修復家の私考 〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜
◆近年のトラブル
最近、展覧会の会期中や終了後になんらかのトラブルが発生したり、倉庫業者などに長い間保管をしていて、しばらくぶりに作品を見たらまるで麻疹にでもかかったように斑点状のシミが発生したり、画面が変色するなどして、私達の工房に持ち込まれる作品が多くなった。こんな場合、たいていは管理者が保険をかけているので、この保険が適用されることが多いが、時には、『これはいったい誰の責任か?』という論争で責任の擦りあいになり、裁判ざたになるようなことさえあるようだ。
今まで経験した例を振り返ると、そこでいつも問題に感じたことは、いずれのケースも展覧会の主催者や保管、管理者に対する作者、あるいは所有者との間に、事前の状態確認や、展示、保管環境などについての情報交換、認識をしていなかったということである。先に上げた様なケースでは、ほとんどの場合、各々が持つべき情報があまりに希薄で、いずれの場合もそのいい加減さに閉口することが少なく無かった。あるいは、彼等はそのいい加減な状態で、今日まで何のトラブルを抱えることもなく過ごして来た(実際は気付いていない!?)のはまことに幸いであろう。
こんなトラブルを避けるためには、まず第一に、制作者を含めたすべての取扱者が、共に引き渡し前後の作品の状況をしっかりと確認すること。ここではまず証拠としても、写真記録などの共有が望ましい(目的は美しくとることでは無い!正確、詳細を旨として撮ること。できれば4/5やブローニーサイズの写真記録を双方が所有する。デジタルカメラや35@フィルムの場合は全図と作品の大きさに応じて数分割して撮影するとよいだろう)。作品上の損傷は、素人ではなかなか確認出来ないこともあるので、こんな時は保存修復の専門家に立ち合ってもらうのも良いと思う。
第二には、お互いに展示や保管(あるいは搬送、移動も)される環境の確認をすること。ここ数年は、経済状況もよく無いことからか、目に見えないところでも皆が『節約』をしている。例えば空調装置もランニングコストを下げるための工夫(出力を下げたり運転を一時的に停止する?)をしているだろうから、そこらあたりはきちんと正直な説明をしてもらい、作品を預ける側はその環境下におけるリスクや問題点を理解しなければならないと思う。第三としては、これがとても難題なのであるが、制作者の製作上の問題として、製作に利用した材料素材や製作技法について、取扱者(制作者も!!)はもう少し勉強をして欲しい。近年の絵画は、堅牢な作品を構築することよりもイメージの実体化を優先する傾向が強い。さらに現代のテクノロジーは多様な画材を生み出し、制作者はその科学的性質や使用上の問題点をかえりみず、ただひたすらに自らの表現が求めるままの材料を思うがままの方法で使用する。修復家は、制作者の使う自由、その使い方に指図をする立場には無いし、私自身そんなつもりは微塵も無いが、現実的に脆弱な作品が増えてきて、取扱いはとても難しくなっている。どんなに優れた材料素材出会っても(そう言われていても)使い方次第では、ちょっとした温度、湿度の変化や衝撃によって、いとも簡単に破壊してしまう可能性もあるということを頭に入れておいて欲しい。
一般に、画材の中には、絵の具やイメージをのせる土台(これを私達修復家はひとまとめにして支持体とか基底材とか呼ぶ)として板、紙や麻、絹織物などの天然の素材を原料としたものがたくさん使われているが、これらは温湿度の変化によく反応し、膨張したり収縮したりする。これとは反対に、時間とともに硬く固まってゆく絵の具の類いは延び縮みがしにくくなり、そこにおおきな『差』が生まれてくる。最近、海外で展覧会を巡業してきた作品が裂けたといったケースがあったのだが、状況を詳しく聴いてゆくと、ずいぶんと温度差のある環境に行ったり来たりしていることが分かっている。飛行機などで運搬する場合は、内部の温度湿度を一定に保て、なおかつ移動中の震動を吸収出来るような専用の保存箱に入れなければ、何が起きても不思議ではない。
最後に第四の問題として、さらに一般には確認することが困難になると思われるが、装幀方法があげられるだろう。例えば近年の額装は、集合材とよばれるベニヤ板のような接着剤で薄い板を張り合わせたような材料が使われることが多くなった。いわゆる新建材の一種で、昨今、ハウスシック症候群を引き起こすとされるホルムアルデヒド。これが一部の顔料に反応するといった実例報告が数年前にあった。とくに精度の高い額装では、額の内部が密閉されたような状態になり、皮肉にも問題源も密封されたようになることがあるようだ。
最近多くなったのが作品の裂けや亀裂損傷で、これは作品をパネルなどに張り込む(固定する)場合に、必要不可欠な下処理(裏打だけでは無く、受け張り、袋張りなどと呼ばれる作品支持方法)を施していないことが多く、ここらの装幀方法も共に勉強、確認をしたいところである。同じ装幀でも掛軸装などは、近年、科学的に合成された接着剤を多用する傾向がある。接着剤ばかりではなく、その施工法にも問題が有るのだろうが、この類いの装幀を施された作品が変色した例をずいぶんと見て来た。中には接着剤の除去が非常に困難で、修復が難しいものもある。ここで、絵画や美術品の類いは非常にデリケートであるということをあらためて一度確認して、みなさんがが日頃行っている取扱い方について、すこしでも考えなおしていただければ嬉しいと思う。(040105)
絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂
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