修復家の私考 〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜
◆えのぐのはなし
以前、ちょっと油彩画の話に触れた。今回はもう少し絵の具の話をする事にする。絵の具はもともと皆同じ。自然の鉱物を細かく砕いたり、木や草花、果汁など、自然界から採取出来る色素を利用して産まれた。この絵の具の元の粉を顔料(pigment/ピグメント)と呼ぶ。顔料はこのままだとただの細かな土や砂のようなものか、あるいは色の付いた粉?表面がザラザラした物や、小さな穴のあるような物ならば、多少はそこに顔料が引っ掛かるから、一定の期間はそこに顔料が残るが、表面が平らでツルツルとしたものは、すぐに取れてしまうか、全くくっ付かない。大抵はどこにもくっ付かないから、絵を描くためには画材(この場合、紙や布、木や金属の板など、総称して基底材とか支持体と呼ぶ)に固定、接着する材料が必要になる。簡単に言えば、糊、接着剤が必要なのだ。そこで、ヨーロッパでは顔料に卵(卵はよい接着剤になる。かつて日本でも、瓶の王冠の裏にコルクを接着するために卵白を使用した例がある)や油を加えて油絵の具をつくり出し、日本では獣の皮を煮て抽出した膠を混ぜて利用した。この接着剤のことを日本では別に展色剤とも呼ぶ。英語だとメデューム(medium)。
すべての絵の具は、色の素と、それを固めたり、くっ付けたりする接着剤からなるということを基礎知識として、以下に代表的な絵具についてもう少し記すことにする。西洋絵画で利用される代表が油絵の具といって良いだろう。この油彩画の技法、絵具が、オランダで開発、大成されるまで、ヨーロッパではテンペラと呼ばれる技法が主流だった。テンペラ絵具では、顔料の接着剤として卵が用いられた。この卵は全卵を使うこともあれば、黄身だけを利用することもある。絵具をつくる折には、卵の腐敗を防ぐために少量の酢を入れたりした。ちなみに、日本の油画の創世者として名高い高橋油一は、顔料にえごまの油を混ぜて絵の具をつくった。
油絵の具は英語でもOil Paint。読んで字のごとく、油が混ぜてある。この油はちょうどお勝手、キッチンのレンジ周りや換気扇にこびり着く油汚れを想像してもらうとよい、あの油は最初は流動性があるのだが、時間を経るごとにだんだんとひつこく絡み付いてなかなか取る事が出来ない。この油は全て、大気中の酸素を吸収して少しづつ硬化する性質をもっており、これを酸化重合という。油絵の具は空気に一番近い表面から少しづつ固まって行くので、余り厚く塗ってしまうとなかなか固まらない。また、下に塗った絵の具が完全に固まらない内に、絵の具を重ねていくと、表面が固まった後に下層が固まるので、その変化によって先に固まった上層の絵の具がひび割れたり、長い年月の末に剥がれたりもする。
油絵の具は水彩絵の具、日本画の顔料にくらべて、水分の蒸発による堆積の減少、収縮はなく、むしろわずかではあるけれど酸素の吸着によって堆積が増えるといわれる(数十年を経ると今度はわずかに減少するとも言われる)。
また、水彩画や日本画の岩絵の具、が乾燥後その粒子を剥き出しにしてしまうのにくらべて、油彩画の絵の具は、顔料の粒が接着剤となる乾性油に包まれるようにして乾くから、乾燥後も独特の艶があり、なお耐水、耐薬性に富む。かつて、ある一時期の日本の油彩画は、日本画の水墨、水彩画をまねて、艶のない印象を与えるために、この油を抜いて描かれた事もあったが、肝心の接着剤、凝固剤が失われた絵の具は、後年、本の少し水分を与えただけで絵の具が落ちてしまうものもある。
日本画で利用される岩絵の具は同じ顔料でもコーヒー豆を挽くようにその細かさによって色合いが異なる。基本的に粒子が小さくなると色は淡くなり大きいと濃くなる。顔料はまた、火にくべてしばらくすると、顔料自体の酸化が進み、変色するものもあるので、展色剤を混ぜる前に過熱して好みの色合いに変化させることも出来る。先述したように、岩絵の具には膠水を利用するが、顔料の比重差によって、乾燥するまでには重いものは下層に、軽いものは表層に移動し易く、混合して求める色合いを出す事は難しい。
