムは漁港です。人々は魚と共に生きているはずなのに、この作品ではここの海にどんな魚が棲んでいるのか、人々はどんな魚を取っているのかなどには一切触れていないのです。その為に登場人物が観念的な存在になってしまっています。それなら、いっそのことセイラムかプリマスを舞台にした方が、歴史的な背景を使えるので、このやりかたで通せたのではないでしょうか。

[深読みコーナー]

 ケープ・コッドの町を舞台にした作品をいくつか紹介しますので、クックの作品と比較して見てください。

 ケープ・コッドはボストンやニューヨークの人達の高級な避暑地と言われていますが、それには「白人の」という言葉をつける必要があろうかと思います。清教徒はすべて白人なのです。彼らの頭に有色人種のことはなかったのです。お金があったとしても有色人種が住む土地ではないという話も聞きます。ですが、観光地としてはいい場所だそうです。「コッド」というのは鱈のことです。ケープ・コッドというのは鱈が集まる海のことです。鱈か来れば、鮫も鯨もやってきます。魚釣りや鯨見物に大勢の人々が訪れる町です。

 「ケープ・コッド危険水域」リック・ボイヤー著・村上博基訳・1982
                  (早川書房)

  これはクックと同じ賞を1982年に受賞した作品で、海と船を愛する
  中年男が友人のダイバーの死に不審を抱き、事件の真相を究明す
  るという物語で、訳者は80年代を代表する作品の一つに挙げてい
  ます。

  「緋色の研究」にこういう文章があります。

   『昔はチャタムにも灯台が三つあったが、一つはイースタムに
    移り、一つは23年の嵐でだめになった。』

  このイースタムが事件の舞台になります。主人公の口腔外科医チャ
  ールズ・アダムズはボストン近郊のコンコードという町に住んでいて、
  イースタムには別荘があると言う設定なのです。

  この作品の中で、アダムズが知人を夕食に誘う場面がありますが、
  その時、相手は「ありがとう。でも、チャタムで夕食の約束があるの
  で」と断ります。つまり、二つの町は近いということです。

  ボイヤーの次の作品「幻のペニー・フェリー」は同じ主人公によるシ
  リーズ2作目ですが、パーテイの場面で、アダムズが釣り仲間に出
  会うというシーンがありますが、それがプレデイ・コインなのです。
  ウィリアム・タプリーの人気シリーズの主人公です。他人のシリーズ
  ものの主人公を自分の作品に登場されることが出来るのは作者と
  余程親しい場合に限ります。

 「ケープ・コッドの罠」ウィリアム・タプリー著・島田三蔵訳・1991
              (扶桑文庫)

  そのプレデイ・コイン・シリーズの10作目がこれです。ボイヤーは「幻
  のペニー・フェリー」の中で、コインをボストンの金持ち相手に稼いで
  いる弁護士だと皮肉っていますが、この作品の舞台となるオーリアン
  ズはやはりケープ・コッドにある町のひとつで、コインの顧問先の人間
  がそこに住んでいるという設定です。この町は湾の付け根のところに
  あり、チャタムは同じ付け根でも湾の外側です。

  この作品の第1章はこういう文章で始まっています。

   『私はときどき、自分の意志でケープ・コッドに行く。』

  自分の意志で行くというのは仕事で行くのではなく、遊びに行くという
  意味です。彼の趣味は釣りなのです。

  『餌を求めて浮上した鱒が水面にあばたのような模様を作るとき』
  あるいは『ブルー・フィッシュが南に移動する準備のために群れ
  集まるとき』に行くのです。

  ブルー・フィッシュは日本のスーパーでも売っていますので食べたこと
  があると思いますが、そのままでは馴染みがないので売れないらしく、
  名前は変えています。そこで監督官庁ではせめてオキスズキと表示し
  ろと言っているようですが、なかなか守られていないのが現状でしょう。
  どんな名前でスーパーで売られているかは、お店の営業妨害になっ
  てもいけませんので伏せておきます。

  この作品の中にこんな文章があります。

   『冬のケープ・コッドも好きだ。荒涼としていて寒く、ピルグリム・ファ
    ーザーたちがはじめて見た時と同じような光景を呈すのだ。』

  ケープ・コッドにも色々な顔があり、クックが描いたのはこういうケープ・
  コッドなのです。

  次に、実際のチャタムを舞台にした作品をみてみたいと思います。ア
  メリカにはチャタムと言う町は一つだけではないようで、別のチャタム
  が登場するミステリもあります。古いミステリ・ファンなら誰でも知って
  いる、マイクル・コリンズの片腕の私立探偵ダン・フォーチュン・シリー
  ズの中の「フリーク」という作品の冒頭にこういう文章があります。

   『ニューヨーク・シテイとニュージャージー州チャタムを結ぶエリー
    ・ラカワナ鉄道は、15マイルのあいだにパセイック河を二度・・』
             (木村仁良訳・創元文庫より)

  ニュージャージー州といっても、ハドソン河の対岸はニュージャージー
  ですから、ニューヨーク郊外の町といった方が分かり易いでしょう。こ
  作品にはチャタムには「ニューイングランドの村の映画セットのように
  見える古い町の目抜き通り」があり、「その家は静かな通りに建つケー
  プ・コッド風の大きなコッテージで」という描写があります。まるで、ニュ
  ーイングランドのチャタムが本家のような表現です。家を形容する時の
  
「ケープ・コッド風」という言葉はほかでも読んだ記憶がありますので、
  一般的に使われているのでしょう。

  最後にクックが描いたチャタムの現代を舞台にしたミステリを一つ紹介
  しておきます。

  「霧のとばり」ローズ・コナーズ著・2002
       (東野さやか訳・二見文庫・2005)

   この作品は分類としてはリーガル・サスペンスです。

    『風向明媚な海岸線と霧の町チャタム。ケープコッドの小さな
     この町で、1年前のメモリアル・デーの朝、胸をTの形に切
     り裂かれた惨殺死体がみつかった。』
           (同書の裏表紙より)

   離婚して、一人で男の子を育てている女性検事補を主人公にして
   法廷を軸にチャタムで発生した連続殺人事件を描いたものです。
   作者は検察官と弁護士の経験者で、実際にチャタムに住んでいる
   人のようです。ですから、チャタムと言う町とそこに住む人々が実に
   いきいきと描かれています。これが本当のチャタムの姿であろうと思
   います。

   『ケープコッドは腕の形をした半島で、その肘のあたりにチャタム
    はある。チャタムでの暮らしは船上生活によく似ているとルーク
    (主人公の一人息子)は言う。この町は三方をナンタケット海峡
    と大西洋の塩水に囲まれている。年間を通してここに暮す六千
    人は、八十マイル以上にも及ぶ海岸線の、息をのむほどの美
    しさを満喫している。夏の数ヶ月を別にすれば、チャタムはとて
    も静かだ。』

   この作品のような明るいチャタムとクックが描いた1920年代の暗い
   チャタムのどちらが好きかは読む人の好みによるでしょう。
  

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