「海外ミステリを読む」(62)

 
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(トマス・H・クックの作品1)

 

「鹿の死んだ夜」(1980年作)

  (染田屋 茂訳・文春文庫・1994)
  

 これからクックの作品を読んでいくつもりですが、その前に日本でクックの作品がおかれれている位置と言うか、場所について私の考えを一言言っておきたいと思います。結論から先に言えば、もっと高い評価が与えられるべきだというのが私の考えです。一部の人達からはクックの作品には高い評価が与えられているとは思います。ですが、彼の作品に高い評価をあたえている人達は声高に叫ぶ人達ではないので、遠くまで届いていないのが現状です。

 クックの作品が一部の人達から無視されたり、不当に低い評価を与えられている理由にはミステリ誕生の時から続いている、「純文学とミステリの垣根」という問題があるのです。クックの作品がその境目をうろちょろしていることが、原因の一つです。私のジャンルである「山」に例えて言うならば、県境尾根の所属が未だに争いの種になっていることと似ています。決着が付かずにどちらの県にも属さないという、官僚らしい「先延ばし」の区域を作っている山頂もあるくらいです。クックの作品の評価はそれに似ているのです。純文学のサイドからは無視され、ミステリのサイドからは、作品の評価よりもミステリとしてのあら捜しばかりする評論家が多いのが現状ではないでしょうか。そういう人達には、クックの作品がミステリの枠を超えているのが許せないのでしょう。

 「ミステリマガジン」は早川書房が自社の出版物を紹介するための雑誌なので、文藝春秋社から出ているクックの作品を特集やトップ記事で紹介することはありません。「ミステリマガジン」にクックの名前が出るのは年一回の「今年のベスト スリー」のアンケートの時か、「今月の書評」のページだけです。書評を書く人もクックを評価する少数派と、大多数の無視派がいるようで、そういう視点から「ミステリマガジン」を読むのも「深読み」の楽しみです。

 クックを評価する少数派の一人が三橋 暁氏で、「ミステリマガジン」2001年の12月号の「今月の書評」ではこういう文章を書いています。

  『ミステリが文学たりえるか、という議論は絶えて久しいけれど、謎とそ
   の解明が小説作法の上で有効な手段である限り、この問題は純文学
  とミステリの間に横たわる永遠の命題かもしれない。ジャンル間のボー
  ダーレスが常識となっている現代にあっても、それは変わらない。いや
  むしろ、ミステリの要素が盛られた文学、文学性豊かなミステリの境界
  線がますます曖昧になってきている今こそ、真剣に議論すべきテーマ
  かもしれない。』

 氏はこう前置きしておいて、クックについてこう述べています。

  『さて、そんな中にあって、ミステリの側からの越境者の代表格と言え
   ば、トマス・H・クックだろう。』

 「ミステリの側からの越境者」という表現はクックの置かれた位置を見事に言い当てていると感じました。「越境者」への風当たりはどの世界でも厳しいのです。

 さて、前置きはこれ位にして、本論に入りましょう。まず、最初は「鹿の死んだ夜」を取り上げました。これがクックのフィクションの長編で最初の作品だからですが、実は日本に紹介された順番から言えば5番目なのです。フランク・クレモンズ・シリーズが好評だったので、これも売れるだろうという出版社の思惑のためだと思います。私はこの順番の違いが日本でのクックの評価に微妙に影響したのではないかという気がします。

 ニューヨーク市警殺人課のジョン・リアダンは56才。定年が4年後に控えているというのに、まだ平刑事です。妻を癌で亡くして2週間しか経っていないつらい時期だったのに、月曜日の朝、出勤するとその奇妙な事件が彼を待っていたのです。

 セントラルパークの子供動物園に飼われている鹿が二頭惨殺されたので担当してくれと上司のピッコリーニに命令されたのです。殺人事件を含む数件の未解決事件を抱えているリアダンは「私は殺人課の刑事だ。それに先に片付けなければいけない事件を抱えている」と抗議します。それに対してピッコリーニはこう言います。

  「君が殺人課の所属であるのは分かっているが、現時点ではどんな
   殺人事件よりこの事件の方が重大で、市警本部のお偉方は最初
   から一番優秀な者に担当させるのをお望みだ」

