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 『海外ミステリを読む』(6)

      レイモンド・チャンドラー (1888ー1959)(6)

      (主人公)私立探偵 フィリップ・マーロウ
      (舞台となる街)ロサンゼルス
      (主要作品)
          「大いなる眠り」(1939)
          「さらば愛しき女よ」(1940)
           「高い窓」(1942)
            「湖中の女」(1943)
           「かわいい女」(1949)
           「長いお別れ」(1953)
           「プレイバック」(1958)
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    「長いお別れ」(前半)

       清水俊二訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)

    私立探偵フィリップ・マーロウは、ふとした友情から見も知らぬ酔漢
    テリーを二度も救ってやった。その後、テリーは一度離婚した百万長
    者の娘のシルヴィアとよりを戻したが、浮気なシルヴィアの為に苦し
    んでいた。そして、ある朝彼女は人魚のような全裸の死体で発見され
    た。テリーは三度目の救いを求めてマーロウのアパートを訪れた。
             ( ハヤカワ・ミステリ総解説目録より)

  『私が初めてテリー・レノックスに会った時、彼は「ダンサーズ」のテラス
      の前のロールス・ロイス「シルヴァ・レイス」の中で酔いつぶれていた。』

  これがこの作品の冒頭です。運転席にいたのは別れた妻のシルヴィアで、
   レノックスを置去りにして走去ります。仕方がなく、マーロウはレノックスを
   自分のアパートに連れ帰ります。そして、酔いが覚めると彼のアパートま
   で送ってやるのです。その帰りの描写はこうなっています。

   『私は唇をかみながら車を家へ走らせた。私はめったに心を動かされな
   い性質だが、彼は私の心を捉えるものを持っていた。それがなんである
    かはわからなかった。』

  「ダンサーズ」は前作「かわいい女」にも出てきた、余所の街から来たギ
    ャングが経営する店です。ハリウッドのサンセット・ストリップにある店と
    いう設定ですが、これは架空の店だそうです。
   レノックスのアパートはウェスト・ウッドにあるので、車ならすぐです。所が、
    マーロウの住所が特定できないのです。

  『その年、私はローレル・キャニオン地区のユッカ街に住んでいた。行き止
    りの通りにある丘の中腹の小さな家で、正面のドアまでアメリカ杉の長い
    階段があり、通りをへだててユーカリの木立が繁っていた。
   家は家具つきで、夫と別居してアイダホにいる娘のところに行っている女
   のものだった。』

  チャンドラーがマーロウの自宅をこんなに詳しく描いたのはこれが始めて
   ですが、ローレル・キャニオン地区というのが架空の土地らしく、地図に見
   当りません。

  マーロウが2度目にレノックスを見た時にも酔っていて、パトロールの警官
   に連れて行かれそうになっていました。マーロウはまた彼を助けます。自
   宅に連れ帰り、風呂に入らせます。正気に戻ったレノックスはラス・ヴェガス
   にいる、戦友のランデイ・スターが力になってくれるからそこに行くと言出し
   ます。

  『彼は服を着替えて、私たちは5時半ごろ「ムッソ」で食事をした。酒は飲ま
    なかった。彼はカヘンガ街でバスに乗った。』

  「ムッソ」はハリウッド一番古いレストランで、チャンドラーも常連だったそう
   です。ヘミングウェイやフィッツジェラルド、フォークナーもよく来た店だそう
   です。カヘンガ街はマーロウの事務所のある所です。

  一人になった マーロウは夜、自宅でチェスをしていると、シルヴィアから電
   話がかかってきます。彼がアパートを引払ったので心配だというのでマー
   ロウは彼がラス・ヴェガスへ戦友を頼って行ったと教えます。

  『彼女は急に明るい声を出した。「ラス・ヴェガスですって?昔を思い出した
    んだわ。私達が結婚した所なんですのよ」
   「忘れたんでしょう。覚えていたら、ほかへ行ったはずです」』