膠は動物の皮下にあるコラーゲンを煮出したもので、鹿、牛、兎などのほ乳類から、または鰉(ちょうざめ)などからも抽出出来る。この膠、油彩画の『油』とは異なり、固化当初は絵の具のまわりや間にあリ、顔料同士をつなぎ、基底材に接着させているが、やがて経年と共に乾燥が進み、その体積を小さくして行く、そして、いつか顔料間、基底材間の接着力は衰え、いずれは顔料が剥き出し、裸同然の状態になってしまい、剥離進行して行く運命(宿命)にある。逆にこの特性が、艶のない、マットな風合いを醸し出し、顔料の持つ自然な色合いが楽しめる。水彩絵の具はアラビヤガムを接着剤に水分を保つためにグリセリンが混ぜられている。水彩絵の具には透明、不透明の二種類があって、ガッシュ(ともいわれる)・不透明水彩絵の具は、展色剤中の絵の具の密度が比較的に大きく白色の顔料が混ぜられたりするので隠蔽力が強くなる。
幼稚園や小学校の学童が良く利用する色鉛筆、クレパス、クレヨンなどは、密鑞や科学合成したワックスが含まれている。ちなみに、プロが使うパステルは展色剤がほとんど入っていないか、全く入っていない。だから、ツルツルしたものには描けないので、パステル専用の表面に微細な凸凹のある、ざらざらとした用紙に描く事が多い。利用メリットは、日本画の絵具の様に顔料本来の色が美しい事、また、とても弱い筆圧でかける(ちなみに、バレエの『踊子』を描いたエドガー・ドガがよく利用した)。けれどあまり厚く塗れば、顔料が積み重なるだけで、すぐに剥離する。ちなみに、パステルで描かれた作品の額装には絶対に合成樹脂、アクリル製のガラスを用いてはならない。静電気が生じ易く、その折に顔料がガラスに吸い寄せられ、描画部の顔料が減衰してしまう。フレスコ画と呼ばれるヨーロッパの壁画は、壁剤の石膏が固まりきらない内に水だけで溶いた絵の具を塗る。壁が生乾きなので、『フレッシュな状態』だからイタリア語の生の意味である『フレスコ (fresco) 』とよばれる。石灰の壁もセメントも、乾燥する過程で多くの水分を必要とする(水の中の酸素を吸収して二酸化炭素を排出する/二酸化炭素を排出する折、気化熱が生じて表面が暖かくなるため、冬場は気をつけないと野良猫が足跡を残す)。そこで、筆などで擦っても凹んだり、変型しないくらいにある程度固まって来て、なお乾ききる直前の、一番水分を吸収する時に絵の具と水分を一緒に加えると、壁の層に絵の具が吸収されたまま乾いて行く。表面には水に解けない炭酸カルシウムの皮膜ができるので、固化後はとても堅牢になる。ちなみに、これを真正フレスコ(ブオン・フレスコ/buon fresco)と呼び、他方、固化した壁面の上からさらに加筆するような場合もあって、これをフレスコ・セッコ(fresco secco)と呼ぶ。かの巨匠レオナルド・ダヴィンチは、このフレスコ技法には長けていなかったようで、彼の残した壁画作品の多くは、壁材が固化した後に描画を施したものが多く、後年になって顔料の剥離が著しい作品が多い。
1960年代のアメリカでは、家屋の塗装に用いるペンキなども利用された。近年では合成樹脂を利用した代表的な者としてアクリル絵の具があるが、この絵の具は基底材の選択肢が広く、固化すると耐光性に優れ、退色もしにくい上に発色もなかなか良いので現代作家が良く利用している。
最近は、展色剤も、顔料も人工的に、化学的に合成され、絵具の種類はずいぶんと多くなった。これにともなってか、私達が総称して基底材とか、支持体と称する画用紙、画布などについても、伝統的に利用されて来たものに加えて、様々なものが現れている。この先(実はすでに)、修復家として、こういったものへの対応も数多く迫られてくると思う。060420 庭の木々の若葉が美しい頃
絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂
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