修復家の私考  〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜


◆油絵の具に御用心

油絵の具は、数ある絵の具の中でも一際長く使われて来た歴史を持っている。その起原は14〜15世紀にさかのぼり、オランダのファン・エイク兄弟が油彩技法の確立に大きな功績をもたらしたと伝えられている。油絵の具の主な成分は、色のもとである土や鉱石などを砕き、微粉末にした顔料と油、そして樹脂(地中に染み込んだ樹液が化石化したもの=ダンマルなど)の3つからなる。この中で油絵の具が乾き、キャンバスなどの描画材料(専門家は基底材・支持体などと呼ぶ)に接着し、固まるための肝心要が油である。この油は、植物から採取されるものが多く、代表的なものとしてあまに油(Linseed oil)、けし油(Popy oil)、他にくるみ油(nuts oil)、私達がよく食用にするべにばな油(safflower oil)などがある。日本人の油彩画の創始者として名高い、かの高橋由一などは、荏胡麻(えごま)から採った油を使ったといわれる。これらの油は、乾性油と呼ばれ、長い間空気に触れるとゆっくりと固まってゆく特性があり、この特性こそが油絵の具に反映し、特徴付けしている。油絵の具の色のもとは水彩絵の具や日本画で利用される岩絵の具などとほとんど同じなのだが、後者がいずれも含まれた水分の蒸発、乾燥をもって固まるのに対して、油絵の具は、含まれる乾性油が大気中の酸素を取り込んでゆっくりと固化する。また、水彩絵の絵の具や岩絵の具は、この水分の蒸発によって塗った絵の具の体積、質量を減らすことになるのに対して、油絵の具は酸素を取り込んで固化するために、むしろ増量(半世紀もすると、また減量するといわれる)さえすることになる。
この乾性油が固化する現象は、私達の生活の中でもよく目にすることができて、一番分かりやすいのがキッチンのレンジ回り、換気扇あたり。年末の大掃除で換気扇を掃除したことがある人ならば、誰でも知ってるあの頑固な油汚れ! ボトルや缶から出した油はとても滑らかで流動性に富むが、空気に触れてしばらく経つとやがてネトネトと粘り気が出て、一年も立つとかなり固まって容易に取り除くことも出来なくなる。この固化現象を酸化重合といって、簡単にいうと(詳しくは専門書を読んで下さい)、油の分子が酸素を橋渡しにして結合してゆくもので、油絵の具の場合は結果としてその中に顔料をとじ込める。これが油絵の具が固まる正体。一方で、同じ『油』と名の付くもので、全く性質を異にするのが揮発油と呼ばれる類い(ベンジン、シンナー、アルコールなども同じ類い)で、これ自体は全く固まる性質を持たず、むしろ揮発して空気中に拡散してしまう。油彩画の製作ではぺトロールやテレピン油を使うことで、絵具の粘性を調整することで、筆さばきをよくし、これでたくさん薄めれば、水彩絵の具のような表現も可能であるが、肝心の接着効果も薄れてしまうことで、後に簡単に絵具が落ちてしまいかねない、きわめて脆弱なものになってしまう。
とにかく油絵の具は固まるのに時間がかかる。確かに固化するためには少なくとも30年ほどともいわれるくらい。昔の作家はこの現象をよく把握していて、ずいぶんと長い時間(時に何年も?)をかけて製作に取り組んだ。この絵の具は、薄く塗ればまだしも、一度分厚く絵の具を塗れば、酸素をその内側深くまで取り込むのになお時間がかかるため、なかなか固まらないという現象が起きてしまう。最近は、こういった絵の具の特性を知らないために、色々と事故を起こした作品が運ばれることが多くなっている。絵の具が乾かぬまま額装したために額縁の塗料が移ったり、セットした額の作品と接触する部分が押されて変型したり、果てはビニール製の梱包材料(エアーパッキンなどと呼ばれるアノ小さな気泡、プチプチのついたヤツ)がベッタリと張り付いたり、最悪の場合、くっ付いた物を除去することによって、絵の具がはがれたりすることも避けられぬ状態になった作品にもお目にかかった。
油絵の具はなかなか固まらないのがデメリットとすれば、いったん固まってしまうと、本当に堅牢になるのが最大のメリット。辛抱強く製作し、新しい作品の取扱いには御注意を!!

気をつけろ まだ乾いていないぞ 間違いない!!(^^;)             2004.10.21 台風一過


絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂

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