修復家の私考 〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜
◆修復家を目指す者へ
最近、中学校や高校の生徒、先生から、どうしたら修復家になれるのかといった相談を受けることが多くなった。かつては日の目を見ること等ほとんど無く、いわゆる縁の下の存在であったのが、最近はずいぶんとメジャー?な存在になっているのだろうか。取りあえず、今回は今まで私自身が受けた相談、質問等を思い出しながら、私の経験をもとにして以下に修復家を志望する人々へ記す。多少なりとも役にたてれば幸甚に思う。
─保存修復の学習方法─
私がこの世界に入った1980年初頭には、きっと、保存修復という言葉や修復家などという存在も極めてマイナーで、在来の教育機関で保存修復というモノを学ぶことのできる教育機関もとても少なかったように思う。もともと私は、表装の技術に魅了されてこの世界に足を踏み入れたのだが、とにかく技術を習得したくて早くから現場での修行に入り、あとになって必要な学習を独学でこなして来た。しかし、これはけっこう大変で時間もかかる。当時は今のようにインターネットもなかったから(とにかくコンピューターなどはまだ夢の話に近かった)、情報の収集は困難を極め、一時期は休みの度に図書館通いをしたこともあった(でも得られるものはなお少なかったと思う)。最近は、日本国内でもこの修復家ブーム?のあおりを受けてか、保存修復を学ぶことのできる学科を設ける教育機関が増えて来たようで、短期間で効率良く学習をしたいのなら、やはり今ではこういった学校に入学するのが良いだろう。ただし、付け加えておくと、既存の教育機関や専門学校では、私の知る限り、狭義な知識や哲学、技術しか学べないという事を確認しておこう。今や多くの文化財を抱える主要な国で、様々なかたちで保存修復は研究され、進化している。学校などという限られた空間、時間のなかで学べる事はもともと限りがあり、その外側にはるかにたくさんの有効な経験と情報が今も産まれ続け、存在している。
文化財、歴史遺産の保存修復を学ぶことができる教育機関の修得科目を観てみると、絵画等の製作技法、歴史、美術(文化)史、外国語、化学、物理学、生物学などがあげられ、各々に専門家が教えている様だ。これに加えて、希望する修復のジャンルによっては、考古学や社会学、宗教学、人類学、哲学等も学ぶ必要が生じてくるのではないだろうか(今私自身が必要に思っている)。さらに修復家として現場にたてば写真術、修復技法、文章表現(報告書の作成)、パーソナルコンピューターの操作、利用法、等々、、、。考えるほどに、経験を経るほどに、必要と思われるモノゴトは増えて行くのがこの世界!?もちろん、あなた自信にやる気があれば、今なお何処ででも、どんな形でも学ぶことはできる。─技術の修得─
知識や理論を学べても、修復の技術を必要なレベルまで習得出来るような教育機関はすくないと思う(私が知る限りは無い)。技術というのは机上で行う学習にくらべると、かなり大きな固体差が影響するし、センスも必要だと思う。なお本人自身に多くの訓練、経験を要するから、教育機関のように定められた時間や枠組みの中で修得をすることは実際望めないと思う。技術は今もなお、学校を卒業したあとに必ず在来の工房などで修行をする必要があることは変わらない。これは、保存修復を早くから学問として大成させて来たヨーロッパでも同じことが言える。ヨーロッパの主要諸国では修復家というものを国家資格として確立させているが、必要な教育機関を卒業後、さらに技術は工房での修行、実務経験を義務付けられているようだ。─留学の問題と意味合い─
ここ数年は、見た目にも、また実際の内容も歴史的に豊であると思われるヨーロッパへ留学する学生が増えて来て、かの地から卒業時期になるとインターネットで問い合わせて来たり、中には御丁寧に履歴書等を送って来る者もいる。しかし、彼等がどんなに優秀な学業成績を納め、国家資格を得たとしても、日本ではその効果が極めて希薄なようだ。この理由として考えられることは、まず、彼等が学業を納めた教育機関とその活動自体が、広く日本の中で知られていないことがある(一般にはほとんど知られていない)。日本国内では公に認められている資格など存在しないし、たぶん世界的に観ても、共通に認められている資格などなく、もともとが、ひと握りの専門家によって評価され、受け入れられているに過ぎない。そしていまでは、かつての学歴偏重社会が崩壊し、なお、実際のキャリアがなければその存在を認められないのが現在の日本の修復家業界(全てに言えるのではないか)。私の経験に限って言える事かも知れないが、多くのクライアントは、よっぽど『見える』業績がない限り(あるいはよほどのコネクションが無い限り)、貴重な作品を預けることは絶対にしない。
