修復家の私考 〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜
◆文化財の保存と『壁』
国宝、重要文化財とやらは、どんな方法、基準で、誰がその決定をしているのか知っている人はとても少ないし、さらにそれを決定する人物の選考を行っている人間を知っている人はもっと稀だろう。そんな風にして選ばれたひと握の人によって、国宝や重要文化財が指定され、保存、修復の方針も決定されている。
文化財保護の理念、哲学のなかでは、現存する物の姿形、その状態を可能な限り長く維持することが第一に求められている。国宝や重要文化財に指定されると、たとえ所有者さえも勝手に取り扱うことが出来なくなり、自分の望む姿に直したり、手を入れたりすることは出来ない。家屋などの文化財指定はとても良い例で、世界遺産ともなった飛騨白川郷の合掌造のような古民家などに生活する者は、一度指定を受けると、すきま風が気になるからといってもアルミサッシは取り付けられないし、流行りのヨーロッパ風のガーデニングをしたくても出来ない。オシャレなシステムキッチンを設備したり、便利な床暖房付きフローリングにすることも許されない。このハイテクの時代に、そこで生活する限りはその恩恵を受けることもままならない。そういう願望を持つ家主にとっては、これは文化財に指定されましたからと、たとえそれが名誉なことですからと言われても、すべて希望を頭から否定され、今日まで私の自由にできるモノだったのに、なんと勝手で傲慢な専門家とお役人と、きっと思うかもしれない。そんな彼等はただ不幸といわねばなるまい。
最近、私も運営に参加している『修復家の集い』というサイトで、地方行政下で町並みの保存を担当している人が、上司から『なぜ保存するのか』『その必要性はなんなのだろう』などと問われたという書き込みがあった。ここでその上司は、下水道や道路の工事などは、生活に必要なものとして理解もできるしその必要性も説得出来るが、文化財として、指定されたからといって、その人の生活を拘束する必要性を自ら理解できず、相手にも説明出来ないと悩んでいたようだった。
専門家の見い出した価値に賛同と理解を得ることが出来、その保存に意義を見出してもらうことができれば嬉しい。たとえ哲学や思考に違いがあっても、同じでなくても、管理者が広く社会的に認知されたり、それを所有することでステイタスになったり、経済的な効果があったり、目的は多少違っても、双方ともに文化財を守る理由や必要が共有できれば、それはそれで良いと思う。
しかし、現実はなかなか上手くは行かない。人は各々に経験が違うし、それに伴って考え方や理想も違う。世界観も価値観も皆違うのが当たり前。私達が日々対峙している文化的な遺産の多く、いや、たぶん、今は指定されていないそのほとんどが、まさにその中で利用され、管理されている。彼等の中には高度な有識者もいて、その歴史的、芸術的な価値を理解する者もいれば、全く関心をもたず、屋根裏や倉庫の奥に放置している者もいる。どこかの番組のおかげで骨董ブームになれば、広く古い物を大切にする心もまた芽生える一方で、『価値がない』と言われれば、簡単に『捨てる』と言い放つ者も少なくはない。たしか、かつてどこかの企業の責任者が、購入した絵画を自分が死んだら一緒に燃やして欲しいと言ったそうだが、購入(社会的契約)した財産ならば、処分する自由も法律では認められている。市場で売買される絵画や美術品は、市場価値によってその存亡さえ左右される。私のような開業修復家の所には、いわゆる画商や骨董商が修復の相談を持ちかけて来ることもあるが、彼等にはその作品の痛み具合や損傷の原因よりも、修復にかかる費用が何よりも重要で、結構な無理難題をせまる。なかなかこちらの意見や提案を聞き入れてもらえず、早々にお引き取りをお願いすることもけっこうある、、、。私達修復家は、遺された物の延命処置をする知識と技術を得て、文化財(ここでは指定されていようがいまいが、広く文化的な表現の全てという意味で)の保存における、ある意味、最前線にいるのだと思う。しかし、その所有者にでもならぬ限り、その前線を超えて、私達は先に行くことが出来ない。私達は痛んだ作品や資料に処置を施し、延命の可能性を与えることは出来ても、それを実際に管理し、守ることは出来ないのだ。それを守り、本当に、実際に延命させることができるのは、私達専門家の外側の世界に住んでいる、私達専門家とは異なった思考や価値観をもつ人と社会であることがはるかに多い(実際、今指定文化財となっている物の多くはその中で守られ、遺されて来た)。だからこそ、私達が使命とし、専門家として望む文化財の延命には、この前線の向こうの、外側にいる人々、社会との相互理解、情報の提供、交換こそ欠かせない。そして、実際には、その大切さを見失ったり、どれだけそれを怠っている私達かと思う。
前線はいつも孤立しているようで目の前には『壁』のようなモノさえ感じる。
(2006.09.22改)
絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂
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