修復家の私考 〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜
◆祭りと記憶の関係
私の住む町では、毎年1月の中ごろ(地域によっては小正月などと呼ばれる15日前後)に『どんどやき』という行事がおこなわれる。この行事は、ちょうど松のあける(正月飾りを下ろす)7日過ぎに、地域の子供達が近所を回って正月飾りを集め、竹と稲わらなどででつくった高い塔に巻き付けて火を付け、火がおさまった頃に竹ざおに刺した餅を焼いて食べるというもので、火の粉や煙りを浴びて、この火で焼いた餅を食べることで厄払いをし、新しい一年を無病息災で過ごせるというありがたい行事である。
この行事は、町内会と町内の子供会が主催するのだが、昨年は、妻が子供会の会長という大役を仰せつかったこともあって、今年は私も陰ながらお手伝いをさせて頂いた。この行事、かつては子供達が主体になって、親に言われるか、誰に言われるでもなく、近隣の家から松飾りを集めてまわった。実はこの仕事、ちょっとしたオマケもあって、回収先では『おとしだま』やお菓子などをいただくことができたので、子供達はけっこう楽しみにしていたという。今でも、古くからこの町に住む年輩者は、この習慣をよく知っていて、子供や子供と共に訪問する役員にお菓子や御祝儀を渡してくれる。現在では、御祝儀に関しては子供会の運営費用に算入しているが、このどんど焼きも、実はけっこうな人手とお金がかかるので大変にありがたい。厳寒の夕刻よりはじまる行事ということもあって、寒い時期に集まった子供達に暖をとってもらうため、役員がつくる甘酒や豚汁の材料費に燃料代、大きな火が出るので、近所の消防団にも出動を依頼するため、彼等への御祝儀。肝心かなめのどんどやきの舞台装置である『塔』をつくってくれる農家の人々へのお礼のお神酒。はては役員の食事、お弁当(この祭りの前後は連日朝から晩まであれこれと忙しい)などといった具合で、なかなか大変だ。
今私の住んでいる場所は、15〜20年前までは家も少なく、ほとんどが山林や田畑で、住人もここに長く住んでいる農家が多かった。この地へ来たのは30数年前、このあたりは昆虫も多くて、夏にはオニヤンマやカブト虫、クワガタなども捕れた。マムシや狸も多かったようだが、そんな情景はもはや微塵もない。近年になって世代の交代もあってか、相続時の固定資産の重圧に堪え切れなくなったのか(事実そういう話を良く聴く)、土地はどんどんと手放され、美しく整った新興住宅地として変貌しつつある。人も子供も増えたには増えたが、かつての村社会、共同体は分断され、あるいは解離、変容し、町の歴史を記憶する者もどんどんと少なくなっている。町内会長はどんどやきを終えて、回収した松飾りの量や住人の増加した割に、『御祝儀』が少なかったのを憂いていたという。妻はそんな会長に『どんどやきの風習を知らない人が多くなっているのだと』と言ったそうだ。
松飾りを集めてくれた子供達に、今年は子供会から500円分の図書券が贈られた。この新興住宅地では、経済的にもけっこう豊かな暮らしをしているように見えて、今やこんなものには目向きもしない子供も多かろうと思っていたが、中にはけっこう喜んでいた子供もいた様だ。
行事や祭りは楽しいから続くということがあると思う。ちょっと前までは、大人達がこの記憶をしっかりと先人から受け継いでいて、地域でも、個々の家でも、子供達へちゃんと伝えていただろうと思う。けれど、そんな地域の、社会のあり方が、姿も形も変わってしまって、大切なことが上手く伝わっていない。
近年、増々住宅が密集して、どんどやきをする場所もなくなって来た。今年は近隣への配慮から、例年より塔を小さくしたと聴いた。会長は、そんな事情を憂いながら、『そろそろ出来なくなるナ』などと呟いていたという。
去年、どんどやきの会場のすぐ向こうに、また新しく数件の家が建った。古くからある鎮守の杜もずいぶんと小さくなったらしい、、、。小学校に上がるまで、私は東京都内に住んでいた。この頃、父の働いていた祖父の経営する工房は祭りの御神酒所(みきしょ)となっていて、祭りの頃になると大にぎわいだったのをおぼろげに覚えている。母のお手製らしい、弟とお揃いの法被を着た写真が今も残っている。
祭りに集まった大勢の子供たちと共に燃え上がる炎をみつめ、煙りを身体に浴びながら、
はたして、彼等がこの行事を受け継ぐことができるのだろうかなどと考えた。
060214 st.Valentine's day
絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂
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