 何故なら、その殺された鹿をニューヨーク市に寄贈したのはウオーレス・ヴァン・アレンだったからです。その男は大金持ちであり、慈善家で、社交界の花形で政界にも大きな影響力を持つ男なのです。市警本部では政治絡みの犯罪の可能性を考え、殺人事件より優先させる方針を決めたのでした。

 自分の抱えている複数の事件を同僚達に分け振ってから、リアダンは事件現場に向います。そして、まず、殺された鹿を見ます。一頭は五十七箇所に傷があり、目を背けたくなるような残忍な殺され方をしていたのに、もう一頭は一箇所しか傷がなく、殺されかたも普通でした。そして、鹿の小屋の天井には鹿の血で書かれた数字の「2」が残されていました。

 捜査を始めたリアダンは意外に早く、容疑者を発見します。名前はアンドロス・ペトラキス。ギリシャ人で、動物園の職員です。奥さんが病気で治療費がかさみ、そのために家賃を払えずに、家主から追いたてをくっている状態だった上に、事件当夜、仕事を休んでいたのに、事件発生の午前三時頃、現場付近で目撃されていたのです。

 ペトラキスの家主がウオーレス・ヴァン・アレンだったために、恨みから鹿を殺したのではないかというのが、警察上層部の意見でした。何としても早急に犯人を逮捕したい警察上層部はペトラキスが犯人に違いない。すぐ逮捕しろと、リアダンに迫るのですが、彼はそれだけではまだ証拠不十分だと主張します。

 そんな時に、一緒に住んでいる二人の若い女性が自宅で惨殺される事件が発生します。殺され方が鹿の場合と同じでした。一人は57箇所に傷があるという残忍な殺し方をされ、もう一人は一箇所だけの傷です。その上、部屋の壁にはスペイン語で2を意味する「ドス」という言葉が書かれていたのです。明らかに同一の異常者による犯行です。57という傷の数と「2」という数の意味が事件の鍵だと思われます。

 この事件の発生で、リアダンはペトラキス犯人説への疑いをますます強めます。鹿殺しはありうるだろうが、女性殺しはペトラキスの筈がない。そう信じて捜査を進めますが、凶器が発見され、ペトラキスの指紋しかついていなかった為に、ペトラキスは逮捕されます。しかし、リアダンは逆にペトラキスの指紋しかついていなかったことに疑問を抱くのです。犯人は犯行後、指紋を拭き取って捨て、それをペトラキスが手にしたのではないだろうか。ペトラキスが犯人なら指紋を拭き取るのではないだろうか。指紋が残っていることが逆にペトラキスの無罪を証明しているのではないか。リアダンはそう推理します。そして、真犯人の追求に全力を挙げていくわけです。

 様々な圧力をはねのけて、ついに犯人を見つけるのですが・・・・作品紹介のルールとして、これ以上は内容については言えません。

 「訳者あとがき」によると、アメリカではこの作品を「当時はやりはじめたサイコ・ミステリの一作として売り出そう」としたそうです。表紙のキャッチ・コピーは「ローレンス・サンダースの<魔性の殺人>の伝統を継ぐ」だったそうです。

 サイコ・ミステリの出発点と言われる「魔性の殺人」(ハヤカワ文庫にあります)は1973年で、その後、この種の作品がブームになったので、出版社はそのジャンルの作品として売ろうとしたのでしょう。

  『1980年代のアメリカでは、トマス・ハリスの「レッド・ドラゴン」をはじ
   めとするサイコサスペンスやトラウマミステリが大流行した。この流
   行には固有の社会的背景が認められる。』
           笠井 潔「ミレルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?」
                  (HMM2003年12月号より)

 ここで80年代のサイコ・ミステリの流行の元にあるアメリカ社会の歪みにまで言及するつもりはありませんが、その80年代の始めにクックが、こういう作品で登場したということは覚えておいて下さい。トマス・ハリスの「レッド・ドラゴン」は1981年ですから、クックのこの作品の方が先だったのです。つまり、クックの猟奇的な殺人に対する関心は流行を追ったわけではなく、もっと深いところにあったということは、このあとの彼の作品を見れば分かるのです。

