修復家の私考 〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜
◆伝統と一子相伝
古くから伝わる『伝統』的な文化表象(ここでは有形無形、動財産、非動財産をとわず表現という意味で使うことにする)の継承方法のひとつに、一子相伝というのがあるが、ここには、持てる情報を最大限に伝える上で、物理的にも精神的にも(科学的にも?)、たぶん、きっと多くの人々がそこに重要な意味を見い出していたのだろうと思うことがある。人はみな、生まれ育つ周囲の環境(=経験)によって変わって行くから、たとえ同じ日本語を話し、日本人と呼ばれる人でも、地域によって様々な生活様式があり、ものの考え方や価値観には各々に差異が生じる。それを個性、パーソナリィティー、センスだとすれば素晴らしい事であって、けっして悪くもなかろうが、『今なお変わらぬもの』『変わってはならない』と思われているような『伝統』を伝えるためには、これが邪魔になり、災いさえする。それを伝える側は、徹頭徹尾、完璧に伝えたいから、自分と同じような価値観、思考、哲学を持って、時に一挙手一投足に至るまで同じような行動を求めようとする。だから、自分の意見に対して異論を唱えたり、伝えたものを受け手のセンスによって変化させてもらっては困るのである。一方で、伝授される者が 血を分けた! 家族であるならばどうだろうか。科学的にも同じような遺伝子を多少は持っているわけだから、顔つき体つき、声、嗜好や物腰がどこか似てくるかも知れないし、何よりそれが親として知覚でき(思い込み。たぶんこれが一番肝心なのだろう)て、伝えるものとしても安心できる。修行、経験、教育をさせるにしても、幼い頃から、何かを受け取るために障害となる癖も経験も無い頃からできるわけで、あるいは比較的に思いの色に染め上げ易い。何しろ四六時中一緒に暮らしているのだから、誰よりも教わる機会に恵まれ、伝える者の一挙手一投足をいつも間近で見せることが出来ることは、やはりなんといってもとても大きなメリットである。身内であれば、その性格も気質も手に取るようによく知ることが出来て、相手を上手くコントロールしながら意図する方へ導くことも、外部から迎える人よりは容易かも知れない。さらには可愛い実の子であるならば、親として、生活の糧となる最も大きな財産も、全て惜しむことなく与えることもできるだろう。一子相伝とは、自らの作り上げた文化表象を理想的な形で伝え、長く守り、『伝統』(あるいは老舗としての看板、『本家』とか『家元』などという名声もか)というモノをつくること。そして、さらに経済を独占し、守るための手堅い手段として信じられて来たものなのではないだろうか。
最近、どんどんと地域差が希薄になっていると感じる事が多い。例えば方言や地域の習慣も、とくに情報に敏感な若い人ほど華やかで勢いの強いメディアに翻弄され、あるいは魅了されて、自分達の地域とその歴史に根ざした文化を古めかしい、時代遅れの異物として周縁に追いやる。しかし、これは昨今情報の流通が激しくなったから、という理由で現代にのみに言える事なのではなく、モノの捉え方、考え方、価値観というのは、いつの時代も社会情勢によって左右され、決定付けされ続けているのが事実というものだろう。私達は常に社会という他者との関係のなかで生きている。今さらながら、血液型も性格を決定付ける根拠はなく、遺伝子もまた人を決定するものではない。DNAも人のある部分を説明出来るが、それ自体が人なのでは無いのだ。
040207 子供の眉はやっぱり私に似ていると思う(^_^)
絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂
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