  それがきっかけで二人は再婚します。

  それから数ヶ月経ったある日の夕方5時にレノックスはマーロウの事務所
   に別人のようになって姿を現します。

  『「静かなバーに行って、飲まないか」と彼は10分も前から来ているように
    言った。「暇があるからだが」』

  『私達は「ヴィクター」のバーの隅に座って、ギムレットを飲んだ。「ギムレッ
    トの作り方を知らないんだね」と彼は言った。「ライムかレモンのジュースを
    ジンとまぜて、砂糖とビターを入れれば、ギムレットが出来ると思っている。
   ほんとのギムレットはジンとローズのライム・ジュースを半分づつ、他には何
   も入れないんだ。マルテイニなんかとてもかなわない」
  「ぼくは酒に関心を持ったことがない。ランデイ・スターとはうまく行ってるの
   か。相当うるさい男だと聞いてるが」』

   これがギムレットが登場する最初のシーンですが、「私達は」となっていま
     すからマーロウも含まれることになりますが、今までマーロウは一度もギ
     ムレットを飲むシーンがありませんでした。すべてウィスキーだったはずで
     す。この書き方ではバーへ行って、連れがギムレットを注文したから「僕も
     同じものでいいよ」と注文したことになるのではないでしょうか。

   その時からレノックスは5時になるとマーロウの事務所に来るようになりま
     す。金持の娘と結婚したので他に用事がないからでしょう。二人はギムレッ
     トを飲みながらあれこれと話すのでした。
   だが、ある時口論になり、1ヶ月ほどやってこなくなります。そして、ある朝、
     拳銃を手に自宅へやってきて、メキシコのチュアナまで送って欲しいと言い
     ます。

   マーロウが国境を越えて、チュアナまでレノックスを送って家に戻る警官が
     待っています。シルヴィアが殺され、レノックスが犯人と思われていたから
     です。警官にレノックスはどこに行ったかと聞かれたマーロウは知らぬと答
     え、署まで連行されます。
   警察でも知らぬと答えたマーロウは留置場に入れられてしまいます。だが、
     翌日、マーロウはレノックスが自殺して事件が解決したからと言って釈放さ
     れます。しかし、マーロウはレノックスがシルヴィアを殺したとは思えなかっ
     たので、その自殺も信じられない気がしました。
   翌日、事務所に行くとレノックスのもう一人の戦友で、サンセット・ストリップ
     一帯を縄張にしているギャングのメンデイ・メネンデスが現れ、事件は終っ
     たんだから、これ以上騒ぎまわるなと釘をさし、マーロウの疑惑を深めます。
     ですが、誰からも接触はなく、事件は立消えになって行きます。

   そんなマーロウにニューヨークの出版社のハワード・スペンサーという男から
    電話がかかり、仕事を頼みたいので会って欲しいと言われます。仕事が欲し
    かったマーロウは承知します。

    その日、自宅に戻るとメキシコからレノックスの手紙が届いています。中に5
    千ドル紙幣が一枚と手紙が入っています。

  『だから、事件についてもぼくについても忘れてくれたまえ。だが、その前に「ヴ
   ィクター」でギムレットを飲んでほしい』

 翌日、約束のリッツ・ビヴァリー・ホテルのバーに行くと、相手は遅れたので金
  髪の美人を見つめていました。彼女もマーロウをじっと見ていたからです。

  『かなり背の高い、すらりとした女で、特別仕立ての白麻の服に黒と白の水玉
    のスカーフを頸にまいていた。髪はおとぎばなしの王女のようにうすい金色
    に輝いていた。』

 『私はじっと見つめた。彼女は私の視線をとらえて、眼を半インチほどあけた。
    私はもうそっちをみていなかった。しかし、どこを見ていたにせよ、私はいき
    をのんでいた。』

  マーロウが女性を見て、「いきをのんだ」というのはこれが始めてです。
 そのとき、遅れてすみませんと言ってスペンサーが現れます。そして、酒を注
  文する場面になります。

  『「私はジン・アンド・オレンジが好きなんです。ばかな飲物です。付合っていた
    だけますか」
  私がうなずくと、老給仕がひきさがった。』

  マーロウは酒に関しては何でも飲むらしく、他の場面ではマルテイニを飲んで
   いますから、アルコールなら何でもいいのでしょう。だから、ギムレットだろうが、
   ジン・アンド・オレンジだろうが、相手に合わせることが出来るのです。このあと
   で、こんな文章が出てきます。