 20世紀最悪の異常殺人者と言われるジェフリー・ダーマーの父親が書いた手記の序文でクックはこう書いています。

  『判決を言い渡されるまえ、ダーマーは判事と被害者の家族に静か
   に語りかけた。自分にはどんな慈悲もかけられるべきではないが、
   有罪を認めずに裁判に臨んだのは、「どうして自分がこんなに凶悪
     な人間になってしまったのか知りたかった」からだと言った。
   むろん裁判では、ダーマーの犯罪を産んだ悲劇的で破壊的な欲
     動が解き明かされたりはしなかった。
     では、
ジェフリー・ダーマーとはいったい何者だったのか?それは
   だれにもわからないし、ジェフリー・ダーマー自身にもそれは謎であ
     るに違いない。もっとも凶悪な犯罪は、もっとも凶悪な心から生ずる
     のだから、その犯罪者や彼の行為の謎を完全に解き明かす書物な
     ど、この世に存在するわけがないのだ。

    (「息子ジェフリー・ダーマーとの日々」ライオネル・ダーマー著
      小林宏明訳・早川書房1995)

 この文章のポイントは「むろん裁判では」にあるのです。クックは裁判はそれを解き明かすことが出来ないと最初から分かっていたと言っているのです。人は何故、他人を殺したいと思うのだろうか。何故その衝動を自分で止めることが出来ないのだろうか。ダーマーは自らそれを言葉にすることは出来なかったが、私にそれが出来るだろうか。そこにクックの原点があるような気がします。犯罪者の限らず、すべての人間に宿る、心の中の闇の部分を文章にしたい。だから、フィクションとかノンフィクション、ミステリかノヴェルかという区別にクックは拘りを見せないのではないでしょうか。彼の作品をミステリの側から見て、伏線の敷き方がおかしい、結末がミステリとして未熟だとかいう指摘はあまり意味がなく、彼の作品の本質を見逃してるのです。この問題についてはこれから追々触れて行きますので、ここではこれ位にしておきます。なお、「息子ジェフリー・ダーマーとの日々」という作品は序文だけでなく、本文もクックが書いたのではないかという文章を二,三読みましたが、私には真偽の程は分かりません。

 「ミステリマガジン」1994年4月号の特集は「ミステリ・ファンに薦める犯罪実話作品リスト」と「実在した殺人カタログ」ですので、このテーマに興味のある方はお読み下さい。「鹿の死んだ夜」が文春文庫から発売されたのは1994年6月です。時期が接近しているのが面白いですね。それから、もう一つ、面白い点があります。この作品を最後まで読んでから、表紙の絵を見て下さい。「へえ、そういうことだったのか」と気が付くことでしょう。これも面白い趣向だと感心しました。なお、絵の作者は中村幸子さんです。彼女の絵はこのあと、クレモンズ・シリーズでも登場します。

 最後に、疑問点を一つ。この作品では犯人は夜中の午前三時に動物園に自由に出入りしている設定になっていますが、今は夜は動物園には入れないはずです。勿論、外周のフェンスは乗り越えようと思えば出来ないことはないでしょうが、そういう記述は一切ありません。1980年当時はフェンスがなく、24時間自由に入れたということなのでしょうか。

 「セントラルパークの鳥と人間たち」という本にこういう文章があります。この本は1982年のセントラルパークの一年を記録した本です。

  『動物園の近くで暮したがっていた浮浪者が、北極熊の檻の中で
  死体となって発見された。(中略)動物園の監視員の話だと、ブル
  ージーンズにシャツ姿の男は、夜の間に二度、警備員によって動
  物園の外へ追い出されたのだとのことだった。しかし、何が何でも
  北極熊の檻に入り込もうと思っていたらしい。彼は動物園の外周
  の、忍び返しのついた三メートルのフェンスをよじ登り、熊の檻の
  周囲の高さ1.5メートルのフェンスを越え、3.5メートルの天井
  のない檻に忍び込んだのである。』
   「セントラルパークの鳥と人間たち」(サイマル出版会・1990)
     (ドナルド・ノウラー著・岩瀬孝雄訳)

 自殺するのに、熊の助けを借りたというのでしょうか。それとも、死ぬ気はなかったのでしょうか。いずれにしろ奇妙な男ではあります。この文章にあるように、1982年でも、夜は動物園から追い出されたようです。しかし、「鹿の死んだ夜」ではフェンスも何もなく、人々は自由に出入りしています。1980年にはフェンスがなく、自由に出入り出来たか、作者が勝手にフェンスを取り払ったかのどちらかでしょう。

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