加えて言えば、インターネットの発達によって、今や海外の多くの情報が日本に居ながらにして手に入るから、例えば今から20年とか30年前に海外留学をした時期と比べて、その意味も減衰し、昨今はたくさんの人が留学をするようになったから帰国後の社会的な『注目度』、『効果』も希薄になっているのではないだろうか。
留学生の問題点をさらに加えると、これは、私の工房を訪れた帰国者と話して、最近感じたことなのであるが、私達が修復をしようとする文化財と、彼等が対峙して来たモノの成り立ちや意味合いの違い、差異をわかっていないということ。文化はそれを生み出した地域や人の生活に密接な関係をもっているから、ここから切り離して見つめた時には、あるいは異質な物と捉えられる可能性があり、修復の方法も変化する。この結果として、場合によってはその資料、作品にフィットしない施術を行ったり、最悪の場合は、それを変質、破壊する可能性をはらむことになるのだ。彼等の学んだ保存修復学は、それを学んだ地に行使してこそ最も有効であるということを理解する必要があり、その地を離れて他の地で保存修復を行うのならば、さらに新たな学習、経験が必要だ。
ここで、断っておかなっければならないのは、私は海外留学を否定しているのでは無いということ。とくにヨーロッパのいくつかの国では、保存修復を学問として早くから捉えており、今日の保存修復学におけるイデオロギーの基盤は彼等がつくった。その歴史も蓄積も大きく、今なお重要な存在であることは誰もが認めることだろうと思う。そしてまた、たとえそれが何処であれ、自らの生まれ育ったのとは異なった世界に赴き、かの地の文化に実際に触れることも、ただそれだけでも、『経験』、『実践』として、とても大きな意味を持つことを私自身も経験している。要は場所ではなく、何を学ぶか。それをどう利用するか、できるように努力をするかということであろう。─修復研究所、工房、業者の形態─
修復業者、工房の形態には大きく2つあると考えて良いと思う。ひとつは組織的に、たくさんのスタッフによって運営されている大きな機関。もうひとつは私のように個人的な運営(私の所は2名プラスα/一人でやっているところもあれば数人で営業しているところもある)を行っている、いわゆる修復を生業としている(例えるならば開業医?)修復家。前者に就職する際は、こういった機関はたいてい役割分担をして営業しているから、場合によっては先に記した何もかもを習得する(本当はそうするべき)必要がない場合もあるかも知れない。何か際立った得意技なり知識をもっていることも有効だろうと思う。しかし、私達のような個人営業者の場合はそうはいかず、何かに秀でていることは損ではないが、できるだけ多くのことをバランスよく得ていることが肝心だと思っている。修復を生業とすることは至難の技。クライアントが、まずは命の次?に大切に思われている家宝や至宝を預け、手を加えさせるのだから、ちょっとやそっとの信用では仕事を得られない。だから、最初は安い金額にも甘んじ、どんなに駄作(本当はそんな物などもともと無く、それはただ人の経験や視線が『駄作』と意味付けるだけ!)であろうとも、誠心誠意に勤める必要もあるし、ただ仕事を待っているだけではなく、時には自分をアピールする必要だってある。こんな時には政治家のように雄弁(詭弁はマズイけれど)でアナウンサーのように饒舌。時に落語家のように豊かな話術も必要になろう。どうやって自分や自分の知識と技術をプレゼンテーションするか。そんな『技』も身につけたい。今は良い時代になった。インターネットの活用は、大きな資金を投じないでも多くの人たちに自分をアピールもできる。これからは、修復家にとってもパーソナルコンピューターの活用術は重要な資本(武器、戦術?)になる。─日本における文化財への視線─
残念ながら、経済効率優先の日本の社会では、文化事業に力を入れられることは少ない。多くの美術品は財産として、芸術性や歴史、文化的な意味よりも市場の換金価値を追求される。政治家は、業績が社会に広く見え、多くの有権者へのアピールとなる文化施設の建設には力を入れても、少数の専門家によって、人知れず、施術の結果としても良く解らない修復は、そのアピール性も欠けることからなのか(きっとそうだと思うが)、よほど音に聴こえた作品でもない限り、資金が投じられることはない。個人も然り。まずはブランド品に外国車?、はては家屋にお金を注いでも、芸術にお金をかける人は甚だ少ないことは、あなたの周りを見回してみると良いかも知れない。
