修復家の私考  〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜


◆イタリア修復事情

さる5月29日土曜日、東京都八王子市にあるランビエンテ修復芸術学院主催の講演会に参加した。内容としては、同校が提携するイタリア、パラッツオ・スピネッリ芸術修復学院で教鞭を取る女性修復家ガブリエラ・フォルクッチ、アントネッラ・ブロージ 2氏による当地での実例の報告で、子安市民センターにて各々1時間あまりの講演が行われた。
最初の発表者フォルクッチ氏については、私にとって今回を含めて確か3回目の聴講となるが、今回は近年に発見されたミケランジェロの壁画(デッサン)の発見〜保存における今日までの経緯と、保存修復処置の方法、問題点の説明であった。この作品は地下にあり、かつては炭置き場として利用され、一時は描画部分が度重なる室内のリフォームによって、漆喰で覆われていたこともあったと言う。この壁画は主に炭、鉛筆?(訳者はそう言っていたが、私達が日常で用いる現在のような形態の鉛筆ではないだろう)で描かれたラフスケッチのようなもので、用水井戸(雨水を蓄積していたようだ)がその室内にあることとに影響すると考えられる壁画面への水分の流出、壁面の剥離、浮き上がり、近隣に墓地があることによる影響があるとされる、塩化物(硫酸カルシウム、硝酸カルシウム)の発生への対応が必要となった。具体的な処置、保存手段としては、人が持ち込む水分による作品への影響(講演では一人当りの侵入によって、室内におよそ50ミリグラムほどの水分が持ち込まれると紹介された)を考えて、室内への入場制限を行ったり、炭酸アンモニウム、炭酸バリュウムによる洗浄、結晶の除去が説明された。
もうひとつの報告は、タペストリー様に装幀された紙製の地図の修復処置についての紹介で、パラッツオ・スピネッリ芸術修復学院における授業のなかで、生徒が処置をした実例の報告として、装幀の解体から作品裏面に接着された麻布の除去からはじまり、表打ち、洗浄、厚い和紙と綿布による再裏打による強化、再装幀の作業行程が写真を交えて紹介された。いずれの報告も、興味深く、短くかぎられた時間の中で、よくまとめられた講演であったと思う。

近年、諸外国の修復事情を見聞きする機会が多くなったが、私としては、その細かな内容(もちろん勉強になることは多い)よりも、彼等の修復の背景にある文化のおおきな違い、そこにある価値観、哲学、修復作法(スタイル)の様なモノのなかに見える異質性に興味を引かれ、また驚かされる。今回もとくにアントネッラ・ブロージ氏の発表のなかで、激しく劣化し、汚れ、波打ち、容易に折れ、破けてしまうような脆い紙資料を、とにかく徹底的に固定し、頑強とも言えるような裏打ちによる強化、支持をして動かないようにしていたのがとても強く印象に残った。彼等はその目的を達成するために、執拗とも思えるようにくり返し接着剤の塗布、含浸をおこない、使われる接着剤も、メチルセルロース、プライマルAC33など、すべて科学的に合成されたものだった。
日本の修復現場でも紙を基底材とする作品や資料を取り扱うことが多いが、たとえば表具の技術を持つ修復家は、それを掛軸や巻物の様に巻き、広げることができるように、紙本来が持つ柔軟性を巧みに利用し、追求する。作業に使う接着剤も、黴が発生するなどの問題こそあるが、小麦粉の澱粉を水で煮た天然の接着剤を利用する。可逆性(後年作品や資料を傷めずに完全に除去出来ること)が保証されているとしても、数十年の利用実績しかなく、現在の科学経験において、バーチャルな実験下でのみ可逆性が認められた科学的な合成樹脂接着剤に対して、数百年の利用実績があり、科学的に確かな可逆性を認められている天然樹脂を、なお可能な限り水で稀釈して利用する、、、。

この世にひとつとない文化財の修復。より良いと思われる保存修復の処置を考えると、私達日本の修復技術や情報の交換、利用も大いに有効であろうと思えるような修復処置はたくさんあるものと思われたし、そこに投入された合理性や工夫を評価したとしても、素材や道具の選択、対応、技術にも、『私ならば、日本でならば、、、。』とついつい考えてしまうところが多かった。でも、そんな考えもしばらくすれば、彼等の全ての行動を彼等の修復の経験とその背景にある文化に基づいて、その哲学、思考で捉えることができるのならば、彼等イタリア人が脈々と経験し、行動して来たスタイル、独自性も重要であり、私達の作法こそ非難、否定されるのかもしれないない。もとはといえば、先記の生麩糊も、今でこそ科学的にどうとかこうとかいわれるものの、実は先人達が経験の中で培って来た工夫の末に生み出した、伝統文化の中のひとつ。それを今なお利用させてもらっているにすぎないなどと、一人頭の中を巡らせた、、、。
いくら同じような紙資料、作品とは言え、その内容、組成や構造にも良く見れば微妙な違いがあるし、その生まれた歴史、文化的な背景も、さらにはこれから保存される環境も違うことから、単純に他の何かと比べたりすることもナンセンスだし、授業という、ある限られた時間、制約の中で、経験のない学生達のおこなう修復処置であるとすれば、とりあえずは多少寛容にも見るべきか?


通訳者の日本語、イタリアの修復文化を日本の修復文化に置き換える作業の難しさからか、その説明に納得の行かないことも少なくなく、彼等の発表に疑問や問題を感じることも多かったが、同じ修復家ながら、文化と言語を異にする人々の自分達とは全く違った行動を目の当たりにして、あらためて自らの修復観を展望したくなった。
文化財を修復するということはとても難しい。ただいたずらに科学を追求し、言語で説明、理由付けできることのみを行おうとすると、視野も思考も硬直し、そこに必ず゙語れない何か"に消失の危機が迫る。私達修復家は、ある意味言語で説明尽くせぬ、コンピューターでニ値化もできぬ、時に科学技術が容易にそのフィルターで濾し取り除き、捨て去るような灰汁や澱をも守らなければならない。
講演時間にも限りがあろうし、通訳者の心労もさらに大きくなるだろうが、講演後の質問や、講演者との話し合いの時間ももっと増やして欲しかった。また、通役者はもう少し専門用語の使い方に注意して、日頃自分達の用いているモノ、用語が、日本の修復現場でどう捉えられ、呼ばれているか、そしてどれほど知られていないか、日本の修復事情についてもチョット学んで欲しい。せっかくのすばらしい情報が惜しいことになる。

040605
アレッサンドロ・コンティ 『修復の鑑 』を読みはじめる
ISBN4-7566-0276-2 C0071


絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂

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