修復家の私考 〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜
◆消えゆく音楽
文化財、歴史遺産の保存修復の現場では、常に古典的な絵画や彫刻の制作技法の研究がされている。単に視覚的な情報から模作するだけではなくて、過去の材料素材の調査、分析、残された資料からも類推した実制作がよく行われている。『復元』とかいう言葉もよく使われるようだが、現実的に、科学的にもそれは『出来ない相談』で、苦心の末に、どんなに寸分違わぬものを作り上げることが出来たとしても、私たちの全ての思考と行動が、現代(この瞬間)に生きる私たちの思考、経験(知識も)に拘束される限り、さらには物理的にも、今入手し、利用できる材料や素材を利用することしか出来ないという制約がある限り、それはあくまでも想像の領域を越えられず、すべての『復元』は良く言って模倣。悪く言うとまがい物に過ぎない。むしろ、あらたな創造と言うことこそが正しいと思う。
保存修復の現場に限って言えば、こういったことを繰り返すことによって、現存する貴重な文化遺産の成り立ちを推量し、そのものに直接触れずに、非破壊的に多くの情報を集めるということが大きな目標だろうと思う。ここから、過去の製作技法がすこしでも解れば(解りたいとみんな思っている)、経験できれば、より安心して作品と対峙も出来ると考えられているところが大きいのだと思う。けれど、過信することは禁物。ほんとうは全てがバーチャル。推測と経験の上に重なる、新たな解釈と知識の想像と創造であることを忘れてはならない。今はもう現存しない、古典楽器の再現をしようとする人がいるという。古代の楽器を復元するためには、先述の古典絵画や彫刻よろしく、現存する楽器とその歴史をひもとき、奏者の経験も参考にしながら、多くの推測によって試行錯誤が繰り返されているようだ。しかし、やはり残されたものは少なく、材料も今や手に入らぬ物が多い。歴史や言説は人々の華飾や脚色がつきまとう。さらに、楽器の復元は厄介で、たとえ姿や形、音を出す装置としての構造と機能を作り出すことができても、当時はコンパクトディスクはもちろんのこと、録音テープもレコードもないから、肝心の『音』の記録が全くない。楽器が出来ても、どんな音色を目指せば良いのか解らない。そして調律が出来ない。現代において調律をするということは、西洋音階の『ド レ ミ ファ . . .』に照らし合わせた音作りをすることになるが、とくに東洋の古楽器を復元しようとした場合には、もともと、この音階も、リズムもテンポも全くない世界だから、この音楽様式、哲学、技法は何の意味も持たない。ついに、古代楽器の製作は頓挫してしまう。たとえ、残された楽器があったとしても、今はすでにに求めるべき、目指す音色の記憶も一切持たない奏者には演奏もままならない。
ジャズミュージックのファンの誰もが、きっと偉大なプレーヤーの一人として認めるであろうエリックドルフィー【Eric Dolphy(as, bcl, fl)(1928 - 1964)】は、"When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You never capture it again. "「音楽はあなたが聞いているそばから空に消えてゆき、もう二度とそれをつかまえることはできない」 という名言を残した。
どれだけ高度な録音をしても、いくら高性能なステレオ装置で再現したって、決してその瞬間の体感は得られない。生演奏の、プレイヤーの息使い、楽器の響き、私たちが目にする演奏スタイルや、耳にすることのできる音だけではなく、この身体の全てで感じるバイブレーション。その感動は、そのとき、その場でしか、けっして味わうことが出来ない。
実は、文化表現のすべてがこんなふうに、形の有るものも、無いものもみんな、私たちの眼前に現れた瞬間に失われ続けているのではないだろうか。私たちは次の瞬間から、身体に記憶された残像や印象、その体験に思いを巡らせ、新たな創造を繰り返すことしかできない。でもきっと、だから私たちには未来があるのだろう。全ては私たちの体の内から生まれ、外に放たれては消え、そして、放たれたものはまた、いつか私たちの内なる創造のエネルギーとなるのだろう。私たち修復家は、人々の内なる創造エネルギーの供給に一役を担うことが出来るだろうか。
○参考書籍
『音の静寂 静寂の音』 高橋悠治 著 平凡社
○エリック・ドルフィーを聴くなら
"ERIC DOLPHY AT THE FIVE SPOT" Vol 1.&2. PRESTIGE/NEW JAZZ 8260
絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂
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