こんな社会の中でもっと多くの修復家の雇用を確保し、その生計をたてられるようにするためには、外部への理解も絶対に書かせない。社会的、政治的な発言力、決定力を持つポジションに私達が参入するか、保存修復の知識を持った人間を育成し、送り込む必要もあるだろうし、幼い人々への教育も必要だと思う。
私達修復家は、文化財と直接的に対峙し、それを守り、残すための最前線に常に立たされるいっても過言ではないだろう。しかし、文化財は決して、私達修復家の力だけでは守れない。修復家になり、なろうとする者は、社会の文化への関心と理解と協力がなければ、全てのモノはいとも容易に破壊し、消滅し、私達修復家の運動はもちろん、存在すら、まったく意味を失うということを、確かに理解し、記憶しておいて欲しい。─修復家のジャンル─
ひとくちに修復家といっても、そこには様々な分野がある。一般に、絵画では東洋(日本画と呼ばれる物を含め、広く中国や韓国の絵画/多くは紙や薄い絹織物等に顔料と膠等の接着剤を利用して描かれているもの)と西洋(油彩画やテンペラ画)に分類され、他に彫刻、漆工品等の工芸品、服飾等のテキスタイル、大きな物では建築の保存修復もある。ここには共通して学ばなければならない物も多くあるが、各々の知識が必要であり、技術が必要だ。効率を考えると、早くから自分の志望ジャンルを定めることは有効だと思われるが、先に記したように、修復家が学ばなければならないことはとても多く、逆に何を何から学んでも無駄になるものはないから、私はそれほど早く目標を定めることもないと思っている。逆に、ジャンルを超えた世界に自分の必要な情報があることを、しっかりと覚えておくと良いだろう。少なくとも、私はそれを実体験している。近年のアートシーンを見れば、画材も一層多彩になり、同じ日本画と呼ばれる作品のなかにも、様々なマテリアルが複合的に利用されたり、技法も一様ではなくなっている。これは、世界的に観てもきっと大差はないだろう。─年齢の問題─
最近、大学を卒業し、さらには就職をしてしばらくしてから自分の職業に疑問や不安を感じ、本当の自分が求める、やりがいのある職業として、修復家を目指そうという人もチラホラと現れているようだ。彼等は経済的な問題、時間的かつ年齢的な問題に悩み、いったい、今からでも本当に修復家になれるのかと不安を訴える物が多い。これも、私の経験による持論に過ぎないが、技術を習得するのならば、やはりできるだけ早い方がイイと思う。これは広く、プロのスポーツ選手や音楽家を見れば想像に難くもないと思うが、彼等のほとんどががどんなに早くからその世界に接触していたか考えて欲しい。もちろんここには固体差があるから、一概に言えることでは決してない。中には、自分に気付かず、素晴らしい才能とセンスを秘めている人もいよう。ただ、遅ければおそいほど、そこからスタートをするのだという決意と努力はより大きく必要に違いないと私は思う。さて、修復家になろうとするあなたのするべきことは、膨大で無限にあるということがお分かりいただけただろうか。友人の修復家は『私達はもしかしたら制作者以上に、作品に向かい、時間を費やすかも知れない』といっていたのが印象に残っている。そして、この世界のさらなる問題点。社会の文化への関心のすくなさ、限られた市場、信用を得るまでには長い時間と努力が必要。ハッキリと言えることは、ただ悲観してしまうようなことばかり。けれどもなお、私達の仕事はそれを克服するだけの価値あるものだと私は思う。膨張経済といわれた時期を何年も過ぎてなお、経済が低迷する世の中を見渡せば、状況が悪いのはこの世界に限って言えることではなく、他の世界も似たり寄ったり?こんな状況下でも、当然ながら、何かを勝ち取る者はおり、成功を手にする者もいる。
もし本当に修復家になりたいのならば、まず、その価値を確かに見い出して下さい。でも、それを見出すのも才能かナ、、、。好きこそモノの上手なれ。健闘を祈ります。
040326 近所の桜が咲きはじめる(050723改)
絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂
▲Home▲ ▲back▲