修復家の私考  〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜


◆日本の心『和敬静寂』?

日本には古くから仏教が伝わり、私達の生活、文化の中にもその影響が多く残っている。例えば、若い人たちの間ではではとっくの昔に『死語』扱いになっているだろうと思うが、『オシャカ』とか『オダブツ』だとか、ちょっと皮肉めいたコトバがあり、かつては庶民の大切な娯楽であった落語世界には、もともと仏教の用語であったという『二つ目』(開眼成就に由来するらしい)とか『前座』『高座』(身分によって説法をする時に座る場所の高さに上下があったらしい)という言葉も残っていて、落語自体も仏教と深いかかわりがあったという。
私は仏教徒でも、お坊さんの修行をしたわけでもないが、仕事上、隠元や沢庵、一休禅師など、多くの人が知っている高名な僧侶達が記した揮毫作品をよく見てきた。とくに、道元が中国から輸入した禅宗は、日本の代表的な伝統文化とも言えるだろう茶道とも深いかかわりをもつ。茶室の床には必ずと言ってよい程、この禅語(禅の教義を示唆する言葉、文字)を揮毫した作品を掛軸にして飾るのだ。
仏教には、キリスト教やイスラム教のような明文化され、誰にでも読解出来るような教義や教典はないように思う。その内容は、とても観念的で、抽象的。禅語が然りで、人によって、見方によっては解釈の幅がとても広いようだ。実際のことを調べてみると、仏教が日本に輸入された当初、平安時代あたりに中国へわたった僧侶達は、ろくに現地の言葉も知らないまま(無謀ではなく、さぞ勇気が必用だったろうと思う)、ただひたすら教典を書き写して帰って来ることが多かったらしい。そのおかげかどうかはわからぬが、今でもこの教典は漢字の羅列で、一般の人が見てもなかなか皆目解らない。それでも仏教徒、その信者の少なくはないことはとても興味深いのだが、、、。
お茶はもともと、かの僧侶が中国より輸入したものだし、彼等が修行の中で嗜むお茶の作法(かつては修行の一部として茶を飲み、滋養強壮の薬?として考えられていたらしい)が茶道に通じている。茶道は、知らぬ者がその所作を端から見ると実に摩訶不思議である。その一つ一つの動作は、もちろん今でも意味があるのだろうけれど、それは長い時間をかけてより洗練されて、今日、実用性を越えた『作法』(英語ではセレモニーというから日本語の儀式となる)という独特な形式美をもつようになる。夏目漱石あたりは、著書の中でずいぶんとお茶の世界を『茶化して』いる。

茶道でよく使われる言葉(これも禅語)に『和敬静寂』といのがある。私なりの言葉でわかりやすく解釈してみると、まずはごちゃごちゃ言わないで、多少のことは我慢して、わからずともぐっとこらえて飲み込めば、いらぬ波風もたたずまい。すべては丸く納めよう。それでみんながしあわせになるのなら、、、。となるか?
『師範』と呼ばれるような偉い方に、『それはどうして』とか『それはなぜ』とか質問を浴びせると、『お茶は静かに黙って楽しむ物です』などとお小言をいただくばかりだが、何もかもを科学的にとらえ、理論的に考える事、そうすることにのみ評価や価値を見い出すことにも問題があるのかも知れないと考える今日この頃である。かの千利休もいっている。『茶の湯とはただ湯を沸かし茶をのむばかりなり、、、』
水の打たれた艶やかな石畳の路地をゆき、小さなにじり口をくぐる。四畳ほどの小さな空間にはただ釜の中の湯の沸く音とたちのぼる湯気。その清潔な静けさに、実際はあるはずもない俗世間を隔てる異次元の宇宙(ユニバース)を想像すれば、茶の湯もまた楽し。 ウ〜ン、、、!?

('03 April Fools' Day)


絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂

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