修復家の私考  〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜


◆もっと楽しもう

絵画や美術品を眺め、楽しむ方法には大きく二つの方法があると思う。一つは自分の経験にもとづいた感性にまかせて鑑賞し、思うがままのイマジネーションに酔いしれ、楽しむ方法。もう一つは解説書などを読んで、その作品の成り立ちを詳しく知ってからそれに望む方法。そして、このどちらの方法も間違っていることなどなく、優劣も正誤もないと私は思っている。世の中に、絵画や美術工芸品の解説書は数多ある。そのどれもが作品を細かく分析し、製作技法はもちろんのこと、時に歴史の目で、哲学の目で、はたまた心理学や数学の目でせまる。最近読んだある本の中で著者は、作品を前にすると時に理解出来ないことがあり、それを敬遠したり自分勝手に感じ取ること、そうするだけで済ましてしまうことを『残念である』といっていた。そして、その作品にある作者のメッセージを読み取るための努力や準備が必要だとする。

食事を楽しむために、その料理の作り方を知る必要はないし、音楽を楽しむのに絶対音感や楽譜を読む能力は必要としない。もちろん、学習をすれば、今まで見えなかったことはきっと見えて来る。見えてくるものが異なれば、その感動もずいぶんと変わって来るだろう。しばらく前に見たTVのなかで、さる有名な女性のヴァイオリニストが話していたことは印象的で、今でも私の頭に強く焼き付いている。彼女は、人並みはずれた絶対音感をもっているという話だが、彼女は練習を除いて、日頃音楽を全く聞かないという。彼女にとってはすべての音、TVのCMから電話の呼び出し音、玄関チャイム、パトカーや救急車のサイレンまでが頭の中で音符になってあらわれるといっていた。それが日常うっとうしくて仕方ないらしい。極端な例もしれなしが、こんな風になってしまったら、、どうして音楽が楽しめるのだろうか。
高い山に登った時のあの清清しさ。実際には味などないのだが『うまい』と思う空気。森の中、木立の中の心地よさ。草木が触れあう音、川のせせらぎ、小鳥の鳴き声、、、。私達人間には、他の動物が得られない、知覚することのない喜びを得ることができる。それを感じることのできることは素晴らしきことであり、同じ様に人の創造、芸術を体感出来ることは、この世界の中で、私達人間にのみ与えられた偉大な力であり、これに優るものは何もない様に思う。
絵画や美術品を分析すること、解釈することを間違っているとはけっして言わない。しかしそれは在る一つの方法であり、実はそれも、ある人の経験(学習)によってつくられた観賞方法であり、今、まさに観ようとしている一枚の絵画と同じ様に人の創造した形のないイメージ、言葉(説明)なのかと思う。
観る方法は一つではない。経験の長短によって、得られるもの(あるいは理解)に優劣をつけられるものでもない。大切なことは、人の経験や言葉に頼らずに、まずは、あなたの経験の中で、おもむくままに素直に見つめ、味わうことを大切にして欲しい。


誰もが専門家になる必要はないし、みんなが専門家の目で観てしまったらそれも面白くはない。その解釈は創造者に表現の自由があるのと同じ様に自由だ。どんなに有名な、大家の作品だって、『つまんな〜い』と一蹴することもまた正しい答えだと思う。

もっと芸術をたのしもう!!


2003.9.10 十五夜(080606)


絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂

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