修復家の私考  〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜


◆修復する価値

経済重視(偏重?偏執?)の日本の社会では、美術品や歴史資料を資産として換算する人が多い。長くこの仕事をしていると、少なからずこの『価値』を訪ねてくる人がいる。なかには、修復をする価値があるかどうかを訪ねる人もいて、こればかりはどう返答してよいやら困る。この『価値』というのは、市場価値を指しているのだろうと思うのだが、実は市場価値というのも時につれ、あるいは国など地域によって大きく変わる。きっと賢明なる人々は熟知しているだろうが、それは常に流動的で不確定、あやふやなものなのだ。市場は、あくまで需要と供給によって変化するということを確認してほしい。
私達修復家は、日々数多くの作品に接し、誰もが容易に見ることも知ることもできない作品の深層にせまる。数をこなして多くの経験を積めば、自ずと造詣も深くなる。作者の技法、素材はもとより、言葉や数値では表現することが困難な雰囲気、癖のようなモノを見い出すこともあるだろう。さらに市場にある作品に関わっていれば、その価格もある程度判断出来るかもしれない。現在では、作品に用いられた材料を結構明確に分析出来るようにもなったから、より多くのデータを集めれば、真贋の判定もかなり信憑性の高いモノになるだろう(ただしこれには膨大な時間とお金が必要)。
しかし、どんなに造詣が深くとも、たとえ市場に詳しくとも、修復する価値があるかどうかを決定するのは私達修復家ではない。たとえそれが偽物だろうが、市場では安価な物であろうが、どんな物でも所有者に頼まれるならば、専門家として誠心誠意努める。それが修復家本来の指命だと私は思っている。なるほど、確かにどんな処置でもお金はかかる。作品の市場価値と修復代金を量りにかける気持ちもわからないでもない。けれども、自分の持っているものを、ただいたずらに市場価値のみで推し量ることは、あまりにも寂しい。モノの価値を見い出す方法はもっと他にもあるはずだ。実際に、贋物であっても、そこに、たしかに在る情報は、なんらかの形で必ず役に立つ、価値ある物となりうる。

まずは、自分の持っているものをあらためて、しっかりと見つめ直してて欲しい。そして、それが何故そこにあるのかを考えてみよう。たとえそれがあなたの求めたものではなかったとしても、そこにある限りは、誰かがその価値を見い出していたということである。あるいは、それを見い出した人に思いを巡らせることも悪いことではないだろう。そしてもう一度、あなた自身の目に、それがどう映るのかを確かめてみよう。
私達修復家は、モノを修復し、より長く延命させる技術と知識を持っている。でもそれを利用するかしないかをきめるのは、所有者であるあなた以外にはいない。持っているモノを売買するも、破棄するも、放置するも、すべての決定権利は所有者であり、管理者であるあなたにある。そして、たとえどんな権威であろうが、有名な研究者であろうが、たった一握りの人間の基準や判断によって、何かが失われるとすれば、それはとても悲しいことだと思う。


失ったものは二度と戻らない。

021029(080531)


絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂

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