   『私はジン・アンド・オレンジを飲みほした。うまいとは言えなかった』

   スペンサーの依頼は小説家のロジャー・ウェイドがいらいらして書けない上に
    酔って奥さんに暴力をふるうので、原因をつき止めて、さらに奥さんを守って
    欲しいということでした。
  マーロウはそれは探偵の仕事ではないと言って断ります。すると、その金髪の
    女性が近づいて来て、アイリーン・ウェイドだと名乗ります。仕事を頼む前にど
    んな人間なのか見ておきたかったのだと弁解します。そして、名刺を置いて立
    去ります。

  この場面でスペンサーから「あなたのことを少し話してくれませんか、マーロウ
    さん。さしつかえなかったらですが」と言われて、マー ロウは初めて自分のこと
    を他人に話します。この小説でマーロウはギムレ ットを飲むことも含めて、何
    故か今までにしないことをします。

     『もうだいぶ永いあいだ私立探偵をやっています。独身の中年者で、金はあり
     ません。留置所に入られたのは1回だけではなく、離婚問題は扱いません。
     好きなものは金と女とチェスといったところ。警官には嫌われていますが、仲
     のいいのも二人ほどいます。サンタ・ローザ生まれのこの土地の人間で、両
     親とももう死んでいて、兄妹も一人もなく、この稼業の人間にはよくあるように
     暗い路地で往生しても、悲しがる人間は一人もいません」』

    サンタ・ローザは同じ西海岸の、サンフランシスコから少し北の小さな街です。
  マーロウが生まれた土地や親兄弟のことを口にするのはこの場面だけです。

      次の日、事務所にアイリーンが現れ、夫が三日間行方が分らないので探し
  て欲しいと頼みます。そしてアイリーンは夫の机の上にこんなものがあったと
  マーロウに見せます。

     『タイプライターで打った短い文句があるだけだった。<私は自分を愛すること
  に関心がなく、私が感ずるものはすでに一人もいない。ロジャー(F・スコット・
  フィッツジェラルド)・ウェイド。追記。私が「最後の巨星」を完成できないのもそ
  のためである>
    「何か思い当ることがありますか」
    「気取っているだけだと思いますわ。スコット・フィッツジェラルドを 大変崇拝し
  ているんです。阿片中毒になったコールリッジ以来の最もすぐれた酔っぱらい
  の作家だといっています。・・・』

   ここはチャンドラーがスコット・フィッツジェラルドを崇拝していたが故の文章で
  はないかと言う人もいます。まあ、こういう場合、嫌いな作家の名前は出さな
  いので、ありえないことではないと思いますが、私などはむしろ、もう一人の、
  チャンドラーとは同期と言える作家の ことに触れて欲しかったなという気がし
  ます。チャンドラーは果して、 この人のことはどう思っていたのだろうかと、い
  つも気になっています。残念ながらチャンドラーはこのような形であれ、ほか
  のどんな形でも、この人のことは一言も書残していないようです。

      The night was young,and so was he.
            But the naight was sweet,and he was sour.

            夜は若かった。彼も若かった。
            夜は甘かった。だが、彼は苦かった。

       ミステリ・ファンなら誰でも知っている「幻の女」の冒頭の1節です。
       評論家筋には甘いセンチメンタリズムと馬鹿にされながら未だに人気がある
   アイリッシュ(ウールリッチ)ですが、私はチャンドラーの文章もアイリッシュと
   そう遠くないと思っています。チャンドラーの方がかろうじて踏みとどまってい
   る一点があるとは言え、センチメンタリズムには変りがないと思います。
       実は、この二人は初期の頃に同じ雑誌(「ダイム・ディテクディヴ・マンスリー」)
   に書いていたし、長編の発表も同時期だったのです。
         1940年 「さらば愛しき女よ」と「黒衣の花嫁」
         1942年 「高い窓」と「幻の女」
         1943年 「湖中の女」と「喪服のランデブー」
        ロサンゼルスとニューヨークの違いはあるにしろ、40年代のアメリ カで都会
   に生きる男と女のドラマを描いた二人です。お互いに会ったことはなかった
   にしても、相手の存在は知っていた筈です。お互いに相手をどう思っていた
   かは訊いて見たかったと思います。

