絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂 

紙の洗浄と脱酸性化処置

◆はじめに
和紙以外の紙の多くに含まれる酸性物質(主に滲み止めとして使われる硫酸ばんど)は、それが紙を傷めて行くことは別に話した(コラム18『自然に燃える紙』)。そして、この対策として実際に紙の中に含まれる酸を除いたり、化学的に中和をする方法を脱酸性化処置(略して脱酸【だつさん】、脱酸処置【だつさんしょち】などというばあいもある)という。現在ではこの脱酸性化処置も様々な方法があって、作品、資料の形質や状態に合わせて、より有効な処置が選択されるが、今回は比較的簡便と思われる処置方法をいくつか紹介する。
なお、この処置は紙資料、紙を基底材量とする版画作品などを対象とする。加えてこの処置は、水溶性の汚れ、汚染物質を除去することはできるが、俗にシミなどと称される黴による変色や油性の汚損を除去することは出来ないし、いわゆる漂白処置ではない。例えていうならば、基本的な紙の体質向上、改善処置とイメージされたい。

◆脱酸処理の考え方と方法
脱酸性化処置の方法、考え方としては以下の三つがあげられる。まず第一には、酸性物質を洗い流して取り除くこと。第二には紙の中の酸性物質をアルカリ性剤によって中和させること。第三には、このアルカリ性剤を紙の中に残留させ、処置後の状態の維持、再度の酸性化進行への予防、抵抗処置とでもいうか、再酸性化進行の遅滞を図る処置となる。私の工房で行う実際の処置としては、これらの処置法をそれぞれ単体で行うのではなく、状況に応じて組み合わせて行っている。
脱酸性化処置に用意するものは、洗浄液として、あるいは薬剤を溶かすための純水または浄化水(ミネラルや不純物を除き精製された水)。脱酸性化、中和処置をおこなう薬剤として、アンモニア、水酸化カルシウム、炭酸水素カルシウム、炭酸マグネシウムなどのアルカリ性の化学薬品があげられる。
処置方法としては、液層法といって、薬剤を溶かした液の中に作品、作品や資料をお風呂よろしく浸すもの、噴霧器などによるスプレー(散布)、アルカリ性ガスを用いた気層法などがある。

◆処置方法と手順
1.作品の調査

水性脱酸処置を行う際には、対象物に水分を与えることになる。たとえば劣化したり、痛んで脆くなった紙等は水中に投じると容易く繊維がバラバラになってしまうこともあるし、水溶性のインクや染料、絵具等があれば滲んだり流出したりすることは避けられない。したがって、脱酸処置を行うまえには必ず、細部に渡って観察し、もし、水溶性のインクや絵具による描画や描せんがあったり、用紙自体が非常に脆い場合は、基本的に水性処置は行うことが出来ないと考えなければならない。

2.脱酸性剤の準備
脱酸製剤は最も簡単なものとして水酸化カルシウムの利用があり、これは常温の水(できれば純水、なければ最低でも精製水を使う水道水は不純物、配管などから溶け出した金属イオンが多いので使わない)1リットルにおよそ1.5(正確には1.43グラム溶ける)を入れて拡販し、しばらくおいてその上澄み液を使う。
炭酸水素カルシウムを利用する場合は、ソーダサイフォン(写真の銀のボトル)というソーダ水製造機?を利用する。作り方は簡単で、ソーダサイフォンの中に純水1リットルと炭酸水素カルシウム1.1グラムを入れてしっかりと栓をし、専用の炭酸カートリッジ(二酸化炭素のボンベ/炭酸水素カルシウムは炭酸水によく溶ける)で炭酸ガスを注入。よく撹拌の後に冷蔵庫で冷やし、途中で出したはまた撹拌することを数回おこなうとよく溶ける。

 左奥よりソーダサイフォン、炭酸水素カルシウムCO2ボンベ、電子計量器

3.前処置 / ドライクリーニング
洗浄、脱酸処置の効果、効率をあげるため、表面に汚れが付着していおるような作品や資料は、あらかじめ柔らかな刷毛やスポンジ、練り消しゴムやパウダー状の消しゴムなどを利用して埃や汚れを取り除いておく。

【ドライクリーニングの一例】
ここでいうドライクリーニングとは、衣類などに用いる石油系洗浄液を用いる洗浄方法ではなく、粘着、または吸着性能のある材料を使って物理的に汚れや付着物を取り除く方法を指す。

左の写真は消しゴムを粉末状にして対象物上に広げ、軽く撫でる様にして消しゴムに汚れを吸着させる作業。消しゴム以外にもスポンジなどを用いる。消しゴムが材料のもつ粘着性によって汚れを除去するのに対して、スポンジは細かな穴に汚れを引っ掛けて除去することになる。
何れの方法も力を加え過ぎれば、どんな紙でも毛羽立つ。とくに傷んだ紙への対応は注意が必要。
 

4.脱酸性化処置(浸漬法)
浸漬法は溶かした薬剤がしっかりと紙の内部まで到達するので、効果は高いものが期待出来る一方で、脆弱であったり、問題がある作品資料には水中に投じることで破戒や損傷のリスクが高くなる(先述の調査は絶対に怠らぬ様に)。
浸漬前には脱酸処置する作品や資料をあらかじめ湿らせておく。水というのは以外と染込まないもので、とくに大きな力でプレスをかけて密度の大きくなった版画作品の用紙や、著しく変色を来したものもなどは紙の奥深くまで水分が到達しない。そこでアルコール(エタノールなど)を少し加えて表面張力を小さくした水をスプレーし、しっかりと湿ったところですかさず処置液につける。この液下で作品の内部の酸性物質や汚染物質、俗にアクなどといわれる褐色を帯びたものも溶け出してくる。およそ20分程度浸漬させ、処置液が汚れたら新しいものに交換して又浸漬させ、汚れが出なくなるまで数回にわたって同じ処置をくり返し、処置後は清潔な紙に挿んでプレスして乾燥させる。
プレスによる乾燥は、資料によっては料紙の風合いを損ねたり、版画のプレートマーク、エンボスなどを消失させる恐れもあるので用心をしなければならない。

 浸漬中の版画作品

◆おわりに
以上今回は簡単に紙資料、紙を基底材とする作品の洗浄方法、脱酸性化処理方法を簡単に紹介した。ここではサイトにおける表現の限界、私の文章表現力と経験に頼った紹介となっていることを考慮、ご了承頂き、実際に作業を試みようとする者は、各自補って頂きたい。
保存修復処置に『完全』なものはないので、ここで以上の処置を全ての対象に薦めるものではない。すべての保存、修復処置においては、等しくなんらかのリスクがあり得るという警戒を怠らず、あらかじめ綿密な資料の調査や分析に加えて、保存、修復処置のメリットもデメリットもしっかりと理解していることが必要だ。どんな処置でも、過信し、不用意かつ未計画に行えば、取り返しのつかない失敗が必至であることを、けっして忘れないでもらいたい。

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