修復家の私考  〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜


◆日本画の潔(いさぎよ)さ

近年の日本画は厚い画用紙の上に膠を接着剤として加えた顔料をたくさん積み重ねる作品が多い。この技法は、濃い密度の顔料の上に、膠水で薄く溶いた密度の低い絵の具を重ねれば下層の絵の具が上層の絵の具の粒子のまにまに見えることによって、ちょうどテレビや印刷物のように、あるいは印象派がパレットで絵の具を混合する事無く、直接キャンバスの上に原色を連続して塗る事によって各々の色が響きあい、豊かな色彩と独特のマチエール(この場合は筆致、筆勢ではなく、完成後の雰囲気、絵の調子と訳そうか)を産み出す事ができる。また、この一方で、白を加えたような、少し濁った不透明な絵の具を密度を高くして重ねると、下層の絵の具を隠蔽する事もできる。ある意味、書き直しも、修正も可能だ。もちろん、下書きを直接することも可能である。描き直しができる事も価値であり、ある意味、評価されるべき事かも知れない。重ねる事によって得られる独特の効果を求めるものもいるだろう。けれど近年の絵画には、蓄積された情報の呪縛や技術、マチエールへの拘泥を感じる作品が多くなった。かつての東洋絵画に多く観た、余白を描かぬ選択はある技法としてステレオタイプに捉えられ、顕現したイメージには、確かに写す事と、自らの身体のリズムやテンポ、沸き出す衝動で描く事の判断に対する迷い、決めかねて困惑した印象さえあたえる、、、。
これに対して、往古の画家達が活躍した頃の作品は、薄い画用紙や画布(平織りの絹織物)に絵の具や墨が染み込むように描いた。そして、この技法ではやり直しは一切出来ない。一度含んだ顔料は取り除く事も出来ないし、絵の具を重ねても、真っ黒な墨を重ねても、大抵の場合、下層の筆致は映ってしまう。習字を経験した事のある人ならば、失敗した筆致にいくら墨を重ねても、重ねるだけその軌跡が残る事をよく知っていると思う。他にも、日本画の画法には『たらしこみ』とか『破墨(はぼく)』などと呼ばれる技法があって、湿らせた料紙や料絹に絵の具や墨を塗った時の滲みや広がりを上手くコントロールして、印影や奥行きを表す。ここには、技術はもちろん、利用する材料素材に対する熟知も必要になる。しかし、技術や知識の習得はあくまで表現手段のための道具で、これに頼るばかりでは豊かな創造は成り立たない。

ジャズトランペッターのマイルス・デイヴィスは、コロンビアレコードの名プロデューサー、テオ・マセロのもと多くのレコードを残した。彼のグループの録音は一風変わっていて、ほとんどの録音をただ一回のみで終了し、やり直し無しで終えていたという。マイルスの名盤である『KIND OF BLUE』のレコードジャケットにコメントを寄せているビル・エバンス(同じレコードでピアノを演奏している)は、この時の演奏に触れていて、ジャズの演奏を東洋の水墨画になぞらえて、こう記している。『墨絵は、筆を白い画用紙に落とした瞬間に、消し去ることもやり直すことも出来ない、、、。』
ジャズの面白さは、なんといってもアドリブ(即興演奏)にある。アドリブは簡単に、決められたテーマやコードによって構成された演奏中に、奏者が想起する音を自由に組み合わせ、作曲と演奏を瞬時に、かつ同時進行させる音楽の演奏スタイル。それは、あらかじめ譜面に書かれていたり、準備された曲を演奏するものではなく、『その時、その場限りの演奏』。演奏者はアドリブ演奏をはじめた瞬間から、後戻りは出来ないし、一度はじまった演奏は、迷わず終わりまで進行してゆかねばならない。ビル・エバンスには、ジャズのアドリブ演奏が、その音の顕現のあり方が、古来の、油断も修正を許さない水墨画のイメージと重なって見えたのだろう。

伝統的なかつての日本画には、潔さのようなものを感じる事がある。たとえば、雪舟のシンプルな墨の軌跡は、限られた大きさの料紙、料絹の中に、自由奔放に、かつ大胆に、研ぎ澄まされた刃で空間を切り裂いたような勢いや力を感る。その薄い平面に、西洋の遠近法を使わないでなお、豊かな空間を想像させる大きな空白は、その処理の絶妙さ、何もしないという究極の画法の完成を見るようだ。
現代の作品の中にも、こういった印象や強いバイブレーションを感じる作品を見ないわけではないが、どこか突き抜けた所のない、緊張感もなく、どうしても凡庸に見えて、退屈なものが多いと感じてしまうこの頃である。

◆"KInd of Bllue"  MILES DAVIS 1959 COLUMBIA KCS8163


絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂

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