        マーロウは今度は依頼を引受けます。そして、早速仕事をします。ある組織
   を通じて、郊外の療養所にいるウェイドを見つけだし、連れ帰ります。その途
   中、ウェイドは殺されたシルヴィアを知っていたとマーロウに話します。ウェイ
   ドを送届けたマーロウは別れ際にアイリーンに言います。

     『「あなたはシルヴィア・レノックスを知っていたのですね」と私は言った。「それ
   で、僕を雇いたかったんですか」
     「私が誰を知っていましたって?」彼女は何のことか分らないように訊き返し
   た。』

     それから三日後、アイリーンから電話で夫が礼を言いたいそうだから、カクテ
   ル・パーテイに来てくれと誘われます。マーロウは多分行くと答えます。その
      電話のあと、金庫からレノックスの手紙を取出して読み返したマーロウは頼
      まれた「ヴィクター」でギムレットを飲むということを果していないことを思いだ
      して、「ヴィクター」に行きます。

    『「ヴィクター」はドアから入った時に体温が下がるのが聞えるほど静かだっ
       た。バーの腰掛けに、季節を考えればオーロンのような化学繊維としか思
       えない仕立てのいい黒い服を着た女が一人、うすい緑色の飲物を前にお
       いて腰をおろし、長い翡翠のホールダーでタバコを吸っていた。』

    『バーテンが去った。黒衣の女は私をちらと見て、グラスに眼を伏せた。
     「ここではあまり飲む人がいませんのね」と彼女は言った。あまりに低い
        声だったので、はじめは話かけられことに気がつかなかった。彼女は再び
        私の方を見た。非常に大きな黒い眼だった。爪が真赤だった。しかし、商売
        女のようには見えなかったし、声も誘うような調子ではなかった。「ギムレッ
        トのことですのよ」
    「友達に教わって、好きになったんです」』

   『「落着ける時間ですわね」と彼女は言った。「酒場で落着けるのは今ごろだ
       けですわ」彼女はグラスを飲み干した。「あなたのお友達を知っているかも
      知れませんわ。何という名前でしたの」
   私はすぐ返事をしなかった。タバコに火をつけて、彼女が翡翠のホールダー
     に新しいタバコをさすのを眺めていた。手をのばして、ライターを差出した。
     「レノックス」と私は言った。
   彼女はタバコの火の礼を言って、探るようなまなざしをちらと私に投げた。
     それから頷いた。「よく知っていますわ。知りすぎているほどですわ」
   バーテンが近づいてきて、私のグラスを見た。「もう二杯」と私は言った。
     「ブースで」
   私は腰掛けから降りて、待った。彼女は私に恥をかかせるかも知れないし、
      かかせないかも知れない。どっちでもよかった。』

   『彼女はためらったが、永くではなかった。黒い手袋と金の金具のついた黒
      いスエード革のバッグをかきあつめて、隅のブースまで歩き、黙って座った。
      私は小さなテーブルを隔てて座った。
   「僕の名はマーロウです」
   「私はリンダ・ローリングですの」と彼女は落着いた口調で言った。
       「あなたはちょっとしたセンチメンタリストですのね、マーロウさん」
   「ここへギムレットを飲みに来たからですか。あなたはどうなんです」
   「ギムレットが好きかも知れませんわ」』

   『「もう一杯飲みますよ」と私は言って、給仕を呼んだ。「なんだか気味が悪く
       なってきましたね。あなたはポッター家と関係があるんじゃないですか、ロ
      ーリング夫人」
    「シルヴィア・レノックスは私の妹ですの」と彼女はこともなげに言った。「ご
       存知かと思っていましたわ」』

   これがマーロウとリンダ・ローリングの出会いの場面です。長々と引用したの
     は理由があるのです。次回の楽しみにして下さい。
 
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