修復家の私考 〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜
◆守られた時に無くなるもの ─伝統文化の行方─
日本の国鳥であったか、朱鷺(トキ)の話に例えるのはナンセンスかも知れないが、何かを守ろうとした時、守りはじめた時には、その終焉が近い事をうかがわせる。日本の伝統文化も同じで、今日美術館や博物館あたりで大切に保管されているものは、人と社会から『見捨てられた物』も多い。
かつては生活の必需品であり、今なお私達修復家にとって大切な材料である和紙や絹織物も、現在ではその需要は減少する一方。生活の欧米化もこれに拍車をかけて、畳からフローリングの洋風な家屋からは襖も障子も消え、着物等はもはや成人式か結婚式でもない限り着ることもないだろう。さらに現代における急速な科学技術の進歩は、私達の父や母、あるいは祖父や祖母達が、ずっと長く身の回りで利用してきた物の姿形、その材料素材もみな激変させて来た。ちょうど私が小学校の2年生のころだったか、父と二人で観にいった大坂の万国博覧会は、絵本やテレビの中の未来の世界がリアルに繰り広げられるようで、衝撃的であった。この時にスローガンにあげられた『人類の進歩と調和』は、”進歩”だけまさに現実、具現化し、今もなお私達の世界を急速に変えている様に思う。
私は父が表具師であり母方の祖父が経営していた表具店に勤めていたために、小さな頃から表具師をはじめ、漆師(漆を塗装する職人)、建具師など、様々な職人と呼ばれる技術者の仕事を観る機会に恵まれていた。そこには、いつも恐そうな顔をして、ちょっと近付けないような緊張感を漂わせながら黙々と仕事をする人の姿があり、神々しく、とても魅力的に見えて、時の過ぎるのを忘れるかの様にずっと眺めているのが好きだった。よく、『邪魔だ』と追い払われたり、時には『どうだ、弟子になるか?』などとからかわれたのを覚えている。
それから随分と経って、この仕事に就いて間もない頃だったか。今から20年近く前、自分達の使う物の生産現場を観ておけと、私は師匠に連れられて、奈良県は吉野の山深く分け入った村を訪ねた。そこは長く和紙を漉いてきた生産者の工房で、年老いた老夫婦が薄暗い部屋の中で黙々と働いていたのを覚えている。 この時訪ねた工房は、たまたま忙しい時期ではなく、運も悪かったのかも知れないが、この時、ハッキリしたものではないが、私は日本の伝統文化の先細りや未来の不安を強く覚えたような気がする。そこで働く人たちには、かつて私がみた職人の秘めたエネルギーのようなモノは、もう何も感じなかった、、、。
長く受け継がれてきた物づくりの世界は、いつか『伝統工芸』などと称号のようなモノも与えられたが、生産者の多くは、今や後継者にも恵まれず、齢と需要の少なさに負けて廃業するところも少なくはない。
第二次大戦中、アメリカは日本を称して『紙と木』で出来た脆い文化を持つ国だと嘲笑し、爆弾を雨の様に降らせて火を放なったという。当時の彼等は、その燃え易いという物性こそ知ってはいたが、この紙と木の文化が数百年の歳月を超える力を備えていた事も、そこにはそれを巧みに使いこなす高度な知識や技術があったことも、きっと知らなかったのだろうと思う。
そして、いま、私達自身がその価値を忘れようとしている。この日本人の順応性、時代の『波』や『流れ』に乗るが上手いのか、新しい物へとシフトするその素早さ、古い物を捨てるその潔さにはときどき脱帽したくなるけれど、永く利用して来た物をどんどんと捨て、周縁に追いやってしまうことができるのは、実際、すごいことなのかも知れない。きっと、この力こそが今日の経済大国(いまや陰りも見えるが)日本をもたらしたのだろう。
なお必死で失われつつあるモノを守り育てている人がいる事も知っている。あるいは私達修復家もその端くれである。しかし、日本の伝統文化(生み出される物やすべての表現として)はこの時代の中で、着実に、その"生きる場" を失い、自らの生きる体力をも弱めている。これは運命なのか、それ自身に今を生きる力が無いからか。それとも、ただ私達がそこに魅力を感じないから、魅力を感じる力がないからなのだろうか。030316(080531)
絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂
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