修復家の私考 〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜
◆価値の行方
仕事上、私達は過去に修復された作品をよく見る。そこには、現在では認められない、過った処置が施されていることがよくある。それを否定することは容易いのだけれど、そこにも必ず、そのモノを残そうとして来た人々の工夫や努力を読み取ることができる。当時は、今のように 豊富な材料が無かったかも知れないし、たとえあったとしても、現代のような流通システムはないから、限られ地域で、一部の人のみが入手できたろう。もちろん、持っている情報だって、今からくらべればずいぶんと限られていたはずだ。そんな中で、彼等は知恵を絞り、工夫をして、持てる技術や知識を一生懸命に投じている。
かつて多くの浮世絵版画は本の様に束ねて鑑賞されていた。今でいうなら芸能人のフォトコレクション、写真集に等しい。浮世絵版画は製本することで、一度にたくさんの作品をまとめて、いつでも手軽に鑑賞できた。しかし、この状態で作品を取り扱っているうち、手で触れることの多い隅っこの部分はいつか汚れ、摩滅したり、折れたり破けたりもする。湿度が多い場所に保管されると、作品同士がくっ付いてしまったり、くっついた相互の絵の具が転移したりする。そこで修理が必要になると、この汚れた作品を修理するために四辺を裁断してしまったり、絵のない余白を切り取ってしまったりした。作品全体を補強するためか、不用意に*裏打をされたため、絵の具が裏打紙に吸収されたり、滲んだり、作品のイメージが大きく損失したものもある。 しかし、その一方で、皮肉な話でもあるが、この現代では忌み嫌われる『製本』や『修理』のおかげで、多くの浮世絵作品がまとまって保管されてきた。こうして長く大切にされて来た作品は、所有者にとっては、作品自体の美しさ、良さと共に、製本された姿や形(装幀様式)をも含めた愛着があり、今日の再修復にあたってなお、その姿のまま残したいと要求する者もいる。
この浮世絵は、明治の頃には廃れはじめ、海外へ輸出する陶磁器等の搬送時に、包み紙や緩衝材として利用された歴史がある。その後アメリカやヨーロッパで再評価されて日本国内でも大切にされているが、評価の輸入にともなって、その観賞方法や取り扱い方も変わって来た。今では何も印刷されていない裏面に残るバレンの刷り痕なども観賞や研究の対象として考えられ、先述の絵具の問題などから裏打ちは絶対にしないし、古い裏打ちがあれば取り除かれることが多い。束ねてあった物は、図像が刷られた直後の一枚物の印刷物として、いわゆるオリジナルな状態に戻されることが尊ばれ、この後、マットと呼ばれる中性の厚紙に挟まれて保管されるか、鑑賞する場合は額装することが主流になって来た。
過去の修復、修繕や手入れなどと呼ばれる行為の中にもたくさんの情報を読み取ることができる。そしてまた、そこには、その当時の人々によって守るべき、守られるべきと考えられた文化の姿形、その価値や価値観をも読み取ることは出来ないだろうか。 人のつくり出した物は、それが創造者の手を離れ、世界に委ねられた瞬間から、他者によって様々な価値が見いだされ、それが投影され、時の社会によってしっかりと付帯されることで長く守られてゆく。これは、資本主義社会の中で、美術品や工芸品に与えられた価格を考えれば理解出来るだろうか。物が大切に取り扱われるためには、そこに必ず『価値』が見いだされ、理解されなければならない。よく考えれば、私たち修復家が考えるオリジナリティーというイメージも、実は新しくつくり出した価値感なのではないだろうか。もしその価値観が他の価値観を排除したり、否定するのであれば、どこか私達修復家の目指す理想に矛盾を感じる。私達修復家は、物が創造された原初に刻まれた情報を大切にする。そして、それをオリジナリティーとよび、今見出せる(あるいはその可能性も含めて)情報のできる限りの保護と延命に努めることを使命としている。しかし、いたずらにそれを追求することによって、あるいは何かを失ったり、その延命が危ぶまれる可能性を感じることがある。
021016(080528)
*裏打(うらうち)
イメージの描かれた薄い紙や織物の裏面に糊を塗布した和紙を張り付けて補強する表装の技術。
浮世絵などの木版画は絵具の定着が非常に弱く、わずかな水分が触れただけで絵具が移動し、滲んだりする。裏打ちには水分を多く含んだ接着剤を使用するため、現在では浮世絵の裏打ちはしない。
絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂
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